1話 違和は浸む、薄皮一枚を隔てた向こうで2
「私は此処に、嘗ての高天原洲鉄計画を復活させ、東西に於ける鉄道網敷設を洲議で主導する旨を提議させていただきます」
阿僧祇雅哉のその言葉に、広間が冷たく沈黙した。
喧々囂々と、闊達に飛び交っていた怒号も、謦一つ残さず静まり返る。
唐突過ぎる要求に対して、誰かしらからも反駁は上がらない。
――そういう事。
揃いも揃った洲議たちの窺う視線に、珠門洲の洲太守である奇鳳院紫苑は内心だけで感嘆を呟いた。
そもそもだが、海軍設立は央洲から壁樹洲に下った高天原の国家事業であり、珠門洲は管轄の外に置かれている。
戦艦の艤装も終わりが近くなった今頃になって、利権がどうとかなど余地も残っていないのは明々白々だ。
珠門洲の洲議に過ぎない彼らに至っては、囀るのもお門違い。それが理解らないのは、余程の莫迦か無能だ。
対して高天原洲鉄計画は、一部こそ凍結されたものの死んではいない。
数年に一回の伺いがてら、議題の俎上にも上げられる。ありふれた計画であった。
実行不可能な海軍利権を騒ぎ立て、それに紫苑がうんざりした頃に、本命の条件を確実に通す。
それこそ、彼らが今回、奇鳳院の広間に押し掛けた本当の理由なのだろう。
最初に不満をぶち撒けることで、時候の挨拶代わりと化していた提案を強引に通す。
要は、典型的な値切りの手法だ。
値切っているのが価値観と云う辺り、性格も悪いが。
「洲鉄も同様に洲を越えた案件なれば、我らだけで利権を語るのは勝手の外でしょう。
……それに、一度は完了をみた計画、今更に蒸し返してどうする心算ですか」
「はぐらかさないで戴きたい。確かに、全洲を結ぶ基幹線路は終了していましょう。
ですが、東西の小領を鉄路で繋ぐ計画は、半ばで頓挫しているのが現状のはず」
「ええ、その通りですね」
「海軍の利権を諦める代わりに、此方を御認め戴きたい。これでしたら、洲太守の裁量で済むはずです」
洲太守に対する不敬に取られかねない姿勢を、しかし、咎め立てる事もなく紫苑は肯いで返した。
雅哉の指摘通り、洲内に於ける洲鉄の運営は、各洲の洲太守以上の判断に委ねられている。
珠門洲東西に渡る路線に限るなら、洲太守が采配を揮うのも事実上は可能。
阿僧祇雅哉は詰まる処、東西の線路を敷設する権利を寄越せと云ったのだ。
「確かに。それだけに限るなら、其方たちに采配を与えるのは可能です」
「「おお……!!」」
「但し、」
紫苑の同意に莫大な利権を幻視したのか、洲議たちから欲得尽いた呼吸が漏れる。
互いに牽制の眼差しを交わす洲議たちを、冷めた視線で紫苑は牽制した
「洲太守として赦せるのは、未だ敷設していない路線のみ。――つまり、利権が欲しければ、」
「先ずは路線を通せ、と云うことですか」
「ええ」
牽制の台詞を補う雅哉へ、紫苑は静かに同意を返した。
洲鉄の基幹線路は沿岸を基準に北へと伸び、それ以外の大きな路線も南北への限られた本数しか敷設されていない。雅哉の問う東西のものは、殆ど存在していないからだ。
「路線を通せるならば、これに洲太守として認めぬものではありません。
ですが、問題があります」
「珠門洲の東部ですね。あそこは南葉根山脈がほぼ総てを占めている為、線路を通すだけの平地がありません。隧道を通す計画も検討されましたが、莫大な工費と人手に立ち消えとなったと聞いています」
「誤魔化しは止めなさい。確かに莫大な工費も問題ですが、
そもそも私たちが、あそこの着工を見送った理由を、当事者の其方が把握していない筈がないでしょう。阿僧祇」
紫苑の鋭い詰問に当て擦られ、雅哉は肩を竦めて事実を認めた。
洲太守の懸念がそこにはないと、雅哉も理解しているからだ。
阿僧祇家は元々、珠門洲東部の片隅に封じられた封領華族の家門である。数十年前の百鬼夜行の折りに焼け出され、土地を喪った封領華族として冷や飯を囲っていた身分のはずだ。
奇鳳院も永年、東部の空白を見ぬふりで終わらせていた訳ではない。
