5話 下
相竜を得た準騎士達が、覚束ない手付きで編隊飛行訓練を繰り返す。
「無理はするな、充分に編隊同士の距離を保て!」
下手に低空で飛んでは、落下した時に地面に打ち付けられる危険性がある。非常時に教官が拾い上げる猶予を稼ぐ為、彼等は地上からでは点に見えるほど高くを飛んでいた。
「5000フィート、といったところでしょうか」
イリスは煉瓦を積み上げた防衛本部の城壁、その上の手すりに腰掛けて足を揺らしていた。
真一文字に横並びとなって飛行する準騎士達を見上げ、イリスは一人ごちる。
「編隊飛行は飛行効率の向上と周囲警戒を厚くする為の技術です、横に並んでどうするのですか」
この世界における編隊飛行はむしろ、儀礼的・規律的な意味合いが強い。それを無意味と断じるのは早計だが、イリスにはどうにも無駄の多い行為に思えて仕方がなかった。
「まあ、ぺーぺーの私が進言したところで意味はありませんが。アキレウス、しっかり守ってあげてください」
この距離ではイリスの視力といえど、アーレイとアキレウスの様子は窺えない。やがてイリスは諦めて、視線を下に降ろした。
城壁の下、防衛本部内の広場ではドラゴンを選び終わっていない候補生達がジョギングをしている。
本来ならイリスもあそこに混じらなければならないのだが、今日の彼女はサボタージュ中だった。
別件の用事があったわけではない。珍しく、単純にサボりたかったが為の真面目なサボりだ。
「こんなに天気がいいのです。のんびりせねば勿体ないでしょう」
言いつつも、イリスの表情は晴れない。
城壁の上から見える景色は、編隊飛行訓練やジョギングの光景ばかりではなかった。
「―――ざまぁないですね、バルドディ」
厩舎にて荷物を引くドラゴン。今日もまた、彼は労働力として生かされていた。
「それでいいのですか、貴方は」
バルドディは時折、首を空へと伸ばす。
その面持ちはひどく見覚えがあり、イリスの苛立ちは募るばかりだった。
「そんな、そんな無様を晒すくらいなら」
手すりの上に立ち上がる。
「それならいっそ、私が―――」
質より量な、しかし今や貴重となった充分なカロリーを得られる夕食の後。狭い寮室にてイリスはアーレイに手の平を合わせていた。
「頼みがあるのです、アーレイ」
「はい喜んで!」
「いえ、まだ何も言っていませんが」
イリスの頼み事は二つ。一つは点呼をやり過ごす為の小細工だ。
彼女は寮から抜け出す算段を立てていた。既に外出許可が降りる時間はとうに過ぎている上に、そもそも彼女の計画は誰かに見受けられるわけにはいかない。
「点呼を誤魔化すのは難しくないでしょうけれど、もう一つの頼みは……」
珍しくアーレイが渋る。というより、彼女でもどうにもならないかもしれない頼みであった。
「やはり、アキレウスを荷馬車として貸してくれ、というのは難しいですか」
意気消沈するイリス。比較的温厚なアキレウスであっても、馬車馬扱いは受け入れないだろう。
「すいません」
「いえ、元より無理な注文です」
イリスは溜め息を吐く。
「とはいえ他の方法もない、多少無茶な見返りを求められようと是非お願いしたかったのですが……」
アーレイの目が妖しく光った。
「今、無茶な見返りを求められても、なんでも受け入れるって言いました?」
「え? ええ、アーレイの頼みなら」
友人のアーレイはあまりに横暴な見返りは請求しまい、と踏んでの断言である。
「説得します」
「いえ説得といっても。誇り高いアキレウスが……」
「調教します」
「調教!?」
アキレウスに心の中で詫びるイリスであった。
外出の準備をしていると、アーレイが思い出したように訊ねる。
「しかし、夜遅くに行動したいのであればいっそ外泊許可を取ればいいのでは?」
アーレイは机より外泊許可書を取り出す。
全く以てその通りである。実家が近所なので、外泊など難しくもなんともない。
しかしイリスには、どうも抵抗感があった。
「いえ、それはちょっと」
「何か問題が?」
「アーレイも酔っている時に書類にサインしてはいけませんよ」
「はぁ……?」
