閑話 戦に驕れるは、戦を知らぬものたちだけか
――珠門洲、洲都華蓮。
夜が更けても華蓮の繁華は、人の営みで眠りを知らないかのようであった。
華蓮中央駅のすぐ裏手に伸びるドヤ街は、ここからが本番だと云わんばかり。仕事終わりの男性を呼び込もうとする声が、忙しなく飛び交っていた。
安客目当てのドヤから少し離れると、途端に別種の賑やかさが寄る者を迎える。
ちりんちりん。赤線流しの提灯と、鈴の涼やかな音色。騒めく嬌声が彩る、その一角。
その街に名前は無い。ただ、そこが河原であった過去の名残として、離沢街とのみ呼ばれている。
――華蓮で最大規模を誇る、花街であった。
此処を目的とする客は、大抵が入り門から通り2つまでだ。
嗤い燦々めく娼婦たちの品定めを抜けると、一気に街灯と人の気配は遠のく。
椿と松の垣根が余人を拒み、閑静な数寄屋造りが挟んで並ぶ昏い通り。
所々に燈る密やかな提灯だけが、そこが無人でない事を告げていた。
看板すらない料亭が軒を連ねる裏通り。余人から離れたその区画こそが、離沢が隠し持っている真の素顔である。
表通りとは一線を画した舞妓たちが、衣擦れも品よく一斉に舞った。
翻る扇子に囃子が相乗り、静かにも軽妙に三味線の音が追う。
洗練された妓女の仕草に興味もなく、場の主役である男たちは肩隣りの男たちと会話に興じていた。
「ははは。珍しく良く呑んでおられますな」
「お恥ずかしい限りだ。此度の奏上は小気味よく、儂も面倒に応じた甲斐はあったからのう」
「ささ。一献、もう一献。特別に西巴から取り寄せた、赤葡萄酒に御座います。
向こうから潮風に揺られるうち酒精の角も削れるのか、丸く味わえる一品でして」
「それは興味深い。西巴の棘が長旅で削れるとは、ならば故郷では更に棘深くあるものかね」
「連中は棘をそこかしこに隠していますがね」
「違いない。此度の主家の渋面も、我らの手管で晴らせれば善いが」
皺枯れた手から手へと、深緋の雫が酒盃に注がれる。賑やかに雑談を交わしながら、男たちが手にした紙煙草に火を点す姿。
男たちの前に次々と運ばれるのは、黒漆の膳に載せられた料理の数々。平民では見る事も叶わない奢侈に尽くされた肴を一瞥し、老人がつまらなそうに呟いた。
「……ふん。刺身か、芸のないの」
「申し訳ございません、議長。――おい、如何なっている。金子に糸目はつけんと、云っておいたはずだぞ」
「申し訳ございません」
矍鑠と男に睨みつけられ、それでも仕上げの手を止める事なく板前は頭を下げた。
その従順な態度こそ気に入らなかったのか、男が苛立ちに眉を顰める。
「まぁ、善いではありませんか。間木様」
謦の所作を残すその間へと壮年の男がもう1人、穏やかに仲裁へ入った。
三つ釦の洋装に、昨今でも珍しい襟締めの男性。洲議の1人である阿僧祇雅哉が、にこやかに笑顔で刺身へと手を伸ばす。
薄く削ぎ切りにされた白身を一口、歯応えのあるそれが弾むほどに咽喉を滑り落ちてゆく。
「うん、旨い。鱧ですかね? 旬は未だ先なのに、入手には苦労されたでしょう」
「ここまで肥ったもの故、少々。ですが目出度い席との事で、豊の名を与る魚の最上を味わっていただきたく」
「ははは。成る程、洲鉄の輸送力は聞きしに優る。――議長。これは東西洲鉄を手中に納めん我らにとって、吉兆かと存じます」
「ほほ。他ならない、阿僧祇議員の執り成しだ。
それに、食いに飽きた刺身も、東西洲鉄の前祝いと聞けば味わいも変わろうわ」
