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サーカスの男

 かき始める前にちょっとだけ寝たら頭が回らないこと回らないこと。

 タイミングって難しいですよね。

「聞くところによると宿はこの先だそうなのだが……あれはなんだ?」

 ケルンの目抜き通りにあたる街路の半分を塞いでしまうほどの人だかりができていた。中心から聞こえてくる威勢のいい声に耳を傾ける。

「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! セマード兄弟のサーカス団、近日公演だぁ!」

「サーカス……?」

「兄ちゃん、外の人かい? サーカスってな見世物小屋さ。一週間くらい前にここにやってきたんだよ」

 カルルの疑問に近くに居た一人が答えた。

「今日はその挨拶だってよ。ほらあそこ、見てみな」

 商人風の男が指さした先に大きなテントが立ち並ぶ広場が見えた。どうやらこの場所が広場の入り口らしく、かなりの広さがあるようだ。長弓で矢が届くぎりぎりくらいかもしれない。

「あそこの中で演るんだとよ。なんでも、世界中から集めた珍しい動物や名人が芸を披露するんだそうだ。俺も見に行こうかねぇ……でも母ちゃんがなあ」

「へぇ……」

 興味の色を示したカルルに代わってアカシアが言った。

「我々は先を急ぐのでな。残念だがまた今度だ。さ、行くぞカルル」

「……わかってますよ――」

 カルルが荷馬車を進めようとした矢先、突如として人だかりから感嘆の声が上がった。そしてメーネが荷台の上に立ち二人を呼んだ。

「ねぇ! あれ!」

 飛び跳ねるようにして人だかりの奥を覗こうとするメーネにつられ、カルルとアカシアも荷台に立って見渡した。すると人の向こうには大きな鉄の檻があり、被せられていた覆いの布がたった今取り払われたところだった。

 檻の中には、

「さあ、ご覧ください! 世にも珍しき『獣人』でございます!」

 どよよ、と群衆がざわめき、檻の中のそれはさらに身をちぢこませた。

「耳が生えてるぞ」「あの尻尾、偽物じゃないのか?」「悪魔憑きだ……」

 人だかりからそんな声が上がり、服の裾を握ってきたメーネの頭を撫でた。

 客の印象が(かんば)しくないと感じたサーカス団員は取り繕うようにこう付け加えた。

「あくまでこれはほんの『余興』でございます。我々はさらに奇妙な、()つ希少価値の高い品々を保有しており、必ずや皆様には満足して頂けることでしょう。――それでは、来たる開催日にお待ちしております」

 と述べた後、再び檻に布が掛けられて広場に運ばれていくと群衆も方々へと散っていった。

「…………」

「……行くぞ。見世物小屋とはあんなものだ」

「はい……」

 カルルは散り散りになっていく人々にやりきれない感情を抱いていた。

 少なくともカルルにとって獣人は獣ではない。同じ人間だ。

 集まった人達は檻の中に入れられた境遇の少女を助けようまでとはいかずとも、同情するどころか気味が悪いとまで口にした。

 ――この腹の底に渦巻く黒い感情は間違っているのか?

 ――そう考えることが異端なのだろうか?

