4話 渦中に溺れる、湶に還らんと3
潮風が穏やかに渡る海沿いの街を抜け、なだらかに開けた丘を登る。
夜劔晶たちが白詰草の揺れる坂を歩くと、やがて遠くに破風板を構えた特徴的な正門が見えてきた。
見えない向こうまで続く、白い漆喰の土塀。
「他では見ないだろう」
「ええ。矢狭間まであるものは、初めて見ました」
姦しく会話に興じる女性陣を余所に、輪堂祐之介の歩調に少年の肩が追い付く。
壁に開いた長方形の隙間を見上げる晶に気付いたか、先導する祐之介が言葉を投げてきた。
塀越しに矢を射るための矢狭間は、穢レよりも対人戦闘に主眼を置いた覗き窓だ。
ここ100年は泰平の高天原にあって、次第に廃れた仕掛けである。
「名瀬領は、他領と少々毛色が違う。穢レよりも、海から来る人が主な相手でね」
「海賊ですか」
「そこまでじゃないよ。精々が、食いに困って海に逃げた農民かな」
「謙遜ですね」
「事実さ」
晶の気のない指摘に、祐之介は肩を竦めて応じてみせた。
輪堂家は、八家の中でも有数の尚武の家門である。食いに困った農民と云っても、実際は色々な裏の背景もあったのだろう。
こんな離れた丘陵に構えられた屋敷に、矢狭間が現役で設えられている時点で、それなり以上に厄介であったことは窺えられた。
重く軋む音を立てて、正門の扉が両開きに開く。
人が数人、肩を並べられる隙間を通ると、その向こうに凛と立つ女性が見えた。
厳しく眼差しが、到着した少年たちを一巡。その最後に、晶の双眸でひたと留まる。
「……輪堂家にようこそ、お出でくださいました」
表面上だけの微笑みを取り繕い、女性が歓迎を口にする。
さらりと衣服の擦れる音を残し、軽く頭も下げられた。
「当家当主の室に御座います、輪堂邇子と申します。
此処から先、長男の祐之介に代わり、私が先導を務めさせていただきます」
「お母さま」
咲の言葉に何を求める事もなく、邇子は踵を返そうとする。
ただ、僅かに思う処もあったのか、向かおうとする歩みが僅かと止まった。
「咲さん、後で話があります。御当主への挨拶が済み次第、此方の方も終わらせましょう」
「……判りました」
短く厳しい会話が終わり、女性の足元で玉砂利が啼き音を立てる。
旅の疲れに労う言葉もない。ただ、祐之介が苦笑して、少年少女たちに肩を竦めてみせたのが、少しだけ救いになってくれた。
♢
邇子が門で待っていた以外に然して何があるでもなく、晶たちは中広間へと通された。
上座で待っていた輪堂孝三郎が手元の書類を脇に寄せ、口元を苦笑の形に歪めてみせる。
「久しぶりだな、夜劔当主。咲も元気そうで何よりだ。
……………………それと、あ~~、そちらの、 、 、」
歓迎の言葉を口にしながら、最後尾に控える少女へと視線が移った。
直ぐに正体に気が付いたのだろう。頭痛を堪えるように、右に控える邇子を見遣る。
然して口を挟む訳でも無い。だが、頑と動こうともしない妻の所作に、諦めが優ったのか慎重に言葉を選んだ。
「……奇鳳院家からの御助力であろうか、参内の折りにお見受けした憶えがあるが」
「はい。奇鳳院家の側役にあります名張和音と、」
「――新川雪乃ち申します」
流れるような奇鳳院嗣穂の返事に、孝三郎もそうかと一言だけ返した。
半神半人である三宮四院が嘘を吐けないのは、有名な事実である。にも拘らず、嗣穂が名張和音という偽名を使える。
嗣穂が特別なわけではない。何か抜け道が用意されているのだろう。
とは云えど、この事実のみで、眼前の少女の正体を看破し得るものは一気に減るはずだ。
居心地も悪く妻の方を一瞥、明白に無視を決め込まれ嘆息を吐く。
済ませなければならない仕事は、他にも多く残っているからだ。
「奇鳳院家の御名代を与っておられるなら、存分に期待させて貰おう」
「良しなに」
それだけで腹を括ったのだろう。厳しく眼差しを、晶と咲の方へと戻した。
「夜劔当主も、此度は無理を言って済まなかった。本来ならば、私の代で終わらせておきたかった問題なのだが」
「俺の。否、私の問題でもあります。他人事では行きませんので」
「そうか。……此度の一件は他洲のものが噛んできている可能性が高いと、儂は考えている。
その辺りは?」
「祐之介殿より訊いています」
孝三郎が祐之介に視線を移すと、無言で同意の首肯が返る。
それまで控えていた嗣穂が、鋭く孝三郎に眼差しを向けた
「他洲のものと云いますが、何処かに州越えの気配が?」
