プロローグ1
一章は黒竜相手の戦いでしたが、二章は人間相手の戦いとなります。
捕食が目的のドラゴンよりよほどエグい描写が散見されるので、ご注意下さい。
私自身もっとソフトな展開にすべきだと思ったのですが、戦争やってて悲劇がないというのも薄っぺらいだけだと判断した次第です。色々とご覚悟を。
この世界において、人類種は爬虫類の餌と同義である。
質素で簡素な小部屋にて、少女の意識は覚醒した。
外気の肌寒さをはねのけ、布団を押し退け少女は緩慢に立ち上がる。
そして、カーテンを開き大きくのびをした。
外に日の光はない。それは時間帯の問題ではない、この町に朝が訪れることは元よりないのだ。
「んんーっ、今日はいいことがありそうっ!」
パジャマを脱ぎ、しなやかな四肢を晒し法衣に身を包む。
彼女―――スヴェルは聖職者である。先代が死去し、若くしてこの町の大教会と呼ばれる施設、その他諸々を管理することとなった身だ。
年齢は大人一歩手前といったところか。未だ遊びたい盛りの歳であるが、少女は責任ある立場として謙虚素直に生きてきた。その真面目さは町の住人誰もが認めるところである。
顔を洗い、大教会周辺の掃除を始める。箒を振るスヴェルに、朝のお祈りにやって来た者達は嬉々と声をかけた。
「おはよう、スヴェルちゃん」
「マーリンおじさま。おはようございます!」
「おねーちゃん、おはよー!」
「ふふっ、おはようございます。ミーティアちゃんは今日も元気ね」
「おはようございます。今日もいいお日柄で」
「そうですねアリソンさん、今日は風が乾いているので纏めて洗濯物を干しましょう」
すれ違う者一人一人、丁寧に挨拶していくスヴェル。
この町において最も高い地位にある彼女だが、住人達にとっては尊敬すべき王であり守るべき娘であり、何より従うべき指導者であった。
スヴェル・クレンゲル。溌剌とした雰囲気が魅力的な美少女である。
「スヴェル様ー!」
小学生ほどの少年が駆け寄ってくる。スヴェルは苦笑しつつ窘めた。
「ケストレル、余所見をして走ったら転んでしまうわよ」
「転ばないも―――ぎゃっ」
見事に転倒したケストレル少年。よろよろと起きあがるも、膝には血が滲んでいる。
「ほら、だから言ったのに。ほら泣かない、立派な騎士は泣かないものよ」
痛みで涙を浮かべそうになるケストレルであったが、歩み寄ってきたスヴェルの言葉にぐっと堪えた。
スヴェルはケストレルが修道騎士を目指していることを、ちゃんと覚えていたのだ。
「男児が泣いていいのは生涯に3度だけ。産まれた時、大切な人が病に倒れた時、そして―――」
「世界があるべき姿を取り戻した時!」
「そう、私もそんな立派な男の子が好きだわ。毅然として生きなさい、本懐を果たしなさい。涙は自分の為ではなく、友や家族、そして救いを知らぬ者達を慈しむ為にあるのよ」
びしっ、と不格好な敬礼をするケストレル。
スヴェルはその様に微笑ましいものを感じつつ、なんとか顔を緩めずに返礼した。……本職ではない彼女の礼も大概不格好であったが。
「スヴェル様、スヴェル様は『大切な人』がいるの?」
「ええっ? えっと、残念ながら」
「なら俺がスヴェル様の大切な人になってやっよ!」
「あら嬉しいわ。でもその前に、ちゃんとした騎士になることね」
幼い告白らしきものに戸惑いつつも、無難に答えるスヴェル。
ケストレルは如何に受け取ったのか、笑顔で手を振って去っていった。
「じゃーなー!」
「こら、だから走らな―――もうっ」
既に姿が見えなくなった少年に溜め息を一つ吐き、そして別件についてもう一度溜め息を吐いた。
「大切な人、かぁ……先代がお亡くなりになって私が教会を継いだけれど、この調子だと私が後を継ぐ子を成さなきゃいけないし……」
この世界において、指導者が子を残すことは重要な責任の一つであった。
それが遠い未来のことであり、猶予がかなりあるとしても避けては通れぬ道。
「恋人もいないのに、どうしろっていうのよ」
つまるところ、彼女も悩める年頃の少女であるのであった。
朝から妙な問題に直面してしまい、煌々と炎の光を提供する街灯を恨めしく睨む。
健気に燃え続けるランプに恨み節をぶつけても仕方がない。スヴェルは気を取り直し、掃除を切り上げた。
「そろそろ午前のお祈りの時間だわ、準備しないと」
