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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
六章 塞道回峰篇
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3話 赫く水底より、泳ぎみるもの3

 明けて翌日の早朝。夜劔晶と輪堂(りんどう)咲の姿は、1区の住宅街にあった。

 漫ろ歩く少年たちの傍らを、威勢良く魚を積んだ大八車が駆けてゆく。


(とと)さ! 鮒に鯉は要らんかね。朝に上げたから、活きは良し」

「こっち、お()れよ! 鯉を2尾で」

「へぇい御大尽だね。――新鮮な奴は、早い者勝ちだよ!」


 聞えよがしな煽り口上は、周囲の家住まいに向けた宣伝だろう。

 磨りの硝子窓が、がらりと開く。溢れる炊事の湯気越しに、女性たちが口々と朝売りの魚屋(ととや)を呼ばう。


 賑やかに競り合う大八車に、晶は煤けた隊服の懐を弄った。

 ちゃり。主婦たちの喧騒に、銭貨の鈴鳴る囁きが重なる。


「……鯉か。1尾買っていくかな」

「武藤殿へのお土産?」

「うん」


 主婦たちからの注文が一段落するのを待ち、晶は人差し指を上げた。


 少年の背で(ひるがえ)る羽織を見て、驚いたように魚屋が手を止める。

 それでも何も云うことなく、手にした大振りの鯉を新聞紙に包んだ。


「昔、セツ子さんが焼いてくれたけど、苦いって事しか憶えてない」

「泥抜きをしてなかったんだな、それは」


 愚痴る咲を気の毒そうに、少年が視線を巡らせた。


 鯉と云わず、川魚の下処理は面倒臭い。特に悪食の鯉は、内臓に溜まった川の濁りを取り除く必要がある。

 それでも食いでのある鯉は、比較的庶民にも手を伸ばし易く人気の魚であった。


 やや大振りの鯉を受け取り、晶たちの歩みが再開する。

 早朝の喧騒はそこかしこから。朝餉の良い匂いが、少年たちの帰る足を少しだけ急がせた。


 ♢


 咲と別れた後、晶は武藤の屋敷へと帰り着いた。

 ガタつく裏の引き戸を開き、三和土を越えて土間へと向かう。


「よ、帰ったか」

「応。これ、土産の鯉」

「良いじゃん、値が張ったろ」

「でもない。羽織を見て、気を利かせてくれたらしい」


 奥座敷から顔を覗かせた御井(みい)陸斗(りくと)が、新聞紙からはみ出た黒い尾に感嘆を上げた。

 俎板に鯉を寝かせて、鰓から包丁を刺し込む。内臓と黒く濁った血を棄て、生薬となる清血を別ける。


 燻る釜の上に開いた鯉の身を吊り、晶は座敷へと上がった。


 朝餉は終えていたのだろう。新聞紙を捲っていた武藤元高が、腕時計の盤面を覗き込んだ。


「随分と遅かったな。山狩りとはいえ、時間を掛けすぎじゃないか?」

「山狩りはな。ただ、これまでになかった事態が起きて、阿僧祇(あそうぎ)隊長を呼ばざるを得なかったんだ」

「――何があった?」


 何とも云いた気な少年の様子に、武藤は読みかけの新聞紙を畳んで脇に置く。

 その正面に腰を下ろし、晶は朝餉の乗った盆に手を伸ばした。


 昨晩の山狩り自体は、成功の裡に終わったと評価して良いだろう。

 晶と咲が討った主が2匹に、隊長代理の真桑が掃滅した(いのしし)の主とその群れ。瘴気濃度も常より低い数値で落ち着いたから、今後数ヶ月は妙覚山の穢獣(けもの)呼吸(いき)を潜めるはずであった。


