6話
フランは作者が一番すきなキャラクターです。
『皆様、今年も遂にこの季節がやってきました』
魔法にて拡声された実況者の口上が、クルツクルフの町に轟く。
彼が立つのはクルツクルフ中央の城前広場。円形の広場は城側が高さ2メートルほどの段 差となっており、ここをステージとして利用出来るようになっている。
ステージの上には実況者の他、等間隔に並んだ80人の子供と、それに寄り添うドラゴンが控えていた。
『竜騎士を目指す若人達の祭典、準騎士親善競技大会。いよいよもっとも有望な準騎士は誰か、今日明らかになるのです』
人間世界がどれだけ不景気であろうと、今日この日だけは例外。人々は空元気であろうと嬉々と祭を準備し、大通りには様々な屋台が立ち並ぶ。
集まった観客に貧富の差は関係ない。貴族も平民も、住民も難民も関係なく興奮する。
彼等のボルテージは、大会が始まる前から頂点に達しようとしていた。
『既に出場選手達はプラクティスを行い、いつでも本番に望める状態にまで調節済み。今年は有望な騎士候補も多いとの噂から、例年以上のレベルの高い試合が期待出来ます』
広場に集まった人々は歓声を上げる。そこに普段の辛気臭さや陰鬱さはない。
滅亡の危機に瀕しているからこそ、全力で催し物に挑む。彼等の節操のない開き直りはそんな域にすら至っているのだ。
『予選に挑む80人の準騎士達。この中から決勝に勝ち進むのはたった10人。未来の英雄はどの選手か、さあご紹介しましょう……』
80人もいては一人一人を説明することなど出来ない。名前と適当な一言を添えるだけだ。
だか名前だけであっても、観客の一部……選手の身内や友人は一喜一憂する。やがて実況者は青髪の少女の前に立った。
『今や珍しい水竜を駆る麗しの騎士、アーレイさん! いやぁ実に将来が楽しみな少女です』
「い、いえそんなっ……」
『さあ次はダガー選手! 性別不詳な名前ですが、残念ながら男です!』
華やかな壇上。人生屈指の晴れ舞台に挑む少年少女達。
そんな光景を見つめる人影が、城のテラスには存在した。
「緊張しているようだな、彼女は」
ご存知イリス・ブライトウィルと……
「あはははっ、スルー、スルーやれてやがるっ! ダッセェ!」
麗しいと評されつつもあっさりと流されたアーレイに、腹を抱えて笑う少女であった。
「うるさいぞ、フラン」
軽銀状態のイリスは少女をやんわりと注意する。貴賓席には他にも多数の貴族王族が積めており、少女は明らかに周囲に迷惑であった。
「んなこといったってよ、あの顔! 顔って! 顔の何がおかしいんだか!」
「もうその場の空気で笑っているだけだろう、貴女」
なんたってこんな少女が人類の最高権力なのか、とイリスは何度目か判らない頭痛を覚えた。
フラン・ベルジェ・アーヴェルア。イリスと同年代のこの少女こそが、土の国の現国王である。
「お前も参加すんだろ? どこに賭ければいい?」
「国王が賭けに参加するな。そろそろ予選が始まるぞ」
「そんなことより屋台巡りしよーぜ!」
「自由過ぎないか貴様」
一国の王としてはあまりに自由奔放。短い金髪が活発な印象を与える、およそ責任という単語とは無縁な立ち振舞いの少女だった。
「おいそこの騎士、フランクフルト買ってこいや!」
「はっ!」
「2本だぞ2本、お前の股間のフランクフルトはノーカウントだぞ!」
パシリに駆けていく騎士を見送り、フランはイリスに向き直す。
「…………。」
「…………。」
「急に黙るな。私は何故、今日呼び出されたんだ」
「え、ヨンデネーシ。なに、自意識過剰……?」
いい加減疲弊してきたイリスは無言で立ち上がる。
「まーまーまー! 待たれよよー! 王命だぞこらー!」
「私も準備があるのだが」
「フランクフルトお持ちしましたぁ!」
息を切らした騎士が戻ってくる。
「お、来たか! よっしゃフランクフルト一気飲み勝負しよーよ!」
