1話 違和は浸む、薄皮一枚を隔てた向こうで1
先に謝罪を致します。
今話ですが、書籍版の設定を引っ張っています。(と云うか、それがベースです)
ごめんなさい。
書籍版を未読の方向けに、どこかのタイミングで人物詳細を上げます。
申し訳ございません。
夜劔晶がその事実を認識したのは、華蓮へ帰還した2日目の事。
阿僧祇厳次との仕合を終えた晶は、そこで漸く違和感に気が付いた。
並ぶ掘立の板戸が一陣の春嵐に佐々鳴り、やがて静かになる。
長屋へと帰り着いた晶を迎える、冷え切った人の気配であった。
時刻は羊の刻に入った昼下がり。長屋の住人が少ないと云っても、この時間帯に誰も居ないというのは流石におかしい。
――違和感はあった。
昨日に帰って来てからこの方、長屋で誰とも顔を合わせていない。
平日の昼下がりと云っても、暇を囲う長屋連中なら、誰かしらは井戸の辺りに屯している時間である。
特に、長屋主であるオ婆は目が悪い。野菜売りの場合を除けば、この時間は大抵、長屋前で煎餅を売っているはずだ。
その事実に思い至り、急いでオ婆の部屋に続く板戸へと手を掛ける。
がらり。音を残して戸が開いたその向こうには、僅かな家具と無人の闇が広がっていた。
急いで周辺の部屋を確認して回る。
夫婦住まいの処から、日雇いで長く留守にしがちな独り身の所まで。その総てで、少年を出迎えたのは無人と変わり果てた暮明であった。
皮肉にも人の気配が残っていたのは、奥の片隅にある晶の部屋だけ。
晶は迷うことなく踵を返し、長屋から駆け出す。
乾いた砂埃が後塵を舞い、やがて浚うように消えた。
♢
警邏隊が晶と共に長屋に到着したのは、それから凡そ1刻半の後。
鬱陶しそうな表情を隠そうともせず、片手で足りる人数が長屋の周囲へと散っていった。
その後に続く少年ともう1人が、門の前で互いへ向き合う。
「何時、状況に気が付いた?」
「昼過ぎ辺り。けど、違和感なら昨日に帰った時」
「1日とは、随分と間が開いたな」
「帰ってきたばかりで急いでいて、思い至らなかった。その時は、春の山菜採りかと……」
「つまり最近どころか、数ヶ月って可能性もある訳だな」
深刻そうに肯う少年に、腕組みをしながら武藤元高が嘆息を漏らした。
長屋から人がいなくなり、晶が最初に頼った相手が公安の武藤元高であった。
公安は、洲の治安を与る官憲の中でも、職務内容が明確にされていない。
近代化による政務の複雑化に伴い、細分化された権力を掣肘する為の必要悪。端的にその正体を評するならば、法を外れた華族を制圧するための武力組織だ。
その性質上、本来なら連絡もつかない相手。しかし幸いにも、晶は武藤が公に所属する警邏隊の身分を知っている為に連絡を可能としていた。
「頼まれた通り警邏を動かしてやった。……が、奇鳳院さまに連絡した方が良いと思うがね」
「正直、それも考えたんだが。不味いと思って踏み止まった」
「――ま、それも正解の1つだな、晶少年」
表向きの職務として警部補を務める武藤は、警邏隊を指揮する権限を有している。
それこそが、晶の求めた武藤の役割だ。
忸怩と俯く少年へ苦笑し、武藤は悟られないように視線を横へ滑らせた。
視線の先に、表面上だけ忙しく立ち回る数人の警邏達が見える。
一様にその眼光は昏く、どうにも覇気が窺えないものであった。
――要は、やる気がないのだ。
そう思考に過ぎらせた矢先、隊員の1人が小走りに駆け寄ってきた。
門に背を預ける晶を脇に、武藤と警邏は謹厳と敬礼を交わす。
「一通り、長屋を覗き終えました。人の気配は無し。生活感もありませんでしたから、長屋を放棄して、数日が経っているかと思われます」
「――放棄?」
「はい。部屋に金子の一切が無い辺り、 、能くある夜逃げの類かと」
「――金目になるものなんざ、ある訳もないだろうが。長屋だぞ、ここは」
鼻を鳴らし薄らと嗤う隊員へ、脇から晶が剣呑と反駁を返した。
話の腰を折られて気分を腐したか、その隊員もじろりと晶を睨めつける。
「長屋だからな。連中が裏で何をやっているか、知れたもんでもない」
「何だと」
流石に聞き捨てならない暴言に、晶の爪先が半歩、躙り込んだ。
少年の怒気に精霊力が騒めき、周囲へとちりつく気配を撒き散らす。
「待て待て、遣り合っている場合じゃないだろうが。
