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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
六章 塞道回峰篇
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4話 渦中に溺れる、湶に還らんと1

 ちち。雀が二羽、窓の(さん)で戯れてやがて飛び去る。

 縁側から差し込む陽光も眩しく、輪堂(りんどう)咲はぎごちなく微笑んだ。


「――当家に態々の御足労。奇鳳院(くほういん)家側役のお二方には、感謝を申し上げます」

「此方こそ。丁寧な歓迎、ありがたく存じます」


 眼前に座る少女が2人。その片方の新川(にいかわ)雪乃と名乗った少女が、ぎごちなくも楚々と頭を下げた。


 ちらりと咲は、その隣へ視線を滑らせる。

 その先に座る名張(なばり)和音(かずね)と名乗った少女が、返答代わりに苦笑だけを返した。


 脇から静かに、お手伝いの芝田(しばた)セツ子が茶碗を滑らせる。


 白磁のその中に揺れるのは、今年に採れたばかりの新茶であった。

 咲の緑茶の色がやや濃いのは、山狩りで眠い咲を気遣ってのものだろう。


「粗茶に御座(ござ)いますが」

「お気遣いのぅ。――あ、そやったらこれ、お茶請けにしましょうか」


 咲の緑茶を勧める所作と入れ違いに、白い紙の化粧箱が畳に置かれた。

 箱を覗き込む咲とセツ子から、思わず感嘆が漏れる。


 そこに並べられていたのは、紅に艶めく、咲が知るよりも大振りの苺であった。


「見事なものですね」

伯道洲(はくどうしゅう)は南部の産と聞いとります。旬で日持ちがせんもん、手土産に丁度いいかと」


 作法に外れる事を承知の上で、思わず咲は苺に手を伸ばした。


 肌理の滑らかな柔い張り。噛むと僅かな酸味が、甘い香味と共に舌へ広がる。

 苺は故郷の名瀬領でも栽培されていた、水に乏しい春の貴重な甘味の1つだ。


 慣れたそれらよりも香しい苺を茶請けにして、咲は漸く人心地を付けた気がした。


 無言でセツ子の方に視線だけを遣る。

 この屋敷での主である少女の意図に肯いだけを返し、お手伝いの女性は客間を後にした。


 ここから先は、華蓮(かれん)での一切を預かるセツ子であろうとも知ってはいけない事実が絡んでくるかもしれない。

 セツ子の気配が完全に遠ざかるまでを待ち、咲は側役を名乗る2人へと半眼を向けた。


「それで、この茶番の意図は聞かせて貰えると、期待しても良いのでしょうか。嗣穂(つぐほ)さま?」

「私は雪乃さんの付き添いです。それに、」

「それに?」

「私の事は名張(なばり)和音(かずね)と、御承知いただければ助かります」

「お忍びだからと理解できますが、見るものが見れば気付かれるかと」


 洋装はしているものの、嗣穂(つぐほ)に髪形などのらしい(・・・)変装はみられない。

 名張(なばり)和音(かずね)もそうだが……。困惑頻りのまま、咲はその横に座る雪乃へ顔を向けた。


「雪乃さまとは? 新川(にいかわ)となると、奈津(なつ)さまの縁者でしょうが。

 お忍びとは云えど、側役を揃えず市井にお出でとなるのは危険と存じますが」

「残念ながら、新川(にいかわ)の家名は借りたものです。

 ――此方は夜劔雪乃さん。晶さんと(わか)れた家門の、現当主となりますね」

「名ばかりん領地を与った身ですち、陪臣も居らんと情けのぅしきりですが」

「はあ、お初にお目にかかります。

 遅ればせながら、八家第五位の輪堂(りんどう)家が次女、輪堂(りんどう)咲と申します」


