ファルシオン陥落1
68年前、突如大陸の極東より発生した未知の脅威。後に黒竜と呼ばれる彼らは、本能のままに人を喰らいながら西進した。
彼らは弱かった。彼らは戦術を知らなかった。されど、彼らは莫大であった。
戦闘に長けた火竜であっても、多勢に無勢。物量という暴虐の嵐は、軍事国家として名を馳せた火の国を僅か10年で陥落させた。
続いて風の国も15年で壊滅。生き延びたのは僅かな王族貴族、そして全体からすれば僅かな民間人のみ。
屈強な騎士を多数有するはずの強国が立て続けに滅亡したことで、残された人類は全てを賭した大戦略の構築を強いられる。
人類の生産拠点や主力をほぼ全て土の国まで後退させ、水の国全体を防波堤とした水際防衛戦略。大陸を左右に分断する水の国の海を舞台とし、島々を渡ろうとする黒竜を間引きし続けたのだ。
便宜上水の国より西と東の陸地は一つの大陸とされているが、厳密にはほぼ密着した別の土地である。地球におけるユーラシア大陸とアフリカ大陸のようなもので、間にはそれなりの規模の『海』が存在するのだ(両大陸のスエズ運河による分断は人為的なものであるが)。
無数の小島を内包する、大陸中心よりやや西よりに穿たれた巨大な海峡。内海と呼ばれるこの海域こそ、水の国の大半であり、人類最大の戦地となった。
黒竜出現より68年。水際防衛戦略が実施されてから43年。いつしか黒竜軍と呼ばれるようになった敵との戦いは、敵新種ドラゴンの出現など大きな苦難を乗り越えつつも、新兵器の投入や騎士達の奮闘もあり仮初めの安定期へと差し掛かっていた。
……差し掛かっていた、はずだった。
マザーフォートレスによる2度目のクルツクルフ襲来。史上初のフォートレスドラゴン撃破より半年後、一つの事件が発生する。
「―――よって、今年度の配分は我々に優位として頂きたい」
「貴公は昨年も生産量を増やしていたではないか。もう少し加減出来ないのかね?」
「国債がこれ以上増えるのもよろしくない、全体として採掘量を控えるというのは?」
「余裕があるからこそ軍備を整えるのではないか。手を抜けるご時世ではないのだぞ」
「そもそもこの地での採掘量は限度があるのだ。どこかが割を食わねば収まらん」
『…………。』
「何か、妙案がある者はいるか?」
あ、それ禁句。内心呟き、フランは欠伸をかみ殺して同じ場所を回り続ける会議を睥睨していた。
先の失言により完全硬直に陥った会議室。妙案があるなら、元より長い時間と金をかけて無意味な会議など行っていないのだ。
ファルシオン領。土の国北部に位置する、日本で例えるところの県程度の面積を有する伯爵領である。
起伏の激しい土地ながら土は肥沃であり、山からは鉄鉱石も採掘される。農業工業共に豊かな大都市である故に人口も多く、その規模はこの世界としては中堅にすら達していた。
陸路の交通が絶望的であることを差引しても、かなり活気のある部類であろう。また、軍事的な立地にも恵まれている。
東より侵攻する黒竜軍との戦線とは遠く、治安も安定しているとあれば人が集まるのは必然であった。
時は冬。冷え込みが日増しに深くなる頃に、事は発生した。
「こちらをご覧下さいませ、騎士ユンカース様を題材とした新しい本ですわ」
「まあ、素敵。今年のトレンド『ヘタレ・ゼェーメ』を上手に取り入れてますわね」
「不変の聖水剣の刀身×鞘なんて画期的ではありませんこと?」
「聖水刃を敢えて受けにしてみましょう」
「相変わらず貴女はリバ好きですわね」
「まあ、この本は邪道ですわ! 爛舞騎士はそれぞれ固定が決まっているというのに!」
