5話 上
「おのれ、レムていこくめー!」
極彩色の空を、ぬいぐるみの戦闘機で駆けるイリス。
風車のように適当なプロペラがペラペラと回り、小さな戦闘機は急上昇する。
空高くには巨大な船。船体には『レムていこく』と判りやすく書かれている。
「にどね、だめ、ぜったい!」
すれ違い様に生卵を船にぶつけ、イリスはガッツポーズをする。
「いえー!」
レムていこくの戦艦甲板では緑黄色野菜達が慌てふためいて生卵を拭いている。数人がコンロの上でフライパンを振るうと、弾けたポップコーンがイリスの戦闘機を襲った。
しかしそれを軽々と避けるイリス。
更に旋回、上方より二度目のアプローチ。
「きゅうこうかばくげきー!」
イリスの飛行機周辺より出現したショートケーキが次々とレムていこくの船に着弾し、生クリームの白に染め上げていった。
「とら、とら、とらー!」
歓喜の声を上げるイリス。
こうして彼女は、レム睡眠の魔の手を払い除けることに成功した。
「とらぁ……ふぁ?」
クルツクルフ防衛本部寮の一室、狭い二人部屋にて彼女達の朝は始まる。
慣れてしまった寝苦しさに唸りつつ、イリスは睡眠欲をメルヘン兵器で貫きながら目蓋を上げる。
彼女の視界に入るのは、西洋人形のように整った少女の寝顔。
「アーレイ、朝です……起きて下さい、動けません」
困った様子でなんとかアーレイを揺すり、起床させようと努力するイリス。
室内のスペース節約に狭い一つのベッドで寝起きしているイリスとアーレイだが、すぐにこの生活スタイルの問題点が発生した。
アーレイが寝ぼけて、毎晩イリスを抱き枕にしてしまうのだ。
不幸かな、イリスは未だに小柄な体格のままだ。ドワーフの血が入っている以上、宿命といってもいいかもしれない。
並んで歩いていれば、知らぬ者は姉妹だと勘違いすることも多い。整った容姿と頭一つ分の身長差がそう感じさせるのだ。
つまりどういうことかと言えば、抱き枕にされたら最後、イリスには脱出の手立てがないのである。
「アーレイ、アーレイっ」
イリスとてあまり強引に起こしたくはない。小さく溜め息を吐き、今朝は持久戦になることを覚悟した。
この寮は軍属の割に規則が厳しくなく、多少の遅刻も許容される。イリスの感覚では実にいい加減だが、中世頃の軍隊とはそんなものである。
辛抱強く揺すり語りかけること10分。アーレイは寝ぼけ眼で目を醒まし、寝ぼけて低い天井に頭をぶつけた。
起床後は顔を洗い、騎士の正装たる騎士服に着替える。
部屋に見鏡はあるが、背後までは当然見えない。よって朝の身嗜みは互いにくるくると回って確認しあうのが彼女達の常だった。
「おかしいところはありませんか?」
纏ったピチピチの騎士服の問題点について訊ねるアーレイ。
「強いて指摘するなら、それは私の騎士服です」
「あら。間違えてしまいました」
「更に言えば、貴女が先程穿いたのは私のパンツです」
「あらあら。間違えてしまいました」
「貴女の箪笥の最奥に入っている下着や靴下も、実は私の物です」
「あらあらあら。紛れ込みました」
「そろそろ私が穿く物がないのですが」
「私のショーツです。どうぞお使い下さい」
遅々と進まない着替えをやっとの思いで済ませ、食堂へと歩く。
「どうも最近、この騎士服も小さくなってきました」
アーレイがしきりに首元を気にする。一回り小さなイリスの騎士服ではなく、アーレイ自身の服だ。
「仕立て直す時期では?」
「ですが、胸元だけ大きくしてくれと注文するのはどうも気恥ずかしくて」
「成長ってピンポイントですか」
アーレイの騎士服は水の国の国花である睡蓮を刺繍された、上質な一品だ。
およそ戦装束とは思えぬ、ポフスリーブまで備えられた碧色のドレス。ロングスカートは地上での動きに難があるものの、裏地に鎖を織り込んだ防御力重視の物だ。
それだけではなく、目に見える表面にも主だった重要部位には金属のプレートが据えられている。貴族の娘然としたドレスでただそれだけが、実戦用であることを主張していた。
候補生の身分故に華美な装飾などは控えられているものの、熟練の職人が縫ったそれは家が軽く建つほどに高価である。
