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校長先生の秘書  作者: しーもあ
第2部 えにぐまとエニグマ 
9/17

えにぐまとエニグマ①

 ハードボイルドには孤独が似合う。

 マーロウをはじめハードボイルド小説の主人公は孤高で誇り高く、そして友人は少ない。それゆえハードボイルドを地で行く私にも友人が多いわけではない。

 高校でも入学式にトレンチコートを着ていったのがおかしかったのか、名前から公家と間違われたのか、クラス内でも珍獣類に分類され、腫れもの扱いだったらしく、かといって自分からフレンドリーに話かけていくほうでもないので、私はしばらくのあいだぼっち状態だった。

 

 そんななか果敢にも私に話かけてきたのが本田だった。

 本田は黒ぶちメガネをかけた愛嬌のある男で、入学直後から周囲にフレンドリーに話しかけクラスを盛り立てていた。自ら情報好きを公言するだけあって部活は新聞部に入ったが、誰もが納得の部活選びだった。

 私もあいさつ程度は以前からしていたが、ある昼休み自席で本を片手に紙の将棋盤で詰将棋をしていたら本田が購買のパンを手に、空いていた隣の席に座った。

「ここで食べてもいっか? 将棋の邪魔か?」

「ん? かまわんが」

「俺さ、一度古口とゆっくり話してみたかったんだわ。古口は洗練されているっていうかさ、都会的ダンディズムというかさ、そういうのを感じるんよ。俺さ、田舎から出てきたばかりだからそういうのに憧れるんだわ」

 ――鋭い。この都会的ダンディズム発言で私の彼に対する評価は一変した。新聞部といっても所詮は村人ニュースの今月の当番程度の実力だろうと思っていたが、実はニューヨーク・タイムズの敏腕記者クラスの慧眼の持ち主だったようだ。

「本田はなかなかわかっている。このすさんだ二十一世紀の都会はタフでないと生きてはいけない」

 私がそのとき飲んでいたのは雪印メグミルクの『おいしい珈琲』なので、別に酔っぱらっていたわけではない。

「くぅー古口、だわ」

「だが本田には武器がある。情報の収集能力と拡散能力だ。それは世界をタフに生きるために必要な力だ」

「あ、それには自信あるわ」と本田はノートを取り出した。

 開いたページにはこのクラスの氏名、出身中学、入った部活、入学初日に自己紹介で話したことなどが書き記されていた。

「こういうことを知っておくことで誰とでも話せるんだわ。ネタにも困らないし、交友関係もよくわかるしな」

 本田はよく話すので一見軽くもみられるが、さすが田舎から特進クラスに入ってきただけあって、自分の生きるすべを身につけているようだ。同じくメモ帳によく書き込みをする者として共感できた。

 ちなみに私がその日メモ帳に記したのは数学の時間に書いた次の句だ。

『スンニ派も 数Ⅱは すんに決まってる』

 もちろんこれを本田に見せたりはしていない。

 その後席替えで席が近くなったこともあり、私と本田は二十一世紀をタフに生きていく者同士よく話すようになった。



「一年A組の岩崎奈緒です。僭越せんえつながら、このたび生徒会書記に立候補させていただきました」

 一年生にとって初の定期試験である一学期の中間テストが終わったばかりの六月のある日、第一体育館に全校生徒が集められ、生徒会役員選挙の演説会が行われた。

 といっても生徒会から定員通り会長、副会長、書記の各一名が立候補したほか対立候補は出ていない。政治の世界ならこの時点で無投票当選なのだが、それではあまりにも出来レースということで、演説会をしてこの人でいいかどうか○×をつけるのがこの学校のしきたりらしい。しかし○×の票数は発表されないの で、結局はただの茶番というか、時間の浪費でしかない。

 そのため興味は半減しているし、土曜の午後というのもあって大半の生徒はあそこのラーメン食べに行こうとか、あのゲーム面白いとか近くの人と小声で話したり、帰ったら何しようとか、今日の晩ごはんなんだろうとか、小紅ちゃんの胸は何カップだろうとか、そういう高校生のささやかな楽しみをぼけーっと頭に浮かべているようだった。