貴族令嬢たる婦女子達の会話は、異世界の言語に等しい。
暗号じみた彼女達の会話劇に、イリスはうんざりとした心持ちで耳を傾けていた。
「そこの騎士様はどうお思いで?」
「……すまないが、生憎流行には疎いものでな」
軽銀と姿を変えたイリスは、男性口調で返答する。
自分よりも幼く見える少女の堅い返事に、婦女子達はどこか残念そうな視線を向けた。
「まあ、お綺麗なドレスに身を包んでいらっしゃるのに」
「これは知人が用意したものだ。戦闘に華美さなど不要」
身に纏う絢爛なドレスを撫で、小さく溜め息を吐くイリス。
イリス他、多数の少女達が会話の華を咲かせるここは、ファルシオン領の中心に聳える当主の邸宅である。
平地が貴重な土地柄から庭こそ存在しないものの、それは小規模な城と呼んで差し支えない規模。豪華かつ無骨な建築方式は、どこか要塞じみていてイリスの興味を引かせる。
その邸宅のガラス張りとなったテラスにて、軽食を嗜みながら若い女性達が談笑していた。
「少し前に提案された小指総ウケはあまり流行りませんでしたわね」
「あれは革新的でしたわ」
「時代が付いて来ませんでした」
「むしろ時代を創ってこそのレディですわ」
「創造経済ですわね」
「その言い方では中身がなさそうですわ」
なにいってんだコイツら、とイリスは欠伸をかみ殺しつつ彼女達を見守るイリス。
彼女は今、会議に参加している主から子守を申し付けられていた。
会議室には国中から集まった大貴族の当主達。横の繋がりを育む為と慣例的にその子息子女達も同行しており、彼らは男女に分かれて交流を行っていた。
「しかし暖かい。地球のようにガラスが薄くないから、断熱効果も大きいのでしょうか」
テラスはステンドグラスのように小さなガラスを何百枚もはめ込んだ密閉空間となっていた。太陽光を利用して室内を暖める、原始的だが効果的な手法だ。
身も蓋もない言い方をしてしまえば、ようはビニールハウスの原理である。
「いや、あれはむしろ大きな規格化されたガラスを作る技術がないのでしょうね」
ガラスは色が濁っており、厚さも不均一。むしろ色ごとの模様はそれを誤魔化す苦肉の策であった。
「ううぅ、少し仮眠を取りたいです」
季節は冬の初め。ファルシオンは大陸の北部に位置し、一年を通して寒冷な気候が続く。
なまじ外が寒いからこそ、暖かさが体に染み入るようにイリスを苛む。
眠気を逸らそうと町を観察すると、そこには元気に走り回る子供の姿。
「子供は風の子ですね。……私の前でその称号を名乗るとは、いい度胸だ」
勝手に称し勝手にライバル意識を抱くイリス。
「―――ん?」
遊ぶ子供とは別に、2500メートル先にジョギングをする少女を見付け、イリスは不思議な感覚を覚える。
騎士服である。年齢からして準騎士であろう、別に珍しい光景ではない。
だというのに、彼女は妙にその少女が気になったのだ。
「あの子供、どこかで見たことがあるような……」
「ちょっと。そこ、退いて下さいな!」
「……ん。おや、失礼」
扉の前でぼうっと立っていたばかりに、背後から通行の邪魔だと苦情を受けるイリス。
振り向けば、見事な金髪の少女がイリスを睨んでいた。
「まったく、貴女どちら?」
すぐさま横に避けたというのに、少女はまだイリスに用があるらしく視線を向けたまま誰何する。
「軽銀の竜騎士、人からはそう呼ばれている」
恭しく頭を垂れ、騎士の礼をするイリス。
少女は胡散臭そうにイリスを見つめ、再び問いかける。
「本物……ではあるようですわね。期待外れも大概ですわ」
臆面もなくイリスを酷評する彼女に、流石のイリスも鼻白む。