スヴェルが向かったのは礼拝堂であった。地球におけるどの宗教の教会とも異なるが、その清廉で荘厳な雰囲気は共通であろう。
ほぼ円形の町、その中心の丘に据えられた石造りの建築物。その規模はさながら城だ。
建物の大きさに比して、内部の礼拝堂もかなり広大である。数百人ほどが座れる長椅子が用意され、そしてその対面には地下への扉が拵えられている。
長椅子の間を進み、スヴェルは扉の前に跪いた。
それは、一心不乱の祈りであった。科学に侵され奇跡の否定された現代ではありえない、純粋無垢な願いであった。
やがて、町の住人がぽつりぽつりと礼拝堂へと入ってくる。ただ黙し、予め決まっているかのように特定の場所に腰を下ろす様はまるで集団行動訓練のような錯覚すら覚える。
誰もスヴェルに声をかけることはしない。お祈りを始めた彼女にはどんな言葉も届かないと、皆知っていた。
いつしか、礼拝堂は町の住人で溢れかえっていた。
大教会近隣の住人全てといっていいであろう、老若男女多種多様な人々。彼らが一様に、扉へと向かって祈りを捧げているのだ。
三桁もの人間が集まっておきながら、そこに喧噪も雑談の一つも存在しない。彼らの敬虔さを如実に表しているといえよう。
補佐役と呼ばれ、文字通りスヴェルのサポートを任務とする騎士がカツカツと足音を反響させつつ前に出る。
「スヴェル様、お時間です」
小さく首肯し、スヴェルは微笑んだ。
「―――使者様は語りませんでした。人は争いを未だ忘れることをせず、未熟な我らに対して諦めに近い感情を抱いていたのです。それを悟った先代は、自らを、そして同胞の過ちを恥じました。使者様の崇高な御意志を理解せんと邁進し、そして地下空洞を築き、成すべきことを定めたのです。しかし、それだけでは足りません。使者様は未だ我らが愚かさを忘れておらず、何より多くの人は使者様の崇高な御意志を解することすら出来ずにいます」
教典を朗読する声に淀みはない。スヴェルが言葉を続ける間に、補佐役は静かに隣の部屋へと移る。
「我らは逃げるわけには参りません。使者様を拒み惨めな快楽に酔う蛮人であろうと、救済せねばならないのです」
補佐役が再び現れる。その手には鎖。
鎖の先には、ボロボロの衣服を纏う女性が繋がれていた。
まるで奴隷を扱うかのように、焦燥した女性は鉄の首輪を引かれ人々の前に現れたのだ。
「この方は?」
「情報収集中に、我らの動きに感づいた酒場の看板娘です。気取られた以上、放置は出来ぬので『保護』致しました」
その瞳に映るのは怯えと恐怖。体を震わせ、足をもつれさせ転ぼうと首輪を引かれ連行される。
ゲホゲホと呼吸困難に陥る女性は、強引に礼拝堂の中心へと進まされた。
その様が些か乱暴であったことが、スヴェルの怒りに触れる。
「こらっ! 手荒く扱ってはなりません!」
「……はい。申し訳ございません」
注意され、少し気落ちした様子で鎖を柱に固定する補佐役。
彼としては円滑にこの儀式を進めることこそが使命であり、指導者の意向と板挟みになる形であった。
女性を庇うスヴェルに、絶望的な状況の中で希望を見出し、女性はすがりついた。
「い、いや、助けて……」
「ご心配なさらず。貴女は必ず救済されます」
女性の不安を和らげるかのように、スヴェルは優しく微笑んだ。
そっと女性を抱き締めるスヴェル。どことも知れぬ地に拉致され、恐怖に怯えていてた女性は少女の体温にようやく安堵を見出した。
重厚な地下への扉がゆっくりと開く。
女性の安堵が単なる幻想に過ぎないことを悟るまで、時間など必要なかった。
「ひっ」
小さな悲鳴。
扉から現れたのは、人類の天敵であるはずの黒竜であった。
体長10メートル、胴体だけでも自動車並の巨体を誇るドラゴン。現在確認される中で最弱種である黒竜といえど、民間人である女性が対抗出来る敵ではありえない。
「こちらへどうぞ、使者様」
部下が黒竜を引いて近付く。
黒竜は拘束されているわけではない。ただ細い鎖で引かれ犬の散歩のように誘導されているだけ。
人類と見るや問答無用で捕食対象とする黒竜の習性からして、それはありえない光景であった。
彼は、周囲の人間を食べようとしていないのだ。……ただ一人、拉致された女性を除いて。
黒竜は空腹であった。そして、何故か唯一、黒竜は眼前の女性に対しては強烈な食欲を覚えた。
食べたい。黒竜は、この町に入って以来ずっと我慢を強いられてきた本能に従った。
「いや、いやっ、いぎゃあぁ」
