第四章―06
*僕
結衣から掛かってきた電話を一方的に切った後、僕は鳴り続ける携帯電話を無視して外に出た。キッチンで昼食の支度をしている母親と擦れ違った際、昼ご飯はいるかとは訊かれたが、行き先についての質問はなかった。いらない、とだけ答えておいた。
昼前の街は太陽が高く、青空に綿雲がぷかぷか浮かんでいる脳天気な陽気だった。
小説だったら灰色の空で僕の心情を象徴させるところだろうが、現実はそれほど甘くない。この世は色んな心情を抱えた主人公の皆さんで溢れているから、まさか世界が僕に同情してくれるわけもないだろう。
結衣とケンカしたことってのは、少なくとも僕の記憶では初めてだった。
というか、結衣は基本的に僕の全てを肯定してしまうので、価値観が対立する隙がないのだ。
二人で何かを決めるときだって、意見が対立したときにこっちが譲らなければ、結衣は最終的に僕に従う。小説を新人賞に応募すると決めたときも、プロデビューすると決めたときもそうだった。彼女の中で、僕という人間は特別な位置に置かれているようだった。
だから、ちょっと心配ではあるのだ。
僕に一方的にコミュニケーションを拒絶された結衣が何をしでかすか。精々、癇癪を起こして部屋を荒らし回るくらいで勘弁してくれるといいのだが。
「……………………」
そんなことを思って街中を歩きながら、結局結衣のことが心配で仕方ない自分に気付かされる。結衣と顔を合わせるのが嫌になって家を出てきたのに、どうして人間の気持ちってやつはこうも整理が付きにくいんだろう。
「うぉーい! ニートくん!」
地面と睨めっこしながら歩いていたら、突如としてそんな声が飛んできた。危うくその場でコケそうになる。
通り過ぎたばかりの公園から、「ニートくん! ニートくん! ニートくん!」と僕を呼ぶ声と足音がだんだん近づいてきて、
「ニートくん!」
「うるせーよ!」
振り向いたら、案の定お好み焼き子さんが立っていた。しかも何故かパジャマスタイルだ。この人、ホームレスだったのか?
「やぁや、奇遇だね。こんなとこで出会すとは」
「本当ですよ……。泣きっ面に蜂というか何と言うか」
「ニートくんは何やってるのかな。また『あじすけ』に買い出し?」
「いやただの散歩……てか何やってるはあなたでしょう。超絶不審者じゃないですか」
「なに、気晴らしに公園で遊んでいただけさ。そだニートくん、ちょうど良かったからお姉さんの遊び道具になりなさい」
最初からオモチャとして使用すること前提の命令だった。僕が焼き子さんに逆らえるわけもなく、首根っこを掴まれて公園内にずるずる運び込まれる。
二つあるブランコの一方に自分が座りもう片方に僕を座らせてから、焼き子さんは「最近ふーちゃんが来ないから暇でねぇ」とぼやいた。この人、友達がいたのか。甚だしく意外だ。
「ところで焼き子さん。どうしてパジャマなんですかって尋ねてもいいですか?」
「あーこれ? 何と言うかまぁ、昔の名残みたいなものだよ。わたくし、こう見えても実は元引き籠もりでして」
「……えー、と。突っ込みどころが多すぎて」
「ふふん、遠慮せずどんと来なさい。お姉さん、突っ込みを受け止めるのは得意だから」
「じゃあえーと、どう見ても元引き籠もりだよ! むしろ今だって引き籠もりだろアンタ! そして、引き籠もりの名残とか引き摺っててどうすんだよ!」
「ふんふん、悪くない突っ込みだね。しかし残念ながら、きみはまだわたしの恋人くんの域には達してないなぁ」
「え……?」恋人いたのかこの人!
地球、トチ狂いすぎだろ!