「念の為に調べさせているが、今のところは。……と云うより、名瀬から州境まで領3つを隔てておるのだ。
ここを直接狙う旨味は、本来、無い」
「そうなってくると、他洲のものを疑うのは無理がありますが」
時代と場所が移ろおうとも、戦争の動機は基本的に変わらない。
利益を欲するものと護るものの、摩擦した結末だと云う一点だ。
戦争だけがしたい人間は存在しない。名誉や利得を護るものも、戦争を起こしはしない。
戦争は何時だろうと、利益が欲しいものが仕掛けるものだ。
「可能性を削っていった結果、最後に残った選択肢に過ぎん。それに旨味は薄くとも、海に多く面しているしな」
「では、海外のものが」
「それこそ無い。久我家の鴨津と違い、うちは遠浅が続いておる。
高喫水船の係留港とするには向いていないのは、奇鳳院家を始め周知されているだろう」
その海からも気配はなかったがな。孝三郎は両手を上げて、降参の意思を示して見せた。
「一口に手出しと云っても、方法は色々ある。今回疑っているのは、知恵を貸した方だな」
「と云いますと」
「夜劔殿に関してだ。――領に集結した衛士たちが軒並み、君のことを知っていた」
「それはそうでしょう。今回の一件で彼らの戦功を掣肘できるものと云えば、晶を置いて他にはいませんから」
「そうではない」
晶たちも、それは理解していた事実である。率先して言葉を返した咲に、孝三郎は鬱屈と頭を振って見せた。
晶が昨年の戦功をほぼ独占して、八家にまで上り詰めた事実は広く知られている。それだけならば、孝三郎も然して気に留めなかっただろう。
「奴等は、夜劔殿が雨月家の長嗣である事。そして、精霊無しと云う事を確信していた」
「雨月の陪臣なら、誰でも知っていますが」
「そう、知っている。であれば、見過ごす訳にはいかん故に調べた。
ほぼ全員が死に絶えていると、確認しただけに終わったがな」
精霊の位階が華族の絶対基準である現代に於いて、精霊無しは醜聞にしか見えないはずだ。
孝三郎も、その可能性には直ぐに思い至ったのだろう。
雨月家は離散し、怪異と化した雨月天山の手によって、その殆どは死んでいる。陪臣の一族も当主は軒並み絶えて、現在、遺っているのは防人ともなれない女子供ばかりだ。
晶への報復を妄想できても、珠門洲を引っ掻き回せる行動力は考え難い。精々が首謀者の唆しに、嘗ての悪罵を愚痴にした程度だろう。
「雨月颯馬と、陪臣の継嗣らは健在ですが、此方も除外して良いでしょう」
「何故ですか?」
「彼らに関しては、事の直後に所在を確認しています。海軍の養成学校に詰めており、外部との交流ができない状態になっていましたから」
「ふむ。……艤装の完了は、もう少し掛かると思っていましたが」
嗣穂の台詞の裏に、交流ができない理由を正確に嗅ぎ取った孝三郎は肯いを返した。
雨月家門の次代であった継嗣たちは、現在、海軍候補生として養成中であると聞いている。
陸上教育が済み次第、遠洋の操船訓練に移るとは聞いていたが、戦艦の艤装が長引いた事でお預けになっていたはずだ。
暗にその事を当て擦ると、嗣穂も苦笑で肯ってみせる。孝三郎も盆の窪を搔き、肩を揺らして追従した。
言葉を逸らかして伝えるしかない、その苦労を理解し合ったのだ。
「雨月まで追わずとも良さそうで、安心いたしました。
ならば、可能性は残る1つ。奇鳳院家から伝聞にありました、御厨弘忠の方ですな」
「捕まりませんでしたか」
「旧家は厄介です。根を断たれた直後に、地の底まで深く潜ってくれたようで。
……奇鳳院家も追っておられるようですが」
陰に暗に。直接的な表現を避けながら、情報を開示し合う。
やがて会話は、晶が遭遇した蛞蝓の化生へと移った。
「蛞蝓の化生、ですか」
「それも、人工のものです。式神を応用していると考えていますが、詳細も不明のまま。
遭遇例がその一度きりなので、狙いも掴み切れていませんが」
「夜劔殿の御首では?」
「あの程度で、ですか?」
伺うような孝三郎の推測へと、跳ねるように嗣穂の即答が返った。
思わず輪堂家当主としての視線が上がる。冷ややかにそれを見返す嗣穂の眼差しには嘲笑すらなく、ただ事実のみを指摘した確信だけが宿っていた。
脇に控える邇子と祐之介には、純粋な驚愕のみが浮かぶだけ。輪堂家とそれ以外を隔てる認識の違いに、孝三郎も黙って反駁を呑み込んだ。
咳払いが響き、祐之介が横槍と知りつつ口を開いた。
「――失礼。聞いた話だと、その蛞蝓は非常に濃密な瘴気でできているとか」
「俺が見た限り、その1体はそうでした」
