3話 赫く水底より、泳ぎみるもの4
人工の怪異。 夜劔晶が口にしたのは、穢レを戦力として流用すると云うものであった。
推測自体は、そこまで突拍子の無いものではない。
方向性としては寧ろ、歴史の中で試行錯誤を繰り返されてきた発想である。
平民にとって、穢レは云わば天災の一種だ。
討滅しても、何れ復活して再び同じ被害を齎す怪異の百鬼夜行など、正にそれだろう。
人為的に百鬼夜行を引き起こして敵を巻き込むのは、寡兵で勝利するための常套手段とも云えた。
だがそれは、
晶の難しい表情を横目に、武藤元高は懐を弄った。紙煙草を取り出し、燐寸で火を点す。
「……難しいぞ。化生を嗾けて百鬼夜行ってなら不可能じゃないが、怪異を創り出してってなると別次元だ」
「だが、そう仮定しないと、説明がつかない」
悩みながら、晶も首肯を返した。
生きた現象とも云うべき怪異は、穢レの中でも厄介な存在だ。
瘴気溜まりを胎に抱える亡者の怨嗟そのもの。創り出すのは疎か、天候と同じく好きに制御できる訳ではないからだ。
それを成せるだけの熱量を可能とせしめるのは、それこそ神柱だけだろう。
神器であっても、ただ人の身には成し得ない。神柱の領分を侵すような行為、そのものだからだ。
「その方法の一端が、この呪符なんだろうと思っている」
「つまり、その蛞蝓とやらは、お前に嗾けるためのものって事か? だとすれば、随分と大仰な手段を持ち出したもんだな」
御井陸斗が、壁に掛けられた時計に螺子を差し込みながら呟いた。
出勤前の、彼の日課だ
「これから警邏の仕事か」
「んにゃ。巡回は夕からの遅番だな。それまでは、撃符を書いて補充する」
「公安は経費で買えるだろ」
「――折角、作成する技術があるなら、活用しない選択肢はないだろうが。
これも修行だ」
「浮かせた経費が何処に流れているかは、敢えて訊かねぇよ」
にやにやと笑う武藤に、弟子である少年は嘆息を返した。
呪符を作成する手順は、兎に角、煩雑だ。
霊力を飽和させた閼伽水に特殊な墨。紙までも含めて一つ間違えれば総てが塵になるため、兎角、神経を削る過程が多い。
憂鬱な表情で居間を後にしようとする陸斗の足が、襖を越えてふと止まった。
「……そうだ。お前んトコの長屋以外を調べてたんだが、今のうちに報告しておく」
「何かあったか」
「逆だ。――何もなかった」
「何も?」
鸚鵡返しに問う晶へ、肩越しに少年は首肯を返した。
文明開化も著しい華蓮への人の流入は多く、長屋も同じほどに多い。
普段なら気にも留めはしないが、長屋1つの住人が丸ごととなると話は別だ。
繁華の裏通りから華蓮郊外に至るまで。警邏隊はここ暫く、総出でこの事態の判明に取り掛かっていた。
その結果、他の長屋にはこの神隠しは起きていなかった事が判明した。
「1人1人ってまではいかなかったがな。郊外から中央まで、虱潰しに全部回った」
「警邏が手を抜いたって可能性は」
「お前も愚痴っていた通り、やる気はなかったな。
けど、人が大勢神隠しに遇ったんだ。治安を預かっている以上、連中も無視はしないさ」
肩を竦める陸斗に、納得のできずとも晶は退き下がった。
文句を云う相手が違う。
それに、晶を狙い撃ちにしていると、確信が得られただけでも僥倖だろう。
「ここ最近は寧ろ、金払いも素直だと、長屋主は揃ってほくほく顔だったな」
「景気の良い話だ」
「華蓮じゃ何処も人手不足だ、日雇いの仕事にも困らん。
確か、今様でも唄っていただろ」
「何処に住めど、華蓮の長屋が、世の春よ~。ってヤツ?」
「ああ。長屋住まいに良いもないような気はするがね」
煙草の燃えさしを指で潰しながら、武藤はラヂオを入れる。
卓上を流れる朝の歌謡に、晶へと視線を向けた。
「その蛞蝓が人工の怪異だと仮定すると、お前を襲ったのは偶然じゃないって事になるな」
「長屋の件と同じ相手か?」
「決めつけるのは危険だが、……恐らくな」
晶の指摘は当然のものだろう。
普段であれば起きないような事態が複数、晶を襲っているのだ。
大勢がいきなり示し合わせて。と考えるよりも、誰かが総てを握っていると考えた方が理に適っている。
「蛞蝓を出した理由は、可能性として2つ。夜劔晶の牽制か、蛞蝓の能力の検証。若しくはその両方か」
「牽制? 俺を殺すのが目的じゃなく?」
「沓名ヶ原の怪異を単独で下した夜劔晶相手にか? ――多分だが、お前は何ができて、何処までできるのかが知りたかったんだろうな」
「自分たちの目的の為に?」
武藤の無言の肯定に、晶は思考を巡らせた。
眼前の陰陽師の見立ては、凡そに間違っていないのだろう。
それが意味する裏の意味。苦く少年は、その意味を舌に乗せた。
「そうなると、あの蛞蝓は向こうにとって多少勁い程度の捨て駒でしかなく」
「背後には少なくとも、同じ程度の雑兵が控えているって事になる」
「……否定してくれよ」
食い気味に肯定され、晶は天井を仰いだ。
蛞蝓自体はそこまで厄介ではない。だが、群れで襲われるとなると話は変わる。
