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泡沫に神は微睡む  作者: 安田 のら
六章 塞道回峰篇
230/233

3話 赫く水底より、泳ぎみるもの1

 黄と赫と。変色した木の葉が舞い、瘴気が妙覚山の山肌を舐めてゆく。

 ざあと木立の新緑が戦慄き、季節外れの病葉(わくらば)が一斉に朽ち堕ちた。


 赫く輝く闇の底で、白と黒に彩られた小山の如き蛞蝓の巨躯が悠然と蠢く。

 感情を持たない柄目が、それでも確かな意思を宿して晶たちを捉えた。


 戦慄くように僅か、悍ましい体躯が身を低くする。


「避けろ!」「――うんっ」


 攻撃の予兆に、夜劔晶と輪堂(りんどう)咲の呼吸(いき)が交差。紅と(すみれ)の精霊光を残して、2人は左右へと跳躍した。


 次瞬。(ケガ)レの巨躯が跳ね、月下の下へと躍り出る。

 残炎を軌跡に駆ける少年は肩越しに、華宵に露わとなったその異形を視界に収めた。


 その巨躯はどう見ても、蛞蝓のそれ。だが、脇から生える隆々とした六つ肢が、その印象を全て裏切っていた。


 肢と書いたが、軟体や昆虫のそれではない。人の手足を想起させる形状のものに、(ぬめ)ついた青白い鉤爪を備えている。


 正者の倫理を(わら)うような(マガ)ツの産物が、頭から地表へと落ちてきた。


 ――見た目に騙された。

 これは、晶たちの良く知る蛞蝓の速度ではない。


 地を蹴立てて急停止し、晶は丹田から精霊力を練り上げた。

 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、中伝――。


十字野擦(じゅうじのすり)!」

 ―――■■ッ!!??


 吼える声と共に、少年の太刀が舞う。

 焔が渦巻き、墜ちてきた(ケガ)レの顔面へと十字に火閃が奔った。

 爆炎、轟音。堪らず、蛞蝓の頭部が()()る。


 生まれた刹那の間も赦さずに、晶は下弦の構えへと太刀の刃を返した。

 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)連技(つらねわざ)、――乱れ三毬打。


 ―――■■■!! ■■? ■■!!?


 少年の太刀を中心に、幾重にも爆炎が踊り狂う。

 痛覚があるのか、それとも本能か。直に浄滅の炎に爆ぜ灼かれ、蛞蝓の悶えるさまが晶の視界に映った。


「咲! 脇から回り込めっ」「――判った!」


 阿吽の呼吸(いき)で咲が応え、大きく回り込むように弧を刻む。

 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、初伝、――現神降(あらがみお)ろし。


 少女の体躯が刹那に加速。(すみれ)の精霊光が尾を曳き、蛞蝓との間合いを詰めた。

 狙うは、胴体から生えた六つ肢。滑るように中段から、全力の平突きを一気に突き込む。

 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、中伝、――啄木鳥徹(きつつきとお)し。


 収束する爆炎の刺突が、(ケガ)レの前肢へと直撃。隆々とした前肢が肘を逆にくの字へ折れ曲がり、そのまま爆炎を振り払った。

 ――無傷。


「効いてない!?」


 颶風(ぐふう)を伴う一撃を転がって回避し、咲は吃驚を漏らした。


 啄木鳥徹(きつつきとお)しは、奇鳳院流(くほういんりゅう)の中で最も突破力に優れた精霊技(せいれいぎ)である。

 防御は本質的に関係ない。連続する爆炎そのものが、対象の表面を液化して穿つからだ。


 無傷とは云え、癇には触ったのか。蛞蝓の腹足が波立ち躯体を大きくうねらせた。

 触覚から伸びる柄目が、ぬめりとした感情のまま咲を注視した。


 精霊技(せいれいぎ)を放った直後の隙、咲は動けない。だが動揺もなく、少女の視線は蛞蝓の背を越え、

 ――月下の夜天へと視線を向けた。


 華宵を透す仄蒼い月暈の下、浄滅の紅を宿した少年が跳躍する。

 甲種精霊器の太刀から精霊力の尾を曳いて、少年はその一撃を叩き墜とした。

 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、止め技――。


石割鳶(いしわりとんび)!!」―――■■■■■!!!


