4話 渦中に溺れる、湶に還らんと2
あれから半月、日常は音を立てるように過ぎていった。
穏やかに不穏を孕みながらも、表面上は何事もなく。
長屋の住人たちの行方もまた、必死の捜索空しく不明のままであった。
♢
青く陽が降り注ぐ中、鉄軌の軋む音と共に汽車が止まった。
暫くして、車上の疲れに飽いた人々が次々と、駅舎の外へと流れてゆく。
そこは、名瀬領の領都、漁ヶ峰。
領都と名のつくだけの浜沿いの田舎町は現在、普段はなかった来客で賑わっていた。
客が総て降りた頃を見計らい、鋏を持った若手の駅員が汗を拭う。
日は高く、遠に中天を越えている。昼食を食べ損なう前にと、駅員の青年は、鋏を腰に仕舞いこんだ。
「全く。ここ最近ときたら、昼飯にありつく暇も無ぇや」
「――そうかしら。随分と暇そうに見えるけど?」
「お客様の中にゃ、旅慣れとらん方が多いようでしてね。
車上の不平不満をあっしらに云われてもねぇ。……って、お嬢さま!?」
忙しさ青年に横から声が掛かる。慣れた口争いに応じて一拍の後、相手の正体に青年は驚いて顔を上げた。
視線の先には、片手をあげる輪堂咲を先頭に、晶や少女たちの改札を通ろうとする姿が。
身体を改札から乗り出して、慌てて声を潜める。
「こりゃあ、 、お久しぶりです。咲お嬢さま」
「随分と盛況じゃない。閑古鳥が財布の埃まで啄んでくれてるって、以前の愚痴が嘘みたいだわ」
「お陰様に御座いまして。……って云いたい処ですがね。如何なってんですかぃ、これ?」
「知らないわよ。今、帰還したばっかりなんだし」
「そりゃあそうですが、つい先刻のお客だけじゃないんですよ。
ここ数日にこの駅を通ったお客は全員、目当てはどうにもお嬢さまらしいって専らの噂で」
「私!?」
「――そうだ」
考えても居なかった指摘に、改札の向こうから肯定する声。
咲が視線を向けると、むっつりと読めない表情の青年が佇んでいた。
「お兄様」
「久しぶりだな、咲。随分と得難い経験を得たようだ、会う度に顔つきが違って見える」
「有り難う御座います。……こっちは」
「知っている」
慌てて紹介しようとする妹を遮り、眉間に皺を寄せた青年が晶を見下ろす。
怯むことなく、負けじと少年は背を伸ばして対峙した。
「夜劔晶殿とお見受けする。お初にお目にかかる、輪堂家長嗣の輪堂祐之介だ」
「宜しくお願い致します。俺は未だ八家ではありませんので、そのままでお願いいたします」
「お互い難儀な立場だが、歓迎する。
――咲もそう尖るな。どうせ気にするような連中は、領都の外で野宿しかできん」
唇に嘲笑を浮かべ、眼差しを漁ヶ峰から窺える山稜の向こうへと向ける。
釣られて晶が視線を向けても、そこには青々とした山の峰が見えるだけだった。
「はぁ。後でしっかりと聞かせて貰うからね。それに此方は、奇鳳院家から借り受けた――」
その後ろを、少女2人が歩き抜く。
名張和音と新川雪乃だ。
「奇鳳院嗣穂さまの側役を与ります、名張和音と、」
「新川雪乃ち云います、宜しゅう」
苦笑を堪えながら、如何にも側役らしく頭を軽く下げた。
どうやら徹頭徹尾、この立場を続ける心算らしい。
「……御配慮、有り難く」
ただ、流石に八家次期当主となる祐之介には、隠形の効力も及ばないのか。
嗣穂の相貌を視界に、僅かに瞠目してから渋く見ぬふりを通した。
「お前のお陰で、漁ヶ峰は嘗てないほどに盛況だよ」
「それ皮肉? ……にしたってこの騒ぎって、結局何なのよ」
「東部の瘴気溜まりを浄化せんと、輪堂家が招集した衛士とその麾下たちだ。
珠門洲の各地から、封領華族の次男三男が諸手で応じてくれた」
「それが私のお陰って?」
「東部の瘴気溜まりの解決に関して、輪堂家は最大戦功に其方を与えると。
詳細は後にしろ。改札を邪魔してまでする話じゃあない」
延々と改札を塞ぐ訳にはいかない。
祐之介が先導する体裁で、駅を抜けて歩き始めた。