――それで? 誰かに連れ去られたような跡もないのか?」
制御が外れかけている。その事実を悟り、武藤元高は慌てて晶を掌で抑えた。
此処で警邏隊と揉めても、利益など1つもない。それは晶も承知している。
不満を露わに黙る少年を一瞥もせず、隊員は武藤へと視線を戻した
「血の一滴の飛沫いた跡でも見つかれば、私も捜査に否やは云いませんが。板壁に罅割れ一つないのでは、話にならないかと」
「判った。事件性が無いのであれば、撤収を許可する。本日までに報告を上げておけ」
「了解しました」
無言の要請に武藤の許可が下り、隊員は残りの警邏へと手を振って合図を送る。
その全員が、似たり寄ったりの感情を腹蔵していたのだろう。些少の抵抗もなく、隊員たちは長屋から去っていった。
「……良く我慢した」
「別に武藤殿の為じゃない」
相手も去った後、不満を隠そうともしない少年の肩を、武藤元高は慰めに叩く。
静寂を取り戻した長屋へと射し込む、未だ早い春の夕陽。
警邏の報告通り、何事もないような晶も良く知る長屋の風景であった。
「先刻の警邏だけど、手を抜いたんじゃないか?」
「やる気はなかったろうが、それ以外は真面目にやっていたさ」
「良いのかよ。公務を蔑ろにされてんだぜ」
「練兵だって食うものなければ、やる気はどん底だろう。奴らどもだって同じって事だ。
――給金は貰えても、人別省に登録されていない長屋連中の揉め事は評価がでない」
華蓮の平民から見た長屋の認識は、華蓮の最下層である。後ろ指を指されるような、脛に疵持つ連中の溜まり場と見られるのが精々だ。
「俺たちは華蓮ものじゃないからか」
「その代わり、納税は目溢しをして貰えているだろう。
――義務を棄てたか自由を得たかの違いでしかない」
武藤が肩を竦めて、警邏が漁った跡の板戸に手を掛ける。
がたつく板戸が軋むように開き、その向こうの暮明へと斜陽が射し込んだ。
誰も居ない囲炉裏に指を奔らせ、その先に残る白いものを吹き飛ばす。
「何かあったか?」
「灰程度。――今回の件。奇鳳院さまに対応を願わない理由は?」
「流石に太守の権限なら警邏も本腰を入れるだろうけど、大事になり過ぎる」
「そうだ。それに点数欲しさで、火の無い処にまで火付けを企む輩も湧くな」
収穫無しと諦めて部屋から出る武藤へと、晶は首肯を返した。
洲太守である奇鳳院家は、この洲に於ける最大権力者である。その宣下は勅旨そのものであり、意向の解決は出世街道に乗ったと同義だ。
――つまり奇鳳院の勅旨が下ると云う意味は、長屋の集団失踪などと云う、点数稼ぎにもならない数札が、いきなり役満に変わるようなものである。
出世に昇給が絡めば警邏も本腰を入れるだろうが、晶の懸念する問題はその振れ幅の大きさであった。
官憲が幾ら公的機関とは云え、結局の処、動かしているのは人間である。出世と昇給にやる気は出るだろうが、その金塊を前にして忠誠まで確かでいられるとは限らないからだ。
周囲を暖める程度なら助かるが、延焼されると元も子もない。
「奇鳳院さまへの報告は、それとなくで誤魔化してやる。
厳次のヤツにも黙っておくのか?」
「阿僧祇隊長には伝えるよ、一応。けど、助けになってくれるかまでは判らない。
今日も何か忙しそうだったし」
「守備隊で何か起きているって様子か?」
「防人も知らないみたいだった。――けど、新倉副長を飛び越して、古参の防人が第8守備隊の代理として山狩りを主導するってのが気にかかる」
何かが起こっていると深刻な口調の晶に、武藤も嘆息をこっそりと吐いた。
本来の序列からすると、副長である新倉信が守備隊の代理に任じられるのが筋である。
だが新倉信の本領が事務処理であると云う事実が、判断に困る部分であった。
「山狩りか。……精霊遣いが揃っているなら、それほど厄介とも思えないが」
「平民の練兵や正規兵からすれば、地獄だよ。阿僧祇隊長だって、普段は妙覚山の上までしか登らない」
成る程ね。蘊蓄に気が紛れたのか、滔々と応える少年の口調から険が薄れている事に武藤は気が付いた。
不満は確かだろうが、憲兵と華族が遣り合って善い事など1つも無い。
確執は生まれても、流すのが選択肢としては最善だ。
長屋の外へ踵を返し、武藤は懐から眼鏡を取り出した。