 少年の号声と声なき(ケガ)レの抗いが交差。直撃の寸前に、蛞蝓の躯体そのものが逆に折れ曲がった。


 蛞蝓の頭部から上腹までが、墜ちる熱量の前に露わとなる。


 大方の生物にとって、内臓から皮一枚を隔てた腹部は護るべき弱点のはずだ。

 蛞蝓の意図も掴めぬまま、それでも晶は構うことなく炎の一撃を叩き墜とした。


 ――どぱり。そうとしか云いようのない粘質の音を立てて、蛞蝓から赫く汚液が溢れた。


 じゅうり。灼熱が触れたと同時、腐臭と共に汚液が沸き立つ。

 熱量は疎か、衝撃すらも呑み込んで、汚液の大半が周囲へと飛散。残った汚液を越えて、少年の太刀は蛞蝓の頭部へと到達した。


 威力に割り振った石割鳶(いしわりとんび)が無効化されたのは驚いたが、太刀が生身に到達したならやりようは幾らでもある。

 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、中伝――、


 じゃりぃ。精霊力を太刀に注ぎ込むべく晶が柄を握り締めると、異様な手応えが返った。

 硬いというより、砂に刀身を包まれたかのようなそれ。


 手元を見下ろすと、(やすり)のような肉質が太刀の切っ先を包んでいるのが見えた。

 生物であれば、それは口の部分。


「食性まで、蛞蝓かよ!?」

「晶、逃げて!」


 蛞蝓は消化液を吐いて、溶かしたものを舌歯でこそげ喰らうと云う。

 刀身を引き抜こうと力を籠めても、しとどに削れる感触だけ残して、蛞蝓は太刀を放そうとしない。


 咲が警告を放った次の瞬間、蛞蝓は頭部ごと勢いよく、晶を地面へと叩きつけた。

 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、初伝、――現神降(あらがみお)ろし。


 常人であれば地面の染みと変わる衝撃を、少年は強引に足から耐え抜いた。

 少年の足を中心に地面が(ひび)割れ、余波で羽織が背に踊る。


 蛞蝓の勢いを利用して太刀を引き抜き、晶は迷いなく距離を取った。


「大丈夫!?」「……太刀はあの世に行った」


 先細りに目減りした刀身を鞘に戻し、蛞蝓の(ケガ)レを()みつける。

 向こうも警戒しているのか、蠢くばかりで積極的に距離を詰める様子は見られなかった。


 ――ある程度の、知能はあるらしいな。


 ガタつく納刀の感触越しに、その太刀が限界に近いと、晶は思考の片隅に浮かべた。


精霊技(せいれいぎ)を無効化。あれ、本当に化生(中位)なの?」

「瘴気濃度は85。高濃度だけど、瘴気溜まりを呑み込んだほどじゃない。怪異(上位)なら、もっと出力が出鱈目だ」


 2人肩を並べ、油断なく蛞蝓を観察する。

 (ケガ)レの能力は大方に理解がついた。問題はその厄介さだろう。


「骨格は無い。肢に見えるのも、ただ生前(・・)の記憶を模倣しているだけ。

 その肢で跳ねる事はできるが、本質的には蛞蝓のそれだ」

「軟体だから、躯を半分に折ることができるのね」

「厄介なのはあの粘液だな。高濃度の瘴気でできているから、大抵の精霊技(せいれいぎ)は届かない」

啄木鳥徹(きつつきとお)しも石割鳶(いしわりとんび)も無効化されるなら、打つ手はないんじゃない?」

「……いいや。瘴気溜まりを呑み込んでいないなら、遣りようは有る」


 言外に撤退を匂わせる咲の意見に、晶は頭を振った。

 怪異が強大とされている所以は、その体内に瘴気溜まりを吞み込んでいるからである。

 瘴気溜まりとは、瘴気に堕ちた風穴そのもの。怪異はつまり、無尽蔵とも云える瘴気の塊だからだ。


 眼前のそれがそうではない以上、瘴気のそこに限界は必ずある。――加えて、


「躯総てを瘴気で覆って、更に撒き散らしている。怪異の真似事でこれだけ無駄遣いしているなら、今でもかなり消耗しているはず」

「はずでも何でも、晶の見立てを信じる。

 最悪、神器もあるし。……期待して良いのよね?」

「ああ。手間取って、人目が集まる方が悪手だ。今のうちに、一気に畳み掛けるぞ」

「上等!」


 短く少年たちが打ち合わせた直後、(ケガ)レが大きく巨躯を波打たせた。

 滑ついた体表を中心に瘴気が地面を覆い、茫漠と六つ肢が瘴気を蹴立てる。


 赫い輝きを昏く裂き、小山の如き巨躯が瘴気の浅瀬を泳ぐ。

 素早い。その思考を置き去りにして、晶と咲は(ケガ)レを両脇から挟み込んだ。

 奇鳳院流(くほういんりゅう)精霊技(せいれいぎ)、初伝――。


「「――雲雀突き!!」」


 奇鳳院流(くほういんりゅう)最速の一撃が、左右同時に(ケガ)レを襲う。

 どれだけ軟らかくとも、左右から圧し潰されれば、逃げる場所はない。


 ―――■■■■!!


 蛞蝓の体躯が縦に(ひしゃ)げる。体液の代わりに、瘴気の粘液が体表へ溢れ出した。

 刃零れも(いちじる)しい晶の刀身に、紅く(ケガ)れた汚液が垂れる。


 その瞬間に限界を迎えたのだろう。

 ぽき。何とも云えない脆音を残して、晶の刀身が麩菓子の如く折れた。


 予定通りの結果に、晶は虚空へと掌を差し伸べる。

 (ケガ)レ越しに遠ざかる咲の気配。後顧の憂いなく、晶は心奧に納刀められたその柄を握り締めた。


絢爛(けんらん)たれ」


 解き放つは、日輪を遊弋(ゆうよく)する鳳の玉体。

 少年の掌から朱金の神気が溢れ、地を覆う赫を塗り祓う。


 一歩。己の消滅を理解したのか、眼前の(ケガ)レから慄く気配が伝わった。


「――寂炎(じゃくえん)雅燿(がよう)