じゅぼぼぼ、とフランクフルトをしゃぶるフラン。イリスはいよいよ頭痛を抑えきれず、無言で立ち去ることにした。
「おい待てよ! そこのクソビッチ!」
投げ付けられたフランクフルトを器用にキャッチするイリス。
「お前の分だ、私じゃ2本もしゃぶれねーよ。まあ本気だせば3本まで食わえ込めっけど!」
「それは舐めるものではなく食べるものだ。……まあ、有り難く貰っておこう」
今度こそ踵を返すイリス。テラスより飛び降り、瞬く間に一般観客に紛れ込む。
込み合った雑踏を、仮面の少女は進む。祭ということで、多少奇妙な出で立ちのイリスも僅かに視線を集めるだけであった。
「しかしどうしたものか、見張り台や大きな建物の屋上は既に観戦客がつめているな……」
イリスの『悪巧み』を実行するにも、準騎士親善競技大会の試合経過は逐次把握してなければならない。だからこそ城のテラスは絶好の観戦場所だったが、フランから逃走した以上戻るのは憚られた。
どこで観戦しようか悩んでいる時、黒い甲冑が人混みの中を横切る。
「―――今のは」
イリスは目を凝らし、行き交う者の人相を見極めていく。
「気のせいか―――?」
しばし冷たい汗を流して注視していたものの、やがてイリスは気を抜き、観戦場所探しに戻った。
横一列に並び飛行する準騎士とその相竜。未熟な竜騎士達は、蒼璧の闘技場を舞台とした決闘に挑む。
先導する正規竜騎士は大きく旗を振り、上昇して戦線離脱した。
それを合図に選手達は気合いを入れ直す。
「よっしゃいくぜゼルス!」
「お願いミハリード!」
「パラドックス、僕もう疲れたよ!」
「いやダガー、試合始まったばかりだから!」
相竜の脇腹を蹴り、騎士達は加速する。
準騎士親善競技大会はつまるところ、ドラゴンによるレースである。クルツクルフの町を誰より早く一周すれば決勝進出、そうして予選を勝ち抜き決勝の場でも勝利すれば優勝。単純にはこれだけである。
しかし詳しく見ていけば、そのルールはおよそ単純ではない。
クルツクルフの外周は5つのブロックに分けられており、それぞれの課題を突破しなければならないのだ。
第一ブロックは速度競技エリア。レースという言葉のイメージに近く、ドラゴンの素質が勝負を大きく左右するエリアだ。しかしながら騎士同士の駆け引きや技能によるタイムの短縮は無論健在で、一概に出来レースともいえないエリアである。
ちなみに結果が予想しやすいので、この区画限定のトトカルチョはあまり人気がない。
第二ブロックは広所模擬戦エリア。後に出てくる狭所模擬戦エリアとは違い、広い空を舞台に速度に乗ったダイナミックな空戦が行われるステージだ。
練習用の魔法や道具による、実戦とほぼ変わりない模擬戦闘。実際の戦闘に最も近いシチュエーションであり、このエリアこそ準騎士親善競技大会の醍醐味だと断言する者もいるほど。
これが戦闘機ならば高度を有効に利用するところだが、外気に晒された竜騎士はあまり高空まで昇れない。よって、戦闘は主に巴戦となる。
第三ブロックは機動競技エリア。上下左右へとドラゴンを機敏に操り、大きく数字を書かれた旗に順番通り接触していく区画である。旗は崖の上や渓谷の底など嫌らしい場所にまで配置されており、単純なドラゴンのスピードだけではなく準騎士の技術も重要な要素となってくる。
第四ブロックは狭所模擬戦エリア。飛行高度制限が課せられ障害物の多い空間にて、準騎士達が擬似的な空戦を繰り広げる最も人気の高いエリアである。
使用されるのが威力の低い練習用魔法や模擬剣とはいえ、未熟者同士であり、かつ想定外のトラブルが多い空間だからこそスリリングで予想出来ない試合運びとなることも多い。観客はそれを目当てにしているのだ。
このように、ブロックは次に進むに従いスピード重視の競技からテクニカルな競技へと変化するようにレイアウトされている。相竜に恵まれただけの選手は本当の技術を会得した選手に逆転されやすくなっており、それが一層準騎士親善競技大会を盛り上げるのだ。