「まぁ何たって、わたしと恋人くんは夜ごとに言葉のドッジボールで鍛えてるからね。愛情も突っ込みもキレが肝心なのよ」
「はぁ。上手くないッスよ、それ」
焼き子さんの恋人さんは漫才師でも目指しているのだろうか。この人と暮らしていれば体力と精神力だけは無駄に鍛えられそうだが。
「で、ニートくんは一体何を悩んでるのかな?」
っと、何の前振りもなしに焼き子さんが話題を転換してきた。包容力だけはありそうなお姉さんの笑顔で、僕の顔を覗き込んでくる。
「……焼き子さん、脈絡という言葉をご存知ですか」
「ご存知でないなぁ。それ知ってたら、公園でパジャマとか着てないですよ」
「確かに」尋ねた方がバカだった。
焼き子さんが勢いを付けてブランコを揺らす。金属同士が擦れて、ぎーこぎーこと間の抜けた音が公園に響いた。
「わたしね、自分がろくでもない人間だからか同種族の心を読むのには長けていて」
「何の話ですか」
「ニートくんが悩める青春男子になってるって話よ」
「……とりあえず、僕と焼き子さんを同種族でくくるのは勘弁して下さい」
「大差ねーだろ。ニートのくせに!」
調子乗んなー! とへなちょこキックが飛んできた。しかしブランコの距離と焼き子さんの足の長さの問題で、その爪先が僕を掠めることはない。
焼き子さんはブランコを続けたまま、たいして感慨もなさそうに言った。
「小説のこと? それとも、前にいるって言ってた恋人ちゃんのことかな?」
「恋人って言うか幼馴染みですけど……。その、複合型って感じですね」
「ふむ。たとえば、『俺が小説家になって養っちゃる!』って大見得を切ったくせに、いまだに小説家になれなくて彼女にフラれたとか」
「似てるけど全然違います」
「それ、近いのか近くないのかどっちなんだよ」
僕に反応しながらも、焼き子さんはブランコを止めない。むしろブランコするついでに僕の話を聞いているという感じだった。
だから、わりと素直に言葉が出た。
「まぁ何と言うか、小説を書いてたんですけど」
「うむ」
「今日改めて、この文章には一円の価値もないんだなぁと思っちゃいまして」
「ちゃいましたか」
「ちゃいました」
会話しながら、焼き子さんのブランコがどんどん勢いに乗って加速していく。ほぼ百八十度の前後動を繰り返すのを眺めていると、焼き子さんが、
「いやね、暇なときここに来て一人でブランコに乗ってたら、いつの間にか異常に上手くなっちまったんだよ」
と言い訳した。道理でこの公園、僕たち以外に誰もいないはずだ。こんな不審者がブランコでゆっさゆっさ揺れていたら、正常な倫理観を持つ人間なら近づくまい。
そして僕が近づいていることを考えると、やっぱり僕は焼き子さんの同類なのだろうか。激しく異議申し立てしたい。
「まぁ自分に価値を感じられなくなるってのは、よくある思春期の悩みだよね」
「……唐突に本題に戻るんですね、あなたは」
「わたしもねー、引き籠もりの頃はそんなこと考えたこともあったよ。自分、こんなんでいいのかなーって」
「で、悩んだ結果がこれですか……。幸せな人生を送ってるんですね」
「ありがとよぅ! 毎日幸せで身体が溶けちまいそうだぜ!」
「……………………」この人には皮肉すら通じないのか。
「まぁ真面目な話、きみはやっつけないと駄目だね」
そして前触れもなく真面目になる。何だか、猛スピードで大気圏と宇宙空間を行ったり来たりしているような人だな。
「やっつける? 何をですか」
「そりゃー自分で考えなさいよ。対価もなしに救ってもらえると思うなよ、ニートが」
「つい先日引き籠もりを卒業したばかりの人に言われたくないですが」
「自分の価値を前向きに認めるためには、後ろを向いてる自分を追い出すのが不可欠。そのための儀式がきみには必要だって、そう言ってるのよ」
ベラベラと棒読みを二倍速にして回しているような、およそ人間味の篭もらない口調だった。言うだけ言ってから、焼き子さんは何事もなかったかのように「じゃーんぷ!」ブランコから飛び降りた。
幅跳びのように綺麗に着地を決め、くるんと僕を振り返る。
「じゃわたし、帰るから。恋人くんのためにお好み焼きを作らないといかんのさー」
「はぁ。さすが、自分の名前にお好み焼きって入れてるだけはありますね」
「当たり前だろー! 人生はね、愛とお好み焼きで出来てんだよ!」
そして数歩歩いてから思い出したように、「あと、お金!」と叫んだ。そのパジャマ姿が完全に視界から消えるのを待って、僕もブランコを降りる。
ここでこうしていても仕方ないし、とりあえず家に帰ろう。
そう思って公園を出ようとして、思わぬことが起きた。
「うぁ……シュンちゃん……」
ちょうど公園の入り口のところで、ほとんど泣き顔になっている雨宮結衣とばったり出会した。




