Chapter Ⅱ 忘れられない女の子
――わたくしは、すでに死んだ人間なのです。
「……面白い。面白いぜ、ソフィア王女。こういうのを待ってたんだ。退屈な日常をスリルに満ちた冒険へと変えてくれる、そんな出会いをな!」
体育館の奥にいるソフィアは、女子のバレーや男子のバスケを珍しそうに眺めている。
驚くべきことに、彼女の空気を読まない睡眠は転校初日だけにとどまらなかった。その後も普段の授業や休み時間など、隙あらば常に寝ているのだ。そのやんごとなき眠りっぷりのおかげで早くも有名になり、クラス内外から“眠り姫”の称号を授与されている。
体育はさすがに起きるらしいが、授業も聞かずにテストはどうするつもりなのか。いつも昼休みには弁当を食べるし、トイレへ行ったりもしているようだが、どういう意味で死んでるのだろうか。まったくもって謎である。
「さいとーくん、なんか最近生き生きしてるねえ。そんなに葉木谷さんが気に入ったの? ナイッシュー!」
得点板をめくる悟。ジャージの袖が伸びているのでほぼ服でつかんでいる感じだ。
「ああ。この三日間、俺を置いて勝手に城を抜け出さないよう見張っている。王女というのは概してそういうキャラだからな」
「でも、ライバル多いみたいだよ。ほら」
悟が目配せした先には休憩している男子たちの暑苦しい眼差しがあった。そろいもそろってソフィアに釘付けになっている。そういえばあいつら、さっき雨で授業が体育館になったと聞いて狂喜していたがこのせいだったのか。
「みんなかっこいいところ見せようと思ってはりきってるよねえ。ナイッシュー! さいとーくん、今の三点?」
「いや、面倒だから二点」
今度はこっちだったので俺がめくる。
「俺はやつらのように無粋な気持ちで興味があるんじゃない。あんな現実離れした人間そうはいないからな。おそらく彼女は何か事情があって、夢幻世界からこちら側に移ってきたんだろう」
「えっ!? 本当に!?」
「そうだ……。おそらくあいつは不思議な力を持っている。夢幻と現実、両方の世界の存亡を分かつ危険な力を……! だから∞騎士であるこの俺が、悪夢の化身“ナイトメア”から命を守ってやらなくては!」
「そっかあ……。じゃあもし葉木谷さんがナイトメアにやられちゃったら、世界はどうなっちゃうの?」
「……そ、その先はまだ考えてない」
「うーん……。残念」
悟は乗りはいいのだが、このあたり意外と厳しかったりする。
「とっ、ところでもう十二時か! どおりで腹が減ってきたわけだな!」
強引に話をそらすものの、都合よく腹の虫が鳴いてはくれない。
「もうちょっと我慢すればお弁当だよ……わあ!」
スパン! と小気味いい音が向こうから響いてきて悟が歓声を上げた。
スパイクの練習でだれかが囲まれて褒められている。あの長髪は雪花だ。
「すごい、さすが雪永さん」
「その分、頭は悪いけどな」
「そうかなぁ。毎日日記つけてるって言ってたし、記憶力とか鍛えられてるんじゃないかなぁ」
「なんだよそれ? 日記なんか関係あるか?」
「世界史の年号もすごくよく覚えてたよ。受験科目なんだって」
悟は歴史が大好きで異常なほど詳しい。そういえば、先日の“ハギア・ソフィア”もトルコの歴史ある建物なんだとか言って目を輝かせていた。何が魅力なのかはさっぱりわからないが。
「たしかに、あいつはどうでもいいことばっかりよく覚えてるよ。昔はああだった、あの時はこうだったってな。でもそんな情報はテストで何の役にも立たない。俺は前回の世界史、必要最低限のことだけ覚えてあいつに勝ったぞ」
「うーん……。たしかにそれは情報処理のセンスかもねえ」
「だろ? そして俺はそのセンスをジ・エンド・オブ・ドリームスで培った! 敵を見極め、最も効率の良いパーティを編成することによってな!」
「へえ! すごいなぁ」
「歴戦の∞騎士として、当然」
雨と運動でしおれがちな、騎士のたしなみたる前髪を正す。と、悟がいきなり嬉しそうににやけだした。
「さいとーくんはドン・キホーテみたいだねえ」
「え? なんか俺、ディスカウントショップ的なこと言ったか?」