 奴隷時代、お前達は人ではないとよく言われた。

 それとこれとに繋がりはなくとも、ただほんの少しだけ、言葉に救われた気がした。



 セマード兄弟がサーカスの公演会場として借り受けた土地には、大小様々な色鮮やかなテントが乱立していた。

 広場の入り口ではつい先ほど団員が宣伝を始めたらしい。兄のセマードは遠眼鏡でその様子を窺っていた。

「フム、やはり獣人の反応はデカイな。まったく、イイ拾いモンをしたもンだ。あとはみっちり調教を……」

「兄貴ィ~~。俺にも見せてくれよぉ」

「……お前は見なくていい。それよりネマーノ。さっき来てた客はなンだったんだ?」

「へ? ああ、国境警備なんとかのひとだって」

「警備隊? なンでそンなヤツらが」

「あかしあ……とかいうやつがこの町に来るかもしれないから、見かけたら教えてくれって言って、帰ってった」

「アカシア?」

「それより兄貴ィ、遠眼鏡返してくれよぉ。俺のだろぉ?」

風船のような体型の弟に迫られ、対照的に背が低く細い体の兄は一喝した。

「ああもう寄るな、暑苦しいンだよ、お前は! ちったぁ外でも走ってそのムダな肉を落としてこい!」

「ひでぇや、俺が買ったのに……」

 ブツブツ文句を垂れながら弟が居なくなると、セマードは再び遠眼鏡を覗いた。

「フン……アカシア、か。まさかあの糞ガキじゃあ……ない……? ――っげえぇ!?」

 人だかりの頭の上、どこかで見たことのある顔が出ているではないか。

「ンナ、馬鹿な」

 目をよーく擦ってもう一度、遠眼鏡の焦点も確認する。

「疲れてンのかな……昨日寝るのが遅かったからかなぁ………………――」

 声は出なかった。驚きのあまり呼吸が止まっていた。

「あンの……っ! 糞ガキじゃねえぇぇかよぉおお!」

 あの時より成長して顔つきも多少大人びてはいるが、見紛うわけがない。

 消し去っていた忌々しい記憶の断片が蘇る。あれは奴隷商時代、ようやく軌道に乗り始めていた時だった。

 長い雨が上がって商品を次の町に急ぐ途中、人生最大ともいえる不幸に出会ってしまった。

 気が付いた時には苦楽を共にしてきた家畜用の馬車はこれでもかというほどに打ち壊され、逃げていく奴隷達の背中を呆然と見つめていた。

 そして、土下座して懇願するしかない自分を見下ろすあの目。あれを今でも夢に見ることがある。

「なンでアイツがこんなトコに……――ン?」

 今のは?

 一瞬、アカシアの隣に別の人間が現れた。派手な帽子を被っている以外、ただの子供だろう。

 だが、無駄に長く奴隷を商い、見世物小屋をするまでに成り上がったわけではない。

「あの娘っコ……獣人じゃないか? そうだ、間違いない」

 それは勘、でしかない。

 だが、その直感こそが彼にとって何よりも幸運を授けてくれるものなのだ。

 セマードは考えていた。

 あの獣人が欲しい。

 希少な獣人を二匹も持っていれば、宣伝効果もぐっと高くなるだろう。それに芸ができなくなれば高値で処分することもできる。獣人は金のなる木だ。

 商売で培った頭をフルに回転させてセマードはあの手この手を思索した。

 ならず者を雇って拉致するか? ……いや、しばらくはサーカスという大所帯でこの町に留まる予定なのだ。すぐにトンズラできないのなら危険が大きすぎる。

 ならば、それが互いに合意の上の『取引き』であれば? 危険は限りなく抑えられる。

「取引き、取引か……」

 遠眼鏡に飽きると彼は部屋の中を歩き回って落ち着かない気を紛らわせた。取引きとなると、やはり一番に出てくるのは金だ。

 金を積んで買うか? ……いや、それなら相手も相当に吹っ掛けてくるか、手放さないかのどちらかだろう。あまり美味しい結果は期待できない。

「どうするか……」

 明らかに利益の天秤が傾いた取引を行うには、優位な立場を築くための材料を用意してやらなければならない。要するに相手の弱味を握り、足元を見るのだ。

 しかしあの獣人は恐らくアカシアが連れていたものだろう。一筋縄でどうにかなる相手ではない。……いや、奴は今?

 セマードの脳内に閃光が走った。

「ネマーノ! いないのか、ネマーノ!」

「なんだよ兄貴ィ」

 息を切らせて弟がテントの中に入ってきた。

「国境警備の連中はアカシアを探しているンだよな?」

「そうだけど……どうしたんだよ兄貴、うれしそうだな」

「そうか。そんなに嬉しそうに見えるか」

「ああ。兄貴は笑うとやっぱり小物っぽく見える」

「やかましっ! ――とにかく、俺はこれから作戦を練る。お前は獣に芸でも仕込んでろ」

「ああ、それで思い出した。やっと玉乗りができるようになったんだ」

「なに、本当か。トラか、それともサルか?」

「俺だよ兄貴ィ。コツは前から掴んでたんだけどさ、昨日やっと乗れるようになったんだよ」

「…………、――ほんっとに、お前はぁっ! バカだなあっっ!!!」

 広場の入り口まで届きそうな大声でセマードは怒鳴った。

にもかかわらず、彼が連れてきた獣の中でその声に驚くものは居なかった。もはや慣れた

騒音とばかりに草を食んでいた馬も、眠たそうに欠伸をしただけなのであった。



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