そして第五ブロック。観客を前にしての、高速機動模擬戦。
観客のいるスタンド前を高速で飛行する区画だ。第四ブロックが丘の上なので緩やかに降下することとなり、ドラゴンは際限なく加速してしまう。
そんな限界速度での模擬戦闘。墜落時の危険度もスピードも他の区画より高く、観客の前ということもあって白熱するエリアだ。
フランがいる貴賓席があるのもこのブロックであり、丁度スタートとゴールを観戦出来るポジションなのである。
模擬戦における被弾は5回で墜落と判断され、失格となる。撃墜に成功した選手はタイムが減算され、レースそのものを大きく有利に進めることが出来る。
速度だけで優勝することも不可能ではないが、現実的には他選手の撃墜は必須なのだ。
ちなみに被撃墜は自己申告であるが、監視員が多数配置されており申告の誤魔化しは大きなペナルティとなる。それはこの大会のみならず、騎士人生そのものにまで響く。
損得勘定で考えれば、撃墜され失格となった方が遥かに安上がりなほど。
「そして現実的な問題として―――」
イリスが遥か眼下、貴賓席の面子を観察する。
王族のフランを筆頭に、貴族や商人など錚々たる面子が揃っている観戦席。彼等に評価されれば将来は安泰であり、それを目当てに出場する者も多い。
いわば就職活動だ、手を抜きようがない。故にそれが予選であろうと、彼等は真剣であった。
イリスが股がるドラゴン―――バルドディが「がう」と小さく吠える。
「寒い? 我慢しなさい、男の子でしょう」
イリスがいるのは13000フィートの高空。それまでの竜騎士には到達出来ないほどの高さだ。
寒さは防寒着にて凌げる。しかし空気の薄さは気合いでどうこう出来る問題ではない。
しかし工学竜鎧に搭載された圧縮器によって濃い空気を産み出すことで、イリスはこの世界における限界高度記録の更新に成功した。
富士山山頂より高い空から、点に等しい選手達を観戦するイリス。視力に優れた彼女以外にはなし得ない方法だろう。
「ギイハルトが先行していますね、口だけではありませんでしたか」
以前朝食の場にてイリスを愚弄しアーレイを口説いた少年、ギイハルト。彼は候補生の前で大口を叩くだけはあり、他と一線を画した技能を有していた。
それに追い縋るアーレイとアキレウスのコンビ。空中でホバリングする竜騎士を折り返しのパイロンに、第一ブロックである速度競技エリアを飛翔する。
巨大なジムカーナのように空中を走る両者。突出した技能を有する二人が、この予選ブロックでの主役であることは誰の目から見ても明らかだった。
必死にアーレイの進路を阻みトップを守ろうとするギイハルト。求婚した女に負けることは、彼のプライドが許さないらしい。
「上位数人が決勝に上れるのです、一位二位がデットヒートする必要はないでしょうに」
イリスの目算によれば、両者の実力差はほとんどない。コーナーに飛び込むタイミングの取り方はギイハルトが上だが、上下運動によるエネルギー運用はアーレイが上。
才能の優劣で比べれば、ギイハルトの方が上手なのであろう。しかし現状目立った差はなく、そうなれば結果を左右するのはドラゴンの能力である。
『おおっと、アーレイ選手がギイハルト選手をかわす! そのまま鮮やかに抜き去ったああぁ!』
アキレウスの速度はギイハルトの相竜フリールを上回っていた。レースはアーレイがトップのまま、第二ブロックへと移行する。
「次は広所模擬戦エリアですね。空戦のイロハを私が教えたのです、アーレイの勝利は揺るがないでしょう」
ギイハルトを撃墜出来るかは未知数だが、模擬戦エリアにてアーレイがある程度の優位を稼ぐことをイリスは最初から確信していた。時代錯誤な戦術では、考察され尽くしたイリスの戦術論に勝てるはずがない。