「素早く動き、瘴気の粘膜で大抵の精霊技を無効化する。咲の啄木鳥徹しを封じたなら、大抵の衛士は封殺できるほどですね、父上」
「うむ。加えて、精霊器に噛みついて、鑢のように削り落とすとなれば間違いないだろう」
輪堂家の親子が、深刻そうに視線を交わし合う。その様子を目の当たりに、咲が眉間に皺を寄せた。
「何かあったの?」
「昨日、衛士を数人、守備隊と連携させて線路沿いの状況を確認させたのだが。
……報告が妙でな」
「蛞蝓の化生が出たって?」
「いいや、何も見てはいない。
ただ、瘴気が川のように一直線に流れて、所々で虫食いに削れていたと報告にあった」
「それって」
咲と晶は、何を言うでもなく視線を合わせた。
瘴気とは、停滞して腐敗した霊気の事である。龍脈から外れ、こびりつくように一か所に留まり続ける性質を持つ。
河川のように、流れるような性質は持っていない。
「人工の化生を、線路沿いに送り込んでいる?」
「だろうな。けど、東西の線路は未完成だと聞いたけど?」
首を傾げて、晶はそう疑問を口にした。晶が知っているのも、東西洲鉄の計画は頓挫したと云う時点のみだ。
晶の疑問に、それまで沈黙を守っていた雪乃が口を開いた。
「表向きは未完成のこつなっとう。やけん、本命の機能は、うちん頃には完成しとった聞いとうな」
「本命の機能とは?」
「うちはお父ぅに聞いただけやけん。それは……」
輪堂孝三郎の問い返す言葉に、雪乃は台詞を濁して輪堂孝三郎を見遣った。
何分に黴の生えた計画だ。雪乃に知識はあっても、伝聞では正確性に欠ける。
嘆息を1つ吐いて、孝三郎は口を開いた。
「洲鉄の目的は、大きく別けて2つ有る。一般的には人間と物資の輸送だが、これは表向きの目的だ」
「初耳です」
大っぴらには話せないからな。
そう前置きをして、輪堂孝三郎は改めてその続きを舌に乗せた。
「鉄の時代が進み始めた頃、西巴大陸では、龍脈をより効率的に運用する計画が持ち上がった事がある」
龍脈とは、地下深くを流れる霊気の奔流そのものである。
自然に奔るそれは無駄も多く、停滞すれば、瘴気溜まりと化して災害の源泉にもなりかねない。
だからこそ、現実の河川同様に護岸整備を施し、人工的に霊気の流れを補佐する計画が持ち上がった事があるのだ。
「龍脈の基点となる龍穴と風穴を意図的に鉄軌で結び、無駄なく人の領分で運用できるようにする。……百鬼夜行を抑え、龍脈を運用できると、数十年前に高天原でも導入が決まったのだ」
「――けど、完成していない」
晶の確認に、孝三郎は首肯してみせた。
単純な話である。鉄道が完成した直後、そこを基点に瘴気溜まりが広がったのだ。
龍脈の霊気を流し込むのだから、瘴気とも相性が良いのは道理だろう。
「線路が7割方、完成した頃に起きたと聞いている。
莫大な金子を注ぎ込んだ挙句に、錆びた鉄軌のみが野晒しとなってはな」
「そこを、何者かが利用したと」
「うむ」
自嘲気味の孝三郎に、晶は少し考え込んだ。
少年の様子を、咲が気遣わし気に覗き込む。
「どうしたの?」
「どう考えても、この計画はかなり昔から周到に準備されている。
けど、動き出したのは、本当に最近だ」
「晶が切っ掛けだからじゃないの」
「そうだ」
何の気のない咲の指摘。それは、最初から云われていた事だ。
晶への怨讐を発端に、この計画は急造で始まっている。
――つまりこの計画は、
「動かさざるを得なかったんだ」
「何がだね」
「この計画です。俺が切っ掛けであったとしても、ここまで早急に動かす理由は無いはず。
俺が昨年にやった事が原因で、この計画は動かすしかなくなったと考えれば、周到振りと急造の温度差の説明がつく」
孝三郎にそう応えながら、晶は眼差しを上げた。
ひたりと、輪堂家当主へ視線を合わせる。
「その線路を龍脈の代替にする計画、名称を何と云いますか」
「儂も父から愚痴混じりに聞いたきりだからな、さて……」
輪堂当主が首を傾げ、中広間に沈黙が降り下りる。
やがて、広間の後ろに控えていた嗣穂から、その名が告げられた。
「『人造龍脈計画』。東西洲鉄の開拓計画を隠れ蓑にした計画は、そう名付けられたと聞いています」
桜色の唇が、その名称を呟きに乗せる。
無機質なその名称は、ただうそ寒く中広間に散って消えた。
そろそろ、晶たちも敵の正体に気付く頃です。
何人か、かなり初期から鉄道のネタに気付いておられて、すごく嬉しかったです。
次回も又、よろしくお願いいたします。
安田のら