「違うよ、騎士物語に憧れてて、旅に出たい出たいって言ってるあたりがさ、似てるなって」
「ああ、そっちの方ね……。ていうかそれってたしか、敵だと思って風車に突っ込んでくやつだろ」
もしかしてバカにされてるのかと思ったが、悟に限ってそんなことはない。……はずだ。
「ちなみに、書いたのはスペインのセルバンテスだからね。出るよ~? テストに出るよ~?」
本当に歴史の話をしている時の悟は目がらんらんとしている。部室で史料を読んでるとクスリでもやってるのかというくらい恍惚としてることもある。まあ、俺もジ・エンド・オブ・ドリームスの世界にいる時はそんな感じかもしれないが。
「そう、夢幻と現実……。二つの世界の真実を探求した彼らのように、俺は十七才のうちに出発しなければならない。スリルと冒険の旅へと! 悟! あれを見ろ!」
「えっ?」
体育館の向こう半分。ソフィアがスパイクをする番だ。
「今こそ、王女に秘められし真の力が解き放たれる時! さあ、見せてみろ! お前の夢幻力を!」
トス係がボールをふんわり宙へ浮かせると、ソフィアは歩幅を合わせつつ髪をなびかせて跳び上が――
「おおっ!?」
――れずにすっ転んだ。
「だいじょうぶ!?」
「頭打ってない!? わー、痛そー!」
ボールしか見ていなくてバランスを崩したらしい。あわてふためきながら女子たちが駆け寄って抱き起こす。悟も心配そうだ。
「大丈夫かなぁ……。保健室行くみたいだけど」
「大丈夫だ、死にはしない。ていうか自称、もう死んでるし」
「ひどいねえ、さいとーくん……」
「……ふふ、どうやらソフィア王女の夢幻力は少しばかり秘められすぎているようだ。やはり、それ系の重要イベントをこなして真の力を引き出すため、冒険の旅に出るしかないな!」
「彩戸お! いま何点!?」
「やべっ、忘れてた! 悪い悪い」
「マジかよっ……頼むよマジで!」
汗だくで息を切らせながらでかい声を出されてちょっとスリリングだったが、俺が求めているのはこういうスリルではない……。
→
「みなさん、本当にごめんなさいっ……!」
土下座せんばかりの勢いで牧原が頭を下げた。昼休みでみんな弁当を食べている前なので、ちょっと異様な光景だ。
「……牧原、気がすんだらもう座れ」
「でも……」
「早くしろ」
はい……と返事したかどうかはわからない。真っ赤な顔を両手で押さえているので泣いているのかもしれない。
「わかってるとは思うが、牧原ひとりの責任じゃない。というよりだれの責任でもない。まさか体育の授業中、ちゃんと金庫に入っていたはずの携帯が盗まれるなんて、だれもわからないからな」
「ま、そりゃそうだ」
今度は八川に聞こえないよう、しっかりトーンを落とした。右隣の悟が耳を近づけてくる。
「そうそう、一人だけのせいじゃないよねえ」
「しかしこういう場合、普通は“教師である俺の責任だ! お前らのせいじゃない!”とか言わないか? さりげなく第三者になろうとしてるあたり卑怯なやつだ!」
「うーん、そうかなぁ……」
悟は答えをにごしたが、別に同意は得られなくてもいい。俺は単に八川のこういうところが嫌いなだけだ。人間、危機に陥ったときこそ本性が現れるんだよな。
しんとしていた教室だったが、にわかにざわざわしだした。
「まあ、財布取られなかっただけよかったよね……」
「どうやって金庫開けたんだろ?」
「携帯ないとか超不便なんだけど」
ふと気になって、隣の王女様をチェックする。
「……うん、静かだ。静かだよ」
眠り姫ソフィアは、飽きもせず安らかな午睡にまどろんでいた。頭につけられた手当て用ガーゼとネットも、彼女の美髪の上ではフリル付きレースか月桂冠に見えるから不思議だ。
悟がひょこっとのぞき込んで声をかける。
「葉木谷さん、さっきの大丈夫だった?」
「返事がない。王女は死んでいるようだ」
「えっ!? 葉木谷さん死んじゃったの!?」
「悟……。そこは乗るところなのか?」
八川が喉の奥で咳払いをした。
「よし、お前ら注目。さっき校長先生に相談したところ、この件は学校で処理することになった。だから勝手に通報したりしないように。以上だ」
え? なんだそれ? それだけ?