 雪乃が再び頭を下げ、訳も判らないまま咲も返礼に頭を下げる。

 黒髪が肩から滑り落ちるまでの沈黙の後、漸く意味が思考に染み(わた)ったのか、勢いよく咲は頭を上げた。


「って、側役が居ない!? 主家を放置など、和音(かずね)さまも奈津(なつ)さまもどうされたのですかっ」

「央都ですよ。奇鳳院(くほういん)嗣穂(つぐほ)さまが現在、天領(てんりょう)学院へと戻っているようですので。

 2人はそちらに向かっています」

嗣穂(つぐほ)さまは、今まさに私の前に居られますが!?」


 割と悲鳴に近い輪堂(りんどう)咲の詰問に、薄く嗣穂(つぐほ)は微笑みを深めた。

 咲がそう感じたのなら、間違いなく他のものは嗣穂(つぐほ)がこんなところにいるとは気づきもしないだろうから。


「それこそ、新川(にいかわ)家と名張(なばり)家が代々の側役を与る、本当の理由です。

 特に名張(なばり)家は(なばり)と呼ばれる陰陽闘法の遣い手、こういった局面に重宝されますね」

「隠密ですか」

「世間一般とすれば、その認識でも間違いではありません。

 特に今回は、御料列車まで仕立てて2人を動かしました。余程の事が無い限り、私の所在に露見の(おそ)れはないでしょう」


 主家となる少女の唇に揺蕩う、深い微笑み。その裏に潜む真意に、咲は漸く気が付いた。

 嗣穂(つぐほ)が平生と華蓮(かれん)を出歩けるほどの誘導は、裏を返せば今回の件がそれだけの状況になると云う確信を持っている事に他ならない。


「すんません。うちが咲さまに御会いしとうと、嗣穂(つぐほ)さまに無理ば訊いて貰いましてん」

「それは構いませんが。当家ではなく私にですか?」

「はい。此度は御成婚されたち、そのご祝儀をと思いましてん。

 うちん谷戸領も珠門洲(しゅもんしゅう)東部やけ、挨拶に及ばせて貰いました」

「はぁ。それは返す返すもご丁寧に、 、 。…………結婚っ!?」


 降って湧いた話題に、今度こそ咲は素っ頓狂な悲鳴を上げた。


 咲たちが生きるこの時代、恋愛模様は基本的に本や芝居の出来事である。

 結婚は親が決めるものであり、本人の意思は二の次なのが当たり前であった。


 平民ですらそうなのだ。華族であれば尚の事、その傾向は顕著となる。

 極端な例ともなれば、見合いの席を設けた数日後に結納が終わっているなど云うものもあるほど。


 事程左様に結婚とは、両者の好悪ではなく、両家の交渉過程として行われるのが常識であった。


 だがそれは、本当に極端な例の1つである。

 通常は見合う2人の相性も勘定するために、両家の親が見合い以前に出会いを演出するのが常識であった。


 咲の場合であれば、その辺りで思い付く相手は1人。

 頬を紅潮させ、わたわたと八家の少女が両手を振る。


「夜劔家って事は、晶と!? す、すみませんがその、私と晶くん(・・)はそう云う間柄じゃなくて……」

「晶? すんませんが、夜劔家はなんでん噛んどりませんが」


「「――――え?」」


 きょとんと見返す雪乃の眼差しに嘘はない。今度は嗣穂(つぐほ)が、咲と視線を交わした。

 嗣穂(つぐほ)が聞いているのも、咲の結婚までである。状況を薄々察した夜劔雪乃が、本陣を固めるために動いたのかと思い込んでいた。


 それが、本人の証言で完全に否定されたのだ。


「あの、雪乃さん? 晶さんでなければ、どこからその話を?」

「訊きとうん本筋が分かりませんが、天領(てんりょう)じゃこの話題で持ちきりやけ。

 男子も女子も活動写真の浪漫(ロマンス)みたいじゃと、噂も頻りです」


「だれが!? ――と云うか、相手は誰!?」


 珍しく嗣穂(つぐほ)が視線を泳がせ、咲が膝突き合うほどに雪乃へと距離を詰める。