「イリスはもう少し身嗜みに気を使うべきです」
「別段、着衣が乱れているわけではないと思いますが」
「質素過ぎます!」
イリスの騎士服は上着とインナー、チャックのスカートというシンプルな物だった。
一目見て、学生服に近い印象を覚え即決したのだ。
「本当はズボンが良かったくらいです」
「イリス、女の子の服選びは実用性以外にも大事なことがあるのですよ」
慣れこそしたが、未だにイリスはスカートが苦手だ。きっとこの後もそうそう慣れることはないのであろう。
「せめて下にズボンを穿けないものでしょうか」
「邪道です」
「邪道ですか」
常の如く堂々巡り。最早お約束レベルとなった議論であった。
食堂にて朝食を取りつつ、イリスはこっそりと周囲を見渡す。
「皆、浮き足立ってますね」
「浮き足立っているというより、緊張しているのではないでしょうか」
今日は候補生達にとって特別な日であった。様々な訓練や勉学を積み、4年間この寮で生活してきた努力が一つの形となる日なのである。
「アーレイは落ち着いていますね」
「経験済みですしね」
「経験済み?」
「立場は逆でしたが」
なるほど、とイリスは納得した。
アーレイとて本来はやんごとない身分。そういった式典や儀式についても慣れており、中間地点でしかない今日の任命式など序の口なのだ。
「しかし、今日からは私達も準騎士なのですね」
半人前としてドラゴンへの騎乗を許される騎士。それが準騎士だ。
イリス達が防衛本部に入隊して4年。初期訓練期間をようやく終え、竜騎士候補生の少年少女は一つ上の訓練段階へと移行する。
飛行訓練。相竜と組んでの、実践を交えた訓練。
危険はこれまでの座学や地上訓練とは比較にならない。安全を確保した御遊戯であろうと、命の危険は付き纏う。
かつて人が馬上で戦っていた時代において、戦場ではなく移動中に馬から落ちて死亡する者は地球でも多かった。それと同じように、ドラゴンから落ちて死ぬことなどこの世界ではありふれた話なのだ。
しかしどれだけありふれた話であろうと、その運命を許容出来る者などいない。
この朝食の場で表情を強ばらせる『半数』はそういった事故死の恐怖からくるものだった。
「私達はともかく、追加候補生の方々は大丈夫なのでしょうか……」
アーレイが小声で呟く。
候補生には、根本的な訓練が足りていない者も多い。
フォートレスドラゴンの出現、汚染兵の進撃。急激に人類の戦況は悪化し、クルツクルフ防衛本部は戦力増強の必要性に迫られた。
そこで、本部はかつて入団試験にて優れた結果を残しておきながらも落第した者達を追加候補生として補充するという決定を下す。
質より量、とまではいわないまでも、訓練過程の多くを短縮しての実戦投入計画。不安が残るのは当然だ。
しかし訓練量以上に、メンタル面の問題が表立っているとイリスは見ている。
顔を強ばらせるもう『半数』、訓練に不安を抱く者達とは別の派閥。彼等の不安の理由は、そもそも戦場に行きたくはない者達であった。
訓練が少ない故の不安もある。だが、それ以上に現在の竜騎士はかつてのように、ミスさえしなければ死なず富と栄光を得られる職業ではない。
汚染兵の出現以来、最前線は騎士の死地であった。
「覚悟の差なのでしょう」
「覚悟、ですか」
戦場へ赴くのならば必ず必要な覚悟。命を賭す決意が、追加候補生には出来ていない。
「一度落第してしまったのです、その時点で殺し殺されの世界とは縁を切っていたのでしょう」
「ならばどうして、追加候補生として入団することを受け入れたのですか?」
追加候補生としての入団は強制ではなく、決定権は各々に与えられていた。
「それこそ人それぞれでは? 周囲の空気や圧力に流された者、竜騎士への憧れを捨てきれなかった者、軍人となった方がかえって一般人より長生き出来ると踏んだ者、ああ、後は……」
イリスがちらりと見れば、少し離れたテーブルで少年が大声で演説をしていた。
どうやら興が乗っているらしい彼は、大仰に手を振って言葉を続ける。冷ややかな視線に気付いた様子は微塵もない。
「……つまり元準騎士にさえなっちまえば、食い扶持には困らないってわけよ! 俺は叙勲式が終わったらさっさと退団するぜ!」
