第四章―07
「ばかー! どうして電話出てくれないの! 死ぬほど掛けたのに!」
「ごめん」
「心配だったんだから! シュンちゃん、死んじゃったかと思って!」
「いや、勝手に殺すなよ」
「だって、お父さんは死んじゃったから」
「……………………」
最初、僕の胸を柔らかな拳でぽかぽか殴っていた結衣は、次第に抵抗する気力をなくしたのか額をごつごつぶつけるだけになって、最終的には僕に寄り添うだけの格好となった。脈を打つように、結衣の吐息が僕の胸に掛かった。
「……ほんとに、心配だったんだから」
拗ねるような声に、もう一度ごめんと謝る。曖昧に宙を掻く手をどうしようか迷ったけど、結局ぎこちなく結衣の背中に回した。その柔らかで小さな身体の感触は、この十数年間、間違いなく僕のそばにあったものだった。
「死ぬほど電話掛けても通じないから、しょうがなくシュンちゃんの家に行って、シュンちゃんのお母さんに会って」
「外出したって教えられたから、追ってきたのか」
「うん」
結衣が頷いて、僕の服がさらっと小さな衣擦れの音を立てる。言葉なんてなくとも、まともに外出できない結衣が一人でここに来たという事実が彼女の心境を表していた。
分かっていたけど、そんなの。
雨宮結衣には、僕がどうしようもなく必要なんだと。
十年前、結衣の父親が車で暴走した末に事故死した、あの日から。
「シュンちゃんさ、わたしのこと怒ってる?」
僕の胸に頭を埋めたまま、心の位置を覗き込むように結衣がそっと尋ねてくる。僕はどう答えたものか悩んだ末に、「どうだろうね」と曖昧に自分の気持ちを濁した。誤魔化しではなくて、自分の中にあるものが怒りの形を取っているのかどうか、自分でも掴みかねたのだ。
紫色の煙が体内を巡っているような、曖昧に晴れない気分だった。
結衣を抱きしめていればいるほど、その煙が濃度を増していくような気がした。
「シュンちゃんは、わたしのことが好き?」
結衣が上目遣いに、僕を見つめてくる。
「好きだよ」と僕はいい加減に答えた。
「なんか、嘘くさいなぁ」
「大切なものはね、口に出すと全部嘘になるものなんだよ」
「じゃあ、今の言葉も嘘なの?」
「いや、好きだよ」
好きだよ好きだよ。言葉にすればするほど、その感情は自分の手元から遠のいて輪郭を失い、曖昧にぼやけていく。
でも嘘とかじゃないよ。多分。
あるいは、嘘じゃないけど、嘘なのかもね。
「……………………」
ぐわんぐわんと頭が揺れている。結衣を抱いている自分を、もう一人の自分が冷静に眺めているような、妙な気分になる。
やっぱり駄目だ。解決できたどころか、さらに酷くなっている。
根本の問題を放置したままだから、当たり前なんだけどさ。
「シュンちゃん?」
結衣が僕の名前を呼んだ。それで、見失いかけていた意識が自分の身体に繋ぎ止められる。
見下ろせば、大切なもの。
分かっている。嘘とかじゃなくて、僕もこの子のことが××なんだと。
そうありたいと望むなら、このままの僕じゃ駄目なんだということも。
さざ波のように、焼き子さんの言葉の意味が僕の内部に浸透してくる。
「……っけないと」
「え?」
やっつけないと。
自分の内側に潜んでいる何かをやっつけて、追い出さないと。
歪んだ窪地が水で満たされるように、その発想はすっと僕の心の中に入り込んでくる。体内に充満していた煙が薄れ、ただ何かしなければという静かに燃える意志だけが、水のように僕を満たしてきた。
そう。やっつけて、追い出すんだ。
自分の中にある後ろ向きな自分を。
そして、そのためには、
「シュンちゃん?」
「ごめん、結衣。僕にもう少しだけ時間をくれないか。まだ、自分の中で整理を付けられてないんだよ」
「……時間って、どのくらい?」
「二、三日でいい。それが終わったら、前みたいな生活に戻るって約束するから」
その日、僕は結衣に二日だけ時間をもらうことを約束した。
そしてその日のうちに書きかけの青春ミステリを破棄し、新しい短編小説を書き上げた。