女性の片腕が噛み千切られる。女性は尚も這うように逃走を試みるが、首の鎖は数歩以上の避難を許さなかった。
巨大な片足で女性を踏み押さえ、黒竜は何度も女性にかじり付く。彼らに獲物への敬意も慈悲もない。女性は生きながらにして食われ続け、原形を失っていった。
「食べないで……食べないで、下さい……」
「受け入れて下さい。捕食という方法から勘違いされてしまいがちですが、使者様の救済には痛みは伴いません」
にっこりと微笑むスヴェル。それが彼らにとっての常識であった。
使者様の慈悲。それが苦痛であるはずがない。蛮人達は先入観から泣き叫んでいるだけであり、実のところ噛まれようと抉られようと痛みは伴わない。
それが、彼らの教典である。
やがてうめき声すら上げなくなった女性。出血性ショック死だった。
「使者様、また一人我らの同胞をお救い頂き、感謝します」
『使者の旅団に安泰が訪れんことを。人の未来が白く染め抜かれんことを』
人々は申し合わせたかのように唱和した。
「やはり蛮族には、使者様の慈悲は理解出来なかったようですね」
人々の去った教会にて、スヴェルと補佐役は食べ残しの後片付けをする。
清掃の指揮を終えた補佐役は、床の血痕をブラシで擦る部下達には聞こえないように嘆息しつつ呟いた。
「ふふ。そんなことはありません」
スヴェルは慈しむように、そっと女性の頭を撫でた。
「ほら、こんなに穏やかな顔をしている」
女性の頭部は、胡乱な眼差しを虚空へと向けていた。
補佐役はそんなスヴェルに内心呆れつつ、一つの報告を行う。
「スヴェル様、『鍵』が見つかりました」
「本当ですか!? やったぁ!」
喜色を浮かべるスヴェル。彼らの最終目的達成に必要不可欠な『扉』、そして『鍵穴』。それが遂に揃わんとしていたのだ。
「それで、鍵はいつ手に入りますか?」
「鍵の確保はさして困難ではありません。彼らは鍵の意義を知らず、警備も薄い。問題はやはり、蛮族達を如何に制圧するかにあるでしょう」
「……あの計画を実行するのですね?」
先程とはうってかわり、暗い顔をするスヴェル。
「沢山、人が亡くなるのですね」
「犠牲は極力抑える方針です。敵の主力は土竜、戦闘で死亡するのは戦闘員のみでしょう」
スヴェルは計画には反対であった。蛮族といえど血が流れるのは本意ではなく、可能ならば話し合いで解決したいと考えていたのだ。
補佐役も彼女の考えは知っていたが、それが到底実現し得ないことを理解していた。
「お言葉ですが。確実を期すならば今やらなければなりません。いえ、今しかないのです」
「……蛮族の力が弱まっている、と?」
「は。蛮族は使者様の攻勢を退け、安定期に入っています」
7年前に前触れもなく始まった、黒竜軍の変貌。フォートレスドラゴンや汚染兵、その他変種ドラゴンの出現。突如として稚拙ながらも戦術を駆使し始めた敵に、人類は窮地へと追い込まれた。
しかし、からくも人類は黒竜軍の侵攻を食い止めることに成功する。一度ならず二度三度も王都クルツクルフへ攻勢が至ったにも関わらず、滅亡を凌いでみせたのだ。
これまでにない戦力を投じたにも使者様を、どのように蛮族が退けてみせたのか。その詳細を彼らは組織としては把握出来ていなかった。
そこには一部の思惑もあり、またとある少女の作る装備が異質すぎて理解しきれなかった面もある。
「分析の結果、これ以上蛮族が戦力を回復させた場合、計画が万事巧くいったとしても余剰戦力にて反撃されます。千載一遇のチャンスなのです」
「敵主力は、空戦能力に劣る土竜なのですよね? 軍事に詳しいわけではありませんが、こちらの有利は揺るぎないのでは?」
「……それでも我々は少数派なのです。戦いとは物量なのです」
補佐役は理解していた。この戦い、勝っても負けても大きな出血を強いられるであろうと。
スヴェルは出過ぎた意見であったと反省し、補佐役に一任することにする。
「準備は万端にお願いします。必要なものがあれば、こちらからも手配します」
「恐縮です」
二人は扉を少し開き、教会の地下へと進む。
ひたすらに続く長い階段を降りていくスヴェル達。
「拠点確保の後、内部協力者によって『鍵』を確保します。とはいえ単純に運ぶわけにはいきませんので、少し時間がかかることはご了承下さい」
「相応の警備が敷かれている可能性については理解しますが。やはり彼らも、『鍵』の重要性は理解しているのですか」