「税金を使って、手に職を付けたい者、でしょうね」
祖国を憂い、或いは黒竜軍を憎み騎士を目指す者達が少年を睨む。しかし少年はそ知らぬ顔で言葉を続ける。
「はっ、望んで戦場に行くなんてバカのすることさ! 俺は賢く楽しく生きるぞ!」
アーレイが立ち上がる。その瞳には怒気を抱いていた。
イリスは歩み出そうとしたアーレイの手を掴み、そっと制止する。
「やめなさい、アーレイ。ああいう手合いには何を言っても無駄です」
更に言えば、イリスは正直者は嫌いではない。図々しさも生きるのには必須であろう、とも考えている。
元来の性格からして、それほど清廉潔白ではないのだ。
しかしながら、イリスが少年に他意を抱いていなかろうと少年がイリスに思うところがないとは限らない。
イリスの言葉を耳敏く聞き取った少年が、二人に詰め寄ってくる。
「なんだよ、言いたいことがあるのか七光り女!」
「いえいえ、滅相もありません。私などが貴方に物申すなど」
イリスにそのつもりはないが、最早慇懃無礼の域である。
「けっ。実力もない癖に。お前は俺以上にこの場に不要だろーが」
アーレイの奥歯がギリギリと鳴っていた。
そんな彼女の様子にも気付かず、少年はアーレイに話しかける。
「アーレイさん、もし良ければ俺と一緒に奥地へ引っ越しませんか? あちらで就職のアテがあるのですが、もう一人くらいなら雇ってもらえるはずです!」
奥地とは土の国の西方、クルツクルフから見て水の国方面とは反対側の地方のことだ。
黒竜軍の侵攻が進み土の国の国土が蹂躙されたとしても、奥地は被害が遅れる可能性が高い。故に、一部の富豪や富裕層はこの土地へと避難を進める傾向にある。
もっとも、かつて一息にフォートレスドラゴンが各地の大都市を襲撃した、という前例がある。彼等の疎開も根本的解決となっていない問題の先送りでしかない上に、黒竜軍の奇襲が起こるようになった現在となってはおまじない程度の意味合いしかない。
「滅んだ国に執着し消耗戦を続けていては、それこそ我々は滅びます! 聡明で美しい貴女は生き残るべきだ、安全な奥地で夫婦となりましょう!」
芝居がかった動作で腕を振るい腰を下げる少年。
「言いたいことはそれだけですか」
いよいよ手を振り上げたアーレイ。しかしギイハルトの頬をひっぱたこうとした白い手は、イリスによって掴まれ止められる。
「イリス、この無礼者を打たせて下さい!」
「どうどう。落ち着きなさいアーレイ。このままじり貧を続けていては人類滅亡が待っている、というのは曲げようのない事実ですし」
アーレイは反論しようとして、イリスの目を見て思い止まる。
イリスの目は獰猛であった。到底、滅亡を受け入れた者の視線ではなかったのだ。
「そうだ、人類は黒竜軍には勝てないっ、フォートレスドラゴンに俺の両親も殺された!」
誰かが息を飲む。
4年前の襲撃事件において、肉親を亡くした者は少なくない。故に、フォートレスドラゴンの名は彼等を動揺させる。
あまりに強大な暴虐は、確実に人類の寿命の何割かを削った。
あの規模の襲撃をあと何度、人類は凌げるのか。あるいは、次こそ人間という種族の最期なのかもしれない。
未来を左右するのは人ではない。黒竜軍の気紛れ、そんなものに人は命運を預けているのだ。
「け、けど、フォートレスドラゴンはあれ以来現れていないじゃないか! 60年以上経ってやっとフォートレスドラゴンが出現したんだ、次の襲撃だって60年後かもしれない!」
「確かにフォートレスドラゴンはあれ以来出てこないさ。でもあの化け物の寿命が一日だけで、誰かが殺したわけでもないのにのたれ死んでいる……本当にそう思っているのか!?」
フォートレスドラゴンはこの世界で未だ生きている。時折目撃情報が出回るが、恐らくは大半の時間を暗黒領域の奥地にて息を潜めていると推測されている。
都合よく病死か寿命死していると予想するのは、楽観を通り越しただの現実逃避であろう。
「それにフォートレスドラゴンがいなくたって、汚染兵の戦術が最前線を推している! あいつらは元人間だ、それも熟練の竜騎士だ! お前等、正規騎士相手に勝てる自信があるのか!?」