 私も奈緒の演説にはコネティカット州の人口ほどの興味もなかったのだが、あとでちゃんと聞いてた? とかいわれそうなので、少年が吹いたシャボン玉を眺めるくらいの感覚では聞いていた。

 すると列の前のほうにいた本田が巻き戻しのようにうしろ向きのまま近づいてきた。

「なあ、古口は岩崎さんと仲いいんだろ?」

「ん? 奈緒は幼なじみだが」

「ほう、そりゃいい話聞いた。岩崎さん男子からの人気すごいんだわ。明朗快活、容姿端麗、品行方正、成績優秀でしかも校長先生の娘だもんな。新雪学園のミゲル・カブレラといっても過言ではない」

「たとえゴツくね?」

「んじゃ新雪学園の井山裕太にしておくか」

「そっちも毛色違うし。つか美衣さん、校長先生の娘だってみな知っているのか?」

「俺も小耳にはさんだ程度だ。でも、名字からもわかるし、そうなんだろ?」

「まあそうだが、奈緒のやつ、親の七光りっていうか、コネで新雪に入ったみたいだってその話嫌がるから、極力いわないようにしているんだ」

 奈緒と美衣さんの親子仲は良いし、生徒会に入って母親の手伝いをしたいとかいっているのだが、表だって娘だとは公言したくないらしい。そのわりには堂々と校長室にやってきたり、どこかチグハグなのだが、そのことをいうと本人いわく乙女心はエニグマのように複雑なんだとかぬかす。

 ちなみにエニグマとは謎という意味の言葉だが、ナチスドイツの使っていた暗号あるいは暗号機を指す場合もある。

 そういえば、むかし奈緒と暗号を使ってよくメッセージをやりとりしていたな。

「ふーん、そうなんだ。わかった、広めないようにするわ。でもさ、新雪って付属中あるのに岩崎さんって公立出身だろ? それもそういうコネ的な何かが嫌だったのか?」

「そういえばそうだな。気にしたことなかった。小学校違うから詳しいことは覚えていないが、はじめから付属には行く気がなかったと思うな」

「で、古口から見て岩崎さんはどんな女子よ?」

「ん? え、ああ、そうだな……あんな感じ?」

あらためて説明するとなると、何いっていいかわからないし、なんか照れくさい。

「ってどんな感じよ?」

 本田が笑っている。

「えっ、まあ人当たりはいいな。たまにイミフなセリフをいう。ギャグはスベる。ときどきうざい。料理は下手。こんな感じだ」

「えっ料理って、おいっ、そんなことまで知っているのか?」

「まあ母親同士が親友だから、むかしはよく家に遊びに行っていた」

「ふうん、ならずっと幼いときから知っているのか」

「物心ついたことから知ってるな」

「うひょー」

「それいったら本田だってそういう人いるだろ?」

「だって俺は村の小さな集落出身だもん。こどもはみんな幼なじみだわ。そういや話変わるけど、古口って部活に入らないん?」

「入る予定はないな」

「新聞部どうよ? それなりに楽しいと思うぞ」

「いや、そういうの向いてない」

「またまた、そんなことないだろ。それより古口が部活入らないのはあれ、何かやっているからなんだろ? 校長先生がらみで」

「ん? どこで聞いた? マジで本田の情報収集能力はすごいな。驚いちまう」

「ふふふー着々と情報網を築いているところだからな。クラスや新聞部がらみもそうだけど、いろいろなSNSも積極的に活用しているんだわ。知り合いを増やすにはいいぞ。古口もやらんか?」

「日記とかを書くんだろ? そういうの面倒だからな」

「日記はmini、つぶやきならつぶやっきーかな。まあ自分で書くか、あるいは人が書いたのを読んでそれにコメントしたりするのがスタンダードな使い方かな。あとはコミュニティをつくってそこに参加するとか」

