とても短い一回裏と
ミットの良い音が響く。ずいぶんと早い球だ、110キロ後半に届いているかも知れない。
…参った。速球派はどうも苦手なんだ。
また、ミットの音が響く。次はバットが空を斬る音とのハーモニーを奏でて。
見逃していてもおそらくストライク取られていただろう、外角いっぱいの球。…どうやら、コントロールも良いようだ。
まぁ、女子野球の速球派は、ノーコンでも成立するような単純なものではない。だから、そのスタイルを成立させるための何かを速球派は持っていることが多い。
多分、彼女のコントロールはその一種なのだろうと思えた。
"女のストレートは、どう頑張っても男のストレートの劣化になる"
昔、野球評論家の誰かがそう言った。
実際、それはほぼ正しい。肉体はその性別によって、作りそのものが違うからだ。
当然、個人による能力差も大きなものだが、差があることと違うことは、全くの別物である。
そして、"速いストレートを投げる肉体"という意味では男子のものに軍配が上がる。だから、女子の速球派は男子のそれに劣るという考え方は、的外れなはずがない。
…しかし、ストレートを武器にプロの男たちと渡り合った女がいた。そして、それが劣化でないことの証明となった。
緩く曲がるカーブがキャッチャーミットに吸い込まれる。審判は迷うことなくボールを宣告した。この程度のカーブなら、ストレート待ちでも対応できそうだ。
地面を二回かかとで軽く蹴ってから、強く踏み締める。ジャリ、と小さく音が響いた。
…バッティングにも速球派と同じように、男子と違って立場が弱いスタイルが存在する。
重いバットを長く持っている自分自身を俯瞰的に見つめて、軽く自嘲する。
私のこのスタイルとは対照的な、軽いバットを短く持ち、コンパクトなスイングを基本とするスタイル。それが、現在の女子野球では定石のようになっている。
それを浸透させたのは、三年ほど前に導入された高反発球だろう。
芯にあたれば、軽く振っても内野を超える打球が簡単に出せる特別製。普通の高反発球と違うのは、簡単にホームランが出てしまわないよう打球が伸びづらい設計になっているところ。
確か、空気の抵抗を受けやすい性質だとかなんとか。まぁ、そんなことは置いておこう。
要するに、このボールの影響により、バットに当てて後続へと繋ぐことが重要視されるようになったのだ。
…それでも、私は平均より一回り重いバットを長く持つ。だから、対戦相手としての速球派は苦手だが、環境に逆らうようなそのスタイルにはどこか親近感を覚えずにはいられない。
ブオンとバットが一鳴きした。その音は、ついでと言いたげにコツンと呟く。インパクト後の硬直時間に、その打球が三塁の方へコロコロと転がっていくのが見える。
間に合うかも、そう思うより先に全力で一塁に走り出していた。
「アウト」
一塁ベースを駆け抜けるよりも先に、その宣告が聞こえた。
…相手、良い投手だな。グローブをはめながら、ぼんやりとそう思った。
「ちょ、桜花ちゃん!」
帽子を被り、いざグラウンドへと歩き出した時に、驚きを隠せない様子で斜め後ろから双葉さんが話しかけてくる。
どうかしましたか、と私が返す前に彼女は近寄ってきて耳元でこう続けた。
「ズボン、破けてるって!」
一応私以外に聞こえないようにしているようで、びっくりマークが言葉の最後に引っ付きそうな勢いを感じたが、その内容が周りに伝わることはなかった。
ただ、何か異常があったことを察するには十分だったようだ。明るい緑色の髪、センターを守っている七篠凛が双葉さんに呼びかける。
…というか、ジャージのこと完全に忘れてた。
「どうしたんすか咲先輩。早く防具つけた方が良いですよー」
「えっ、あっそうだった。ど、どうしよう」
あたふたと効果音が聞こえそうな動揺具合を見せつつ、私に問いかける。
「まぁ、表が終わったら下にハーフパンツ履きに行きますよ」
「いや、そのままにするのは女の子としてちょっとどうかと…」
そんな問答をしていると、双葉さんの後ろから一塁手の三谷響さんが話しかけてくる。怒っているとまでは言えないが、ちょっとムッとしている。
「何やってんだ、お相手さん待たせてるぞ」
呼びかけの対象は、ビクッと跳ね上がってから声の方へ振り向いた。
「あ、いやちょっとなんというか…」
そして、しどろもどろに言葉尻が聞こえない程度にぶつぶつと言い出す。
…ジャージが破けてたぐらいでそんな大袈裟な。
「私のジャージが破けてて、そのままにするのはどうなんだって話をしてました」
「…ああ、あのスライディングの時に破けちゃったのか」
「多分、そうかと」
少し、とぼけるように言う。元から気づいてはいたのだが、わざわざそう説明するのは面倒な気がしたから。
「ちょっと待っとけ」
そう言ってから、ベンチに座っていた廣谷先生に話を通し、相手ベンチに向かって行った。
…まぁ、せっかく時間をとってもらえるのなら着替えることにしようか。そう思いつつ、防具に着替えに行こうとしたであろう双葉さんに対して、感謝と疑問を伝える。
「教えてくれたのはありがとうございます。でも、そんな気にすることですかね?」
「いや、めちゃくちゃセンシティブな破け方だよ⁈」
私の発言内容に彼女はくるりと振り返り、もう我慢の限界だとそう言い放った。
その本人は、あっやべと言いたげに口の辺りを押さえて私の様子を伺う。
…センシティブ?
と、その単語の意味を思案しつつ、破けている箇所を改めて触る。すると、肌以外の感触を破けていた場所から感じた。
そういえば、一回表のときも摩擦熱に隠れて肌以外の感触があった気がする。
そして、それが白色の無地であることは、私だけが知っていることだろう。…今となっては、断言できなくなってしまったが。
…さて、その事実に気づいてしまったからか、他人に指摘されたこと自体にそう感じたからか不明だが、私はほんの少しばかりの羞恥心を感じてしまう。
その影響か、顔のあたりがほんのり暖かくなってきた頃に、それに気づいた双葉さんは頭を下げる。
「わーごめん!言い方悪かった!」
「いや、別に気にしなくて大丈夫です…」
「それめちゃくちゃ気にしてる人の言い方だから!
というか、せめて真っ赤な顔をどうにかしてから言おうよ!」
賑やかでよく響く声が完璧に霧消した頃、三谷さんがベンチに戻ってきて私に問いかける。
「一瀬、トイレで着替えるの抵抗あるか?」
「いえ、大丈夫です」
「分かった、この子が校舎のトイレに案内してくれるそうだから、一応急いで着替えてな」
そう言い終わると、横に立っている相手チームの部員であろう女子が小さく頭を下げる。
…三谷さんの方は、私の顔を見て怪訝そうな顔を見せる。
「…あれ、着替え持ってたか聞いてたっけ?」
「あっいや、聞かれて無いですけど、ハーフパンツ持ってきてるのでそれを下に履くつもりです」
どうやら、その表情は私の顔の赤さに対するものではなかったようだ。
カバンから出しておいたハーフパンツを見せつつそう返すと、安堵のため息を吐いて三谷さんは言う。
「オーケー、それじゃ行ってこい。…あと、お前はさっさと防具着ろ。さやか待たせてるぞ」
「す、すみませんすぐに着てきます!」
先ほどまで気まずそうに私の前に立っていた双葉さんが、三谷さんにそう言われて駆けていく。
きっと、先ほどの一幕が場を離れづらくしたのだろう。ちょっと悪いことをしてしまったなと、罪悪感を覚えた。