候補生達は顔を伏せた。彼等が殉職する可能性で最も高いのは、汚染兵に討たれることだ。
汚染兵。イリスの前に現れた黒い騎士を筆頭とした、かつて人類であった兵士。黒竜軍の竜騎士。
何故彼等が人類を裏切ったのかは判らない。しかし、一つだけ判明していることがある。
黒竜を指揮する汚染兵、その一人の顔を見知っていた騎士がいたのだ。
汚染兵は元竜騎士……それも、『戦死』した者達。
戦いに破れ戦場に散った亡者が、蘇り人類に敵対する。その悪夢が現実に起こっていた。
「なんならわざと殺されてみるか? 黒竜軍の一員として滅んだ世界でも生き長らえられるかもしれないぜ!」
「お、お前 清奏派か?」
「はっ、冗談だってーの。あんなキチガイ共と一緒にするなっ」
安堵する候補生。危険思想とされる清奏派が防衛本部に紛れ込んでいたとあっては、ことは一個人の思想云々ではすまない。上司への報告義務すら生じる、面倒事となる。
「ですが、あなたも気が早すぎではありませんか?」
イリスがぴしゃりと指摘する。
「アミテッドにて相応の試験結果を出さねば、貴方も就職どころか退団すらままならないでしょう。捕らぬ狸のなんとやら、ですね」
順調に相竜を得た少年少女は、訓練の後にアミテッドという催し物に挑むこととなる。この競技大会の結果は今後に大きく関わるものであり、優秀な成績を残せた者は軍で昇進しやすくなったり退団の許可を得やすかったりするが、成績が残せなかった者は配置希望が大きく軽視されたり出世が望み薄だったりと、様々な格差が生じてしまう。もっとも本人の努力と才能によるところなので、仕方がないことなのだが。
表向きは軍隊と市民の交流会。しかし明文化されていないものの、この競技に準騎士の素質を計る意図があることは否定しようがない。
「俺はこれでも優秀だぜ? お前こそ、死ぬ気で臨まなければ最前線行き待ったなしだ!」
「あ、私は不参加なのでお構い無く」
少年がキッ、とイリスを睨む。
「またコネでサボる気か? それでよく人のことを言えるな」
「言っていないでしょう」
イリスはよく訓練や授業を抜け出していた。しかしその件で上司に咎められたことはない。
そんなことが何度も続けば、やがて候補生達も「彼女は爛舞騎士の娘だから特別扱いされているのだ」と考えるようになる。
これに関しては、イリスにも日頃から厳しい視線が向けられている。もっとも本人は涼しい顔を崩すことはないが。
「ふん! アーレイさん、そんな奴をつるんでいては貴女まで品性を疑われますよ!」
捨て台詞を投げ、少年は立ち去る。残ったのはご機嫌斜めなアーレイと呑気にスープを啜るイリスだけだ。
「イリス、ああいう手合いには身の程を知らせるべきです! 此度の試練、がつんと負かしてしまいましょう!」
「負けてもらう予定ではありますが、私欲の為ではありませんよ」
なにやらおかしい会話の流れにアーレイは首を傾げる。
「イリス、何やら最近忙しそうですが……また何か作っているのですか?」
「自信作です」
ない胸を張ってイリスは頷く。
「三ヶ月後の大会で発表する予定です。私に相棒がいれば、ですが」
イリスにとっての最大の懸案事項は、相竜選びの一点であった。
工学竜鎧が土の国国王フラン・ベルジェ・アーヴェルアの知るところとなり4年。フォートレスドラゴンの襲撃に際するイリスの戦闘は、皮肉にも工学竜鎧を大きく評価する一要因となった。
軍拡を推し進めることが急務のご時世、ましてや画期的かつ実績も残した新技術。処々の事情からイリスの存在そのものを機密としながらも、正規に予算と立場を手に入れた彼女は、祖父のランス経由により国営大工房への依頼を行う権限を得る。
軽銀なる謎の人物からの奇妙な依頼に首を傾げるドワーフ達だったが、意図が不明であっても国からの正規の仕事。彼らは技術を総動員し、見たこともない図面を形にしていく。
軽量化に必須となるアルミニウム合金の実用化は難しく開発は難航しているものの、やがて鉄製ながらも完成度を高めた工学竜鎧量産型プロトタイプが完成したのだった。