「ちょっと、やめなさいアスカ。すいません、騎士様。」
少女の後ろから申し訳なさそうに現れた少女が、ぺこりと頭を下げた。
「私は思ったことを言っただけですわ、パタ」
「それがいけないのよ。少しはオブラートに包むことを覚えなさいっ」
頬を膨らませ、人差し指を揺らすパタと呼ばれた少女。アスカは忠告を気にもとめず、イリスに向き直した。
「大層な格好をしていらっしゃっても、泥臭さを誤魔化せておりませんわ。エンテ式のドレスの場合、襟のここは折るのが作用ですわよ」
そういって、慣れた手付きでイリスの身嗜みを整える少女。イリスは思わず目を丸くした。
そして、苦笑。
「正直な人だ。私としては好ましいが、大人になる前に矯正せねば色々と面倒だぞ」
「一介の騎士の分際で、大貴族の娘たる私にそんなことをいう貴女が言えた義理ではありませんわ」
イリスは目の前の娘を気に入った。勲章からイリスが爛舞騎士だと見抜いた洞察力、その爛舞騎士を一介の騎士と言い切る胆力、返答の口上も滞りない。
「よろしければ、お名前を教えて頂けるか?」
「名乗る時は―――ああ、貴女は本名を隠しているんでしたわね。後ろめたいところでもありますの?」
「アスカッ、もう!」
少女はイリスのそれより深い、黄金色の金髪を揺らし堂々と名乗る。
「まあ、後学の為に覚えておくことよ。私の名は、アスカ・ロウ・トラクトスリアですわ」
歳の頃は中学生程度か。イリスより若干大人びた雰囲気を持つが、それ以上に重装かつ豪華なドレスのせいか背伸びをしている感が強い。
お手本のような綺麗に纏まったポニーテールが、より一層幼さを演出していた。
「まあ、トラクトスリア様! いらしていたのですね」
「ペタ様、お久しぶりです!」
子女達がアスカに気付き、駆け寄ってきた。
「ご機嫌よう、皆様」
『ご機嫌よう、アスカ様。ペタ様』
軍人の敬礼並に揃ったカーテシー。イリスは何故か自衛隊体操を思い出した。
「あら、もしかしてこちらの方は!」
子女がイリスに気付く。こっそりと存在感を消していたのが台無しとなった瞬間である。
イリスが軽銀を名乗る際は目立つ仮面をつけているので、元より発見されるのは時間の問題でもあったのだが。
「もしかして、軽銀様ですの?」
「きゃあっ! 本物ですわ!」
「フォートレスドラゴン10匹を単独で蹴散らしたという、あの伝説の騎士様!?」
「単騎よく戦略を覆すと詠われた、あの伝説の竜騎士!?」
「フラン様とは公私共にパートナーとして、禁断の関係でいらっしゃるとか!」
キャー、と騒ぐ少女達。
知らぬ間に意味不明な評価が更なる加速をしていたことに、イリスは顔を仮面の下でひきつらせた。
「火急の用を思い出した。失礼する」
三十六計逃げるに如かず。さほど仕事熱心でもないイリスは、早々に職務放棄を選択する。
しかし、アスカの声につい足を止めた。
「ねえ、あれ、なんですの?」
アスカにつられ、イリスは彼女が指さす空を見上げる。
「……なんだろうな?」
間抜けに返答するイリス。
空に、見慣れないドラゴンが多数飛行していた。
今や珍しい風竜の編隊飛行。その数は二桁にものぼる。
あれだけの数の風竜を揃えた騎士団など、イリスは知らなかった。
「―――何にせよ、よくないものだろう。首筋がピリピリしやがる」
粗雑な男口調へと変調したイリスに、アスカは「まあ」と小さく呟いた。
後の資料によれば。
「下等なる劣等種族よ―――貴様らは見苦しく這いずり廻るドブネズミだ」
第一声は、そんな気品の欠けた暴言であったそうだ。
国内における一年間の金属配分を話し合う首脳会議中。多くの大貴族がファルシオンに集まっている最悪のタイミングで、彼らは襲撃してきた。