厩舎に忍び込み、アキレウスの居る区画にイリスは向かう。
「アキレウス?」
すぐに彼は気付き、イリスに恨めしげな視線を向けた。アーレイの『説得』は楽しいものではなかったらしい。
「すいません、無理をお願いして。早速ですが宜しいですか?」
アキレウスはイリスが乗りやすいように首を降ろす。こうも素直なことに、イリスは戦慄を覚えた。アーレイに対して。
「苦労していますね、あたっ」
元凶のお前が同情するな、とアキレウスは尻尾でイリスを軽く小突いた。
少し痛む背中を撫で、イリスはアキレウスに飛び乗る。踵で合図を出せば、アキレウスは優雅に夜空に舞った。
「そういえば夜間飛行なんて久しぶりです。なんと暗い街でしょう」
上昇し夜のクルツクルフを一望、イリスは呟く。
夜間を飛行するのは容易なことではない。ありとあらゆる情報が制限される闇の中では、ただ飛ぶだけでも危険が付き纏う。
「やれやれ、暗視装置が欲しいところです」
松明やランプ、そして魔法しか光源が存在しない街。日本の夜景より遥かに暗く、高度が把握しにくい。
「こうして考えてみると、滑走路もまだ探しやすい方だったのですね」
飛行機における夜間飛行での滑走路を探す目印は、目立つように並んだ大きなライト……ではなく、むしろ暗い場所である。
空港のある土地には人が集まる。むしろ、空港周囲の方が明るい。
街明かりの最中にぽっかり空いた暗闇の土地。これをまず目視するのが、滑走路灯の発見よりも先決なのである。
幾つかの魔獣警戒用の塔、その灯りから現在位置をイメージしつつアキレウスは飛行する。
向かう先は国営大工房。アキレウスの背中で器用に髪を纏め、仮面を装着する。
彼女の今の服装は軽銀氏としての正装。ほどなくして、イリスは工房の上空に辿り着く。
「さてどうやって侵入したものか」
その時、夜の帳が下りた街がにわかに騒ぎだした。
「おや、バレましたか? いえ……違う」
追う者と追われる者。人並外れた視力を有するイリスは、唐突な逃走劇の出演者を顔まで視認する。
薄汚れた衣服の浮浪者数人が荷物を抱えて走る。しかし所詮は体力のない貧乏人、訓練を受けた兵士に捕まり取り押さえられる。
多勢に無勢。倍以上の人数に押し潰され、浮浪者はもがくことも出来なくなった。
「強盗ですか。最近多いですね」
衣食が揃いやっと人は平静を保てる。昨今の不景気は経済的弱者から余裕を奪い、餓える者すら現れていた。
「配給も滞っているようですし……こういう時は、軍属であることに感謝させられます」
三食しっかりと食べられるのは、軍隊の大きなセールスポイントである。生きにくい時代ほどこの傾向は強い。
歴史的に見れば、自衛隊の食事に文句すら出る日本が異端なのである。
「玉羊羮と週一のカレーがあれば、文句なしなのですがね」
イリスは兵士達が国営大工房の警備兵であることに気付いた。
「となると、今工房は手薄なのですか。チャンス、かもしれません」
アキレウスは降下、工房内の中庭に降り立つ。
しばしじっと息を潜め、物音に変化がないことから侵入成功と判断。イリスはアキレウスを物陰に追い込め行動に移る。
「さて、回転式推進装置の保管場所は―――」
「これは、どうしたのかね軽銀殿?」
イリスは急に声をかけられ小さく飛び上がった。
「あ、えと、その」
狼狽しつつゆっくりと振り返り、声の主を見やり胸を撫で下ろした。
「……なんだ、お爺様ですか」
「なんだとは失礼じゃな、今のお主は立派な不法侵入者じゃぞ」
「見逃して下さい。そして回転式推進装置貸して下さい」
「無茶を言うな。お主は確かにアレの開発者であり第一人者じゃが、所有権は国にある。持ち出せばただの窃盗じゃぞ」
「お爺ちゃん、お願いっ」
ランスに抱き付き、上目使いで訴えるイリス。
「ぐっ、ダメじゃ。わしは負けん」
「お爺ちゃん、だーい好き!」
祖父の弱いところを心得ている孫娘であった。
「ねえお爺ちゃん、わたし欲しいものがあるの!」
「そうかそうか、なんでも持っていくといい……ハッ」
すかさず離れてそそくさと倉庫へと向かおうとするイリスを、ランスは慌てて引き留める。
