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三回裏まで



「ベンチの誰か、あのジャージの子を校舎のトイレまで案内してやって」


 さっきまで夙河高の選手と話していた山岸監督が、ベンチ全体に聞こえるようにそう呼びかけた。

 ジャージの子という単語を聞いて、相手チームに所属している一瀬さんの事だと私は気づく。

 

「はい!私が行きます、行かせてください!」


「お、おう。ずいぶん食い気味だな…」


 食い気味であろうと、私じゃダメな理由など特にない。なので、山岸監督もじゃあ任せたと、この役割を私に任せてくれる。



 まさか、こんな所で会えるなんて。

 この時の私は、ただただそうとしか思わなかった。


 





「私のこと、覚えてない…かな。一瀬さん」


 校舎の方に向かう途中、案内役の子が突然そんなことを言い出した。

 顔をじっと見つめてみる。…それでも、全く心当たりがない。

 

「…すみません、ちょっと思い出せないです」


「そっかぁ、まぁそうだよね」


 はははと、少し残念そうに笑う。

 その様子を見て、双葉さんに話しかけられた4月ごろの記憶を思い出してしまう。


「まぁ、仕方ないよね。2()()()に試合した相手の選手なんて、そんな覚えてるもんじゃないよね」


「はぁ…」


 …2()()()。確か彼女もそう言った。


 どこか上の空となってしまっている私に気づいてないのか、横に並ぶ彼女は続ける。


「2年前の、私が中3の時の地区予選でさ。その3回戦。一瀬さんが先発だった試合に、私、二番打者として出てたんだ」


 そう言われて、その試合の記憶が鮮明に脳内を巡る。…流石に、目の前にいる人を思い出すことは無かったが。

 だが、その試合の内容と、相手校の名前ぐらいなら思い出すまでもない。


「もしかして、霜山(しもやま)中の選手ですか?」


「そうそう!覚えてたんだ!」


 そりゃあ、忘れるはずがない。エースの柚山直が、二回戦で怪我を負ってしまったことが原因で、私が最初で最後の先発登板をした日なのだから。

 当然、その試合結果も詳細に覚えている。


「私…、いや私のチーム、一瀬さんに手も足も出なくてさ。4回まで投げてた貴女から一本のヒットも、それどころか出塁もできなくて。

 そこそこ強いチームに所属してた自覚があった分、めちゃくちゃショックだった」


 しかし、私は5回の開始と同時に交代させられた。

 …今となっては、それは仕方ないかと思っている。それでも、当時は納得できなかったっけな。


「結局交代で出てきた人からなんとか点を取って、延長戦でようやく勝てた試合だったけどさ」


 校舎内に入る、トイレの看板すぐそこに見えた。…私の足が、前へ前へと体を進める速度を早めたがっているように思えた。


「この試合、というか夏の大会まで無理かも知れないけど、絶対レギュラーになるから。

 …だから、その時は絶対に打つからね」


 私の返事を聞く前に、トイレここだから、と指をさす。

 私はその指の方へ向き、歩みを進めようとしたが、無意識にこう声を発した。


「…その時は、相手になります」


 ()()()()()()をした私は、目的地に向かう前に彼女の表情をチラリと見る。

 心底嬉しそうなその顔は、自分の愚かさを激しく痛感させた。


 …どのみち、()()するじゃないか。

 トイレに向かう私は自分に対して、心の中でそう叱責した。






 キーンと、またまた小気味良い音が聞こえる。今度は私の方へと飛んできた。

 ただ、2歩ほど後ろに退けばすぐに落下地点なので、1回表の時のようなプレーをする必要は無い。


 ミットの乾いた音を鳴らしてから、ボールを甘城妹の方へと送る。


 なんとか、この回は2失点で終わった。

 これで、1対3。

 こちら側の得点は2回裏のもの。四番の七篠瞳さんと五番の双葉さんの連打によって得られた点数だ。

 そして、この二つ以外にチームの出塁は一切無い。

 なので、次の三度目の攻撃。その先頭打者は九番バッターの私ということになる。





「桜花ちゃーん、がんばれー!」


 左打席に向かう私の背に、大きな声が響いた。

 私は、その声の主に対して小さく小さく会釈をした。


 ()()を無視できたら、どれほど楽だっただろうか。もしそうなら、私はすでにマウンドに戻っているだろうなと、そう自嘲する。




 


 さて、打席に立った私はどうも集中を欠いていた。当たり前と言えば、当たり前ではあるのだが。

 タイムを取って深呼吸でもするかと考えたが、助っ人という立場でこれ以上試合を中断させるのも、あまり良くないだろう。

 そして、どうしようかと頭を悩ませても試合が止まるわけじゃない。現に、すでに二球で追い込まれてしまった。


 まぁ、この打席ぐらい…



「っぶね」


 顔近くに飛んできたボールから、体を大きく後ろに逸らす。その勢いのまま、重力に引っ張られた体は後ろに倒れ込んだ。


 私はその拍子に瞑った目を、ゆっくりと開く。すると、ぼやけていた視界が比較的鮮明になった気がした。


「すみませーん!」


 相手の左投げピッチャーが私に対してそう叫ぶ。

 それに対して、手のひらを彼女に見せるよう軽く手を挙げてから、尻もちをついていた私はゆっくりと立ち上がる。


 …謝る必要なんてない。おかげで、ちょっと()()()()()

 



 左のバッターボックスに立っている私は、一足分ホームの方へと足を動かした。今の立ち位置は、ギリギリ足先が出ない程度の白線上。


 ピッチャーはギョッとした顔を見せた。

 きっと、顔近くに投げてしまったはずなのに全く動じず、それどころか当てられたいのかとも思える場所に立っているからだろう。

 …しかし、()()()()()()()()を間違うほどに集中できていなかったとは、本当に情けない。



「気にすんなー、インコースに投げてこーい」


 喋り方の癖か、あるいはピッチャーを落ち着かせるためか、相手キャッチャーが言葉の節々に伸ばし棒を突っ込んで発言をする。

 …いや、多分()()()()()()()()()()()。私にはそれが、己の動揺を落ち着けようとしている喋り方のように思えてならない。


 もしこの勘が当たっていれば、2ストライク1ボールのこの場面、きっと一球外したいと思うはず。

 そして、そのコースは投手にとって投げやすい場所。…少なくとも、死球の可能性がある内角は避けるだろう。


 …読みは外角のボール球。甘い外し方だったら振り抜いてやる。





 不自然に長い空白時間を作ったピッチャーは、ようやく投球動作に入った。


 それに合わせて、バッターボックスの白線上に乗せていた右足を左足に引きつけてから、ほんの少し枠からはみ出るぐらいまで前へ踏み込む。


「でぇっ⁈」


 …完全に意識外だった内角に飛んでくるストレートに、私はつい情けない声をあげてしまう。

 ともかく、それに対応するために、脇をしめて腕をたたみ、グリップを胸前に動かしながら金属バットを振るう。

 

 キーンと音が鳴る。内角を引っ張った打球は、一塁ベースの後方で鋭くバウンドした。少しづつ打球は地を這うような軌道に変わり、いつの間にやらコロコロと転がっている。

 ライトはそれを追いかけて、フェンスにぶつかるかぶつからないかのところで拾い、ベースカバーに入っていなかったセカンドへ中継。


 それだけの時間があれば、二塁まで到達するには十分だった。

 

 



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