「誰からも気付かれない高度からの観戦が可能なことは確認出来ましたし、しばらくどこかで時間潰しをしますか」
試合より興味を失ったイリスは、急降下にて郊外に降り立つ。
「せっかくの祭です。母上と合流しましょう」
夫を失って以来心配性の気が現れ始めたスピア。イリスとしても出来れば一緒にいたいのだが、立場というのは何時だって儘ならない。
だからこそ、今日くらいは同じ時間を過ごそうと、前々から決めていたのだ。
「軽銀ちゃんとしての騎士服も可愛いけれど、やっぱり女の子は着飾らなくちゃ!」
「ちょ、母上、後生でございます。ご勘弁を」
実家に戻ったイリスは母に捕まり、服を剥ぎ取られていた。
「どれがいいかしら! ひらひら? ふりふり? すけすけ?」
「すけすけだけは許してください」
されるがままに衣替えを果たしたイリスは、売られる子牛の機微を味わいつつスピアに引き擦られ縁日へと繰り出していった。
イリスが着せられた衣服はすけすけ半透明のひらひらスカートと短いスパッツ、ふりふりの付いたキャミソールといった組み合わせであった。
着る人を選ぶであろうデザインだが、イリスは幸いモデルとして申し分ない。
「って、結局ひらひらふりふりすけすけではないですか」
「そうかしら? あんまり嫌がるから、ちょっとおとなしめの物を選んだのだけれど」
これ以上のブツが実家の箪笥には眠っているのか、とイリスは戦慄した。
「私にはもう、イリスしかいないから……」
「母上……」
「だから、イリスはもっと着飾らないといけないのよ」
「その『だから』なる接続詞について、小一時間議論しませんか母上?」
「お、イリスじゃねーか! えろっちい服してやがんな!」
金髪がいた。フランである。
「あ、え、なんで貴女がここに?」
「ここは私の国なんですけどー? ホームなんですけドゥーゥオー??」
「あら、イリスのお友だち?」
「はい! フランって言います! 奥さん胸でかいっすね!」
「ふふっ。貴女もきっと大きくなるわよ」
「あっ……」
フランはある程度信憑性を持った残酷な未来予測を着けているのか、露骨にテンションが落ちた。
イリスはフランを撃沈させたスピアに内心サムズアップしていた。
「そ、そんなことより一緒に周りましょうや奥さん!」
縁日に突撃するフラン。イリスはこのまま放置してスピアとの時間を過ごそうかと思案したが、スピアがフランに着いていってしまった為嘆息した後に追従した。
「型抜き勝負しようぜ! どっちが先に抜けるか勝負だ!」
フランは早速手近な出店へと飛び付いた。
「あっ! お前今、抜くって単語でへんなこと連想したろー! エロリスだな、まったくよー!」
「ほう、懐かしい」
板状の菓子を針で削り、模様通りの形にする遊戯・型抜き。成功すれば何らかの景品が貰えるが、明日にはゴミ箱の住民になっている程度にはくだらない品であることも多い。
イリスは異世界にも型抜きがあったのかと驚きつつ、不適に笑う。
「成功する前提とは強気ですね、まあいいでしょう」
手先が器用なイリスには負けない自信があった。スピアの合図と共にチクチクと針を刺していき、寸分の狂いもなく作業をこなしていく。
だが、先に声を上げたのはイリスではなくフランであった。
「出来た!」
「なんですって!?」
無駄に大袈裟に驚愕するイリスに、変わり者の娘にもちゃんと友人もいるのだと安心するスピア。
フランは完成したT字に近い形状の菓子を示す。
明らかにそれは菓子に描かれた絵面とは異なっていた。
「……じょ、嬢ちゃん、それなんだい?」
「チンコ!」
フランは躊躇わない女だった。
渾身の作であるらしい猥褻物を、イリスは鼻で笑う。
「まぁ、それなりじゃないですか?」
「うっわムカつく! そういうお前はどうなんだよ!」
何枚もの菓子をボロボロに崩しているイリスに、フランは嘲笑した。
「うへへへへ! 何回チャレンジしてるんだよ、ダッセー!」