「まてまて、何に使う気なのじゃ!」
「どこぞの腑抜けたドラゴンに気合いを入れようかと思いまして」
やや睨み合い、ランスは嘆息した。
「……無茶はするなよ、あ、無理じゃな」
「その場で諦めないで下さい」
およそイリスの目的を察したランスは、器物の持ち出しを容認することにした。
彼にとって、重力は呪いだった。
精強な膂力を秘めた筋組織は持ち腐れに落ちぶれ、背中の翼は思い通りに動かない。
バルドディは地面が嫌いだった。飛ぶことしか知らないからこそ、地面で生きることなど出来なかった。
日々を呪い、無様に生にすがる自身を侮蔑する。
離着陸も行う場所故、厩舎は空が広く開かれている。
荷馬車馬として生かされる日々。それが恩情であろうと、バルドディにとっては何よりの苦痛であった。
ここにいる限り、自由に空を飛ぶ他のドラゴンを見続けなければならない。
―――今日は、彼にとって特に辛い日だった。
かつて背に乗せ飛んだ、彼の主の娘。記憶より少し背の伸びた彼女は、バルドディの姿に驚き、目を逸らした。
屈辱だった。だがそれを、暴れて発散することも出来ない。
煮えたぎることすら過ぎった激情を内に秘め、バルドディは厩舎の片隅で静かに身体を休める。
「―――それでいいのか」
柵の扉が軋みつつ開く。
風などではない。誰かが、人為的に開いたのだ。
バルドディはしばし黙考し、誘いに応じることにする。
例えこれがつまらない罠であったとしても、これ以上自身を振り撒く環境が悪化することはない。半ば自棄となった向こう見ずな行動だった。
静かに外を歩き、ふと月を見上げる。
月下の空、城壁に立つ小さな人影がいた。
「土竜ではなく土竜の類かと思ったぞ。地を這うのは楽しいか、バルドディ」
バルドディは鼻を鳴らした。目の前の小柄な人間は、飛べなくなったバルドディには届かないと客観的に判断されるであろう高さから挑発している。
ただ馬鹿にしているのだ、そう判断したバルドディは時間の無駄だったといわんばかりに踵を返そうとする。
だが、しかし。人間は城壁より飛び降り、地上に降り立った。
目を細めるバルドディ。その瞳には興味の色が浮かんでいる。
「ああ、その通りだ。殺したければ殺せ。敵は、目の前だ」
何の気負いもない様子でバルドディに近付いていく人物。恐らくは女―――その者は伝統的ながら大胆なアレンジを加えられた美しい騎士服のドレスを身に纏い、顔には目元だけを隠す彫刻の施されたマスクを着用している。
そこまで観察した時、厩舎を爆音が包んだ。
地の大精霊が怒り狂うが如き轟音。彼女の協力者が始動した、回転式推進装置の声。
地震が起きているかのような錯覚すら起こし、突然の騒音にドラゴン達が目を醒まして暴れる。
多くのドラゴンは厩舎の壁に体当たりし、何度も建造物が揺れる。果たして建物がいつまで持つか。
「おい、この音はなんだ! くそっ、閂が入ってやがる!」
当直の騎士が出入り口の大きな門を外側から叩くも、事前に第三者の介入を封じる手筈は備えられている。
高い壁に囲まれ、空だけが開けた空間はほぼ完全な密室であった。
混乱が止まぬドラゴン等、しかしただ一匹は身動ぎすらしない。
無論、バルドディだ。彼だけは不動のまま、煩わしげにドラゴン達を睨む。
思いきり大気を胸に吸い込み、バルドディは首を空へと向ける。
咆哮。
回転式推進装置の轟音に勝るとも劣らぬ、およそ生物が発するものとは思えぬ重く低く大質量の鳴き声だった。
「……っ!」
バルドディの足元に亀裂が走り、本部の窓ガラスが砕け散る。
僅か十数秒。ただそれだけで、ドラゴンというドラゴンは沈黙した。
ごくり、と少女は息を飲む。圧倒的な暴虐を前に、心を奮い立たせ口の端を吊り上げて見せる。
「結構、その程度でなければ張り合いがないというものだ」
すくむ心とは裏腹に、少女は堂々と宣言する。
「互いに間合いの内。全力で殺しに来い。その悉くを、封殺してみせよう」
どういうつもりだ、と視線で訊ねるバルドディ。少女……イリスは仮面の下で眼光を鋭くする。
