第一話
漆黒の虚無から生まれし邪神、ヴェル・ザハールは焦燥に駆られていた。
数百年ぶりに地上へ顕現し、この世を恐怖と混沌で満たすはずだった。……しかし、眼前には奇怪な光景が広がっている。
「皆様! 邪神様の降臨です! 落ち着いて、まずは『迎撃布陣・第三形』を!」
白い修道服の裾を翻し、威勢のいい声を張り上げているのは見習い修道女のシスター・アンジェリカだ。彼女の後ろには、整然と並ぶ数十人の修道女たち。聖書を手に持ち、眼光は獲物を狙う鷹のように鋭い。
「恐れ慄くがよい、小さき虫ケラども……我が名は――」
「はいはい、名乗りは結構です! 聖水隊、準備! 祈祷班、チャント開始!」
ヴェル・ザハールが威圧的に腕を掲げた瞬間、頭上からドバァッ!と容赦ない量の聖水が降り注いだ。
「ギャッ!? 熱っ!? ちょ、お前たち、人の話を聞――」
「怯むな! 追撃の『浄化の光束』!」
ズドン!
白銀の光柱が邪神の足元を撃ち抜く。凄まじい衝撃波に、漆黒の触手が数本吹き飛んだ。
(な、なんだこの狂信者どもは……!? 普通、邪神を見たら泣き叫んで命乞いをするものではないのか!?)
邪神は困惑した。神聖魔術の精度もさることながら、彼女たちの連携には一切の迷いがない。まるで「週に一度は邪神を討伐している」かのような熟練の段取りだ。
「ええい、鬱陶しい! 滅びよ、聖なる羊ども!」
ヴェル・ザハールは残る触手を伸ばし、暗黒の火炎を解き放った。漆黒の炎が修道院の庭を焼き尽くそうと広がっていく。
しかし、院長である老修道女が静かに十字を切ると、巨大な半球状の結界が展開され、炎を完全に弾き返した。
「甘いですわ、邪神様」
ルチアがロザリオを巻き付けた鉄製のメイスを肩に担ぎ、ニヤリと笑う。
「私たちの修道院は、毎日午前4時起きの祈祷と、午後の筋力トレーニングを欠かしません。神への信仰と、日々のスクワットは裏切らないのです!」
「筋トレだと……!?」
「さあ、観念して封印されなさい! 『超・重圧神聖掌』!!」
ルチアが跳躍し、人知を超えた筋力と神聖力を込めたメイスを叩き降ろす。
ゴオオオン――――ッ!!
教会の大鐘のような重厚な音が響き渡り、ヴェル・ザハールの意識は急速に遠のいていった。地面にめり込みながら、邪神は消えゆく体で最後の疑問を口にした。
「なぜ……なぜそこまで強い……お前たちは……ただの……修道女だろ……」
着地したルチアは、胸元で優しく十字を切り、天使のような微笑みを浮かべた。
「ええ、ただの修道女です。だからこそ――神の敵には容赦しないのですよ」
こうして、数百年の時を経て蘇った邪神ヴェル・ザハールは、降臨からわずか5分で、健全すぎる修道女たちの手によって再び暗い地の底へと封印されたのだった。