文明開化も著しい華蓮はしかし、常に慢性的な人手不足に悩まされている。
東西に渡る路線は、完成さえすれば華蓮の問題を解決する可能性があるからだ。
その莫大な投資価値を見込めば、工費程度なら幾らでも注ぎ込む意味はある。
「数十年前から東部を塞いでいる広大な瘴気溜まりを、其方はどうやって解決する心算ですか?」
「目途なら立っているはずです。
あれを引き起こした百鬼夜行の首魁。――滑瓢と云いましたか、それの討滅を央都にて成されたとか」
痛い処を奪われた。紫苑の横に控えた奇鳳院嗣穂は、内心でそう歯噛みした。
夜劔晶や若手総出で抑えた戦功を、さも自分の手柄のように、阿僧祇雅哉は言葉だけで誘導したのだ。
嘘を吐けない半神半人の弱みを、年齢に見合わぬ老獪さで雅哉に突かれた。
「確かに原因である滑瓢は討滅していますが、東部の瘴気溜まりは依然として残っています。
規模も規模ですし、数十年の間に穢レも相当数は発生している筈。これの解消には、相当な時間がかかりますよ」
「浄化すればよいだけです。――幸いにも我が阿僧祇家には、その為の戦力が揃っていますので」
百鬼夜行とその原因も無いとなれば、残った瘴気溜まりも自然に乾くだけの水溜まりと変わりないのも間違いはない。
問題は、珠門洲東部を襲った百鬼夜行の規模が、尋常のそれではなかった事。
陰陽省の見立てでは、珠門洲東部の瘴気溜まりが消滅するまでに、最低でも百年は要するとのことであった。
加えて、数十年にも及ぶ長期の瘴気溜まりは、胎に何を抱えていてもおかしくない。
穢獣は当然の事、周辺から寄り付いた化生に、瘴気溜まりを核とした怪異もいるだろう。
それらを纏めて浄化するとなると、相当数の精霊遣いを駆り出す必要があるはずだ。
それを冷や飯喰らいの一家門が賄う? 不可能だろうと開きかけた口を、紫苑は1つの名前で再び閉じた。
横に座る嗣穂の方を見遣るが、軽く首を振って否定したのを見て視線を正面に戻す。
代わりに漸く、その名前が思考に浮かんだ。
阿僧祇家は傾いた家門だが、有名なのはそこではない。珠門洲でも10指に上る精霊遣いを輩出した為である。
「阿僧祇厳次は確かに手練れでしょうが、所詮は独力ですよ」
「重々に承知の上です」
頸を振る雅哉の仕草に澱みは無く、そこに嘘はなかった。
そもそもだが、精強とはいえ一精霊遣いが為せる程度の仕儀と思い上がれるなら、発生した当初にやらかしている。
では、と再び思考を巡らせて、紫苑は漸く一つの可能性を口にした。
「輪堂家当主に助力を願う心算ですか? 輪堂家の神器の神域解放はお前たちも知っているでしょう、あれは浄化に向きません。
そもそも、東部一帯を支配する瘴気溜まりを相手にするなど、幾ら八家であっても保たないことぐらい、考えれば判るものでしょう」
「八家の助力を願う事は否定しませんが、輪堂家は後詰へ回って貰う予定です。
私が特に頼りと願いたいのは、夜劔晶殿の御出馬にて」
――嫌な予感が当たってしまった。
紫苑は頬に、引き攣れるものを覚えた。
洲太守のその渋面に確かな手応えを覚えたのだろう。さりとて勝ち誇るでもなく、微笑みのまま雅哉は台詞を続けた。
「確認できるだけでも、彼は3つの百鬼夜行を単独で散らしているとか。
その威名を是非、この計画の旗頭として当てにさせていただきたい」
「八家当主に願えるだけの報酬の当ては? ――一洲議風情が武家筆頭を当てにするなど、厚顔を通り越して蒙昧この上ない考えですよ」
言葉の裏に潜む意味を正面から断たれて尚、雅哉の相貌に動揺は浮かばない。
軽く首を振って、紫苑の推測を肯定した。
「八家の御出馬を叶えるほどの金子を、我らは持ち合わせていません。
、が、この件に限って、夜劔当主は断らないと存じています」
「……続けなさい」
「夜劔殿が名を継がれた家門の封領地は御存じのはずです。
珠門洲東部の谷戸領。あそこも、瘴気溜まりの底に沈んでいますから」