「こいつら、どこから現れた!?」
「なんでこんな田舎に、くそっ!」
「民間人の脱出を―――」
「貴族が先だろ! ……先だよな?」
「逃がすっつっても、どうやってだよ!? それより書類を焼けや!」
空から突如現れた、所属不明の竜騎士。今や希少種となったはずの風竜を駆る彼らは瞬く間に町を支配する。
最前線から遠く離れた北部都市ファルシオン。魔獣対策の竜騎士1小隊5騎は、短時間で全騎撃墜された。
旧式装備の竜鎧しか身につけないドラゴンに対して、襲撃者は100騎の風竜。勝ち目などあるはずもなかった。
「酷いものですね。危機管理が甘すぎました」
「まずいぜー、こりゃまずいぜぇー……」
ユーという土竜に騎乗し、襲撃されるファルシオンを空から見下ろすイリス。その背後には、顔を真っ青に染めた若き国王フラン。
護衛としてフランに同行していたイリスは、事態を即座に理解して護衛対象を強引に会議より連れ出した。
結論から言えば、それは正解であった。右往左往していた他の護衛騎士を潜り抜け、彼女達だけが空に逃れることが出来たのだから。
「そもそもおかしいでしょう。貴族の方々を守る護衛が、華美な旧式装備であったことからして」
「外敵なんていねぇだろ。人間世界そのものが背水の陣なこのご時世で、誰が上に立つ人間を害そうっていうんだよ。護衛騎士なんて見栄なんだよ」
「その結果がこれですか。笑えますね」
イリスが発端となって開発された新装備、工学竜鎧。この魔法世界ではあまりに異質な機械の鎧は、装飾など微塵も考慮されていない実用一辺倒な外見であった。
それを良しとせず、貴族お抱えの護衛騎士は旧式の竜鎧を装備することが多い。フランのいう通り、まさに護衛は『見栄』なのだ。
もっとも、それで何らかの支障が出るわけではない。護衛騎士として雇われるのは優秀な成績を残した者ばかりであり、魔獣相手ならば充分。だからこそ、意図的な戦力低下に関して物申す者もいなかった。
そんな中、イリスは工学竜鎧をユーに装備させてファルシオンへと訪れた。質実剛健、実利優先。人からどう思われるかなどに興味を示すイリスではない。
奇異なものを見る目を向ける貴族や騎士達であったが、イリスは現在仮面を付けた軽銀の竜騎士であり、爛舞騎士の一人として活動している。物申せる者などそうそういない。
「あの無法者、制圧出来るか?」
「不可能ですね。敵の駆るドラゴンは空対空戦に優れた風竜です。数でも不利、勝ち目はありません」
イリスは非情に告げる。
「せめて準備が整っていれば、やりようもあるのでしょうけれど」
次々と落とされる味方の騎士達。ファルシオンの空は、既に狩り場と化している。
「前線から離れたファルシオンに工学竜鎧はありません。私達が乗るこの子も、正規の相竜ではない以上全力戦闘は困難でしょう」
「馬鹿貴族どもが捕まってるんだぞ、あんな馬鹿どもでも国の運用には必要なんだぞっ」
イリスの脳裏にアスカとパタの姿が過ぎる。彼女としては、見ず知らずの貴族より彼女達の方がよほど心配であった。
しかしそれでも、結論は変わらない。
「無理なものは無理です! さっさと撤退しましょう」
今後の国家運営を想像して顔を青くするフランに対し、イリスは眼前の危機に対する解決法を提示する。
「そもそもこいつら何なんだよ、ファーック!」
「古今東西、ファックとか叫んでしまう女王様は貴女が初めてでしょうね」
呆れつつ、イリスは地表を睨む。
そこには『穴』が開いていた。地面に開いた大きな、直径50メートルほどの大穴だ。