薄く硝子を張っただけの伊達眼鏡は、視界を歪ませる事なく向こうを透す。
「何かに巻き込まれたのは確かだが、痕跡が周到に隠されている辺り、長屋の人間は暫く無事だろう。
手掛かりが掴めるまで、お前は普段通りを装っておけ」
「全員が失踪したんだぞ、無事って根拠は?」
「失踪したからだ」
晶と公安の鋭い視線が、無言のうちに交差した。
警邏隊を見ても判る通り、人別省に登録されない長屋住まいを気にするものはいない。華蓮に昔から住むものからすれば、洲都の片隅に屯するだけの厄介な集団でしかないからだ。
晶が長屋へ帰ってこなければ、恐らく発覚はさらに遅れているほどに。
「此処は田圃に囲まれたど真ん中だぞ。民家がない上に人が寄り付かない場所ときたら、基本的に痕跡を隠す必要はない」
「必要の無い事をしている?」
「そうだ。しかも長屋主どのは、老齢の上に目が悪いとか。そんな老人までこっそりと拐したなら、追い出し殺し以外に目的があると云っているようなもんだ」
実際には断言もできないが、それでも務めて明るく武藤は晶へそう告げた。
晶たちからすれば不本意だろうが、長屋が黙認されている裏の目的は当然にある。
食い詰め者たちが集まる、無くなっても困らない場所。山から下りてきた穢獣どもや、人倫に悖るような破落戸が真っ先に目を付ける格好の餌場代わりになるからだ。
「長屋は此処だけじゃない。郊内外に問わず、広く分留している。ここまで用意周到な連中なら、絶対に他でもやらかしているだろうな」
それを調べてやると言外に告げ、武藤は晶と共に長屋を背にした。
横を歩く少年の方を窺う。険しい表情だが、それでもそこに反駁はない。
どうしようもないと云う事実は、自覚しているのだろう。
晶の足取りに迷いはなく。長屋は再び、無人が作り出す静寂を取り戻した。
♢
――珠門洲、洲都華蓮。鳳山、奇鳳院本邸。
「――話にならん! 元来、大陸に対する海衝を旧くより任じられてきたのは、珠門洲の封領にて! 海軍設立ならば、先ずは我ら珠門洲の洲議に伺いを立てるべきが筋でしょう」
「理所当然を守れぬ三宮などに阿るなど、珠門洲の洲議を軽んじるも同然。斯くなる上は、我らも独自に海軍の設立を勧めるよう、意見具申致します」
然り、然りと。話題の半分も理解していないだろうに、方々から同意の声が上がる。
威勢だけで益体も無い提案が口角の唾と共に、奇鳳院家へ詰め寄せた洲議たちの間を飛び交った。
相貌を真っ赤に染めた洲議たちが10人以上。互いに向き合い、親の敵と云わんばかりに相手を睨みつける。
1刻ばかり繰り広げられていた堂々巡りの議論が丁度、最初の議題へと戻った事に気が付いたのだ。
普段、奇鳳院が政務を行う場所は、本邸奥間にある執務室がある。来訪者は基本的にそこへ通されるが、その他にももう一つ。
面談が大人数である場合に通される、中広間の存在があった。
――建前はそうだけど、お母さまの本音は、この煩いものたちを執務室に詰め込みたくないからよね。絶対。
喧々囂々。繰り広げられる喧騒を余所に、そう奇鳳院嗣穂は、横に座る母親の奇鳳院紫苑の方へと横目で窺った。
着物の嗣穂と対照的に洋装へ身を包んだ紫苑は、内心の読めない微笑みのまま。中広間の奥座で、空りと白熱する洲議たちの議論を眺めていた。
彼らの言い分は、至極単純。壁樹洲で進められていた海軍設立の目途が立ち、その組織要綱が公表されたからである。
要綱が発表された以上、それ周りの利権は分配済みにされたとみていい。
当初は失策すると見込んで静観していた珠門洲の洲議たちは、不意になった利権に押っ取り刀で奇鳳院家へと詰め寄ってきたのだ。
話題も一段落と見たのか、漸く紫苑が口を開いた。
「――珠門洲も海軍を持てと? 狭い高天原で、軍権を2つに別けてどうする心算ですか」
「高天原の蒸気技術は、華蓮が随一であります。我らの技術を掠め盗るだけで、その後は知らぬ振りなど同義にも悖ると申し立てたいだけです」
「――聞くところによると、壁樹洲は方条家の要請にて、久我家が独断で珠門洲の技術者を当地へ送られたと。
確かに技術者は久我家預かりでしょうが、洲議たる我らに一言も無いのでは面目もありません」
「技術者の扱いに一噛みすらしていない其方たちが、何の一言を向けるのですか?