奥座に座る最も年嵩の老人が好々爺然と、刺身に手を伸ばした。
板前を責めていた男も、矛先を逸らされた不満を一瞥に残して席へと戻る。
それ以上は誰も彼も、興味を無くしたように板前を責めることは無かった。
所詮は、洲議長である老人の歓心に阿んがための、追従の演技に過ぎない。
板前も理解しているのか、静かに平伏した後に、障子の向こうへと消えていった。
やがて宴も酣と過ぎ、酒肴も尽きる頃。漸く本題と、男たちは己の席に座り直した。
大広間に薫る紫煙を眺めつつ、誰もが互いに口火を切る肚を無言で探りあう。
最初に沈黙を破ったのは、洲議の議長である奥座の老人であった。
顎に蓄えた白髭を撫でつけながら、腹蔵もない様子で議員たちを見渡す。
「さて、そろそろ頃合いだろう。計画の進捗を整理するとしようか」
「では、私から報告を」
そう促され、洲議たちの列から1人の男が膝行で進み出た。
平伏してから口を開く。
「嘗ての東西洲鉄計画の進捗調査は終了しています。……向こうが伝えてきた計画の全貌も、概ねが真実だと裏付けが取れました」
「ほほう」
「嘗ての計画に、奇鳳院家から直々に布いた勅旨を確認しました。
加えて、高天原の外周を結ぶ、久我家の洲鉄は既に稼働しています。疑う余地は無いかと」
「それは、吉報よのう」
「――では、次に私が」
「いやいや。私の方が先に御座います!」
朗々と語られる報告を皮切りに、洲議たちが少しでも先んじようと進み出る。
やがて、広間に静けさが戻った頃。珠門洲の洲議を取り纏める議長である左近寺恒易は、幾重にも首肯を繰り返した。
「計画は順調であるか。……念を押すが、奇鳳院家に我らの仕儀は悟られておらぬよな?」
「間違いなく。ここも覗かれていないようですな」
「あの厄介な女どもも、夜鷹崩れの閨如きは見たくもないか」
「左近寺議長の御深慮。我ら一同、感銘頻りにて御座います」
重畳、重畳。そう鷹揚に肯ってみせる老爺に、取り巻きの洲議が揉み手で平伏して見せる。
周囲から口々に渡されるおべっかも満足そうに、左近寺は一切口を挟まなかった最後の洲議に声を向けた。
「我らの計画は順調なようだ。これならば、東部の瘴気溜まりも解決が期待できるのではないかな? 阿僧祇議員」
「は。珠門洲全土に布武頂きました、輪堂家との縁続きが望める由。乗せられた衛士たちが、名瀬領に集結しているそうです。これも、左近寺翁の御人望であらせられるかと」
「ならば、儂も労を払った甲斐があると云うもの。
これで衛士どもが残らず、瘴気に斃ってくれれば万々歳なんじゃがの」
「それは難しいかと。――ですが、八家の血筋も確かな咲嬢が報酬です。
芳紀に目が眩んだ華族の戦功を掠め盗り、我らが東西洲鉄の経営権を堅めるのはそう難しい作業ではありません」
「ふん。何れは名ばかりとなる家門に集る、無能の愚物どもじゃ。
東西洲鉄さえ確保できれば、たっぷりと恩を売った後に管理すれば問題無かろう」
結論を宣する左近寺に、一礼を残して阿僧祇雅哉は
愉しそうに老躯は幾度も、洲議たちの報告に首肯を返していった。
やがて、宴席も冷め、左近寺を筆頭に老いた洲議たちが去った後。
同僚に気付かれないよう、阿僧祇雅哉は広間の際へと寄っていった。
「どうされたか、阿僧祇くん」
「この辺りでそろそろ、退席を願いたく」
「つまらん奴だな、君ァ。何時でも適当に消えてゆく。
この後だが、別の舞妓を呼ぶ予定なんだぜ?」