敵はそこから出現したのである。
「つーかよ、なんだあいつらはあたし達を襲ってこないんだ?」
「回転式推進装置の音は、慣れていないドラゴンにとって耐え難い騒音です」
地球においても、かつて銃が実用化された時代に同じ現象が発生した。聞き慣れない銃声に、敵の馬が混乱したのだ。
動物とは音に敏感なものだ。甲高い音を鳴らす回転式推進装置は、知らぬ者にとっては正体不明の雑音なのである。
「とはいえ、人間世界内なら多少なり聞く機会があるはずなのですが……本当、彼らはどこから来たのでしょうね」
人間世界とは即ち、人類の生存権を指す単語。つまりは東の前線から西の生存限界域までを指す、人間の生存可能な地域である。
必然、イリスは敵がその外からやってきたという可能性に行き着く。
「あの穴、どこまで繋がっているんだ?」
同じ疑念を抱いたフランが呟いた。
この世界の技術力では、あまり長いトンネルを掘ることは難しい。魔法という手段も便利であれど万能ではないのだ。
「……あの中に空間転移魔法陣が刻まれている、とか?」
二人の脳裏に過ぎったのは、かつて人類を脅かしたフォートレスドラゴン。
王都クルツクルフ上空まで侵入し、人々の肝を心底冷やした悪夢。
しかしイリスは頭を振る。彼のフォートレスドラゴンは他ならぬイリスが討ち、既に記録上の存在となった。
「本来、転移はそんなに便利な魔法ではないのです」
物流は、見えないながらも莫大なコストと時間を消費する経済要素である。もし人類拠点間を一息に飛び越える魔導技術があるならば、そもそもそれを見逃す要人はいない。
「む、やはり何時までも放っておいてはもらえませんか」
謎の騒音に警戒してか、2小隊10騎の竜騎士が迫ってくる。
真正面からバカ正直に接近する彼らを、イリスは呆れたように睥睨した。
「やれやれ、舐められたものだ。有象無象が束になったところで、この身に届くはずはあるまい。―――後ろの重りさえなければ」
「おいお前なんつった」
流石のイリスも、後ろに要人を乗せたまま全力戦闘を行うつもりはなかった。
なんとか離脱しようと翼を翻した時、上空より一頭のドラゴンが急降下にて迫ってくる。
強襲者の目標はイリスではなかった。一瞬でニアミスした強襲者と敵性ドラゴンの刹那の攻防は、10騎全滅という形で決着する。
彼は、ただ一息で10頭のドラゴンを殺めて見せたのだ。
「やあ、久々だねイリス君!」
「誰かと思えばバールでしたか、お久しぶりです」
「さっき貴族のお嬢さん方と話しているのを見かけたよ!」
併走するイリスとバール。空の上とはいえ相変わらず無駄に大声だな、と呆れつつイリスは訊ねる。
「話しかけてくれれば良かったのに。今暇ですか?」
「おや、デートのお誘いかい、っと!」
接近してきた敵ドラゴンを、一息に切り捨てるバール。
「ちょっとコレ預かって下さい」
「コレ? え、コレ?」
「コレってなんだボケ! 敬えや!」
コレ呼ばわりされたフランをバールに移らせ、イリスは頬を叩いて気合いを入れる。
「―――おい?」
フランは嫌な予感を感じた。
「ちょっと行ってきます」
「は?」
「幸い敵は地上攻撃に集中しています。今のうちに、穴の向こうがどうなっているのかを確認しましょう」
「ちょ、おま、この国の最重要人物がここにいるんだぞ!? 守れよ!?」
「バールならば安心ですよ。それに、ちょっと突っ込んでみるだけですから」
「先っぽだけでも妊娠の危険はあるんだかんな!」
喚くフランを無視し、イリスは大穴に躊躇なく飛び込んだのであった。
真っ暗なトンネルの内部を飛ぶドラゴン。光源はただ一つ、イリスの手元で光る照明魔法のみ。