「コミュニティとは?」

「趣味とか学校の集まりとかグループみたいなものかな。この前、新雪の一年生のコミュをminiでつくったから、それで知り合いの輪が広がりつつあるんだわ」

「ふーん」

「やりたくなったらいってくれ。招待するからさ」

「おう」

 そこへ、るみちゃんが近づいてきた。

「ちょっと、二人ともちゃんとお話聞かないとダメですよお」

「へい」

 再びステージに目を移すと、奈緒の演説とその次の副会長候補の演説はすでに終わっており、いまは会長候補の演説が行われていた。



 放課後、校長室へ行くのもすっかり日課となっていた。

「ちーす」

「こらっ、あいさつはきちんと」

「失礼。校長先生こんちは」

「ん、まあいいわ。こんにちは真路くん。今日もこれの入力お願いね」

 美衣さんはそういうとドサッと資料を私の机の上に置いた。 

 男バレの佐々木さんの一件以来、私は毎日資料をコピーして綴じたり、パソコンでデータを入力したり、そういう仕事ばかりしていた。まあ、もともとそういうのをやらせたいがための秘書なんだろうけど。数日前からは各教科の教科書や副教材の購入にかかった費用を入力していた。

「そういえば美衣さん、給料っていつもらえるん?」

「うん? 先月分は先週振り込んだわよ、真帆の口座に」

「はあああああ? ちょっなんで母の口座に振り込むの?」

「だって真路くんの口座番号知らないもーん」

「いや、聞けよ」

 この人は――。

 あ、そういえば先週「臨時収入あったの」といってなぜか母が寿司を買ってきたことがあったが、あれってその金じゃないのか。うわー最悪……。こいつらぜってーグルだ。

「まあまあ来月からはちゃんと真路くんの口座に振り込むからゆるして。あ、そうそうこの前真路くんの使ってたカップ割っちゃったじゃない? 新しいの買ってあげるからどんなのがいい? 好きなの買ってあげるわよ」

「んじゃ、バカラのロックグラス」

「わかった。バカラのグラスね」

 おっ買ってくれるのか、バカラを。創元推理文庫のチャンドラーシリーズの表紙みたいでカッコいいんだ、あれ。

 私の機嫌は空気入れたての自転車のタイヤみたいにしゃんと直った。


「わたしはこれから出かけるから。あ、そう、電話はしっかり出てね。特に外線は相手に失礼になるから気をつけて。そうだ、まだ少し時間あるからちょっと練習するわよ。はい、電話が鳴った、エルピープルルルル……」

「何その音?」

「誰が強化人間だって?」

「そんなことひとっこともいってねえし」

「はいはい、じゃあ真面目にいくわよ、プルルルル……」

「はい、校長室古口です」

「それは内線の場合。内線はプルプルプルプルゥ~♪って音でしょ」

「そんなんだっけ?」

「はいじゃあもう一回。プルルルル……」

「ねえシュドー、電話なんかいいから遊ぼうよ♪」

「はい、そういうのいらないから。あまり時間ないの」

 自分からやっておいてよくいうよ。

「プルルルルー」

「はい、こちら校長室、秘書の古口です」

「それじゃさっきとプルとプルツーくらいしか変わってないわよ。はい、新雪学園高校校長室古口でございます、こうよ。わかった? じゃあ私が会議中のときの対応してみて。プルルルルル」

「はい、新雪学園高校校長室の古口です。校長はただいま会議中です」

「ですより、でございます、のほうがいいし、岩崎校長はただいま会議中で席を外しております、といったほうがよりいいけど、まあ及第点かしら。あとは相手の名前をしっかりメモることと、必要なら伝言を承りますということね。OK?」

「オーケー」

「じゃあ行ってくるわ。一八時になっても戻ってこなかったら帰っていいから。あと奥の戸棚にクッキーあるからよかったら食べて」

 そういって美衣さんは書類を持って出ていった。

 

 私はその後ひとりで黙々とデータの入力を始めた。こういう単純作業は嫌いではないし、パソコンをいじるのも好きだ。ただこの部屋はいささか静かすぎる。ラジオとかBGMがあってもいいと思うが、さすがに勝手に持ってきて流すわけにもいかないし、かといって電話がかかってくる可能性があるので、ヘッドホンやイヤホンで音楽を聴くわけにもいかない。

 電話はそれなりの頻度でかかってくる。外部からの電話は事務室が取り、そこからこちらに回ってくるのが普通だが、外部から直接ここへ電話がかかってくることもあるし、校内から内線がかかってくることもある。