 逃げ場所など与えない。浄滅の極致たる刀身が、容易く蛞蝓の皮膚を切り裂いた。


 ―――■■■■!!! ■■■■!!? ■■、  、 、


 次瞬。それまでの抵抗が嘘のように、蛞蝓の巨躯が弾けるように消し飛んだ。

 痕跡など、何も残っていない。その唐突な終わりに、少年たちは呆気にとられた。


「え? 終わり」「……かな」


 瘴気の残り香が漂う向こうで、拍子抜けに肩を撫で下ろす咲が見える。

 困った表情で応じる晶は、それでも油断なく木立の向こうを睨んだ。


 陰陽計を眇め見る。急速に下がってゆく針は、やがて通常よりも低い数値で落ち着いた。


 どうやら、今夜はこれで終わりらしい。

 釈然としない感情を抱えたまま、少年は踵を返した。


 かさり。足元で微かに、乾いた何かを踏む音。何となしに手を伸ばし、少年はそれを抓み上げる。


「………………これは」


 掌中(たなごころ)に僅かと残ったそれを見下ろし、晶は苦く呟いた。


 ♢


 ―――……■■■!!? ■■、  、 、


 妙覚山から吹き付ける声なき颪に、第8守備隊の隊長代理である真桑は陰陽計から視線を上げた。


「終わったな、……予定通りだ」

「隊長。本当に宜しかったのですか? 一歩間違えれば、背反行為に取られかねませんが」

「構うな。衛士殿は古巣が大切らしいからな、俺はその意向を汲んだだけに過ぎん。

 手を下したのも向こうなら、我々に疑われる余地などない」

「であれば、宜しいのですが……」


 気遣いにも動じることは無い。真桑陣伍の泰然とした姿勢に安心したのか、部下も云い募る事なく退き下がった。

 幕下を潜り、月下の灯りへと己の影を落とす。


「御大の見立てが確かなら、数体程度は此方に流れるはずだ。そいつを狩れば、普段よりも大きな戦功が望める」

「済んだこととは云え、あれ(・・)が此方に流れれば、その比では済まない被害になりますが」

「その辺り、御大には自信があった様だ。言下に否定されておられた」

「実戦投入の序でに、此方が始末されていた可能性もありますが」

「君には、我々の予定を総て伝えたはずだが?」


 背に付き従う部下を、真桑は冷ややかに見下ろした。

 危ない橋を(わた)っている自覚はある。だが、それでも抗いきれない魅力が、向こうの提案にはあった。


「その通りにあります」

「なら、黙して従え。最終的に切り捨てる心算(つもり)でも、必要と思っている間は協力してくれる」


 腕組みをして、真桑は視線を山頂へと向けた。

 その気配は察せたのだろう。部下からも、それ以上の抗弁は上がらなかった。


 ざあ。瘴気交じりの風が、木立の奥から(そよ)(わた)る。


「来たな。――砲兵、銃列を組め」

「銃ぅーー列っ、構えェっ」


 真桑の号声と共に手旗が振られ、一糸乱れぬ動きで正規兵たちが隊列を組む。

 手にした長銃(ライフル)が銃口を擡げ、平行に並んだ。


 直後。(いのしし)が数十頭、転がるように斜面から現れる。

 腐臭と共に瘴気が靡き、その先頭で(いのしし)の主が凶声を吠えたてた。


 ―――()イイィィィッッ!!

(ヌシ)か。予想外だが、これは戦功が捗ってくれるな」


 欲得尽いて歯を剥き出しに(わら)い、真桑は挙げた手を振り下ろす。