 晶たちが討った主の戦功も真桑に譲った為、大方の予想通り、真桑が第8守備隊の次期隊長となることは確定したと云ってもいい。

 誰にも文句のつけようがない、理想的な着地点を図れたはずだ


 ――ただ、蛞蝓の化生について、扱いが非常に難航した。


「死骸が発見できなかった?」

「ああ。爪や皮膚、粘液の欠片まで。痕跡って云えるモンが、一切。

 残っていたのは、高濃度の瘴気が森を腐食した跡だけだ」

「それで、どうなった」

「終わりだよ。

 痕跡はあるし、俺と咲に嘘を吐く理由は無い。消去法で本当だと結論は貰った」


「――嘘吐け。何か見つけてなけりゃあ、お前が歯切れ悪く話す理由にはならねえだろ」


 晶の脇で新聞を眺めていた陸斗(りくと)が、鼻を鳴らして会話に加わった。

 味噌汁の椀を傾け、晶は鰹節と味噌の薫りを干してみせる。


 鰯の丸干しを頭から齧りながら、隊服の懐から取り出したものを卓上へ置く。

 それは半ばまで黒く燃え尽きた、一葉の紙片であった。


「痕跡がないのは予想していた」


 何しろ、蛞蝓を神器で斬った途端に、消し飛んだのだから。

 呆気ない。蛞蝓が弾け飛ぶ瞬間の光景が、脳裏に鮮烈と蘇った。


 莫大な瘴気が粗方を腐食し尽くし、火行(浄滅)の神気が残る総てを浚ってゆく。

 辛うじて掴めたのは、夜闇に踊る燃えカスだけだ。


「残ったのは、これだけだ」

「…………呪符か?」

「初めて見る構成だけど、幾つか読めたものもある。

 オン、ケンバヤ……荒御魂を封じる補助文法だな。回生符で能く行使(つか)う」


 覗き込む陸斗(りくと)が、細かい真言に頬を引き攣らせた。

 及び腰に距離を取ろうとする青年の襟首を、武藤が掴んで引き戻す。


「ぐぇ」「――お前は見ておけ。何のための弟子だ、全く」

「公安?」「陰陽師だ、馬鹿モン。秘技の縛呪だけ、馬鹿の一つ覚えに行使しやがって」


 慎重に燃えカスを眇める武藤の横から、首を(さす)りながら陸斗(りくと)も覗き込んだ。

 燃えて文字が半分黒ずむ部分を、指で示す。


「回生符って事は、練兵か正規兵の行使した残りって可能性(セン)は」

「ない。全員に配給されている分は、使用報告の徹底と残数を確認している」


 陸斗(りくと)の推測を否定で断じ、晶の眼差しは武藤へと向かった。

 陰陽師としての知識はそれなりに在るが、晶のそれは飽く迄も金策を立てるための符術師としてのものに限定されている。


 より広範な知識を求めるなら、専門のものに任せるのが一番だ。

 晶の知る限り眼前の武藤元高こそ、その分野に長じた1人である。


「俺は真言を総て網羅している訳じゃない。だが、専門家の武藤元高(アンタ)になら、別の知見を貰えると期待している」

「界符は書けないんだったか」

天領(てんりょう)学院でそれらしい記述は見たけど、一朝一夕で構造までは流石にな」


 少年の素直な申告に肯いを浮かべ、武藤は紙片に連ねられた文字に指を添わせた。


 タラクソワカ(宝見)バロダヤ(水天)、辛うじて残った真言も少なく、専門であっても大して情報は見つからなかった。


「七曜に計都。真言の核は燃え尽きたんだろうな、ここにあるのは補助か格の低いものばかりだ」

「肝心な部分は消えたって事か。お手上げだな」


「でもない」お道化て両手を上げる陸斗(りくと)を小突き、練達の陰陽師は身体を乗り出した。

「大型の蛞蝓の(ケガ)レってだけでも初見なのに、この呪符だ。誰かの仕込みは間違いないだろうな」


「……何処で見つけて如何やって、ってのが問題なんだろ」


 結局は問題が終わっていないと、額を庇いながら零す陸斗(りくと)を余所に、晶は腕を組んだ。


 蛞蝓の化生と仮称こそしたが、その正体については晶にも自信はない。

 外見こそ蛞蝓だが、その躯から6つの隆々とした肢が生えていたからだ。


「蛞蝓は腹足だから肢なんて必要ないはずなのに、あれは6つも肢が生やしていた。

 しかも肢は、骨格が必要になる形状に爪まで備えるオマケつきだ」


 鹿(しか)や虎に爪が備わっているのは、疾走く移動する為である。

 昆虫を除き生命の多くが四肢で在るのは、必要以上あっても無駄になるからだ。


 生命の形状には総て理由がある。

 不必要に生体の器官が増えた処で、便利よりも不便の局面が多くなるからだ。


 それは、個で生きざるを得ない生物にとって、生存に直結する致命的な弱点である。


「蛞蝓の化生は、一瞬で消えたんだったな。――沓名ヶ原(くつながはら)の怪異と同じで骨も遺さずに(・・・・・・)

「そうだ」


 晶が悩んでいる点こそ、正に武藤の指摘通りであった。


 怪異とは嘗て在った怨念や憎悪が、瘴気溜まりを呑み込む事で成立している。云わば、生きた現象そのものだ。

 飽く迄も生物である穢獣(けもの)や化生と違い、浄滅すれば一切の痕跡を残さずに消えてしまう。


 確かに、晶の目にした蛞蝓は怪異とするには余りにも弱い。

 それでもその在り様は、生きているというより、動き回る現象だと表現した方が余程にらしかった。


「だから、可能性を1つ考えた」

「ほう?」


 余りにも外法な想像であったから、咲は疎か厳次(げんじ)にすらこの想像は告げていない。

 だが、陰陽術の深淵を知る眼前の公安には、可能性の1つとして伝えておいた方がいいだろう。


「陰陽術の秘奥の1つに、式神ってのがあるよな。精霊を封じて、使役するヤツ」

「あるが、それは無理筋ってものだぞ。

 基本は監視や連絡用だし、達人でも呪殺が精ぜ、……おい、真逆」


 そこまで口にして、武藤は漸く表情を変えた。


 例外を思い出したからだ。昨年の長月(9月)に、百鬼夜行と警告して顕れた陰陽師の成れの果て。滑瓢(ぬらりひょん)を牽制し得る打開策として、夜劔政尚は己と式神の死を利用して怪異と成ったと云う。