「3秒後減速、2秒かけて左30度ロールの後に旋回半径100メートルで引き上げて」
出来るかボケ、と即席相棒ドラゴンたるユーは小さく吠えた。
ユーの現在の飛行速度は決して速くはない。失速寸前の低速を、補助動力もなしに静かに飛んでいる。
ユーとしてはたまったものではなかった。イリスが維持している小さな光魔法程度では、彼の眼には闇しか見通せず、イリスの指示だけを頼りに飛んでいるだけなのだ。
素直に従っているだけ、まだ温厚なドラゴンである。信頼もなく気性の荒い個体であれば、イリスの指示を無視してトンネルを逆走していた。
「くっ、微妙な感覚の誤差が嫌らしい……!」
即席ペアでしかないイリスとユー。
普段普通に飛ぶ分には問題とならない、僅かな意志疎通のズレ。しかしトンネルの中という狭所において、その誤差は致命的。
「ちょ、減速して下さい。一度仕切り直しましょう」
指示は間に合わず、どうしても速度を落とさざるを得ない。
即席相竜の悔しそうなさそうな気配を察し、イリスは慌ててフォローする。
「いえいえ、私が焦りすぎました。慌てず、慎重に飛びましょう」
直径50?100メートルの広大なトンネルとはいえ、翼を広げたドラゴンが通過するにはあまりに狭い。そこを明かりもほとんどなしにトップスピードで飛びたがるイリスが変なのである。
「もっと大きな光を出せれば、まだ楽なのですが」
照明魔法の規模が小さいのは、決してイリスの魔法技量が不足しているからではない。あまり大きな光を生み出すと、侵入がバレる可能性が増すからだ。
「―――っ、います、上の穴に回り込んで!」
ふと、敵の気配を感じ取る。
すかさず横道に飛び込み、通過するドラゴンの群れをやり過ごした。
これまでも何度か敵竜騎士と遭遇しかけたのだ。幸い隠れる場所は多く、魔法を消せばやり過ごせた。
「……冗談でしょう?」
しかし今回トンネルを通過していったのは、襲撃者の風竜ではなく黒竜であった。
「―――なんなのですか、ここは」
縦横無尽に張り巡らされたトンネル。自然物の洞窟ではないことは明らかだ。
「壁の色もずっと変わらない―――地層学に明るいわけではないが、こんなことってあり得るのでしょうか」
イリスは穴に飛び込んでから、速度と時間を常に測定し続けている。前世で習得した計器飛行技術が思わぬ形で役立っていた。
かなり東に進んでおり、計算上は既に水の国の国土に侵入している。
これだけ飛行してきて、イリスはある種の確信を抱いていた。まだ一部しか探索していないが、この大陸全土規模でトンネルが張り巡らされている可能性が高いのだと。
ぶるり、と悪寒を覚える。まるでずっと監視されているかのような視線を感じたのだ。
だが同時に無理もない、と思った。トンネルに突入してすぐ気がついたのだが、このトンネルはどうやら『生きている』らしかった。
壁は白く、目を凝らせば蠢いている。
よもや生物の腹に飛び込んでしまったのではないかと、イリスは戦々恐々していた。
「ちょっと待って下さい。どうどう」
飛行を一旦中止し、ホバリングに移行する。
検証なくして結論を出すなど愚策でしかない。試しに、おやつの甘イモを千切り壁に放る。
ぐにゃあ、と壁が動いて芋を飲み込んだ。
「帰りたい」
イリスはへたれた。
「どうしましょう、着地出来ないのならさっさと引き返すべきですが……」
ドラゴンはホバリングが可能な生物だが、空中静止中は力業で魔法による浮遊を行っている為に魔力消費が大きい。
かといって、トンネル内を高速飛行など出来ようはずがない。正しくは『本来のパートナーとならば可能』だが、今のイリスには出来ない。