「私が勝てば、私の家畜となれ。馬車馬よりよほど有意義だ、嬉しいだろう?」
バルドディは無言で尾を振るい、眼前の人物を殺しにかかった。
イリスはバルドディの能力を侮っているつもりはない。つもりは、なかった。
しかし―――
「―――ここまでとは」
倒壊した建物。砕けた城壁。この惨劇を引き起こしたのは、ただ一匹の死に損ない。
「どこが戦闘能力がない、ですか。郊外に飼っておけば魔獣を何匹でも葬れるでしょうに」
これでは詐欺だ、とイリスは唸った。
しかしそれは正しくもないと気付く。バルドディは戦えないのではなく、御せないのだ。
ドラゴンは簡単に相人を裏切ることはしない。例えそれが亡き者であったとしても。
バルドディは荷馬車を引く屈辱甘んじて受け入れようと、決して他の竜騎士を乗せることはしていない。
「死んだ人間に義理立てするとは、難儀なものですね」
嫌いではありませんが、と口内で呟くイリス。近くにいては危険極まりなく、堪らず距離を取る。
魔法にて強化された脚力は地球におけるトップアスリートに匹敵するタイムを叩き出すが、超常の獸相手にはそれでも心許ない。
厩舎の裏に隠れようとして、巨大な物体が飛来。
「むっ」
避ける為に足を止める。それはいつも彼が引いている荷馬車であった。
常日頃から引いている貨物だが、彼にとっては負担でもなんでもなかったらしい。飼料や土の詰まった袋が満載され数トンにも達する重量を有しているというのに、バルドディは取っ手をくわえ振り回して投げたのだ。
足を止めたイリスに迫るバルドディ。イリスは背後に壁を控えており後退も叶わない。
左右に駆けたところで追い付かれる。そう判断した彼女は、壁に手を置き高速詠唱用人工言語を詠唱する。
「『 』『 』『 』『 』ドリタールッ!」
第六級魔法ドリタール。職人や建築家が使用する、土を変形させる魔法だ。
斜めに一列、土壁から等間隔に足場が生える。イリスは壁を駆け登り離脱を試みた。
高さ40メートルほどの城壁を登りきろうとして、彼女の目の前に巨体が着地した。
城壁上に降り立ったバルドディ。あまりの衝撃に城壁の一部が砕け、パラパラと破片が眼下へと溢れていった。
「……飛べないのではなかったのか? いや、跳んだのか」
跳躍にて助走もなく、一息に飛び上がりイリスを追い越す。尋常ではない筋力、ドラゴンとしても馬鹿げた域の存在なのだ。
理解する。この城壁は、バルドディを拘束するのに役割を果たしてなどいない。
「逃げようと思えばこの厩舎から逃げられたのに、なぜここに居続けている?」
日々の糧の為ではない。バルドディがそんなものにすがるはずがない。
かつての縁を失いたくないが為?この猛獣が、遺族や思い出にしがみつくはずがない。
「まさか―――信じているのか。あの人の、父の生存を」
返答は大岩の爆撃であった。
格納魔法より取り出された、大小様々な岩々。直径がメートル単位の物は当然ながら、数十センチ級であっても直撃すれば大怪我は免れられられない。
イリスは踵を返し、地面まで飛び降りる。振り返り空を見上げ、降り注ぐ岩を睨む。
「これとてまた真っ正面、ならば逃げるわけにはいかないだろう」
迫る死の恐怖など捨て、イリスは岩一つ一つの落下軌跡を推測。安全地帯へと飛び込む。
数瞬遅れ重い衝撃が地面を揺らす。無数の岩が剣山のように突き刺さる中、イリスは魔法をいつでも放てるようにバルドディへ向けて手を翳した。
「精々私を潰して見せろ。翼が動かず空中で落下弾道を逸らせないお前など、ただの猪突猛進な豚だ」
イリスはバルドディが飛び降りてくることを予想した。そしてその時こそ反撃の好機だと。
しかし彼の行動は尽くイリスを上回る。
バルドディは城壁に立っていた。その内側側面に、爪を突き刺して歩いていたのだ。
「なっ」
重力を魔法で打ち消しているのかと疑うも、イリスとてそんな魔法は知らない。故に導き出される結論は一つ。
単純に筋力のみで支えている。地上と同じように立ち振舞い、まさしく戦場を選んでなどいない。
「耳を澄ませ、それは破滅と慟哭の唄」