「――撃てェェェッッ」


 直後、幾重にも銃声が鳴り響き、(いのしし)左右(・・)から砲火が交差した。

 部下の(ひるがえ)す合図に従い、長銃から火閃が迸る。


 効果は絶大だった。闇夜を裂く銃火の線が交わり、歪に生まれた四角の中で穢獣(けもの)の影が棒立ちとなる。


 銃砲が鳴り響いたのは、恐らく1分にも満たない間だったろう。

 砲火が鳴り止む頃、動いている穢獣(けもの)は残っていなかった


「銃列を組み、火線を線として殲滅させる()を構築する。

 キリングゾーンとか云ったか? 西巴の知識も中々に侮れん」

「お見事に御座(ござ)います、真桑隊長」

「世事は不要らん。とは云え、この結果なら、御大にも満足いただけるだろうさ」


 くつりと、湧き上がる愉悦に咽喉(のど)を鳴らし、真桑は沈黙を思い出した空間を闊歩する。


 真桑は暫く歩き、(うずたか)く積む死骸の前で立ち止まった。

 気付かれたと理解したのだろう。熱と死臭に紛れていたその気配が、死骸の底からゆっくりと立ち上がった。


「流石に(ヌシ)と云うだけある。しぶとさは一級品だな」

 ―――()、 、 、()ォ、 、 ォ。


 (いのしし)の主だ。鼻面から銃弾を受けたからだろう。

 左右から銃火に曝されて、躯から血潮が溢れている。


 血走る凶ツ眼は息も絶え絶えで、四肢で立っているのも漸くの様相を呈していた。


穢獣(けもの)風情に贅沢な末路だが、正々堂々と頸を墜としてやる。

 じっとしていろよ? ゆっくりと、丁寧に、――最後まで苦しんでくれ」


 にこやかに(わら)いながら、真桑は太刀を引き抜いた。

 見せびらかすように精霊力を籠め、己の胴体ほどもあるその頸へと突き立ててゆく。

 飛沫(しぶ)く血のそのままに、喜々と真桑は刃を(ひるがえ)した。


 (いのしし)の苦鳴が絶えるまでのかなりの時間の後、真桑は刀身を血振い立ち上がる。

 その光景に何も思わないのか、部下も砲兵も意見を舌に乗せることは無い。


 ただ静かに、撤収の準備を始めた連中たちを見渡して、真桑は漸く山頂を見上げた。

 事態の終息を受けたのだろう。合図の笛が、そこかしこから上がり始めていた。


 余人に聞こえぬよう、咽喉(のど)が鳴る。


「精霊などという時代遅れに縋る、人がましい奴ばら共。誰がその足元で支えているのか、いま一度思い出させてやる」


 己もその恩恵に与っているという現実を都合よく忘れ、真桑は大きく両腕を広げた。



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― 新着の感想 ―
国外の武力を使ってクーデターですかね。 道化師はいらんのだが。
内憂外患、獅子身中の虫 なんか偉そうに言っていても実態は立身出世できない不満をぶつけているだけ 良いように外国勢力に踊らされていますね 阿僧祇隊長が真実を知ったら激怒するぞ
これも神無の御坐の情報を広めてない弊害かね。 精霊の加護が無いと次代がどんどん減っていくって言う情報まで一般人には伝わってないとすると、黒幕はまた諸外国か。 龍脈に神無の御坐と言う最大のアドバンテ…
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