Chapter Ⅰ さいせいのパスワード
ピー音。
デジタルのブロックノイズ。
異様にカラフルな画面。
「……! おいっ!」
「なによ」
「なによじゃない! お前これ……バグったよ! なにするんだよ!」
コントローラのボタンをぐりぐり回してみたが無意味なことはわかっている。雪花がコートのポケットから手を出し、俺のヘッドホンをずらして外した。
「けいちゃんけいちゃんって呼んでるのに聞こえないみたいだから、机を蹴ってみたのよ」
「今、一時間もかけてやっとラスボスまで行ったんだぞ!」
「知らないから。じゃ、始業式さぼってずっと部室にいたの?」
「さぼってたわけじゃない。世界を救っていたんだ、世界を」
「ああそう」
もともときつい雪花の目つきだが、さらにきつくなった。
「はあ……。マジかよ」
そりゃため息も出る。アーモンドチョコをつまみ、机の下に仕込んである古いゲーム機をしかたなくリセットした。
「またそのチョコ? 虫歯になるよ」
「冒険は脳に糖分が必須だからな。欲しいのか?」
「私、甘いもの苦手なんだってば」
「知ってるから嫌がらせで言って……? お、お、お、お……、おおいっ!?」
「どうかした?」
ない。どこを探してもない。
「消えたっ……! 俺のデータが……!」
「データ? パスワードでしょ? 昔、けいちゃんがよく唱えてた“さいせいのパスワード”ってやつ。ほら、“はぱけやとかれしきへのも……”とか何とか」
「それはβまでだ! γだろ、これは! どう見ても!」
「いや、知らないし」
消えた。データが消えた。ということは……。
「ロール習熟度MAXも能力値底上げも隠しボス撃破報酬も全部……、全部消えてしまったのかっ……!?」
おそるおそるもう一度リセットを押してみる。しかし当たり前だが現実はリセットされなかった。
「バックアップは?」
「取れるかよ! 昔のハードだぞ! 俺が冬休み中寝ずに育てたキャラたちが……! 一瞬にして……!」
さっきウインドウに流れた文字を見ていたらしく、雪花が棒読みで復唱する。
「“ざんねんですが ぼうけんのきろくは きえてしまいました”」
体の力が抜けてしまい、モニターの前に倒れこんだ。
「いいか……。もう、戻らないんだぞ。あの熾烈な戦いの経験値も……。夢幻宮舞踏会の思い出も……。シーザー……アン……セリーヌ! ガイルス! みんな! もう戻らない……。戻らないんだよっ!」
カシャッ。
「……ん?」
携帯の背中。
「な、なに撮ってんだよっ!」
「今日の日記はこれで決まりね。チキ、保存して」
雪花はこちらに目もくれず携帯に指示した。ひよこ型のAIが「ぴよっ」と呑気に鳴く。
「お前、バカにしてんのか!?」
ガタッと椅子から立ち上がると、雪花の目もまた鋭くなる。
「ちょっとなんなの? ゲームくらいで怒んないでよ」
「お前のせいだぞ! お前が入ってこなきゃデータが消えることもなく……! 夢幻世界には真の平和がもたらされたであろうに……!」
「ゲームなんて時間のムダ! データが消えちゃったらなんにも残らないのがその証拠!」
「ぐっ……!」
俺の両肩にぽん、と雪花の手が乗っかった。
「けいちゃん。いい機会だから、後悔しないうちに現実世界へ帰ってきなさい。ね?」
雪花の手を振り払う。
「諭すように言うな! 俺は夢と現実を履き違えてるゲーム脳じゃない。それから学校で“けいちゃん”って呼び方はやめろ!」
「だれも聞いてないんだから、小さい頃からの呼び方で呼んでも平気でしょ。私にとってけいちゃんはけいちゃんなの。そう決めてるの」
「子供の頃のことはもう忘れろ」
「私は過去を大事にしたいだけ」
机に突っ伏したときつぶれてしまった前髪を立て直す。