久我家当主は私に直接、承諾是非の伺いを聞いています。問題ないでしょう」
穏やかな紫苑の口調は、それでも反論を赦さぬほどに硬い。
あれだこれだと募ろうとしていた洲議たちは、不満の遣る先を封じられて黙った。
「では、洲鉄ではどうでしょうか?」
話も終わりかと嗣穂が安堵した矢先、洲議の末席から鋭く声が上がる。
視線を向けると、年齢40前後だろう洲議にしては若い男が、挑むように紫苑を見上げてきた。
――確か、昨年の夏の終わりに洲議入りしたものだったか。名前を、
「阿僧祇でしたか?」
「我らが海軍を持っても仕方がありません。何しろ、洲都華蓮は大洋に面しておりませんので、余り意味が無いのは同意致します」
そう。阿僧祇雅哉だったか。珍しい名前だったから、辛うじて記憶の片隅に引っ掛かってくれていた。
母親の言葉に相手の名前を思い出し、独り首肯する。
軒昂と勢い込むその男に遠く、華蓮で有名な衛士と共通の面影が重なった。
阿僧祇雅哉は、阿僧祇厳次の実兄だ。弟の人気に便乗して、洲議の選挙に当選したと聞いていたが、中々どうして。にこやかな微笑みに隠れて、覇気も良く似ている。
「理解してくれて嬉しいわ」
「海軍は諦めます。が、それだけとなると珠門洲が損するだけ。――それは戴けないと、ご理解も戴きたい」
「何かを諦めるから、何かが欲しいと? 最初から無いものだったら、欲しがる意味もないでしょうに。
洲鉄だったかしら。あれが欲しいとでも?」
見え透いていて尚、図々しい台詞に紫苑も毒気を抜かれたか、苦笑を浮かべて先を促した。
仰々しくお道化て首肯を返し、阿僧祇の眼差しが一転して真剣なものを宿す。
「真逆。それこそ図々しい願いにて。が、洲鉄の計画は現在、久我家主導の下でのみ決定されています」
「ええ、その通りよ。あの事業は、久我家の協力あってのものですからね。
生半可な財力では、弾かれるのがオチだわ」
紫苑の断言は、奇鳳院家が助力しないと云う暗の断言であった。それを悟った洲議が幾人か俯き、言の撤回を検討し始める。
だが、阿僧祇雅哉だけは、飄々と肯いを返した。
「ええ。無論の事です。が、洲鉄の交通網まで久我家に掌握されるのは、少々不味いのではないでしょうか?」
「……続けてちょうだい」
西巴大陸との正規の交易玄関である鴨津を擁する久我家は、八家と云うこともあり非常に権力旺盛な家門である。
無論。神器による制限は有るものの、此処に交通網の掌握までされると、権力の逆転を起こしかねないからだ。
「嘗て、政争に敗けて沓名ヶ原に逃げた暗愚は、奇鳳院に対して増上慢の限りを尽くしたとか。当代の久我御当主ほど聡明な方ならば心配ないでしょうが、その可能性を後世に残す訳にも参りません」
「そうかしら」
阿僧祇の言葉は、奇鳳院紫苑の心配を正中から射抜いたものであった。
短く言外で同意を返し、紫苑の頤が揺れる。
それを機と見たのだろう。阿僧祇雅哉の眼差しが、鋭く紫苑の同意へと切り込んだ。
「私は此処に、嘗ての高天原洲鉄計画を復活させ、東西に於ける鉄道網敷設を洲議で主導する旨を提議させていただきます」
その言葉は抗いようのない魅力を持って、中広間へと響き渡った。
読んでいただきありがとうございます。
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