「ふふん。見てみなさい、これが私の本気です」
イリスは抜いた型を組み合わせ、立体的な造形物を作り上げた。
骨組みばかりの複葉機。尾翼が前方に位置しており、2枚のプロペラを備えている。
「ライトフライヤー1号です!」
「すげぇ! なんかわかんないけどすげぇ!」
世界初の動力飛行に成功した飛行機であった。
「凄いわイリス。流石お爺ちゃんの孫ね」
「いやーすごいわこれは。何か判んないけど、すげー緻密だわ」
称賛する両名に鼻高々なイリス。
「とりあえずお嬢ちゃん達、二人とも失敗な」
しかし、屋台の親父は非情であった。
「次は輪投げだ! 今度こそ決着をつけようぜイリス!」
「いいでしょう。今の内に負けた時の言い訳を考えておくことです」
「ルールは知ってるな!? このガバガバで大きな輪っかを、あそこの太くて長い棒に突っ込ませるんだ!」
「他人のふりしていいですか?」
類は友を呼ぶというべきか、腐れ縁をずっと続けてきたイリスとフラン。身分の差を考慮しないイリスと身分の差がそもそも存在しないアーレイはフランにとって得難い友人だが、その発言の下品さは時々友情の破棄すら考えてしまうほどに閉口させられていた。
「よっしゃ、あの一番長くて反り返ってる棒を狙うぜ!」
フランが輪を握り半腰で構えた時、雑踏に声が轟いた。
「フラン様、見付けましたぞー!」
「やばい! 追っ手だ!」
貴賓席から抜け出したフランを探していた騎士が、ガチャガチャと軽鎧を鳴らしつつ駆けてきた。
「さあお戻り下さ―――」
「誰が戻るかバーカバーカ!」
フランは輪投げの輪を騎士へと投げる。
「トムネコ!?」
騎士の足に輪が絡み、豪快にひっくり返った。
「無駄に器用なことを……」
ジタバタと暴れる騎士だが、足の輪っかは外れない。フランは彼に駆け寄り、ズボンのベルトに手を掛けた。
「オラァ、脱げや!」
「なんで!?」
グイグイとズボンを引っ張るフラン。
完全にボンタン狩りであった。
「イリス手伝ってくれ、こいつしぶとい!」
「他人のふり他人のふり」
「親友イリスちゃーん! 愛しのディアフレンドイーリースーちゃーん!」
「他人他人」
喚くフランだが、イリスの決別の覚悟は揺るがない。
「行きましょう母上、フランにはフランの世界があるのです」
「うふふ、楽しい娘ね。イリスはいいお友達を持ったわ」
母親の戯れ言は基本、無視の方針であった。
「―――ん」
母親と回っている最中、イリスは小さく唸った。
雑踏の合間。僅かに見えた漆黒の影に、咄嗟に駆け出す。
「イリス?」
スピアも娘を追う。二人は裏路地へと入り込んだ。
表通りとは逆に閑散とした路地、イリスは曲がり角を抜け姿を隠す直前の黒い鎧を視認する。
「黒騎士っ」
コードネーム黒騎士。それは、かつてイリスが戦った汚染兵だった。
高い能力を有し、かつ生前の名前が判らない汚染兵にはコードネームが付けられている。つい呼んでしまい、己の失態に呆れつつイリスは慌てて物陰に隠れた。
鎧の巨漢が振り返る。
「イリス、どうしたの? ……あっ」
スピアと黒騎士が対峙する。イリスは慌ててスピアの手を引き、物陰に引き摺りこんだ。
現状、イリスに黒騎士と戦闘を行う手段はない。バルドディなしでは勝ち目は限りなく薄いだろう。
ましてスピアを守りながらとなれば、尚更だ。
どっかいけ、どっかいけと祈る。祈りが通じたわけではなかろうが、黒騎士はそのまま立ち去った。
脱力し、これからどうするか悩む。
「とりあえず本部に連絡すべきですね、あとは……」
目の前に民間人がいることに気付き、イリスは真っ先に指示を出す。
「母上、ここから離れていて下さい。危険な存在がいました」
「……それって、さっきの黒い鎧の人?」
首肯。
スピアは僅かに黙考し、すぐに吹き出した。
「は、母上?」
「ふふふ、ごめんなさい。おかしくって」