みんなもそう思ったらしい。
「えーっ!?」
「うそ、何それ? 携帯どうすんの?」
「先生、被害届とか出すんですか?」
「わからん」
わからんって何だよ!
「先生、携帯ないと困るんですけど!」
勢いあまって挙手してしまった。
「それはみんな同じだろう」
「いや、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて……! 今すぐ警察呼べば済む話じゃないですか。現に盗まれてるんですよ!」
「盗まれたとは断言できない。俺たちが知っているのは携帯がなくなったという事実だけだ」
「それが盗まれたってことでしょ!」
「大ごとになったら困るのは学校だけじゃないんだぞ、彩戸」
「おま……!」
お前が面倒くさがってるだけだろ! と言いかけたところを悟に引っ張られて飲み込んだ。
「午後の授業は通常どおりだからな。じゃあ解散」
→
「くそっ、あの八の字メガネ……マジで頭にくる! 許さないぞ俺は!」
思いつく限りの最強コンボを繰り出し、最弱のナイトメア相手に最高ダメージを叩き出す。……ふう、ちょっとだけスカッとした。
「……けいちゃん、うるさいんだけど」
部室のドアを開けるなり雪花が不機嫌そうに訴えてきた。どうせ苦虫を噛み潰したような顔をしてるんだろうから目を画面から離すまでもない。ノールックでチョコをつまんだ。
「鍵はしなくていい、悟が来るからな。牧原はどうした?」
「部活に一言ことわってから来るって。ほんと、携帯ないって不便……。ていうか、リエちゃんに何の用? わざわざ部室に呼び出さなきゃいけないわけ?」
「ソノ謎ノ真実ハ、オ主ニモヤガテ明カサレルジャロウテ。ファファファ」
「……だれのつもりよそれ? 現実にいない人のモノマネなんてやめてよね。あと、勉強するんだから静かにしててよ」
「あーあ、冷めた反応だな。本当に夢のないつまらないやつだ、お前は」
「夢ばっかり見てる人に言われたくないから」
「だいたい、勉強するならここじゃなくて自習室ですればいいだろ」
「もう追い込みの時期だよ。三年生の邪魔になっちゃうでしょ。それに私は、平日の放課後はここで勉強するって決めてるの」
「出た、特殊スキル“絶対法則一〇〇〇‰”」
「ぜったい……せんぱ……? なに?」
「千パーミルだ、パーミル。パーセントの一桁多いやつだよ。千分の一ってこと。千の決まりごとを持つお前の特殊スキルだ。勉強は部室、部屋に入るときは右足、ドリンクバーの最初はメロンソーダから、本棚は左から小さい順に並べて勉強のおともは缶コーヒーにポテトチップス」
雪花が机にポテチの袋を置いたので、開けて一枚失敬する。さすがに缶コーヒーまでは手をつけないが。
「……私に決まりごとがたくさんあるのは認めるけど、勝手に変なあだ名つけないでよ」
「あだ名じゃない。スキル名だ、スキル名」
「知らないってば! 勉強の邪魔だから、用がすんだらすぐ出てってよね!」
「ムキになるなって! まだこの間のこと根に持ってるのか? いつまでも過ぎたことをねちねちと……。どうせ日記にも恨みばっかり書き連ねてあるんだろ」
「うっ、うるさいなぁっ! 日記に書いて悪い!?」
「おい! 否定しないのかよ!」
「あははっ、相変わらずにぎやかだねー。さすが幼なじみ同士」
後ろから急に甲高い声が飛んできてびっくりした。牧原だ。いつのまに入って来たんだ?