性能を維持しつつも設計に遊びが多めで拡張性が高く、今後新装備が完成しても無理なく搭載可能な余裕を確保した。
「じゃが、これで量産すべきではないと?」
「はいお爺様。この装置には、決定的に足りないものあります」
ランスと肩を並べ廊下を進むイリス。彼女は工学竜鎧を未だ完成したものとは認めていなかった。
「軽量化に難航している以上、別の方法で機動力を上げる必要があります。こればかりは追加装備ではなく基本装備としなければ」
「うむ。それがこの―――」
やがて二人は広い倉庫へと辿り着く。
部屋の中心には巨大な円柱が台座の上に横たえて鎮座していた。円柱の片端は鉛筆のように尖っており、もう片方は円柱より二回りほど太く短い筒が付いている。
「―――回転式推進装置……だったか。この形式に至るまで、何度試作したやら」
遠い目で安置された回転式推進装置を眺めるランス。彼もまた、この新たな発明に奔走させられた一人であった。
エンジンとは、科学エネルギーを運動エネルギーに変換する装置である。
その運動の形式は多岐に渡る。自動車のエンジンは回転運動となるし、ジェットエンジンは流体運動として出力される。中には往復運動として出力されるエンジンとて存在する。
かつて格納魔法を使用した空気圧エンジンの実験に成功したイリスだが、彼女がエンジンを作り上げたとして何に使用したがるかなど解りきっている問いだ。
推進装置。航空機と比べあまりにも低速飛行しか出来ないドラゴンを強引に加速させる為の、外付けエンジンであった。
エンジンと名の付く装置であれば、どんな形式であれ、飛行体の推進力として利用することは出来る。図面を引く段階となり、イリスはこの命題に大いに悩んだ。
最初に製作した試作品。便宜上、これをロケット方式と呼ぶ。
空中での推進力として利用するのであれば、単純に後方へと空気圧を噴射すれば良かった。土竜の格納魔法に量制限はない。多少効率が悪かろうと、その分大量に空気を噴射して補えばいい。
このロケット方式、つまりは片方を閉じた筒の中で空気を次々と出現させるだけなので最も簡単に出来上がった。
しかし流石にこれだけ単純では問題が浮上した。空気を消費し過ぎたのだ。
幾らでも魔導血界領域内に格納可能とはいえ、アスポートを使用するのにも時間と魔力を要する。その比重が非現実的なレベルだった。
そこで、もっと効率のいい推進装置を模索した結果、次に試作されたのはピストン方式だった。
ピストンが往復する、古典的なエンジンだ。地球でのエンジンの発展に習い、簡単な構造のエンジンを試作させたのである。
しかしその不出来で脆弱なエンジンは、あまりに重い金属の塊であった。素人の作った模型エンジンなど所詮その程度である。
もっと軽く、もっと強力なエンジンを求め他の形式を模索するイリス。ロータリーエンジンや羽ばたき機構などにまで手を出した結果、最終的に辿り着いたのはガスタービン方式となった。
根本的には最初に試作されたロケット方式に近い。しかし、噴射口に何重にも風車を重ね、強力な回転エネルギーを得る機構を搭載したのだ。
あとはその回転軸に大きなプロペラを直結させればいい。イリスとランスの目の前にある試作エンジンは、こういった仕組みの品であった。
「解らんのう、なぜ仕組みを組み込んでまで風車を取り付けたのじゃ? 吹き出す風の量は変わらないのではないか?」
「こういう推進装置は噴射するガスと飛行体の相対速度に開きがあると、効率が悪いのです。つまりプロペラは一種の減速機ですね」
いそいそと着替えるイリス。替えるのは上着だけであり、人目も祖父しかいないので堂々としたものである。
「ほ、ほー?」
いまいち理解していないランスである。
以前に製作された試作品は後部のプロペラが剥き出しだったのだが、風切り音が想像以上に煩かったことから覆いを設けることとなった。効率が若干低くなるも、元々音の少ないドラゴン同士の戦闘にあって轟音の発生源など自分の位置を広報しているようなものだ。
「本当は歯車を使用した、もっとしっかりと減速する機構を採用したかったのですがね」
「あんな複雑な部品、まともに動くわけがなかろう」