 鬼気迫る少女たちの勢いに、雪乃は慄きながら口を開いた。


「お相手は未だ、正式には決まっとらんち聞いとうと。

 なんでん、此度の東西洲鉄の敷設再開に先立ち、珠門洲(しゅもんしゅう)東部の瘴気溜まりを解消する目途が立ったと」

「それが咲さんの都合と、どう関係してくるのですか?」

「東部の瘴気溜まりは、奇鳳院(くほういん)家が抱える憂慮の1つです。

 これを晴らしたものは、名瀬領より領主次女との見合わせを考えると」


「名瀬領は関係ないでしょう!?」


 考えるとされているが、上意からの下達への考えるは決定事項と同義である。

 初めて聞かされた咲の抗弁は、最早、悲鳴そのものであった。


 状況を理解できないまま、その情報を知る少女へとさらに詰め寄る。

 雪乃が背を反らそうとも、間合いは既に吐息すら触れそうな程度にしか残っていない。


「関係は大ありじゃけ。洲鉄ん東西敷設の計画はうちが眠るより前に頓挫したん、よぉ憶えとります。あれと本線の分岐は、名瀬領からですさかいに」

「名瀬領が分岐だとしても、関係が今一つ見えてきませんが」

「当時は金子も侭ならんち。洲鉄ん敷設に関して、その出資負担の殆どは輪堂(りんどう)家ば負担と聞いとります。お父ぅば随分と渋っとったから、確かやね」


 石に木材に鉄。鉄道が奔る線路だけでも、必要な資財は相当に上るのだ。

 此処(ここ)に駅や維持管理も含めれば、更に数倍以上の金子が掛かってもおかしくはない。


 それを八家とは云え、輪堂(りんどう)家だけで負担するとなったのだ。

 そこまでして頓挫したとなれば、当時の輪堂(りんどう)家の混乱は如何ほどか。


 想像に容易いその混乱に、咲は嗣穂(つぐほ)と視線を交わした。

 だが、嗣穂(つぐほ)の視線は思わしくなく、雪乃へと視線を据える。


「事情は何となく理解できました。

 ですがそのお話だと、輪堂(りんどう)家が主導となる問題です。咲さんを下意の如き振る舞いで、功名欲しさの連中に嫁がせる謂れとは繋がりませんが」

「そん辺りはさても。うちも、又聞きのどの辺りかで聞いただけですよってに」

「…………成る程。やってくれましたね」


 ややあって、嗣穂(つぐほ)忸怩(じくじ)と相手の思惑にそう漏らした。


「何か判ったのですか?」

「大まかにですが。――昨年の春までは太平の世が続いた事で、華族内部では慢性的な問題が浮き彫りにされていました」

「太平は良い事では?」

「余り云いたくはありませんが、程度と云うものがあります。

 特に華族の位階、……ここ数十年での昇降任がほぼ無いと知っていますか」

「いいえ。年功序列だとばかり思っていました」

「華族。特に上位華族である衛士の評価に関しては、護国を任じる手前、戦功が基本的な評価基準でした。

 ですが戦功はその名の通り、戦闘の決着として下されるものです」

「つまり、太平の世であれば……」

「ええ。戦功は与えようがありません。当然、戦功を立てても、上意が動けませんから昇任の行く先もない。必然的に、年功序列が常識となったのです」


 それでも、昨年までは何とか回っていた。

 衛士の絶対数は非常に少なく、その殆どが封領の華族だったからだ。


 待てば上意に登れるのであれば、不満もやがては下火になってくれる。


「つまり、昨年から違う?」

「――晶さんです」


 短い嗣穂(つぐほ)の言葉に、誰からともなく少女たちに納得の気配が漂った。


 沓名ヶ原(くつながはら)怪異(上位)から始まり、長谷部領(はせべりょう)鴨津(おうつ)での波国(ヴァンスイール)の侵攻。華蓮(かれん)で再びの百鬼夜行をほぼ単騎で討滅したかと思えば、央都での滑瓢(ぬらりひょん)の侵攻を阻止。