イリスはいよいよ手加減することを止めた。現状、最も確実に命中し大きなダメージを与える魔法を選択する。
「昏い深淵より覗くのは、忘却されし赤子の詩」
多くの魔法を丸暗記するイリスだが、全てを高速詠唱用人工言語に変換し暗唱可能な訳ではない。音で覚える必要のある高速詠唱用人工言語は、イリスをもってしても使い勝手のいい魔法を選定し必要なだけ暗記するに留めているのだ。
もしバルドディが気を変えて突撃してきた時は迎え撃てばいいだけ、そう判断しイリスは長い口頭詠唱魔法を敢えて選択する。
「誇りは明白なる使命。記録されぬ葬送曲」
バルドディは地面がざわめくのを感じ取った。土竜だからこそ土中の変化を機敏に感じ取り、その異常さを察知したのだ。
このまま降下するのは危険である、そう判断したバルドディ。
「故に裏面へ刻む。大憲章の片隅に彼の鎮魂歌を」
しかしバルドディは魔法を鼻で笑い、残りの5メートルほどを一息に飛び降りた。
高まる魔力。それすらバルドディは口の端を吊り上げるだけで対処などせずに待つ。
イリスは悪寒を覚えた。これから発動する魔法は半端なものではない、バルドディとてそれは判っているはずだというのにリアクションすらないのだ。
まさか死ぬ気かと訝しむも、今更引き下がるつもりなどない。イリスは魔法の名を唱える。
「マニュフェイト」
地の底より突き上げる魔力。飢えた精霊が地上に吹き出し、イリスの魔力を貪る。
第三級魔法。制御も危うく極めて危険な、上級局地崩壊魔法。
密度が限界まで高まった精霊は暴走し、周囲の物質を崩壊させながら霧散する。
その結果がもたらすもの、それは無差別な破壊の嵐だった。
紫電が舞い、周囲全てを噛み砕く。それはバルドディ本人すら例外ではない。
光と轟音に包まれ焼かれるバルドディ。イリスからは、あまりの轟音と閃光故にどれだけの傷を負ったのかど判別出来ない。
しかしそれは攻撃の終わりではなかった。イリスの本当の狙い、それは彼の背後の城壁に他ならない。
下部を抉られた城壁は次自重を支えることすら不可能となり、崩落。
バルドディに何枚もの岩盤や破片が降り注いだ。
「やった! ……やりすぎた?」
推定10トンもの瓦礫に押し潰されたバルドディ。これほどのダメージを受けて生きていられる生物など魔獣にもそういない。
だからこそイリスもバルドディの死を覚悟した。殺すつもりはなかったが、殺さない保証もなかったのだ。これも結末の一つとして覚悟していたのである。
「残念です―――私は、貴方を―――」
自然と溢れた手向けの言葉、その最中に瓦礫の山が吹き飛んだ。
煙の中から憮然とした表情で現れたのは、傷一つ負っていないバルドディ。流石に背後からの落盤は予想外だったものの、それとて彼の機嫌を損ねる以上の効果は発揮しなかった。
「……戦車ですか、貴方は」
恐怖以上に呆れが前に出る。よもや父の相竜がこれほどの化け物だと、イリスは想像だにしていなかった。
弾かれたように突進を開始するバルドディ。イリスはとにかく急ぎ、狭い厩舎の中に逃げ込む。
厩舎は人間用の窓があるものの、外から中を窺うには少々難儀する作りだ。一度入ってしまえばバルドディからは建物のどこにイリスがいるのかは判らない。
バルドディは厩舎に激突直前で急ブレーキ、そのエネルギーを回転へと変換し尾を振るう。
吹き飛ぶ厩舎。建物内で外での激戦に震えていたドラゴン達にとってはいい迷惑である。
しかしそこに少女の亡骸はない。既に窓より脱出し、物置に飛び込んだのである。
「どうしたものか、あの戦車を止める手段などあるのか?」
物陰よりバルドディを睨むイリス。すぐに軽く頭を振り、否定する。
「戦車……なにを馬鹿げたことを。100年間研鑽され尽くした地上兵器と、あんなマジカルトカゲを同列に扱うなんて」
自嘲を漏らすイリス。専門分野こそ違えど、眼前の怪物を鋼の獸を同意義になど例えられない。
「どれほど強固であろうと、奴は戦車ほど完璧な存在ではない。ドラゴンなどという、ファンタジーとオカルトとナンセンスを詰め込んだ不条理が歩く存在だ」
―――そんな不完全な存在に、弱点がないはずがない!