春の颪が一陣。中広間の障子を鳴らして、やがて静寂を思い出す。
雅哉以外、洲議からは誰も声が上がらなかった。
微笑みの陰影を深めた雅哉は、洲議の末席から紫苑たちへ、深く一礼した。
「八家第一位と立たれた当主が、勃興の折りに封領地を喪ったままでは格好もつきませんでしょう。御当主の領地奪還の援けとして、我ら洲議は裏方に徹したいと考えております」
――代わりと云っては何ですが、洲鉄の利権は洲議のものとお願いいたします。
そう滔々と告げ、阿僧祇雅哉は薄ら寒く眼差しを奇鳳院嗣穂へ向けた。
♢
暫くすると、洲議たちとの謁見も終わりを迎えた。
終始、神妙な面持ちだった洲議たちも門から外へ一歩出ると、開放感からか相好を崩すものがちらほらと見受けられる。
ほくほく顔で蒸気自動車へと乗り込む洲議たちを、遠く窓から奇鳳院嗣穂は忌々しそうに見送った。
「行きますよ」
「――はい、お母さま」
奇鳳院紫苑の促しを得て、少女の爪先が小走りにその後を追う。
母のその背から感情を読み取ることはできなかったが、良い気分ではないのは判った。
嗣穂の唇から、誰に向けたでもなく逆剥れた呟きが零れる。
「どうにか、ならなかったのですか」
「難しいわね。珠門洲東部の問題は、先代最後の心残りでもあるの。
あれの解決に道筋が立っているなら、私たちに否定する理屈は無いわ」
「だからと云って、八家を出に遣うなど。私たちに遺恨を擦りつける口実としか思えません」
「でも、晶さんは動くでしょうね。私たちから制止すると、返って確執になりかねないわ」
極論。阿僧祇雅哉の提案なら、玉虫色の返事で棚上げにすれば良いだけだ。
八家を勝手に巻き込む分なら、奇鳳院は黙認するだけで済む。
問題は、雅哉の考えが、神無の御坐を錦の旗代わりに振り回したいと云っている点だ。
――それ自体も問題だが、最大の懸念がもう1つ。
「晶さんの値段のつけ方を、洲議程度が知ってしまったのが痛いわね」
「神無の御坐を知っていると云う事ですか」
「それは無いでしょうね。阿僧祇の言動からして、神無の御坐ではなく、晶さん本人を調べ尽くした辺りでしょう」
同じ手段が二度も通じるとは思えないが、前例を作られたのは痛い。
熱した油に味を占めた無能は、火事になるまで火に油を注ごうとするものだからだ。
だがそもそも、熱した油に気付けない無能は、神無の御坐に手を伸ばすことなど無い。
「洲議辺りにできる芸当とも思えませんが」
「ええ。代わりに調べて、阿僧祇雅哉に吹き込んだ輩が居るわね。
……それを探さないと、何を吹き込まれた相手が厄介な火遊びをやらかすわ」
疲労から来る嘆息を吐いて、紫苑は己の執務室へと続く扉へと手を掛けた。
滑らかに。しかし、微かに軋む音を残して、仮漆の光沢を湛えた扉が開く。
「洲議との会合、お疲れさまです。奇鳳院さま」
その向こうで立っていた男が、狩猟帽を手に軽く一礼をみせた。
「武藤ですか?」予想だにしていない相手の姿に、嗣穂は吃驚と双眸を見開く。
「定時連絡よりも早くに足を向けるとは、珍しい事もあるもの」
「晶さんの周囲で、何かあったのでしょう? 路面電車を待てない程度には、厄介な何かが」
「ご明察です。――さては、洲議たちとの会合でも何かありましたか?」
帽子を胸に当てた武藤元高の脇を抜け、紫苑は己の椅子に座る。
次から次と厄介が圧し寄せるさまに、疲れた吐息で無言の肯定に換えた。
考えずとも当然だ。1つ1つの厄介なら、洲太守の強権でどうにとでもなる。
特に晶は、誰もが忘れているだろうが、沓名ヶ原の怪異の直後に特赦を与えているのだ。
あれは奇鳳院家の特権の中でも、最大のものの1つである。
「大抵の問題なら、特赦が晶さんを護ってくれるでしょう。
だけど、特赦は連続で持ち出せない。小さくとも波が続くようなら、何れ奇鳳院家であっても庇いきれなくなるわ」
丁度、昨日。輪堂孝三郎から届けられた奇妙な電報を、紫苑は嗣穂へと取り出して見せた。