「それは興味深いですが、申し訳ない。妻を無碍に待たせぬと、婚儀の折りに誓っているもので」
「ち。奥方狂いとは、洲議の割に誠実なものだな、君。
――それで、東部の瘴気溜まりには、何時頃に向かう心算なんだい?」
寸で見咎めた仲の良い同僚の声に、雅哉は一礼で返した。
素気無い返事に鼻白む友人も、それ以上は突く事なく肩を竦めてみせる。
それよりも帰るならと、気になっていた疑問を雅哉に向けた。
「来月の上旬に予定しております。誰にも告げた憶えもありませんが、何故それを?」
「単なる勘働きさ。衛士殿が洲議など、余程の数寄者だと思っていたが。領地奪還の布石だったんだろう?」
にやつく友人に、雅哉は沈黙しか返さない。
だがそれこそ雄弁な回答だ。友人も早く帰れとばかりに手を振って、冷製の酒肴に戻った。
洲議は氏子籤祇の位階を問わず、財貨と選挙で選出される。席数は少なくとも、平民出の財界人や中位華族が直截に上位へ意見できる、数少ない貴職の1つだ。
年功序列で昇れる上位華族にとって旨味は少なく、なろうとする者もいない。
領地を喪ったとは云え、歴とした上位華族の阿僧祇雅哉が入ってくること自体、意外だったのだ。
だが、友人の推測通りに、封領を恢復させるための手段として洲議を選んだのなら、その疑問も氷解する。
阿僧祇雅哉は一礼だけして、未だ賑やかを残した一間を辞した。
――友人の誤解はこれ幸いに、正そうとも考える事は無かった。
♢
料亭通りを抜け、離沢と外界を隔てる白門を後にする。
ちらりと無言のまま、雅哉は周囲へと視線を巡らせた。
いい気分なのか、それとも有り金を貪られたか。貧相な身なりの酔漢が、千鳥足で雅哉の脇を過ぎて去った。
街へとふらり消えゆくその後を追うように、雅哉は足取りを僅かに早めた。
阿僧祇雅哉は家路を急ぐ足を、裏通りへと向けた。
ゆるりと周囲を警戒しつつ、奥まった一画の暖簾を潜る。
磨り硝子の戸を開けると、一斉に酔った客の賑やかさが溢れてきた。
すっかりと顔馴染みになった女将へと、片手だけで挨拶をする。
視線だけで奥の席へ促され、そこで盃を傾けている阿僧祇厳次の対面に座った。
「――安酒しか嗜めんほど、月俸が少ないって訳じゃないだろう」
「好きなだけだよ。先に呑って悪いな、兄貴」
「席を後にするのも、順番ってものがあるんだ。待たせて悪かった、厳次」
用意されたお猪口に、白く濁った酒が注がれる。
疲れた呼気を肺腑から絞り尽くし、雅哉は盃に揺れるそれを一息に呷った。
饐えただけの酒精の香りが、鼻腔を衝いて抜けてゆく。
割れた米を醸造したそれは甘いよりも酸いが勝ち、酔えるほどに上品なものではない。
それでも疲労が相俟って思考が鈍ったか、雅哉は椅子の背凭れに全体重を任せた。
「首尾はどうだった?」
「何とも云い難いが、順調ではある。洲鉄の利権に群がって、洲議はどいつも目の色を変えてくれた」
「衛士を顎で扱き使えるからか」
「それだけじゃない。……薄っすらとだが、左近寺翁の狙いとするものが判った」
「へえ」
雅哉の呟きに、厳次は気のない返事だけを返した。
濁り酒を更に一献と、盃を重ねる。
「東部の瘴気溜まりと咲嬢の一件だが、実の処、余り興味はないらしい。
それよりも、東西洲鉄の方がご執心のようだ」
「瘴気溜まりを解消せんことにゃ、それも果たせないと思うが?」
「だから無理を押して、衛士を煽ったんだろう。戦功を気前よく衛士に別け与えたのは、後で回収する算段がついていたからだ」