イリスは観察する。洞察する。考察する。ドラゴンの弱点を、その故の不完全さを。
凝視するイリスにバルドディが気付く。顔を出して見ていれば、当然バレる。
突進するバルドディ。厩舎の物置に隠れたイリスには、すぐに待避可能な場所などない。
しかしイリスは勝ち誇った笑みを浮かべ、足元のバケツを蹴飛ばした。
「ふっ。見て明らかではありませんか、貴方の不得手など」
地面に散るバケツの中身。若干泡立つそれは、ドラゴンの鱗を洗う為に用意された洗剤だった。
駆けるバルドディは必然、それを踏み締める。
高い接地圧。強靭な筋力を伝達する脚部。二本足で走る不安定なドラゴンが洗剤を踏み締めば、結果は火を見るより明らか。
豪快に、どこまでも間抜けに転倒するバルドディ。上下逆さまとなって地面に落ちた彼は、必死に立ち上がろうと四苦八苦するも滑って再び転倒してしまう。
「戦車とドラゴンの違い、それは接地圧。大きな重量は共通であっても、それを支える足の面積が全く違う」
キャタピラであれば、洗剤であろうと積雪であろうと滑ることなどそうそうない。そもそも戦車が転ぶことなどほぼあり得ない。
しかしドラゴンは、数トンに達する重量をたった二本の脚で支えているのだ。これで無理がないはずがない。
「アキレウス!」
叫びに応じ、アキレウスがバルドディを組み伏せる。土竜のパワーに水竜のアキレウスは押し退けられそうになるものの、飛べぬ者と飛べる者の差、翼がバランスを取りバルドディを強引に下方へ押し付けた。
「そのままですよ、すぐ終わらせます」
手早く鎖にてバルドディを拘束するイリス。講義で拘束訓練は積んでいる為、ぎこちなさはなく慣れた様子だ。
いよいよバルドディは身体を何一つ動かせなくなり、恨めしげにイリスを睨んだ。
「私の勝ちです、バルドディ。ふふん。どやー。ねえ今どんな気持ちですか?」
イリスは小さなお尻をバルドディの鼻先に降ろす。完全に屈服させる気であった。
「どうも、今更ですがイリスです。貴方の相棒の娘ですよ。お気付きでしたでしょうけれど」
無論、気付いていた。知った上でバルドディはイリスを殺しにかかったのだ。
ルバートはルバート、イリスはイリス。例え血縁であろうとバルドディにとっては躊躇う理由にはならない。
「最初の誓約通り、これで貴方は私の物です。ハンバーグにしようとローストチキンにしようと私の勝手です」
勝手にお前が宣言したのだろう、とバルドディは呻く。
「とはいえ貴方に頼みたいことなど一つ、ちょっとした実験に付き合ってほしいのです。失敗すれば死にますが、まあ尊い犠牲という奴でしょう」
イリスは手早くバルドディに工学竜鎧、そして試作品の回転式推進装置を装着する。
翼の後方上部に左右一つずつ。計2つの回転式推進装置。
妙な物体を取り付けられ、暴れるバルドディ。頓着せず背に飛び乗り、イリスは拘束を魔法で解き放った。
「アキレウス、離れていいですよ。さあ暴れなさい、バルドディ」
張りつめた鎖が弾けるように四散し、バルドディは先ずイリスを振り落とすべく首を振るう。
しかしそれより早く、回転式推進装置が金切り声を上げる。
戦闘前にも鳴り響いた奇妙な音。それが背後に存在することで、バルドディの苛立ちは更に高まる。
そして強まる音と比例し、バルドディを未体験な力が押さえ付けた。
回転式推進装置が貪欲に吸い込んだ大気、そしてイリスの矮小な魔導血界領域より排出される空気圧がバルドディを前進させる。
「圧縮空気とはいえ時間制限は大きい、飛べればいいのですが」
バルドディは混乱した。翼は動いていない、動かせない。羽ばたいてもいないのに、自身を推し進める力が背中より発せられている。
たたらを踏み、踏ん張るも身体は進む。未知の体験に彼とてどうすればいいか判らない。
「知らないはずがないでしょう。翼を広げ、やや斜めにしなさい。揚力を発生させるのです」
バルドディは驚愕した。こともあろうことか、背中の少女は自分以外の力で宙に舞えといっているのだ。
「右手を内側に捻りなさい、それで出力を調節するのです!」
