第四章―11
というわけで、そのバイトさんが奥にいた店長に掛け合ってくれて、よく分からないが僕の冊子は『元村書店』に置いてもらえることになった。ただし期限は今日までで、僕が店で一日奉仕することが条件とされた。ついでにその後で、バイトさんに「あんたさ、分かってると思うけど、俺がくれてやったものは別の誰かに還元するんだぞ」と釘を刺された。
一日限りの僕のアルバイト内容は、もっぱらが本棚の整理とブックカバーの取り付けだった。
バイトさんがレジを打ち、その横で僕がブックカバーを用意する。バイトさんはまだレジ打ちに慣れていないと見えて、時々もたつくことがあった。
「色々あってさ、この間ここでバイトするって決めたばかりなんだよ」
お客さんを見送ってから、事情をバイトさん自ら話してくれた。
「俺、実はここの店の息子と幼馴染みなんだ。だから、そういう縁もあって。ていうか、そうでもなきゃここでバイトしたがる奴はいないよな」
「確かに……」
書店の外壁に貼り付けられていた、ぼろっちいバイト募集の広告を思い出す。あれじゃ若者は絶対に寄ってこないだろう。
「で、あんたは? どういう事情で自分の小説をここに持ち込むことになったんだよ。売るだけなら、学校の文化祭か何かでやりゃいいのに」
「僕、高校には通ってないんですよ。中卒で、今は特に何もやってません」
「あぁ、ただのニートね」
「……………………」カチーン。
「でも奇遇だな。俺もそういう奴知ってるよ。顔は見たことないけど、中卒で小説家目指してニートやってる奴がいるって、親父が言ってた」
「ッスか」
何故だか八嶋さんの顔が思い浮かんだ。そういえばあの人の息子さん、金髪でどうこうとかって言ってたけど……まさかな。そんな偶然があるわけもないだろう。
「ま、いいや。どうせこんな冊子、よっぽどの物好きじゃなけりゃ買わないだろうし、ここは一つ俺が買ってやる」
「前半部が余計でしたけど」
「いくらだよ。俺だって金ないから、三百円以上はごめんだぜ」
「一部、百円です」
「よし、買った!」
バイトさんはそう言って、自分の財布から百円玉を取り出し、僕の手に握らせてくれた。それと引き替えに、カウンターに積んであった冊子が一つなくなる。
そのとき僕が手にした硬貨はとても身近で、でも今までとても遠かったもので、だから重みがあった。手を握ったり開いたりして、その冷たさと硬さの感触を楽しんだ。
とにかく、これで残りは五部。
全部が売れれば、六百円になる計算だ。
しかし当然ながら、カウンターに置いてあるだけのみすぼらしい冊子なんて、普通のお客さんは手に取ってくれない。それどころか存在すら気付かれていない可能性があった。途中で気付いてコピー紙にマジックで『短編、百円』と書いて冊子の上に置いたが、効果は乏しかった。
そんな冊子に二人目のお客さんがやって来たのは、昼前のことだ。
それは髪を銀色に染めた女の子で、その子を見た瞬間、バイトさんの「いらっしゃいませー」の「せー」が裏返った。
「か、河西……。なんでお前が来るんだよ」
どうやらバイトさんの友達だったらしい。そういえばさっき、知り合いの銀髪がどうこうって言っていた気がする。
「きみがバイトを始めたって風の噂で聞いたから冷やかしに。もとい応援しに」
「来なくていいよ! なんか、気まずいだろ」
「はいはい。バイトさんはちゃんと店番して下さいねー」
「んなこと言って、どうせ何も買わないくせに」
「そんなことないよ。ほら、ちょうどいいところに百円のがあるじゃん」
銀髪さんが僕の冊子を指差す。それから手に取って「これ、下さいな」と言ってくれたのは間違いなく内容より値段のせいだろうが、お金はお金だ。買ってくれたことに変わりはない。
「はい。じゃあ、百円になりまーす……」とバイトさん。
「声が陰気だっつの。それじゃすぐにクビにされちゃうよ」
「ひゃ、百円になりまーす」
「声が小さいわ! もう一度!」
「百円になりまーす!」
そんな茶番をやってバイトさんをからかった挙げ句、銀髪さんは冊子だけを購入して店から出て行った。
その際、バイトさんが躊躇いがちに、でも何かを決意したような表情で銀髪さんに声を掛けた。
「あのさ、河西……。俺、今日バイト代が初めて出ると思うんだ」
「ふぅ、ん。それで?」銀髪さんが歩みを止める。
「今日の夜、バイト代を持ってお前の店に行くから。だから、一緒に……お好み焼き、食べないか?」
相手の心の場所を探っているような、おそるおそるといった感じの口調だった。バイトさんは何かを祈るように、銀髪さんのことを見つめていた。
僕にはよく分からなかったけれど、この二人にも何か物語があったんだと思う。
その物語が、バイトさんの今の一言で集束していくような、そんな気配があった。
銀髪さんはしばらく沈黙を守って、何も言わない。
でもそのうち、ふっと頬を緩めてバイトさんの方を振り返ると、一言だけ口にした。
「待ってる」
その瞬間、バイトさんの顔が救われたように明るくなるのが僕にも分かった。それはまるで春の息吹を受けたような、暖かみのある表情だった。
物語の歯車は、きっと僕の知らない場所でも回り続けている。
そんな知らない歯車に助けられて、冊子の残りは四部になった。