「それだと、洲鉄の利権は洲議たちに分配されてしまうだけだぞ。
隣に馳走を別けれるほど、連中は胸襟を開いちゃいないと思ったが」
「そこだ」
首を傾げる厳次に、二献目を手酌で注ぎながら雅哉は指を立ててみせた。
厳次の疑問こそ、今回、雅哉が宴会で得た最大の収穫だ。
「どうやら左近寺翁は、洲鉄そのものには余り食指を向けていないようだ。
それよりも執着していたのは、過去の線路敷設の進捗度合い。
つまり、」
「欲しいものは利権ではない」厳次が、雅哉の言の後ろを継ぐ。
「計画が敷設絡みなら、議長殿の狙いは線路そのもの辺りか」
「恐らくな。瘴気溜まりは衛士、洲鉄は洲議のもの。こうなってくると、裏に潜む輩の目的はそれ以外って事になるな」
――どの途、瘴気溜まりに当たらにゃ、話も進まんだろうがね。
眉間に皺を寄せる厳次にそう呟いて、雅哉は徳利を逆さにした。
白く残った雫を振り落とし、盃を舐めるように干す。
「兄貴はこれから、1区まで戻らにゃならんだろう。酔えばきついぞ」
「酸いだけの濁酒に、酔えるほど老いちゃいない。
夜劔殿と云ったか。お前たちの準備はできているか?」
「兄貴の差し金だろう。大店の旦那が揃って、景気よく資金を持ち寄ってくれたよ。
晶に関しちゃ、……まぁ、心配するだけ無駄だろう。東部が更地になっても良いのなら、単身でも瘴気溜まりを灼き尽くせる奴だ」
「なら良い」
厳次の言葉に一安心し、雅哉は心置きなく立ち上がった。
銭貨が幾枚か。その手を離れ、卓上で踊るように跳ねる。
「判っているだろうが、出来る限りお前とは仲違いしているように見せかけにゃならん。
万一にも露見すると、輩に付け込まれちまうぞ」
「ああ。兄貴も気を付けろよ。――母上はどうしている?」
「燥いでいる、年甲斐もなくな」
「無理もないさ。生きている内に阿僧祇領へ還れるなどとは、母上も半分諦めていたからな」
「お陰で俺が次期領主に戻れると。益体もなく周囲に吹聴して回っている。
先に云っておくが、阿僧祇領はお前に譲るぞ。俺にはもう、華蓮に妻子も生活もあるんだ」
「母上の説得を、兄貴がしてくれるならな」
「交渉成立、だな。……そう腐るな。領地が戻れば、お前の悲願だった遊撃部隊の設立にぐっと近づけるぞ」
「妻も居ないんじゃ、将来が無いのはそのままだが」
「だから無理をして、戦功の独占なんぞにお前を差し込んだんだ。
咲嬢はお前を教導と慕っていただろう、妻としても相性は悪くないはずだ」
愚痴半分に母親の喜びを伝え、雅哉は踵を返した。
厳次は未だ、席から動こうとしなかった。雅哉の渡した銭貨の分までは、飲み明かす心算らしい。
「残念だが、戦功は不要んよ。兄貴。咲お嬢は、晶の奴にお熱だからな」
「教導だけの、素っ気ない関係と聞いていたが」
「お嬢は気付いていないだけさ。自分の機微に全力で目を逸らしているしな」
「恋に恋する季節か。西巴の歌劇にも、そんな一幕があったな。あっちは悲劇で終わったが」
「兄貴が歌劇好きとは、初めて知った」
「偶には繁華をぶらつけ。天狗の棲まう阿僧祇ってのが皮肉だったと、田舎ぶりから良く判ったよ」
余り過ごすなよ。そうとだけ云い残し、雅哉は短い滞在を終えて暖簾の外へと出た。
頬の火照りも心地良く、夜気の微風が撫でて去る。
阿僧祇雅哉はふらり街へ、今度こそ家路についた。
読んでいただきありがとうございます。
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