 プルッ、プルッ、プルッ

 いっているそばから電話が鳴った。この呼び出し音は内線だ。

「はい、校長室古口です」

「あ、古口くん?」

「ん? るみちゃん?」

「うん、校長先生いるかなあ?」

「会議に出かけた」

「そうなんだ」

「るみちゃんいま何やってるの?」

「特に何もしてないよう」

「なら校長室こない? クッキーあるから」

「あ、ホント? 行くう」

 半分くらい冗談だったので私のほうが戸惑った。釣り堀の鯉よりも釣られやすくて大丈夫なのか行く末が心配になる。VIPなら腹筋二百回レベルだ。

二分後ノックする音が聞こえた。

「はい」

「失礼しまーす」

「どぞ」

「勝手に入っちゃっていいのかなあ?」

「私が許可する。私はこの部屋では二番目にえらい」

「じゃあこれ校長先生に渡しておいてもらえるかな」

「了解」

 そういって私は稟議書りんぎしょを受け取った。

「なんかここで会うと古口くん大人に見えるね」

「こう見ても私、校長秘書、なので。紅茶かインスタントコーヒーいかがですか?」

「いいのー? うーんじゃあ紅茶お願いします」

「オーケー。るみちゃん紅茶が飲みたいネー」

 校長室の横には控室みたいな小部屋があって、そこにシンクや冷蔵庫、電気ポットや食器などが置いてある。お湯を沸かしていると「えへっ、きちゃった」といってるみちゃんが覗きこんできた。

「あ、紅茶、ウェッジウッド」

「有名?」

「うん、イギリスの有名メーカーだよ。さすが校長センスいいなあ」

「カップはこれ」

「わあ、このティーカップ、ロイヤルコペンハーゲンのだあ。棚のはノリタケのカップだし。いいなあいいなあ」

「んじゃ、頼んだ」

 私よりるみちゃんのほうが十倍紅茶に詳しそうだったので、あとはまかせてクッキーだけを持って応接席に座った。

 るみちゃんがトレイで紅茶セットを運んできた。

「やってもらってサーセン」

「いいえ、こちらこそお招きいただきありがとうございます」

「いいにおい」

「これはねえ、ピーチティーだよ」

 紅茶を飲みながらクッキーをつまむ。少しだけ開けた窓からは、スコットランドからふるさと小包で送られてきたようなひんやりさわやかな風が流れ込んでくる。

 よき時間だ。

 もしや、これが放課後ティータイムというやつでは?

 だが何かが足りない。そう萌えだ。

「クッキーもピーチティーもおいしいね」

「るみちゃん、ツインテールにしてみない? あるいは猫耳とか?」

「えっ、なに?」

「にゃんでもないです」

 私はカップを持ってごまかした。るみちゃんはツインテールじゃないな。どちらかというとバニーガールやナース服、メイド服とかを着せられる未来人のほうだ。

「古口くん、ここでどんな仕事しているの?」

「いまは購入教材のデータ入力、あと電話番かな。たまに悩み相談の手伝いとかもするけれど、そうだ、るみちゃんなんか悩みない? 聞くよ。うりうり」

「悩みかあ――。実はね、新学期から特進クラスの担任を持つことになってすごく不安だったのお。まだ三年目なのに特進クラスの担任なんて、決まったとき本当にびっくりしちゃったあ。でも特進クラスは真面目で手のかからない生徒が多いから、かえってやりやすいですよって他の先生がいっていたんだけど、その通りみんないい子で本当よかったって思っているの。でも一人だけ心配な子、いるかなあ」

「ほほう、誰?」

「古口くん」

「そういう展開はノーサンキユー」

「ウチのクラス雰囲気いいよね。本田くんによるところが大きいのかな」

「たしかに」

 本田の存在は大きいが、るみちゃんによるところも大きいと思う。るみちゃんが話すと朝夕空気の角が取れるんだ。ま、それはいわないでおいた。

「E組の藤村先生が今年初担任だから、わたしにもいろいろ聞いてくるんだけれど」

 藤村先生というのはたしか若い、線が細そうな男性教師だ。

「E組は雰囲気がよくなくて困っているみたいなの。でもね、生徒同士の仲ってわたしたちにもどうしようもないところあるから。担任だからといって四六時中クラスを見ていられるわけじゃないし、わたしもうまく答えられなくて……」

 るみちゃんとそんな話をし、その日の放課後は過ぎていった。

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