困惑するイリス、一頻り笑ったスピアは娘に教えた。
「あの人はゲキさん。お父さんの知り合いよ?」
「え、あ、そうなのですか?」
拍子抜けするイリス。
「ええ。力自慢の騎士でね、重い鎧を四六時中着込んでいるものだからイリスみたいに警戒しちゃう人も多いの。ルバートも、せめて普段は脱げって言っていたのだけれど聞かなくって」
「そう、でしたか。お騒がせしました」
人騒がせな、と呆れつつも安堵するイリスであった。
改めて縁日を回る母娘。そこに、遠くから歓声が聞こえた。
「試合が動いたのでしょうか?」
イリスの呟きに答えるように、経過を伝える実況が届く。
『規定の人数がゴールしました! 予選第一試合、これにて終了です!』
「おや。知らないうちに終わってしまったのですね」
アーレイを労いにいくか、とベンチから腰を上げる。
『初戦から混戦となった準騎士親善競技大会、決勝進出はギイハルト選手とダガー選手です!』
「なん……ですって?」
それは、イリスの予想を裏切る結果であった。
『アーレイ選手、飛び抜けた実力を示すも惜しくも撃墜判定! 初戦とは思えぬギイハルト選手との一騎討ちは実に見物でした!』
どうやら肝心な場面を見逃したのだと気付いたイリス。
多くの競技がそうであるように、準騎士親善競技大会にも魔物は住んでいるのだ。
「アーレイ、そんなに落ち込まないことです。これは模擬戦なのですから、今日の敗北を教訓にすればいいのですよ」
「うううっ、イリスが応援して下さったというのに私は……!」
しょんぼりと意気消沈するアーレイ。意気込みが人並み以上だった分、落ち込みようも激しかった。
「ギイハルトとの一騎討ちとのことですが、何があったのですか?」
「何もありません。ただ、正面から打ち負けました」
アーレイの説明によれば、ギイハルトは巨大な剣の使い手だったそうだ。
「意外とパワーファイターなのですね」
竜騎士が剣を使用する場合、片手剣であることが大半だ。ドラゴンに騎乗するのは優れたバランス感覚が必要で、その支えに手綱は常に握っていることが望ましい。
両手剣を使用するならば、人一倍強靭な体幹と足腰を必要とする。故に、両手剣使いの竜騎士は比較的珍しい。
だがギイハルトはそんなピーキーな戦法でアーレイを下したのだ。大剣使いとして一定の域に達していることは明白であり、イリスは彼の評価を再度改めることにした。
「接近戦は危険ということですか」
「それは、見たらすぐに判ります!」
馬鹿にするな、と頬を膨らませるアーレイ。
当然である。大剣など懐に隠せるわけもなく、スタートする前から目につくだろう。
「私も近付かせるつもりはありませんでした。ですが……」
「懐に入られた、と」
コクンと肯定するアーレイ。
「他の選手に気を取られていたとはいえ、想像以上に短時間で近付いてきました。何か裏があるのかもしれませんね」
初見で見抜けないような「何か」。イリスはどことなく高揚を覚える。
「面白い。仇は私が必ず取りましょう!」
「……イリスが楽しみたいだけではありませんか?」
イリスは肩を竦めた。
滞りなく繰り広げられた予選。日も傾き始めた時間帯。
準騎士親善競技大会のクライマックス、予選を勝ち残った10名が城前広場に集まる。
将来を、プライドを掛けた一生に一度の舞台。
激戦を勝ち抜いた彼等は、例外なく精鋭。
未来の英雄を決めるべく、若き怪物達は巨大な闘技場の空へと舞い上がった。
『準騎士親善競技大会―――決勝戦、遂にスタートです!』
地の大精霊
土の国に住んでいるであろう大精霊。きっとどこかにいる。そして何か頑張っている。
ぶっちゃけなーんにも考えてなどいない。謎の存在。なんだこいつ。
楔脈系継承魔法
血筋で使用可能となる特殊な魔法。例のごとく深く考えていない。
読みの由来は作者が某ちょっぴり高級アイスクリームを食べたかったから。
黒騎士……いったい何者なんだ……