どうやっても魔力消費は激しく、飛べば飛ぶほどに魔力体力を消耗していく。早めに見切りをつけて引き返す必要があった。
しかし、それを躊躇う理由もイリスにはあるのだ。
「ちっぽけで高潔とは言い難くとも、私にも矜持はあるのです」
脳裏に浮かぶのは町の惨劇。
無差別に殺されていくファルシオンの人々。凄惨な光景を目の当たりにして、感情を動かさないほどイリスも冷徹ではない。
せっかく敵の目を盗み飛び込んだのだ、少しでも情報は得たかった。
「―――まあ、試してみましょうか」
魔法を詠唱し、白い壁に打ち込む。
トンネル下面に炎が広がり、酷い悪臭がたちこめた。
「帰りたい」
イリスは再びへたれた。
空気の流れはずっと感じていたので、有毒ガス中毒に陥る可能性は小さい。もっともそれは結果論であり、閉所にて不用意に魔法を放ったことにイリスは反省する。
臭いに眉を顰めつつ、様子を確認しながら焼け焦げた部分にゆっくりと着地する。
イリスの予想通り、壁がイリス達を襲うことはなかった。
「トンネル表面を焼けば、最低限の安全地帯は確保出来ますか……休憩を取れるのならば、もう少し前進できますね」
足踏みして、予想外に堅い地面に安堵する。腸内をイメージしていたので、てっきりぶよぶよと柔らかいかと予想していたのだ。
先に進むリスクと今後の反撃に際する情報の有無というメリットを天秤にかけ、イリスは結論を出すことをやめた。
あれだけふざけた真似をした襲撃者に対して、容赦などする気は毛頭なかった。体勢を立て直し次第徹底的に蹂躙せねばイリスの気が済まず、その為に念入りな情報収集を行うことに決定する。
曲がりなりにも最強の称号『黄金柏陽剣付金剛双翼勲章』を有する者。多少の状況ならば切り抜けられるという自負もある。
「……先を急ぎましょう、出来るだけ壁には触れないように。はいはいエガンチョ」
ドラゴン用の飼料も持参しているが、突発的な戦闘の可能性を考慮すれば必要以上に頻繁に休憩することが望ましい。
指をクロスさせつつ、イリスは先を急いだ。
呆れたことに、地下空間にはトンネルのみならず、小さな拠点まで存在していた。
無論生活の拠点ではなく、簡単な補給施設でしかない。だが決して仮設の簡易的なものではなく、学校が丸ごと入りそうなほど大きな地下空間に建築物や通路までもを整備したしっかりとしたものだ。
「なんですか、あれ……竜車の化け物?」
見慣れぬ巨大な物体に、正体を掴めず困惑するイリス。
彼女の言葉の通り、それは老体となり飛行能力を失った土竜、老成土竜が引く巨大な馬車―――竜車を発展させた物にみえる。
「まあ用途は察しがつきます。悪くない発想かと」
意気込んで強行偵察に打って出たイリスだが、収集する情報とは別に気付いたこともある。
敵は、かなり以前から準備をしていた。それこそ、おそらくイリスが生まれるよりも更に前から。
今までの人生、全ての瞬間においてその足下では彼らが蠢いていた。そう考え、イリスはぞっとした。
「村に人の気配はありません、か」
兵士が出払っているのは、地上にて強襲作戦が行われているから。とはいえそれでも最低限人員を残すものだが。
「所詮テロリストってことですか。人員は不足気味のようですね」
道の真ん中に堂々と着地し、建物に張り付けられた紙に目をやる。
それは地図であった。イリスも見慣れた大陸地図、それに重なるように縦横無尽に張り巡らされた蟻の巣の如き通路を記した地図。
「……お粗末なものです。ここまで敵の侵入を許した挙げ句、重要資料を適当に扱うなんて。もーらいっ」