「お前ににぎやか呼ばわりされる筋合いはないぞ。別に好きで幼なじみだったわけじゃない。たまたま家が隣だっただけだ」
「そうだよリエちゃん。彩戸くんなんて、私の人生から存在ごと抹消したいくらいなんだから!」
牧原は露骨ににやにやしている。
「そんなこと言ってー。幼なじみってなんだかロマンチックでステキじゃない? 二人だけの思い出……。ああ……あの頃、この気持ちの意味を知るにはあまりに幼すぎて……。キャッ」
「キャッじゃない。そんな昔のこと覚えてられるか。少女マンガの読みすぎだな」
「えー? 彩戸くんだってゲームばっかりしてるじゃん。いい? 女の子ならね、だれだってみんな一度はそういう生い立ちに憧れるもんなの。ね、ゆっきー!」
「えっ? う、うん……」
「あれっ!? 意外と反応うすい!?」
「無駄だ牧原。こいつは夢とかロマンとか、そんな非現実的なものには一切興味を示さない非情なリアリストだからな」
「非情でけっこう。まったく、だれのせいだと思ってるんだか……」
「あ、そっか! ……ごめんねゆっきー。彩戸くんなんかと幼なじみでも嬉しくないよね……。あたしったら、ゆっきーの気持ちを考えもせずに……」
「おっ、おい待て! なんで俺が悪いみたいになってるんだ!? だいたいお前、携帯盗まれたくせに偉そうなことを言うな!」
「はぅ……っ!」
「ひっどい……! なんて事言うの!? リエちゃんに謝って!」
牧原はがっくり肩を落とした。
「なんだなんだ、その落ち込んでますアピールは」
「彩戸くん! 自分の言ったことわかってるの!?」
「ううん……いいの、ゆっきー。……いつも明るく楽しいアッレーグロなリエちゃんが泣いてちゃ、みんなが悲しい気持ちになってしまう! と思ってカラ元気を出してみたんだけどね……。やっぱダメみたい。あたしがしっかりしてなかったから、みんなの携帯盗まれちゃったんだし……」
雪花が牧原の頭をぽんとたたいた。
「大丈夫! リエちゃんのせいじゃないから。きっとなんとかなるよ」
「……うん。だといいけど……」
「ぐはあっ……! こ、これがお前たち人間どもが放つ“友情”という力の光か……。なんと眩しい! 我ら悪夢から生まれし者にはその光、眩しすぎるぞ人間どもよ……!」
「ねえ! 茶化さないでよっ!」
ものすごい剣幕で雪花に怒鳴られた。一瞬、言葉に詰まる。
「……な、なんだよ。そんなに怒る事か? ちょっとした冗談だろ」
「ほんとに無神経なんだから! ちゃんとリエちゃんに謝りなさいってば!」
「ふん。善人面しやがって。なんとかなるとか適当に言う方が無責任だろ。おせっかいもいいかげんにしとけ」
「いいよ。ありがと、ゆっきー。……ちょっと救われたかも」
「うん。気にしちゃだめだからね、こんなの。まったく……」
牧原は部室の隅にある電子ピアノに座ってなにやら暗い感じの曲を弾きだした。雪花は俺のパソコンの裏に座り、ふてくされながら勉強道具を並べている。ていうか “こんなの”とはなんだ、おい。
「遅れてごめ~ん、葉木谷さん連れてきたよ」
ダダーン!