瘴気に滑る強靭な躯体に、大抵の精霊技は無効化。仮令、斃せたとしても、濃密な瘴気で他の穢獣や化生を誘引するオマケつきだ。
あの蛞蝓はつまり戦争をするための、瘴気でできた兵器なのだ。
「だが、これで判った事もある」
「そろそろ、良い話も聞きたいよな」
「喜べ、悪い話じゃあない。――敵の狙いが読めたぞ」
うんざりとする少年の眼差しを受け止め、武藤は口元に嗤いを刻んで見せた。
相手は完璧に姿を隠せていると考えているのだろう。一面に於いてそれは確実なのだが、隠すほどに見えてくるものもあると云うことだ。
「相手は尻尾を掴ませないために、間違いなく無駄な手段は打ってはいない」
武藤は、指を3本立ててみせる。
「判っているだけで、相手の打ち手は3。長屋と蛞蝓。そして最大の手番として、珠門洲東部の瘴気溜まりの解決だ」
「瘴気溜まりよりも、長屋が重要だろうと思うけど」
「この場合、重要になるのは夜劔晶じゃない。向こうにとっての価値。
――恐らく相手は、精々嫌がらせ程度にしか考えていない」
武藤の指摘に、晶は思考を巡らせた。
視野が狭くなっている。
これまで冷静だった心算だが、どうやら思った以上に晶は追い詰められているようだ。
「根拠は?」
「――手間だろ」武藤の代わりに、奥間から陸斗が声を投げた。
「相手はお前を排除したいが、洲太守とまで遣り合いたい訳じゃない。この中で最もそうなってしまう可能性が高いのは、院家に直接意見を通した時だ」
「そうだ。……が、陸斗。お前はさっさと呪符を書きあげろ」
「へいへい」
耳を欹てていたのだろう。弟子の余計な茶々に、武藤は目頭を押さえた。
だが、その指摘は正しい。武藤は陸斗の言葉尻を続けた。
「珠門洲東部の瘴気溜まりは、持ち出すにも大きいお題目だ。奇鳳院家も渋るだろうが、却下しにくいほどにな」
だが、通れば誰もが。奇鳳院家すら黙らざるを得ない、有効な手番でもある。
「相手はここに、夜劔晶を捻じ込んだ。奇鳳院家に露見するのも覚悟の上で、無理矢理に。
――どうやら向こうさんは相当に、お前が華蓮に居座られるのが厭らしい」
「嫌われたもんだ。蛞蝓はどうなる?」
晶の視線に、軽く武藤は肩を竦めて返した。
暴れても潰しても厄介しか残さない瘴気の兵器は、運用できる局面が限られる。
つまり、
「自分なら、珠門洲東部で待ち構える。瘴気溜まりの中なら、被害が出ても誤魔化せるからな」
「そうか」
「蛞蝓の兵器を造れて、洲議を動かせる。少なくとも相手に権力と財力がなければ、説明がつかん。
――敵に心当たりは有るか」
「一応、2つある」
少年の意外な返事に、公安の陰陽師は片眉を上げた。
晶への妬み嫉みは数あれど、ここまでされる心当たりはないと思っていたからだ。
だが、思い当たる可能性があるならば、大きな手掛かりになる。
「訊こう。何処だ?」
「1つは、央都旧家の御厨家。……それともう1つは、前八家第一位である雨月家だ」
「確かに、雨月家ならここまで恨まれる理由にはなるだろうな。
……だが、それは無理筋じゃないか」
晶が神無の御坐である事。そして雨月家の出身であることは、機密を護る立場から武藤も知っている。
その繋がりから、雨月家の近況も知っていた。
先の荒神堕ちから怪異の騒動で止めを刺され、雨月家の郎党は殆ど残っていない。
辛うじて残った子弟たちも、玻璃院が立ち上げた海軍に入隊したと聞いている。
家門は根こそぎ浚われて、余勢を駆れるほどに人財も残っていないのが現状だ。
「……残るは旧家の御厨家とやらだが」
「家門としちゃ零落れている。けど、当主の御厨弘忠は健在のはずだ」
そう告げて、晶は大きく伸びをした。
言葉にして、漸く晶の中で何かが腑に落ちたからだ。
少年の落ち着いた様子に、武藤は僅かに呼気を吐いて立ち上がった。
「先ずはそっちを当ろうか。――晶」
「応」
「山狩りの後だ、少し休め。やる事はまだ多い」
武藤の問いに、晶は肩を竦めて無言で肯いを返す。
青天に掛かる陽は未だ高く、春の麗かは静かに降り注ぎ続けていた
TIPS:御井陸斗
書籍版の妖刀事件から参加。
妖刀事件そのものはweb版の時点で構想は有ったが、これを入れたら結構話数が増えてヤバいと気づきモブに落とされた可哀想な経緯がある。
web版の護櫻神社での会話は、実はその名残。
ご先祖様は中位精霊遣いの陰陽師だが、実力から華蓮の陰陽省に招かれた歴史がある。
御井家の祖は、久我家の前身である周々木家の陪臣だった。
当時のお家騒動の煽りを受けて、華族から追いやられた歴史を持っている。
家門秘伝の呪鎖による不動縛呪を得意とする。
威力は高く、精霊力に耐性を持つ大鬼ですら縛る効力を持つ。
現在は公安の武藤元高の下で、陰陽師の修行中。
寧ろ、警邏隊の下っ端として走り回る生活が多いと、不満頻りだったりする。
読んでいただきありがとうございます。
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