明るく陽射しも彩りを変え、晶の視線の先に青く海の稜線が窺える。
――頬に心地良く、潮風が撫で過ぎてゆく。
「輪堂の領都にしては、寂れていると驚いたかな? もう少し早かったら、漁帰りで賑わっているんだが」
「雨月の領都《廿楽》も似たようなものなので、そこまでは」
「ああ、雨月の生まれだったか。
八家だ封領だと威張っていても、いざ腹を開いてみればこんなもの。何処も変わらん」
自嘲気味にそう呟き、祐之介は周囲を見渡した。
三々五々と屯する男たちの羽織に揺れる、それぞれの家紋を視界に映す。
「無名有名を問わず、珠門洲中から参入している。あそこにいる2人なんて、華蓮第1守備隊の次期筆頭だぞ」
「茶化さないで。お父様とお兄様がこんな無茶を仕出かすなんて、ど~ゆ~心算?」
「俺でも父上でもない。そもそも、神無の御坐を知っている父上が、こんな茣蓙芝居に手を出すとでも? ……事の発端は母上だ」
「お母さまが?」
驚愕する妹へと、祐之介はつまらなそうに首肯を返した。
母親である輪堂邇子は、記憶にある限り武家の母として常に一線を引いてきていた。
まかり間違ってもこのような、輪堂当主である孝三郎の領分を侵すような性格ではない。
にも拘らず、このような暴挙に出た事が意外に思えたのだ。
「咲の縁は母上が仕切りだ。そう張り切っていたのに、いきなり奇鳳院家からの下知で御破算にされたのではな。
――失礼。主家の方々のお耳汚しになりますが」
「気にしていません。止むなしとは云え、強権での横槍。確かにそちらへの配慮は足りませんでした」
「神無の御坐など知らない母上からすれば、平民上りとの縁結びにしか見えません。
お陰で、八家の血筋に平民を交ぜたくない余り、衛士たちを招集したのが実情です」
「その考え自体は間違っていませんし、至極当然です。
ただ、これを八家の代言としたのは、流石に見過ごせるものではありませんが」
「そこです」
鋭く咎める嗣穂の言葉に、苦々しく祐之介は応じた。
確かに、八家の代言として発布されたのであれば問題だ。
幾ら邇子が輪堂家当主の正室だとしても、庇いきれるものではないほどに。
「これは抑々、輪堂家を通して発令されたものではありません。
正確には、何時の間にかそうなるように広がっていただけです」
「何時の間にか?」
「はい。輪堂家は勿論、恐らくは奇鳳院家も避けるために。
本当にただの噂として、各領一斉に戦功の内容が広がっていました」
最初の噂として、輪堂家の正室が咲の縁組を不満に思っていると囁く。
二つ目の噂に、輪堂家が東部の瘴気溜まり解決に向けて動き始めた。
止めに、戦功として思い切ったものを乗せてきたと、咲の婚姻を差し込んだのだ。
1つ1つは、多少興味を惹くだけの四方山話に過ぎない。
だが、総てを繋げた上で、その噂に咲の婚姻という嘘が加わればどうなるか。
結果、八家との縁組が、本当の発令として広がってしまったのだ。
「燎原の野火よりも、噂話が本当のものとして広がるのは早かったですよ」
「厄介な。噂を最初に広げたのは誰か、見当はついていますか?」
「調子に乗って暴れた衛士を、締め上げる序でに聞き込んでおきました。
――紫曜会と云う集まりは御存じですか」
紫曜会。初めて聞く名称に、嗣穂は首を傾げる。
随分と風雅に凝った呼び名だが、耳馴染みは無い。
代わりに声を上げたのは、最後尾に控えていた夜劔雪乃であった。
「天領ん珠門洲出身の女学生互助会が、そん呼びやったと聞いた憶えがあります」
「学院の? 私は聞いた事もありませんが」
「封領の娘が他領と縁を繋げるこつさけ、主家さまん関わるようなもんやなかと。
随分とお高い目線やったきに、うちはお断り申し上げたん、内情は知りませんが」
雪乃の言葉に、嗣穂の視線が咲の方へと向かった。
母親から存在を聞いていた咲も、首肯で同意だけを返す。