あの時点で判断できたのは、晶にちょっかいを掛ける程度だったが、洲議たちの要求は明確に晶を狙いに定めたものとなっている。
回数を重ねるごとに、急速に危険度が増しているのだ。
――次は、晶本人を狙いに定めていてもおかしくないほどに。
嗣穂と紫苑の視線に促され、武藤は事のあらましを舌に乗せた。
「――晶さんの住む長屋の住人が消えた?」
「御一報までと思いましたが、どうやら先を越されたようで」
口にする武藤の表情も、何処か疲れたように浮かばないもの。
当然だ。何処ぞのカストリ本でもあるまいし、三文記事のような出来事が実際に起こっているのだから。
「争った形跡は?」
「警邏に探させましたが、見つけていません。
晶少年には話していませんが、恐らくは年が明けて直ぐに……」
「根拠は?」
「長屋の井戸の具合と、囲炉裏の灰が固まりかけていました辺りで見当をつけています」
晶が帰還してすぐに気付いても、その時点ではすでに手遅れだった訳だ。
加えて、年明けとなると一つ思い至る事がある。
「晶さんが真国に行った頃かしら」
「お母さま。それは……」
頤に指を当てた紫苑の推測に、その意味を理解した嗣穂の深刻な眼差しが交差した。
何故ならば、晶の真国行きに関しては、機密もありそれなりの箝口令が敷かれている。
予定になかった晶の、それも長期の不在に対応して、相手は即座に手間のかかる拉致に及んでいるのだ。
「考えれば判ることね。――嗣穂、洲議たちが会合を云い出した時期は」
「4日前で、……あ」
「輪堂家で問題が明確になったのも、その頃でしょう。
晶さんの帰還に事態の露見を予想して、先手を打ったのでしょうね」
――その行動の早さは、相手がかなり広範囲に伝手を持っている事実を意味している。
嗣穂は暫く思考を巡らせてから、鋭く視線を公安の陰陽師へ向けた。
「武藤。晶さんに、要求があれば応える用意があるとだけ伝えて頂戴」
「承知いたしました。表だって動かれないのは助かるでしょう」
「暫くは、些事に忙しい洲太守を演じましょう。――ですが、裏まで凡庸を徹する心算はありません」
「……嫌な予感が致しますな」
にこりと微笑みに換えて、身構える武藤を嗣穂は見据えた。
言霊は行使しない。そうしなくとも、この公安が裏切ることは無いと知悉しているからだ。
「長屋の襲撃ですが、騒動の跡がない以上、何か正規の手段で住民たちを移送したはずです」
「聞いた話じゃあ、長屋の人数は10。確かに隠し切れるものじゃあないですな」
では、と奇鳳院家の次期当主である少女は、両の掌を合わせた。
「先ずは長屋の所有から調べましょう。
長期で土地を開けるなら、誰かしらが持ち主にはある程度の話を通しているはずなので」
「長屋は不法居留でしょう。持ち主が明確にされているとは思えませんが」
「忘れたのですか、武藤。あの長屋には井戸がある。
高価な水場を設えるには、少なくとも誰かが土地を所有してなければ不可能です」
嗣穂の推測に、武藤は肯いを返した。
上水道が整備された華蓮では珍しくなったが、貴重な水源となる井戸は、掘るための技術も許可も必要となる設備だ。
人が消える以上、その辺りに何かしらの理由が無いと矛盾が生まれてしまう。
「晶さんを引き摺り出した以上、奇鳳院にまで余計な手出しはしないでしょう。
晶さんに集中している隙に、奇鳳院家に潜んでいる影だけでも押さえます」
「承知致しました」
――潰すのはその後です。
華やかであっても冷たい少女の微笑みに、武藤は背筋に冷たいものを覚えた。
相手の立ち回りからしてその気はなかっただろうが、少女の宣言は明確に奇鳳院家が敵に回った事実を意味しているからだ。
とは云え、ここまでちょっかいを掛けた相手に同情する心算も無い。
武藤元高は粛々と一礼して、奇鳳院嗣穂の勅旨を受け入れた。
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