悟と同時に大音量の不協和音が飛び込んできた。
「うわっ!? どうした牧原!?」
「ごっ、ごめんね、なな何でもないの、ちょっと手がすべっちゃって……」
「くくっ……」
かと思えば、今度はたった今まで鬼の形相だった雪花が笑いを噛み殺している。なんなんだ、いったい……。
「携帯がないから、葉木谷さん捕まえるの大変だったよ。雨の中校門まで走っちゃった」
常に王女を捕捉しておけるよう番号やアドレスを聞き出し、悟にも教えておいたのだが肝心なときに役に立たない。先端技術などというのはそんなものだ。
「彩戸くん、リエちゃんだけじゃなくて葉木谷さんまで呼びつけたの? 転校早々、変なのにからまれるなんて……。ごめんね、葉木谷さん」
「……いえ」
「人を変人呼ばわりするんじゃない。よし、これで全員そろったな! と、王女……じゃなくて葉木谷さん、そこらへん適当に座っていいぞ」
「……おじゃまいたします」
敷居をまたぎ、楚々とした足取りでそっと椅子に腰を下ろす。……やはり、見事なまでの王女スキルだ。少しはこのおしとやかさを見習え、雪花。
「さあ、始めるぞ! “歴研ウィーン会議”を!」
俺が立ち上がると、悟も乗っかってきた。
「うん! みんなで国際秩序を再建しよう!」
雪花以外の女子二人はぽかんとしている。
「はいはい、ウィーン会議は一八一四年、と……。ほっといていいよリエちゃん、わけわかんないのはいつものことだから」
「う、うん。そうなの……?」
「余計なことを言うな雪永! これは世界の歴史に残る重要な会議なのだ。静粛にしてくれなくては困る。今日の議題は……これだっ!」
丸めてあった書きぞめ用の半紙を投げ広げると、牧原が棒読みで読んだ。
「〈携帯電話盗難事件対策本部〉……? なにこれ? 今年の目標?」
「そんな目標あるか! 議題って言ってるだろ! この事件、俺たちの手で解決してみせるっ! これぞ冒険だ! 冒険だよ!」
再びぽかん。というか一部に至ってはうとうとしだした。
「こら眠り姫、寝るなっ!」
また雪花がつっかかってきた。
「なにかというとすぐ冒険冒険って……。今の生活がそんなに不満なわけ? ていうか、むりやり連れてきたくせにそんな言い方かわいそうでしょ」
「まあそれもそうだな。ソフィア王女は転校してきて間もないし、ちょっと沿革を説明してやるか」
自分の名前に反応し、ソフィアの青い瞳(眠そうだが)がこっちを向いた。
「いいか、ソフィア王女。まず、そこに名札が出ていたようにここは俺たち“歴史研究部∞”の部室だ。以後“歴研”、“歴研インフィニット”と呼ぶもよし、または敬意をこめて“歴史研究部インフィニット”と正式名称で呼ぶのもいいだろう」
雪花が口を挟む。
「正式にはただの“歴史研究部”ね。インフィニットで届けたのは受理されてないから」
「なっ!? そうだったのか!?」
「当たり前でしょ」
そうだったのか……。
「ま、まあいい。そういうわけだから、この部室では思いっきりくつろいでもらってかまわない」
「というか、さいとーくんが一番くつろいでるよねえ」
「そう、俺くらいになると学校のパソコンをモニタ代わりにし、ゲーム機をつないでチョコを食べながら……って悟、変なこと言わせるな!」
「葉木谷さんも気をつけてね。ちょっと油断すると、私みたく知らないうちに部員の頭数に入れられちゃうから」
「せっかく居場所を与えてやったのにそんな言い草か、雪永」
「私が孤独な人みたいに言わないで! 居場所じゃなくて勉強場所! 単に利害が一致しただけよ! うぅ、全然集中できない……」
落ち込んでいるからかめずらしく黙っていた牧原がごにょごにょ口を開いた。
「あ、あたしは別にいいかなぁ、なんて……。でもオケ部忙しいんだよね……」
「ソフィア王女はどうだ? ……つーかまた寝てるよ! くつろぎすぎだろ!」
「まさに、“会議は踊る、されど進まず”……だね」
はっ。悟の歴史的名言で我を取り戻した。あぶないあぶない、いつのまにか本筋から脱線していた。