 例外はある。つまり裏を返せば、不可能ではないという事実も意味しているのだ。


「俺はあれを、式神の原理を利用した人工の怪異だと思っている。そう考えたら、あの蛞蝓の六つ肢も説明がつくんだ」


 より昏く、より陰湿に。人の悪意が、赤黒い瘴気の底でこそ健やかに育つように。

 晴れた早朝の雀が囀る窓の奥で、晶はそう呟いた。


 ♢


 ふんふんと鼻歌を口遊み、今様の洋装に袖を通した少女が繁華の街路を漫ろと歩く。

 その足を追って、同じく洋装を着込んだ少女が歩みを早めた。


「これから何方(どちら)に向かう心算(つもり)ですか」

「久んぶりの華蓮(かれん)やさけ、珍しい水菓子の1つもと思ぅてな。以前(まえ)(ちご)ぅて懐が温かいん、頼もしいわ」

「甘露でしたら、1区の葦切り餅がお勧めですよ」

「あっちは御菓子処とか、お高ぅとまっとるけ。うちん目当ては、苺か旬の瑞々しいんや」

「そんなものですか」



 バタバタと蒸気機関も騒がしく、排煙が風に流れてゆく。

 硝子越しの向こうでは、忙しく人が走り回る光景が見えた。


 誰も少女たちを気にするものはいない。

 それも当然だ。少女たちの服装はありふれたものであり、気取らない程度の帯で飾ってあるだけなのだから。


「そう云えば、雪乃さん。随分と隠形が上手ですね」

「谷戸ん瘴気の澱を抜けた昨年を思えば、如何ほどもあらんで。

 ――主家さま。今更ですが、図々(ずず)しいん口振りは平にご容赦を」

「ふふ。側役同士、気にするものも無いでしょう。

 とは云え、お返しに雪乃さんと呼んでも良いですか」


 振り返って謝罪する夜劔雪乃へと、射干玉の長髪を軽く結った少女は口に手を当てて微笑んでみせた。


「……やけん、随分といい加減なもんやの。

 (うぬ)れらの上が脇を過ぎようてからに、誰かしらん気にも留めんち」

「隠形とはそう云うものですよ。気にしなければ、そこには存在しません。

 衣服を変え多少髪飾りを調えただけでも、人の印象は大勢に埋没します」

「はぁ、そんなもんですか。――さては、お忍びと称して繁華で遊んでいましたね」

「さあ? どうでしょう」


 くすくすと咽喉(のど)を鳴らし、奇鳳院(くほういん)嗣穂(つぐほ)の肩が雪乃と並んだ。

 桜色の唇が、潜めるように言葉を紡ぐ。


「……陰陽省謹製の隠形ですが、基本原理が同じである限り弱点も同じです。

 最低限、名前には注意してください。――新川(・・)雪乃さん」

「判っとります、名張和音(・・・・)さん」


 新川(にいかわ)雪乃。

 それは、夜劔雪乃が忍んで行動するに際し、奇鳳院(くほういん)紫苑が用意した仮の身分であった。


 新川(にいかわ)家は、鳳山(おおとりやま)の麓裏に位置する閉じた神社を護る巫女の家系である。

 氏子として関わる地域のものも少なく、家族構成すら知る者は限られた家門だ。


 遠縁が1人、巫女修行を称してその地に逗留しても、気にするものはいない。


 奇鳳院(くほういん)嗣穂(つぐほ)央洲(おうしゅう)への帰還に伴い、側役である新川(にいかわ)奈津(なつ)の代理として、新川(にいかわ)雪乃が側役の名張和音(奇鳳院嗣穂)と暫く行動を共にする。


 最強の手札とも呼べる少女たちは静かに、そして絢爛に行動を開始した。




「――手土産と聞きましたが、誰に持っていく心算(つもり)ですか?」

輪堂(りんどう)の御息女にです。華蓮(かれん)に逗留されとうと聞きまして」

「それは又。何故? とお聞きしても」


 それは勿論。何の関係もないはずの、顔も合わせたことのない少女は悪戯な笑みを浮かべてみせた。


「御成婚されたち、八家家門に伺うんは本家当主としての務めやさけ」

読んでいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
ほんと身内のゴタゴタは雨月の件の後始末として、神様方主導で精算しといてくれよとしか言いようがないよな〜。 神を2柱も退けてる晶くんに融通を利かせられないとか、華族の存在価値とかもう無いでしょうよ…。
雪乃さん かなりクセ強キャラっぽいですね…。 波乱(女の戦い)の予感しかしません(嬉)
なろう版しか追っていないことを指摘されたらそれまでかもしれませんが、 単行本版?に出てくるキャラクターやお話を取り入れられていると、 誰が何で何があったのかがまったくわからずついていけません。 キャラ…
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