イリスが引いた遊星歯車機構の図面を思い返し、ランスは溜め息を吐く。
成熟した機械設計と工作精度にて、千分の一ミリ単位での製作が可能であればイリスも満足する品が出来上がっただろう。
だが所詮は素人設計に手工業での製作。中世クラスの技術では、基礎知識があろうとまともなエンジンなど作れないのだ。
そこで、筒内部のタービンと筒後部のプロペラを直結しつつもなんとかまともに動作するように試行錯誤を行った。
灯油を燃やす地球のジェットエンジンは、内部が極めて高温となる為に徹底した冷却対策が施されている。ジェットエンジンの設計で一番難解な熱対策が必要ないのは空圧エンジンの利点であり、イリスにとって大きな幸運であったが、それでも尚簡単な仕事ではない。
プロペラの先端が高速となり過ぎて、推進力の効率が低下。プロペラの羽の枚数を増やし、変わりに長さを短くすることで対処する。
それでも衝撃波は発生したので、プロペラの形状を更に模索することに。手裏剣のように大きく湾曲したプロペラブレードは衝撃波の発生を遅らせ、なんとか実用に目処がつく。
「てっきりこれで完成だと思ったんじゃが」
「一撃離脱に徹するなら、これでもなんとかなるのですが」
高速回転するタービンは強烈な慣性がかかり、容易に回転数を上下させることが出来ない。しかし一直線爆走するだけの加速装置など、とても実用的とはいえない。
「空戦を行うのであれば、出力の細かい調節は必須です」
イリスが速度調節の為に提案したのは、プロペラの角度を可変させるというものだった。
ブレードの角度が変われば、回転数を変えないままに風力を変化させられる。必要となれば逆方向にバックさせることすら可能だ。
回転する軸先に稼働部分を設けるという、あまりに複雑な機構。頭痛を覚えつつも地球では70年前に存在した技術だと自分に言い聞かせ祖父の助けを借りつつ、なんとかブレードの可変を実用化する。エンジン本体より、このプロペラを稼働させる仕組みの方が複雑な有り様だった。
「この構造であれば、なんとか量産も可能でしょう」
「そうじゃな。とはいえ、実用性は未知数じゃが」
ドラゴンに鉄の筒を背負わせるなど、様々な竜騎士用の装備を製造してきたランスにとっても前代未聞。
彼は一つの懸念を抱いていた。ドラゴンは、馬と同じく繊細な生物なのである。
ドラゴンを模した木組みの実寸大模型、そこに搭載された工学竜鎧。鉄の鎧に直結された、ドラゴンの尻尾の付け根あたりに回転式推進装置は搭載されていた。
尻尾の着け根左右上部に一つずつ。計2発の甲高い轟音と爆風を巻き上げる回転式推進装置。
「重心に関しても問題なさそうだな」
先程とは打って代わり男口調で話すイリス。
「うむ、意外と順調じゃ」
ランスは先程と変わらず様子だが、イリスの服装は大きく様変わりしていた。
白を基調としたゴシック調のドレス。胸当てや籠手などに金属プレートを採用しつつも、肩や背中、太股などが大きく露出した露出度の高い物だ。
その他、ソックスや髪留めも白に統一されている。極めつけは顔の上半分を覆う、銀製の仮面であろう。
防具としてはあまりにチグハグで迷走したコンセプト。肌が多く露出している上に、戦場ではあっという間に真っ黒に汚れそうなほど白く染め抜かれており、到底実用性を重んじるイリスの趣味ではない。
このもう一着の騎士服を用意したのは、フラン・ベルジェ・アーヴェルア陛下だ。架空の人物とはいえ軽銀という騎士の立場が正規に与えられた以上、イリスという少女とは差別化する必要がある。
そして拵えられたのが、このまま舞踏会に足を踏み入れても違和感がないほどに華美な騎士服だった。
以降、彼女は騎士候補生イリス・ブライトウィルという少女と、正規騎士軽銀という二つの姿を使い分けているのである。
服装髪型を変え仮面を装着しているとはいえ、鮮やかな金髪や体格までを誤魔化しているわけではない。これで騙せるのかとイリスは半信半疑だが、少なくとも4年間二重生活を続けてきてバレたのは同室のアーレイのみだった。
回転式推進装置の轟風にスカートを必死に押さえていると、隣でランスは呟く。
「これは無理じゃね?」
「なぜだ、工房長?」