「俺は夢という名の未来に生き、夢幻世界に覚醒した少年……。∞〈むげん〉騎士となった今、守るべきものはただひとつ! マルガレーテ王女の御身のみ!」
「ゲームの設定を現実に持ち込まないでよ! ああ、イライラする……。あんたはただの高校生! それが現実逃避だって言ってるの!」
「そんなことわかってる。言ってみただけだろ。冗談が通じないやつだな。だいたい、現実を見れてないのは自分のくせに。そうだろ、雪永さん?」
苗字で呼んでやると、雪花は対抗してきた。腰まである長い黒髪を挑発的に払う。
「はい? やめてよ彩戸くん。私、ゲームなんて全然やったことないんですけど。二十四時間三百六十五日、ちゃんと現実を見てるんですけど」
「違うな。現に、陸上部をやめたのは現実逃避だろうが」
「……」
雪花は声も出ない。
「ほら見ろ。図星じゃないか」
「……ほんっと無神経! バカじゃないの!? なんでそうなるわけ!?」
「現実を見てるやつは部活だってやり遂げるし、現実的な進路だって選ぶはずだ。大した頭でもないお前が何を血迷ったか医大を受けるなんて言い出して、どう考えても無謀だろ。中学でピアノをやめて陸上を始めたみたいに、高校では陸上をやめて受験勉強に逃避か」
「自分はどうなのよ? 遊んでばっかりで、どうせ将来のことなんて何も考えてないんでしょ」
「わかっちゃいないな、お前は……。俺は遊んでるわけじゃないって言っただろ。将来のことを考えてるからこそ、今ちゃんとこうして冒険してるんじゃないか。こうして得た経験値が後のレベルアップへとつながってだな」
「ゲームでの経験が何の役に立つんだか」
「言い方が悪かった。あのな、今が人生で一番自由な時なんだぞ。三十や四十になったらもう一生、今には戻れないんだぞ。いま冒険しておかないと、五十や六十になって“ああ、あの時もっと冒険しておけば……”とか言うことになるんだぞ。惨めだね。俺はそんな大人にはなりたくない。それにだな!」
雪花の眼前に人差し指をびしっと突き出す。
「歴代の∞騎士たちはみな十七才で冒険の旅に出発している。だが俺はどうだ? 四月生まれの俺はもうすぐ十八になろうというのに、現実世界ではまだ何の冒険もできていないじゃないか!」
「それは、ゲームの話でしょ? その“メンドリ”とかいう」
「“エンドリ”だっ!“ジ・エンド・オブ・ドリームス”! それに玄人は“エンドリ”とは略さない。敬意を込めて“ジ・エンド・オブ・ドリームス”と正式名称で呼称する」
「いや、だから知らないし! 私玄人じゃないし!」
「そう、俺はあと三ヶ月で十八才になってしまう……。夢幻世界においても現実世界においても、真の冒険の興奮を味わえないまま十七才を終えてしまっていいわけがあるだろうかいやない! だから冒険するなら今だ! 今なんだよっ!」
「話はぐらかさないで! けいちゃんって本当に変わらないよね。昔からずっと。何かあるとすぐそうやって……」
「言ったはずだ。俺は未来に生きる男だとな。夢とは過去ではなく未来に見るものだ」
「けいちゃんは自分に都合良く正当化しようとしてるだけだよ! 目の前の現実から目を背けてるってことを!」
「だから、それはお前の方だって!」
しばらくにらみ合ったが、雪花は折れようとしなかった。
「……もう勝手にすれば!」
踵を返して鍵を開け、雪花はドンッと部室の扉を勢いよく閉めた。まったく、夢のないやつだ。冷めたことばっかり言ってて何が楽しいんだよ。
アーモンドチョコをまた一粒、口の中に放りこむ。
→
「よし、お前ら注目しろ」
俺の雪花への苛立ちをよそに、八川の号令でホームルームが始まった。丸眼鏡の奥に光るあの冷徹な目つきのせいで、せっかくの冬休み気分も余韻が凍りつきそうだ。