手早く地図を剥がし、ざっと目を通す。
「この駐屯地がここだとして、……なんだ、ここは?」
王都クルツクルフよりずっと東のポイントに、判りやすくマーキングがされていた。
問題はそのポイントが完全に海の下、水の国のど真ん中であることか。
「せっかくです、せめてここに何があるのか確認しましょう」
再び横穴に入り、地図を頼りにポイントを目指す。
地図を入手したことで、イリスはほぼ直進しその場所まで到着した。
「なんですか、これは」
地下に建築物があることも驚愕であったが、今度は先の規模の比ではなかった。
町だ。町が、地下にすっぽりと収まっているのだ。
「こんなの絶対におかしいです。これだけの規模で、柱一本ないなんて。真上は海です、青函トンネルや海ほたるだって途方もない苦労の果てに開通したというのに」
街灯が灯る、闇に浮かぶ町。軍事施設だけではなく家や店、果ては娯楽施設、劇場まで確認された。
町の中心は丘となっており、立派な教会が建っている。イリスは何故か、この教会が異様に気になった。
「―――バルドディ?」
何故、この場でこの名を連想したのか。イリスはぽかんと口を開いた。
「なんで」
おもむろに指を咥え、思い切り口笛を噴く。
乾いた高い音が、海底の町に鳴り響いた。
発見される危険が増す愚行。しかし、イリスは内心既に確信に近いものを抱いている。
耳を澄ませるイリス。その小振りな耳朶には、確かに届いていた。
懐かしい、強い意志を感じさせる咆哮が。
「―――いる」
不意に、敵地のど真ん中にあるまじき笑みが浮かぶ。
半年の間、くすぶっていた不安。それが一気に払拭されるのをしかと感じる。
「ここに、バルドディがいる……!」
強い眼差しで町を見下ろすイリス。
そこに、敵竜騎士が出現した。
「貴様、ここまでどうやって!?」
「生きて帰すな、必ず仕留めろ!」
やはり重要拠点、口笛に反応し緊急飛翔しただけでも12騎。時間が経てば更に昇ってくるだろう。
その全てが空戦に特化した風竜。対し、イリスの乗るドラゴンは最も空戦を苦手とする土竜。
数でも質でも劣る状況に、しかしイリスは獰猛に吠えた。
「うるさいですね。感動の再会です、水を差すな三下が……!」
意識が戦闘モードに切り替わり、口調が荒くなる。
イリスの癖であった。女性として生まれ変わって以来、不自然とならぬように丁寧な口調を心掛けているものの、興奮するとどうしても口調が男性的に戻ってしまうのである。
言語自体が異なるのに口調が変化するのは、或いはイリスの深層心理に未だ男性であるという意識が残っているからなのかもしれない。
イリスの気配の変化に気付かず、真っ直ぐ迫る3騎のドラゴン。連携攻撃を仕掛けようとした敵は、イリスに届くこともなく空中で解体された。
「な、何をした!?」
動揺する敵竜騎士。瞬きの間に肉片と化した同僚に、残りの竜騎士も攻撃を躊躇う。
その隙を見逃すイリスではない。
翼を翻し、穴へと再突入するイリス達。彼女の魔力量は平均を大きく越えるが、多数相手に尽きぬほど無尽蔵ではない。
情報収集を主目的とした今回の突入において、これ以上の深追いは無意味。即座に遁走を選択したのだ。
「入った場所とは別の穴に飛び込んでしまったからな。一旦地上に出て、天測して戻らないと」
努めて冷静に振る舞うイリス。内心先程得た確信について真相を確かめたい衝動でいっぱいであったが、それを優先するほど錯乱もしていなかった。
「都下都市ミソル・アメン。―――必ず、戻ってきます」
推敲がオワラナーイ……
2章ナガスギ、正月休ミガオワッチャウ……




