彼女の慟哭《後編》
《石藤桜視点さ❀》
香織さんの自殺未遂は、私にとっても良二さんにとってもショッキングな出来事だった。
つい1週間、高校時代に白鳥に唆され、香織さんと良二さんの間を引き裂く画策をした当時のクラスメートだった女性(しかも、良二さんの職場の派遣社員らしい)から、その真実を知らされ、良二さんと香織さん、その女性でもみ合いになったばかりだったらしい。
その時に、かなりキツい事を香織さんに言ってしまい、それが事が自殺の原因になったのではないかと、良二さんは自分を責め、心労のあまり、殆ど眠れず、職場で倒れてしまった。
そんな良二さんは見ていられなかったし、小さい頃、自分を助けてくれた恩人の香織さんの安否も心配で、私は気が気ではなかった。
香織さんが命を取り留めたと聞いた時には、私も良二さんも胸を撫で下ろした。
スミレちゃんを実家のメイドさん達に預けて病院にお見舞いに向かった私達は、
香織さんのお父様に迎えられたが、手首に痛々しく包帯が巻かれ、憔悴した様子の香織さんを前に言葉を無くしてしまった。
香織さんから聞かされた、自殺未遂の理由はセンシティブなものだった。
それは、セクハラ上司が香織さんと無理に関係を迫るための出任せだったらしく、最悪の事態は免れたけれど、私はその上司を決して許せないと思った。
そして、私達を気遣い、無理に笑顔を浮かべ、辛い事を何でもないように話す香織さんに胸が痛んだ。
良二さんも、私と同じ……いえ、もっと強い気持ちがあったと思うけれど、それを表に表す事はなかった。
彼は真面目な人だから、私とスミレちゃんの事を思って、香織さんに必要以上に関わってはいけないと心に言い聞かせているのかもしれない。
上司の件はお父様と権田さんが対処して下さるようだけれど、香織さんに少しでも希望を持って欲しい一心で、こちらが紹介できる就職先の資料を渡そうと、香織さんのお父様を探していると……。
「あっ。香織さんのお父……」
パタン……。
香織さんの病室の手前でお父様の後ろ姿を見かけたものの、呼び掛けに気付かず、病室へ入ってしまった。
中で、内容は分からないものの、お父様と香織さんの話し声がボソボソと途切れ途切れに聞こえてきて、何やら入りにくい深刻そうな雰囲気に、どうしよう?やっぱり日を改めてから連絡しようかと思い、引き返そうとした時……。
『お父さん、私全然平気でも偉くもないよぉっ!!』
……!!!!
病室から香織さんの悲痛な叫び声が響き、私はビクッと体を震わせた。
『今でも思っちゃうのっ。あの時、メールを送ったのは私じゃないって、良二くんに本当の事を打ち明けていたら? あの時、白鳥の口車に乗らず、良二くんを信じていたら? そもそもあの時、劇のヒロインなんか引き受けていなかったら?
良二くんの隣で子供にも恵まれて私は幸せな人生を送れたんじゃないかって!
もう、過ぎ去って取り戻せないって分かってても、慶一と離婚後に新しい人生を歩まなきゃって思っても、何かある度に、良二くんと幸せだったあの時を思い出してしまうのっ。
今日、彼を前にして、想いが溢れて、またそんな事を口走りそうになってしまって……』
「っ…!!」
私は香織さんの血を吐くような良二さんへの想いを聞いてしまい、息を飲んだ。
聞いてはいけないと思いながら、足が竦んで動けなかった。
『香織っ! 気持ちは分かるが、良二くんにはもう妻子が……』
『分かってる! 良二くんには運命の相手のさくらちゃんがいるっ。
私が過去どんな行動を取ろうが、彼は私と別れてるって! さくらちゃんと結ばれていたってハッキリそう言われてる!
寄り添う二人を前にしたら、私に割り込む隙なんてこれっぽっちもないって思い知らされる……!
あの時、さくらちゃんを助けられてよかったと思っているのに、現実があまりに辛過ぎて、逆の事を言いそうになってしまうの。
どうしよう、お父さん!
左手も感覚が殆どないし、慶一と疋田の事があってから、良二くんと家族以外の男の人を見ると、怖くて震えが止まらなくなっちゃった。
周りの皆はどんどん人生を進めているのに、私だけが取り残されて、いつまでも前に進めない。進めないよぉっ。
わあぁっっ! あああぁーーっ!!』
『香織、落ち着け。今は、辛いが、時間が経てば改善する事もある。
何とか今を乗り切ろう。今日は、よく頑張ったな……』
『うわぁぁっ! お父さんっ……』
「(か、香織さんっ……。ううっ……)」
香織さんの慟哭も宥める彼女のお父様の辛そうな声を聞きながら、私は自分の考えがあまりにも浅はかだった事に気付き、打ちのめされ、涙を流した。
香織さんの願いはただ一つだった。
その願いを阻んでいるこの私に就職先を紹介されたからといって、彼女が喜ぶ筈もない。
本当に彼女の為に私ができる事があるとすれば、それは……。
私は涙を拭き、呼吸を整えるとその場を離れ、権田さんの運転する車に乗っている良二さんの元へ戻って行った。