「急きょ、このクラスに転校生が加入することになった」
「えっ? ホントですかー!?」
クラス一うるさい牧原を皮切りに教室中が騒ぎだす。
「マジ? かわいい子?」
「えー、うそ、どーしよぉ」
なんの勘違いか知らないが、みんなの頭の中ではすでに運命の出会いが始まっているようだ。転校生に対する根拠のない期待感というのはすさまじい。
「先生なんで? なんで転校してきたんですか!?」
「知るか。本人に聞け」
「あいたっ。 先生、カド! 今の角!」
一番前の席の牧原の頭に黒いバインダー(角)で一撃を食らわせ、冷たく切り捨てる八川。こいつは教師としてもっと生徒に優しくできないのか、本当に。
「ねぇねぇ、どんな子かな?」
隣に聞かれ、雪花が満面の笑みで答える。
「うん、仲良くなれるといいね!」
なにが 「うん、仲良くなれるといいね!」だ。この態度の豹変ぶり。これだから女は怖い。またため息をついていると隣の悟に気づかれた。
「さいとーくん、どうしたの?」
「いや、なんでも」
彩戸はたしかに“さいと”と読むが、しゃべり方がふにゃふにゃしている悟に呼ばれるとどうも自分が“斉藤”になってしまったような気がする。まあ、幼なじみの女子に“けいちゃん”とか呼ばれるよりは数倍ましだが。
八川は手招きもせず、ドアの向こうに呼びかける。
「よし、入って来い」
やれやれ、転校生が何だっていうんだ。何度も冒険の仲間との出会いや別れを繰り返してきた俺だ。この程度のイベントでがたがた騒ぐなどレベルが低い。そもそも転校生がいいやつで美形で仲良くなれそうな異性だと誰が決めたんだ。さっき食パンくわえながら交差点でぶつかってでもきたのか? ばかばかしい。お前らこそもっと現実を見ろと……。
ドアから入って来たのは女の子。
――CGかと思うくらい綺麗だった。
「……うわぁ……」
本当に驚いたとき人の口から出るのは、どよめきでもざわめきでもないらしい。ただうめき声だけだった。
絹のような金髪。白い肌。瞳に嵌めこまれた青い宝石。
一番後ろに座ってる俺でも息が止まりそうな美しさだ。……本当にナマモノか? これ。いや違う。きっとこれは立体映像だ。後ろにプロジェクターか何かがあって……振り向いたが何もなかった。
「ほら、自己紹介」
静寂を破って八川が促すと、女の子は最新3D技術よりもなめらかに礼をした。二本のみつあみが優雅に垂れる。
「……葉木谷ソフィアです」
緊張のせいかはわからないが、小さくて細い声。黒板に名前を書いている八川のチョークの音にかき消されそうだった。
「はっ……ハギア・ソフィア!?」
がたっと席を立ったのは悟だった。びっくりした。
「落ち着け鳥飼。気持ちはわかるがそれは“ハギア”だ。こっちは“ハギヤ”な」
悟はゆっくり座りなおして、柔らかな口調で言う。
「すいません、つい……」
「なんだ? もしかして知り合いか?」
「ううん、あのね……」
「はいはーい! ソフィアちゃんって外国人? それともハーフ? どこの学校から来たの? なんでうちにしたの? 好きなものは? なにしてる時が一番楽しい? あっ! そうそうあたしオーケストラ部なんだけど、音楽とか興味ある?」
目の前なのをいいことに牧原が質問を浴びせかけた。体は小さいくせに声は人一倍でかい。あわよくば部活に引き込もうというあたりちゃっかりしている。
「牧原、そんないっぺんに答えられるか。ちゃんと一つにまとめろ」
「えっと、じゃあー……」
牧原が考えだすと、ふと転校生から声がした。