迫る城壁。もう加速するには時間がない。
バルドディは利口であった。本来ほとんど使用されず何の為にあるのか判らないほど小さなドラゴンの前足。それを小器用に捻り、連動して回転式推進装置の出力が上下することを確認する。
迷わず最大出力にし、バルドディは更なる加速をした。
「うわっ!? 躊躇いなく全開とは!」
―――流石、解っている。イリスは関心しつつも恐怖した。
飛ぶ為には速度を得なければならない。速度を得るにはもう城壁まで距離がない。
だからこその全力加速。初めての経験、常識外の装備を瞬時に使いこなし、やるべきことを理解した。
いったい世の中、どれほどの者が訳の判らない機械に命を賭けることを即座に選べるだろうか。バルドディはそれをしてみせたのだ。
「しかし、それでも……」
まだ風が足りない。重いドラゴンの肉体を浮かせるほどの揚力は発生しない。
焦るイリスを、バルドディは睨んだ。
その意図を図りかねて、理解する。
「私も手伝え、ってことですか!」
魔法を詠唱、風を起こし正面から受け止める。
前方からの強風、バルドディの速度。
相対的に得られたスピードは、遂にバルドディを浮上させた。
「よし、上昇―――しないの?」
浮き上がったものの、低い高度を飛び続け城壁へと直進するバルドディ。
速度を上げることに専念し、決して高度を上げようとはしない。
「あの、ちょ、早く、引き起こして!」
城壁に激突寸前、ようやくバルドディは上昇する。
「―――っ!」
強烈な重圧。あまりに強引な方向転換にイリスは呻くも、そんなことを無視しバルドディは真上へ向けて飛行する。
40メートルの壁。精神的にバルドディを閉じ込めてきた、厩舎の塀。
30メートル。20メートル。10メートル。
空が開け、360度の大気が二人を包んだ。
星空に躍り出たバルドディ。翼が麻痺していようと、回転式推進装置の推力さえあれば飛び続けることが出来る。
「はは、やるじゃないですか!」
歓喜の咆哮を上げるドラゴン。彼は戻ったのだ、風の海にへと。
「手こずらせましたね馬鹿ルドディ! 貴方は最高です!」
ごしごしと頭部の堅い鱗を撫で、イリスはバルドディを誘う。
「バルドディ、私のドラゴンになりなさい」
魔導血界領域の圧縮空気が尽き、回転式推進装置が停止。バルドディは滑空へと移行する。
「貴方が選り好みするのではない。私が、貴方を見定めてあげます。私と共に飛びなさい。私と共に戦いなさい。私の相竜となって、空に散りなさい!」
それは彼にとって、充分な勧誘。
地面で寿命を迎えるのに比べ、空で死ぬということはあまりに甘美な誘惑である。
肯定は、先程以上に響き渡るドラゴンの鳴き声であった。
確認されているドラゴン種について
土竜
土の国にいるドラゴン。モグラじゃない。得意魔法は格納、骨太で鱗が固く防御に優れている。どちらも空戦には不向きな特徴であり、重くて鈍重。魔導血界領域内に非生物を無制限に仕舞うことが出来る。ローフマギリアが何なのか、どういう原理なのかは作者だってしったこっちゃない。
水竜
水の国のドラゴン。
逃げてきたので土の国にも多少はいる。水を無から大量に産み出し、水中行動可能。
風竜
特殊能力はないも、とにかく速い。
火竜
火の国と同じ単語だが、アクセントが違う。火炎を操り、唯一ブレスを吐ける。
黒竜
気性の荒い、黒いドラゴン。基本的に人を背に乗せず、知能も低い。どんな竜騎士でも一対一であれば確実に勝てる程度の弱さであり、最弱のドラゴン種とされている。
問題は、どう上手く立ち回っても5匹は同時に相手取らなければならないほどの物量。
フォートレスドラゴンについて
詳細は不明。以下のフォートレスドラゴンは個体として確認済み。
尚、これが全てではない。
マザーフォートレス(超空の母船竜)
サイレントフォートレス(超空の幻想竜)
サブマーシブルフォートレス(超空の可潜竜)
ドライデッグフォートレス(超空の三葉竜)
ウィザードフォートレス(超空の魔砲竜)
ソニックフォートレス(超空の音速竜)