「とにかくお前ら、なぜ自分がここ携帯電話盗難事件なんとかに呼ばれたか……」
「さいとーくん、対策本部だよ、対策本部」
「……なんとか対策本部に呼ばれたかわかってるんだろうな? え?」
「うわ、感じ悪い」
ノートに向かって吐き捨てる雪花の横で、ピアノの手を止めた牧原がぱっと顔を輝かせた。
「あ、そっか! あたしの無実を証明してくれるんだね! 彩戸くん、たまにはいいとこあるー!」
「たまにはは余計だ。それに目的はお前の無実じゃなくて犯人を突き止めることだぞ。だからお前を呼んだんじゃないか」
首をかしげる牧原。
「え? どゆこと?」
「容疑者は四人! そのうち三人がお前と、お前と、お前だからだっ!」
牧原、雪花、ソフィアの順に指をさす。
「あう……。そっか、そうだよね……。やっぱりみんな、そう思ってるんだね……」
「ちょっと……。ふざけるのもいいかげんにしてよ!」
雪花が物を投げてきそうな勢いだったので、とっさにぶ厚い歴史資料集を読んでいる悟を盾にした。
「さ、悟! なんとか言ってやってくれ!」
「え? なにか言ったぁ?」
ダメだ、完全に歴史の世界へタイムスリップしてしまっている……! 悟が戦闘不能に陥ってしまった以上、この凶悪なナイトメアは俺一人で食い止めるほかないようだ。
「ま、まあ落ち着け。俺の推理によればお前らは犯人じゃない」
「あたりまえでしょ!?」
「ぎゃあぎゃあ騒ぐな。ちょっとはそこのお姫様みたいにおとなしくしたらどうだ?」
「うっ……!?」
ひざに手を重ねてたたずむソフィアを一瞥し、雪花はぴたっとわめくのをやめた。女のプライド的なものが刺激されたのかもしれない。……なるほど、これはなかなか使える夢幻術だ。
「……あのさ、係で金庫の番号を知ってるからあたしが怪しいのはわかるけど……。なんでゆっきーとソフィアちゃんまで疑われなきゃいけないの?」
牧原のおさげ頭を雪花が軽くなでた。
「ありがと、リエちゃん。私は大丈夫。でも悪いのは疑う方だからね。気にしちゃだめだよ」
「ん? 牧原をかばうとは怪しいな、雪永。もしや……」
「リエちゃんが疑われるくらいなら、私がやったことにされた方がましよ」
優しげだった口調が一転してきつくなった。牧原が雪花の手をぎゅっと握りしめる。
「ありがとう、ゆっきー……!」
「ぐふっ! すばらしい……。これが“絆”というものの持つ力か……! 今わが身はしばし滅びる……。だがお前たち人間がその“絆”を忘れたとき、私はふたたび悪夢としてよみがえるであろう……!」
「だから茶化さないでって言ってるでしょ!? だいたい根拠もないのになんでそんなに人を疑ってるわけ!?」
「お前とソフィア王女は授業中、二人で保健室に行っている。つまり、その間のアリバイがないということだ」
きょとんとするソフィアに代わって雪花が反論する。
「たしかに葉木谷さんは保健委員の私が連れて行ったわ。でも、その間私たちはなんにもしてない。私はすぐ体育館に戻って、葉木谷さんはずっと保健室で先生と一緒だったんだから。そもそも、私も葉木谷さんも携帯なんて盗む理由がないし、金庫の番号だって知らないんだから」
「牧原、今のはたしかか?」
「う、うん。あたしはいつもどおりみんなから貴重品預かって金庫入れて、男子が着替えるから教室出て、えーっと体育館でバレーしてたらソフィアちゃんが頭打って、保健委員のゆっきーが連れて行ってそうそうでもゆっきーはすぐ戻ってきて、教室戻ったらみんなが携帯ないって騒いでて……」
「ちょっと待て、混乱状態もほどほどにしろ。いったん落ち着こうか」
また牧原は半分パニック状態になってしまっている。何か気づいたらしく雪花が声を上げた。
「ねえ、それってなんかおかしくない? リエちゃんが金庫閉めたあと、教室にはずっと男子がいて、最初に金庫が開けられてるのを見たのは男子なんでしょ? 私たちなんかよりよっぽど怪しいんじゃない?」
「いや、それはない。なぜなら男子は全員俺と一緒にいた。だから怪しいのは女子」
「あくまで自分視点なのね、あんたは……」