「央都での百鬼夜行では、天領(てんりょう)学院に在籍する衛士を参加させる事で戦功に余裕を与えましたが、焼け石に水でしょう。

 晶さんのものと比肩させれば、間違いなく参加賞程度にしか数えられません」


 華族の位階は絶対性ではなく、相対である。

 席は1つしかなく、与えれば他にはない。


 公になっているものだけでも、晶の戦功は計り知れないのだ。

 晶のそれを正直に加算すれば、華蓮(かれん)での位階は間違いなく大混乱に陥るだろう。


 小さな戦功に至っては、既に足切りをしてなかった事にしているほどなのだから。


「八家に戻す事は絶対条件でした。が正直、夜劔家を第一位に据えても足りませんでした。……そこが裏目に出ましたか」

「晶さんの最大戦功は、沓名ヶ原(くつながはら)の怪異の単独討滅。

 相手は恐らく、東部の瘴気溜まりをそれに匹敵する戦功として奇鳳院(くほういん)家に評価させ、衛士の誰かに与える心算(つもり)なのでしょう」

「晶が獲れば問題ないのでは?」


 微かな希望の抜け道に、咲がそう食いつく。

 だが、渋い表情のまま、嗣穂(つぐほ)は首を振った。


仮令(たとえ)、晶さんが戦功を立てたとしても、それは無かった事にされるはずです。

 その為の初手として、阿僧祇(あそうぎ)雅哉を担ぎ出したのでしょう」

阿僧祇(あそうぎ)家なんて、それこそ関りも無いでしょう」

「今回に限っては違います。暫時とはいえ、夜劔晶は阿僧祇(あそうぎ)家の陪臣となっていますから」


 陪臣が立てた戦功は、報酬と引き換えにその主家へと返されるのが慣習だ。

 晶がどれだけ頑張っても、今回に限っては戦功の立てようもない。


「私が」


「――咲さんがそれに参加しても、八家だからで流されます。

 それに、」

「咲さまが晶ん教導ち有名な話やさけ。教導の戦功も、阿僧祇(あそうぎ)家に行くだけやろうね」

「法の隙間を衝いた、上手い方法です。特に、時機の狙いが常軌を逸している。

 晶さんを瘴気溜まりで潰せれば良し。できなくとも、咲さんと分断する事で土台を崩せる」


 額に血が昇りかけている咲に、冷静な雪乃が水を差す。

 それに肯いを1つ。嗣穂(つぐほ)は今後の指針を素早く修正した。


「ですが、同時にこれは勝機でもあります」

「殆ど、負け戦に見えとうが?」

「相手は姿を見せませんでしたが、東部の瘴気溜まりの対処には能動的に動かざるを得なくなります。

 そして相手は、晶さんの味方が咲さんだけだと思い込んでいる」


「――奇鳳院(くほういん)家は換算していないのですか」

「私は央都に向かっていますし、洲太守は鳳山(おおとりやま)から動けません。警戒は下げているでしょう」


 攻勢に出る瞬間こそ、最大の隙である。

 相手は警戒しつつも、動かざるを得なくなる。初動の鈍い、此処(ここ)が攻め手だ。


「瘴気溜まりへの強行偵察は、輪堂(りんどう)家が音頭を取って行います。

 咲さんは帰省を理由に名瀬領へと向かってください。そうすれば相手も動きます」

「確実ですか?」

「――八割方、と云った処でしょうか。

 出来なくとも良いのですよ、どうせ本命は何処かで動かざるを得なくなる」

「では、嗣穂(つぐほ)さまたちはどうされるのですか」

「このまま、天領(てんりょう)に戻るのは、芸がないでしょう」


 にこりと微笑みを残し、珠門洲(しゅもんしゅう)の次期洲太守たる少女は立ち上がる。

 状況は大まかに見えてきた。ならば攻めの初手は、相手を増長させる事だ。


 その爪先が、縁側から庭先へと下りる。

 輪堂(りんどう)家の庭に華美なものはなく、謹厳実直ならしい(・・・)ものしか見えなかった。


 苔の群した岩の隙間に、何処からともなく水を求めた紋白蝶の集る光景。

 双眸を細めて、嗣穂(つぐほ)は残りの手段を準備する事に決めた。


「…………相手がツケたなら、私たちはヒクが定石です」

「何ですか、それ」

「囲碁やないですか。谷戸の民ん間で流行っとりましたん、思い出しましたわ」

「ヒクとは、どう云う手番ですか?」


「単純な手番ですよ、読んで字の如く。――盤に石を散らす初手に、良く使われますね」


 懐かしそうに雪乃が語る横で咲は暫く思考を迷わせ、思い付いた有り得ない選択肢に頬を引き攣らせた。


「――――真逆」


 その様子に、嗣穂(つぐほ)は晴れやかに微笑むだけ。

 正解を雄弁に、無言のうちに告げた。

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話はおもしろいんだけど肩書きと現状が大分合わないなー今までただ人の最高位が八家、しかも筆頭になったのに。 しがらみもあるけどこじ開ける権力が出ないからせっかくの地位が肩透かし 任せる家臣がいないせいだ…
いや、無理筋すぎて結果が出たらもう全員連座で腹切り打首物じゃん。 画を描いてる奴は別に思惑があるんだろうけど、これに乗る奴は救いようが無い愚か者過ぎる……。 銃が有れば相手が武力で来ても勝てると…
んー、よく分からん。 八家がこじつけみたいな政治ゲームに何で巻き込まれてるんだ? ましてや晶は八家筆頭なのに下級華族にこき使われる身。 八家が軽んじられてるのでは… 御坐とはいえ、人の世に生きる以上は…
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