「元々は、封領の室に相応しい女性を育てる目的の集いだったそうですが、随分と横の繋がりが強く、封領の家門として無視できる規模ではありません」
「つまり邇子さんは、そこに噂話を流したと?」
「何方が先かは不明ですが、乗り気なのは確かでしょう。
ほぼ総て真実となれば、火消しも侭ならず。手遅れの状態で、衛士が我が領に集まった次第です」
道理で、嗣穂であっても噂すら聞いていなかった訳だ。
周到というよりも粘着質な相手の手管に、晶も嗣穂も頭を抱える。
それよりも、熱を帯びたのは咲の方であった。
肩を怒らせて、兄である祐之介の方へと詰め寄る。
「私の結婚を餌にしたって、どれだけ集まったのよ!?」
「婚姻したものを除けば、恐らく珠門洲の衛士のほぼ総てだな。
衛士であっても、大半は次男三男の冷や飯食らいだ。八家と縁続きになれると聞けば、一世一代の大博打を期待する奴は多い」
輪堂家と縁戚を持てても、冷や飯食らいには変わりないのにな。
そう冷ややかに、祐之介は吐き捨てた。
だが実情は如何あれ、八家の看板には違いない。
同じ冷や飯でも、目線の高さが多少変わるだけで見える景色は違うのだろう。
「そう云えば、阿僧祇殿はどうした? てっきり、一緒に帰るものかと思っていたが」
「阿僧祇の叔父さまなら、数日遅れでこっちに来るって。何か問題でもあったの?」
「逆だ、丁度良いかもしれん」
問い返す咲に、祐之介は少しだけ足を速めた。
輪堂家と阿僧祇家は領地の近さもあってか、代々からの昵懇の仲である。
阿僧祇厳次が輪堂家の指南役として逗留していた経緯があるほどに、両家の仲の良好だ。
今回もそう。邇子から状況を聴いた孝三郎と祐之介は、早くより阿僧祇雅哉と連絡を取りあっていた。
「奇鳳院家では、これが神無の御坐を追い落とすための策略だとみているようですが」
「輪堂家は違うと?」
「何らかの確執を抱いているのは否定しません。
名張さまは、友釣りと云うものを御存じでしょうか?」
「いいえ、寡聞にして」
「鮎を生きたまま泳がせて、他の鮎と争わせつつ針を引っ掛ける釣り方です。
――そう考えると、神無の御坐という鮎が泳げば、燻っていた上位華族が良く釣れると思いませんか」
「神無の御坐を餌に釣れたのは、封領の華族と洲議ですか」
「それに、紫曜会も含めて3つですね」
「じゃあ、このどれかに、本物の敵が居るって事?」
晶と咲。そして嗣穂の3人がそれぞれに呟いた推測へ、祐之介は深刻に首を振って見せた。
晶たちの推測は正しく、だが決定的に間違っている。
釣られるという事は、陸に揚げられて動けない事実も意味しているからだ。
奥に潜むものが、そんなヘマを冒すとも思えない。
間違いなく、晶たちの動向を見張りながら、注意深く隙を見せる瞬間を狙っているはずだ。
「逆ちゃいます? 相手は極力、うちらと実力で対峙しとぅない。
やったら、この段階で動くん、向こうにとっては悪手のはずやけ」
「ああ、その通りだ。だからこそ、少なくともここにいる衛士と洲議は敵の容疑から外すことはできる。……しかし」
「しかし? 何か問題でもありましたか」
口籠る祐之介へと、嗣穂が先を促す。
ややあって、輪堂の次代を担う青年は、悩みながらその先を口にした。
「私の知る限り珠門洲は、奇鳳院家を筆頭に華族と洲議で構成されています。
今回、夜劔殿を餌に喰いついたのは、その両方」
「つまり?」
「珠門洲内部に、ここまでできる勢力が残っていないのですよ。強いて云うなら八家が残っていますが、輪堂も久我もそんな馬鹿な真似は致しません」
最悪――。
そう可能性を探る嗣穂へと、祐之介の呟きが後を追う。
「他洲の勢力が、密かにこの一件へ噛んでいる可能性があります」
それは、長く太平だった高天原の終わりを告げるかのように、潮風に紛れて虚しく散った。
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