「ちなみに言っておくと、俺は昼休みにゲームしたかったから早く教室に帰ってきて、第一発見者を目撃している。反対に授業前最後まで教室にいたのは悟。それは着替えるのが抜群に遅いから」
「じゃ、さっき言ってた四人目の容疑者って……」
「ちっ、違うよ! 鳥飼くんは絶対そんなことしないと思う!」
懸命に否定したのは悟ではなくなぜか牧原だった。当の悟本人は呑気に資料集を読みふけっている。よくもまあ、あんな百科事典みたいな本に没頭できるもんだ。
「そう、悟は容疑者じゃない。着替え以外はずっと俺と一緒だったし、なによりこんなだからな……。こいつは興味があるものにはとことん入れこむが、ないものにはとことん興味がない。よってシロ」
「……うん、そうかも」
「納得」
満場一致でうなずいているが悟は気づかない。かわりに、読んでいる本と別の本を見比べながら微笑んで「うふふっ」と声をもらした。ある意味もっとも犯罪者タイプと言えなくもない……。
「そう、俺やお前らの監視を逃れ、なおかつ金庫の番号も知っている人間が一人いる。そいつが一番怪しい最後の容疑者だ」
牧原は気づいたようだ。
「あっ! ……もしかして、八川先生?」
「そのとおり! 番号は一応担任にも伝えておく決まりだ。そうだな?」
「うん……。でも、先生がそんなことするかな?」
「いや、あいつならやりかねない。なにせあいつは人間に化けたナイトメアだからな。携帯を盗んで夢幻世界へ高飛びするつもりに違いない」
雪花が横槍を入れてきた。
「……そんな世界無いから。だいたい仮にそうだったとして、違う世界の携帯を盗んで何に使うわけ?」
「そっ、それはだな……。し、知らないのかお前、携帯にはレアメタルってやつが入っててだな……。それは途上国とかに売るとけっこう高値がついてだな……」
「それは現実世界での話でしょ? ……はぁ。まったく、作り話するならそれなりのつじつまくらい用意しときなさいよね」
「ふん。よけいなお世話だ。ところでソフィア王女。お前は保健室から教室まで一人だったはずだな。保健室を何時に出たか覚えてるか?」
「ほんと、都合が悪くなるとすぐ話そらすんだから」
雪花の独り言は無視して、ソフィアの返事を待つ。
「……十二時二十七分です」
「二十七分というと……。体育は終わった後か。それじゃ犯行は厳しいな」
「だから、さっきから葉木谷さんじゃないって言ってるでしょ」
「そうそう雪永、お前も保健室から体育館までは一人だったな。その間何をしていた?」
「何もしてないってば」
「なら王女みたいに答えてみろ。何時何分に保健室を出て、何時何分に体育館についたんだ?」
「そ、それはっ……! そんな細かいこと覚えてるわけないじゃない!」
「ふうん? 普段なにかと細かく、過去にこだわるお前が覚えてない? そうか……それは怪しいなぁ……」
牧原が懸命に訴えてくる。
「ゆっきーは十五分には体育館に戻ってたよ! あたし試合の時間計ってたから覚えてるもん!」
「だが、俺の記憶では保健室へ行ったのが十二時ちょうど! 保健室までは近いから往復したって五分もかかるまい。その空白の十分をどう説明するつもりだ?」
「だから、保健室の先生に事情を説明したり、いろいろと……」
「いろいろと何だ?」
雪花に詰め寄ると、意外にもソフィアが間に入ってきた。
「……保健室にうかがったのは、十二時六分です……。五分ほど先生とお話して、その後戻られました……」
雪花は思わぬ助け舟に驚いた様子だ。
「……ほらね! ありがとう、葉木谷さん」
「……まあ、最初に言ったように犯人はたぶん八川だからな! お前らを追及してもしかたない」
「えー? なら最初からしないでよっ! あたしへの暴言は何だったの!?」
「と、ところでソフィア王女。分単位で覚えてるとはずいぶん記憶力がいいんだな。はっ! もしやそれこそ、お前が命と引き換えに手に入れた夢幻力なのか!?」
ソフィアはみつあみの間から、華奢なあごをすっと上げて答えた。
「……わたくしは、忘れることができないのです」
……は?