最終試験運転の参加者はイリスとランス、そして製造に関わった職人達が見学している。彼等の人目さえなければ、イリスも着替える必要などなかった。
とはいえ間接的ながら共に四苦八苦試行錯誤してきた間柄、追い出そうなどという発想はなかったが。
倉庫正面の広場での試験は、おおよそ順調に推移している。ただ一言、ランスの呟き以外は。
「ドラゴンは警戒心の強い生物じゃ。聞き覚えのない音には警戒するし、まともな指示を聞かなくなるぞ」
「そこは慣れさせるしかないのではないか? 24時間、厩舎で回転式推進装置を回し続ければいい」
「鬼かお主は」
将来的に、この調教法は採用されることとなる。
「ところで、エーディンとはなんじゃ? 聞いたことのない単語じゃが」
「意味なんてない。何となく心の隙間より涌き出たナントカ還元水の不純物として抽出されたニュースペルだ」
日本語と異世界語を比較した場合、同じ意味の単語は当然多く存在する。
しかし例外も当然あり、エンジンなどその極みだ。
ファンタジー世界にエンジンに該当する言葉などあるはずがない。よって、エンジンを無理に異世界の単語へと当て嵌めた結果が回転式推進装置であった。
「いい音だ、よく回っている」
「比較対象がないから何とも言えんのう。それより、そろそろ防衛本部に戻らんでも良いのか? 今日はアレじゃろう」
「そうでした」
日の角度から時間を割り出し、時間の猶予がないことに気付いて慌てるイリス。
「おじ……工房長、私はもう行くぞっ」
「うむ、さらばだ軽銀殿」
「イリス、貴女の分の騎士勲章です」
「ありがとう。これでお互い、晴れて準騎士ですね」
イリスが回転式推進装置の試験に付き合っていた頃、防衛本部では叙勲式が行われていた。彼女はこういった式典や儀式が苦手なので、逃げ出すことが多々あるのだ。
こういった場合、アーレイが代行して受け取っておくことが常である。
さりげなく堂々と候補生達に紛れ込み、昼食後の移動に加わったイリス。
向かう先はドラゴンの厩舎。これまでは立ち入り禁止となっていた、危険な施設である。
「判っているだろうが、厩舎では一切ふざけた真似はするな。ドラゴンは人間など簡単に噛み千切るし、害意がなかろうと事故で踏み潰されれば手足を失うぞ」
ギロリと候補生達を睨む引率の騎士。言われずとも、散々これまでドラゴンの危険性について教育を受けていた候補生達に余裕はない。
これから向かう先で、今後の人生を共にする相竜を選ぶのだ。ふざけようがない。
「どんなドラゴンがいるのかな」
「大人しい子なら、いいけど」
「噛まれたら死ぬぜ、びびんなよ」
誰もが、どこか表情が固くする。
「ふふっ。初飛行の時を思い出しますね」
そんな中、飄々とするのはやはりイリスであった。
さして速度も出ない、ひたすら素直なことが取り柄の練習機。念願の操縦幹を握った時、イリスは感動以上に緊張のあまり手を震えたことを覚えていた。
イリスは空を飛ぶことに関してはもうベテランの域に達している。しかし、これから初飛行に挑む外の候補生達はやはりというべきか、かつてのイリスのようにガチガチに緊張しきっていた。
「イ、イリス、なんだか私も緊張してきてしまいました……」
「アキレウスなら騎士が居眠りしていようとしっかり仕事を果たします。大きく身構えていて下さい」
アーレイが半分涙目でイリスにすがり付く。かつては執拗にアキレウスに乗ることに固執していたアーレイだが、イリスの達観した考え方に接したことでずっとアキレウスに搭乗を試みることはなかった。
イリスはもう問題ないだろうと推測している。4年間真摯にアキレウスの世話をし続けてきたアーレイの思いは、きっと彼にも届くはずだ。
「で、でも、この前なんて飲み水と間違えて石鹸水を飲ませてしまいましたし、きっと嫌われています」
「それは嫌われて当然かと」
「そんな!?」
「そもそもどうやって、泡立った石鹸水と真水を間違えるのですか」
「し、仕方がなかったのです!倉庫に桶に入れて保管されていたので、泡も消えてしまっていたのです!」
まあ大事にならずに良かった、と胸を撫で下ろすイリス。