「……わたくしは日本国籍ですので、外国人ではございません。フランス人の父と日本人の母のハーフです。オーストリアの学校から参りました。理由は父の転勤です。……好きなものはありません。楽しい時もありません。音楽にも、興味はありません……」
淡々と並べられた答え。牧原はうろたえている。
「あ、ありませんって、その、どういう……?」
「わたくしは、もう死んでおりますから……」
……死んでる? 今、死んでるって聞こえたよな。
「え……?」
転校生が念を押すように言う。
「……わたくしは、すでに死んだ人間なのです」
さすがの牧原も絶句した。
ていうか俺も。ヨーロッパの伝統的な冗談か何かなのか? これは。
「……あ、はは……。そ、そうなんだ……。えっと……ごめんね……変なこと聞いちゃって……。あの、なんていうか、その……ご愁傷様……?」
「取り乱すな、牧原」
「ハ、ハイ……」
脳がフリーズしたらしく牧原の返事は硬直していた。無理もない。
「ま、世界には色んな人がいるということだ」
八川が強引にまとめた。
「いや、色々すぎるだろ……」
「何か言ったか? 彩戸」
「うっ」
ぼそっと言ったのだが気づかれてしまった。
「……お前、始業式は遅刻ではなくさぼりだったらしいな。欠席で記録しておく」
「なっ、なんでそれを!?」
さては雪花!? ばっと見ると、雪花はつんとそっぽを向いた。あの野郎……!
「ちょうどいい、机が足りないのを忘れてたんだ。ペナルティとしてお前の席を葉木谷さんに貸してやれ」
「え? じゃあ俺の席は?」
「自分で調達してこい」
「マジすか!?」
教室中に笑われてしまった。くそう。これも雪花、あいつのせいだ。
「ふふっ」
「悟! お前まで!」
「まさに、“ブルータス、お前もか”だねえ」
「冗談言ってる場合かよ……」
そうこうしているうちに葉木谷ソフィアがこちらへ歩いてきた。机と机の間をまっすぐ教室の後ろ側へ、クラスの視線を一身に浴びて。
目の前で見上げる彼女は、見れば見るほど高精細な美麗グラフィックだった。
「ど、どうぞ……」
「……感謝いたします」
思わず席をゆずってしまった。なんだか手持ちぶさたで、立ち尽くして見とれるほかない。
地味な制服のブレザーが、ミッドナイトブルーのドレスみたいだ。流れる金糸の束から二房、襟元で結ったみつあみ。前髪のヴェールに見え隠れする物憂げな瞳はエーゲ海のように透き通っていて、エーゲ海なんて行ったことないんだけどなんというかこれは……。
……王女だ。この気品あふれるさまは、まさにマルガレーテ王女のようじゃないか……!
ことん。
「……ん?」
王女は急に机へ倒れてしまった。
「どうした? おい、具合でも……。まさか本当に死んでないよな!?」
肩を叩いて、ちょっとためらったが髪をそっとよけた。白い額と頬が早くも薄桃色に染まっている。ふっと長いまつ毛から半目がのぞき、視線が合ってどぎまぎしてしまったが彼女の方は気にもしないでまた目を閉じた。
「すー……」
そして、寝息。
「もしかして、寝ちゃったの……?」
小声で悟が聞いてくる。
「あ、ああ……。なんだ、こいつ……」
目が覚めるような美少女、転校初日から爆睡。
……驚きのあまりなぜかうまいこと言ってしまった。
しかし、熱いぞ……。これは。これはアツい。いかにも始まりそうだよ、物語が!
「……なんかわくわくしてきた! そう、俺は∞騎士! 謎めいた美しい王女とともに、いざ冒険の旅へ! あいたっ!」
いつからそこにいたのか、八川から頭頂部にバインダーの直撃を食らった。
「つぅ……。だから角はやめてくださいよ!」
「ゲームの話はいいから、早く机を探して来い」
また笑われる羽目になった。悟どころか、今度は雪花まで笑っている。
あいつめ、覚えてろよ……!