「どうでしょうか。私の調査の限り、『鍵』に関する情報は失伝しているように思えます。それこそ、当人でこそ知らぬほどに」
補佐役の含みを持たせた言い回しには気付かず、スヴェルは素直に頷いた。
やがて、二人は広大な空間に辿り着く。
そこは鍾乳洞であった。大教会を中心とする町、その下には鍾乳洞があるのだ。
ほぼ自然のままに残された地下空間。木造の足場が据えられ、階段はその足場に繋がっている。
学校の敷地ほどはある広大な足場の中心には、上の大教会よりは遥かに規模の小さな地下協会が拵えられていた。
「一つ、あまり関連のある事柄ではありませんがご報告があります」
「伺いましょう」
「『鍵』の素質を持つ人物―――彼女は、以前より存在が示唆されていた貴女様の姉君であることが判明しました」
スヴェルは目を見開く。
「お姉ちゃんが生きてたの!?」
「はい。とはいえ蛮族の中で暮らしてきたのです、我々とは異とする価値観に凝り固まっているかもしれません。あまり理解し合えるという希望は持たないほうが宜しいかと……」
「それでも朗報だわ! そっか、お姉ちゃん、生きてたんだ……!」
今にも踊りだしそうなほどに喜ぶスヴェル。
補佐役は、仮面越しにしばしそんな彼女を見つめる。
「こ、こほん」
観察されいたと気付き、スヴェルは急に恥ずかしくなって咳払いで誤魔化すことにした。
「『鍵』がお姉ちゃんだというのなら、しっかりとお迎えしなければなりません」
「はい。あまり余裕があるわけではありませんが、決して無礼とならぬように留意します」
「お願いします、補佐役」
二人は地下教会の礼拝堂を通過し、壁のレバーを降ろした。
更なる地下への道。鍾乳洞の地面をくり抜いて作られた洞窟への階段である。
地下深く、やがてスヴェル達は目的地に辿り着く。
そこには、一頭のドラゴンが縮こまって鎮座していた。
「ご機嫌よう、使者様」
スヴェルの挨拶にドラゴンは反応しない。
そのドラゴンは特殊な個体であった。歴史上一切確認されていない、白い鱗を持つドラゴンなのだ。
白いドラゴンは不機嫌そうに唸り、スヴェルを睨む。
スヴェルは悲しげに目を伏せた。
「使者様、どうして救済を行われないのですか?」
白いドラゴンの足下には、餓死した男性の死体が転がっていた。
酒場の女性と同じく、餌として拉致された異郷の人間である。
これはかなり異様な光景といえよう。ドラゴンは黒竜以外の種、人間に飼育される基本4種であっても人間を害し食すことがある。知性があるとはいえ、自らの命がかかった状況ならば捕食を選択するのは生物として当然であった。
戦闘用ドラゴンが飼育員を殺すなんて事故は珍しいことではない。ましてや、飢えている状況ならば。
「使者様に殺されることは不幸ではありません。貴方様とて、それはご承知でしょう?」
白いドラゴンは飢えていた。捕縛され鎖で拘束される中、餌として差し出された人間に一切手を付けず水だけで餓えを凌いでいるのだ。
スヴェル達はなぜ彼が人間を食べないのか理解出来なかった。彼女達にとって、ドラゴンとは人間を食べるのが普通のことであった。
何より、白いドラゴンの行動には論理的整合性すらない。餓死した人間すら手を付けず、彼が食べずとも他の黒竜の餌とされる。結局、目の前の人間は助からない。
それでも尚、彼は人間を殺さなかった。
ゆっくりと起きあがる白いドラゴン。不思議なことに、ずっと食べていないにも関わらずその肉体は衰えてなどいない。むしろ、隆々とした筋肉は並の戦闘用ドラゴンを凌駕する逞しさを秘めているのが容易に見て取れた。
本能に抗い続け磨耗し、剣呑とした眼孔がスヴェルを射抜く。
そのあまりに真っ直ぐな眼差しに、スヴェルは身震いした。
「……今日のところは失礼します。どうか、ご自愛して下さい」
一礼し、踵を返すスヴェル。
結局、彼女達は気付かなかった。
白いドラゴンの右腕には、回転式推進装置出力調整用の金具が残っていることを。
そしてそれが、先行量産型よりも古い、最初期型の形状であることを。
ファンタジー世界に似つかわしくない、ジェットエンジンの思想を組み込んだ装備の系譜。
そのプロトタイプを身に付ける個体は一頭しかいない。
白いドラゴンは瞑目し、静かに耐える。
いつか再び、常識外れの行動ばかりを起こす主と再会する時まで。