「アーレイはまだ気楽ではないですか。相竜が既にいるのです」
アキレウスとてアーレイを憎からず思っている。きっと二人の相性は悪くない、イリスはそう考えていた。
むしろ、イリスの方がよほど問題なのだ。
「この世のものとも思えない爆音を放つ鉄筒を背負って、顔色一つ変えないドラゴンがいればいいのですが」
「何を背負わせるつもりですか。その鉄筒には悪魔でも封印されているのですか」
ジト目でイリスを見るアーレイ。急に冷静になっていた。
ドラゴンの嘶きが止むことのない厩舎。自分のドラゴンを持つアーレイ他数名の、貴族出身の候補生以外は立ち入ったことのない施設だ。
イリスはといえば、ルバートが存命の頃は何度も訪れていた。しかし、ここ数年は足が遠退いている。
特に理由があるわけでもない。用事がなかったから、訪れなかっただけだ。
「変わりませんね、ここは」
僅かながらもイリスが成長した分、幾分施設が縮んだ印象を受けるも、煩雑な空気と独特の獣の臭いは変わらない。
候補生達はそれぞれ散って、ドラゴンを見定めていく。引率の騎士が付き添うような真似はしない。
騎士がドラゴンを選ぶように、ドラゴンも人を選ぶ。自ら歩み寄れる勇気もない者を、背に乗せるつもりはないのだ。
恐る恐るドラゴンに手を伸ばす候補生。そんな彼等を見つめ、イリスも厩舎を進む。
「これでバルドディがいれば、本当にこれまでと―――」
竜車が横切り、イリスは足を止める。
重い貨物を引いていたのは、見覚えのあるドラゴン……バルドディであった。
思わず息を飲み、視線を逸らす。バルドディもイリスに気付き、やはり顔を背けた。
「どうした、立ち止まるな!」
手綱を引かれ、バルドディは足を進める。
「―――っ」
名を呼ぼうとして、イリスの声は結局形になることはなかった。
「ん、嬢ちゃんどうした? 気に入ったドラゴンがいたのかい?」
急に立ち止まったまま動かないイリスを気遣い、飼育員が話しかける。
「……今の、竜車を引いていたドラゴンは?」
「ああ、あいつか? あいつも昔は有名なドラゴンだったんだがな」
騎士とドラゴンの武勇は裏面一体にして一心同体。爛舞騎士の相竜であるバルドディもまた、少年少女の憧れであったはずだ。
それが今や荷馬車扱い。それに、飼育員とて思うところがないわけではない。
「けどしょーがねぇよな、昔、大ケガをして翼が動かなくなっちまったんだ」
「翼が? そんなこと、聞いて―――」
イリスははたと気付く。家族は、意図的にイリスに伝わらないように心掛けていたのだ。
「筋の腱が切れてるんだとよ。なまじ気性の荒い個体だ、殺処分も検討されたらしい。だがそれも忍びなかったって話だ」
これまで幾度の任務をこなし、多くの敵を葬ってきたドラゴン。役割が果たせなくなれば処分、と割り切れるものではない。
戦えないドラゴンなどただの無駄飯食らい、労働力として置いているだけでも寛大な処置。
けどな、と溜め息を吐く飼育員。
「あんなプライドの塊だった奴が、素直に荷馬車をしているのは……正直、俺もどうかと思うよ。なまじ頭がいいドラゴンだからこそ、従わなければ殺されることをちゃんと解って―――」
イリスは最後まで聞けず、駆け出していた。
厩舎を抜け出し、防衛本部の片隅まで逃げ込む。
「はぁ、はぁ、はぁ、くそっ」
知らず知らずのうちに呼吸を忘れていたイリス。
「ぐはっ、はぁ、なんたって、もうっ」
目の端に涙が浮かぶ。噎せたからではない。
「見たくなかった、あんなの、見たくなかった」
華やかな戦果の裏側。イリスがバルドディの行く末を積極的に調べなかったのは、その末路を心のどこかで予想していたからかもしれない。
清奏派
危険思想集団らしいが、詳細は不明。汚染兵となれば生きながえられる、というギイハルトの発言から彼がそうではないかと疑われる描写あり。ちなみにギイハルトは違うらしい。
国営大工房
イリスの祖父ランスが大頭を勤める、鍛冶職人の到達点。剣や鎧は勿論、日常品から珍品まで作っている。
黒騎士
防衛本部が付けた一際強力な汚染兵のコードネーム。
ナイトは夜ではなく騎士なので、意味としては「騎士らしき何か」




