11
八月も終わりに差し掛かり、芽依が帰ってくる日も近づいていた。そんな最中の晴れた日曜日、俺はこの間の鍾乳洞よりも更に奥地にある山にいた。頂上までの道は、車一台がやっとのか細くうねった峠道。まだ運転免許を持っていないが、例え所得したとしても、俺にはこんな道の運転は無理だ。それを難なくこなした知遥が、車のキーを鞄のポケットにしまった。
「ここから少しだけ歩くからね」
俺より少しだけ先を歩く知遥は、山歩きにはあまり似つかわないワンピースにサンダル姿だ。というか、山とか関係無く知遥のスカート姿がレアだ。入学式のリクルートスーツ以来か? 後ろを見ると、小さな駐車スペースには知遥の車が一台停まっているのみだった。つまりは、この山の頂は今、俺と知遥が二人占めしているというわけだ。
『浜松を一望できる展望台に行かない?』
知遥にそう誘われたのは、昨日の夜サークルの片付けをしている時だった。その日は剛史が家の用事とかで休んでいたので、知遥の殺人サーブは俺が一心に受け止めていた。ボロボロの身体にどんな追い打ちをかけるのかと思ったら、予想外のお誘いだった。思えば、知遥と二人だなんて、知遥と剛史が喧嘩した時以来だ。
「おーい、和久君聞いてるー?」
いかんいかん。ボーッとしていた。一足先に頂上に辿り着いた知遥は、大空を抱き締めるかのように両手を広げていた。綺麗だなと、ふと思った。
「ゴメンゴメン。何だって?」
「ここから見てみてよ。今日は特に空気が澄んでて景色が良いよ」
知遥の隣に立つと、眼下には俺たちが今しがた登ってきた峠道。そして目線を上げると、山や市街地、果ては海まで、浜松の全てが見通せた。いや、浜松も広いから、全てっていうのも語弊があるけど。何たって、更に奥地――長野との県境すら浜松なのだ。しかし、そんな御託がどうでも良くなるくらい、美しく壮大なパノラマが俺たちを捕らえた。
「ここね、私のお気に入りの場所なんだ。じっくり考え事をしたい時、泣きたい時、叫びたい時……一人になりたい時は、必ずといっていいほど来てる。昼に来ることもあれば、夜に来ることもあるけどね。そうそう、夜はまた別の顔を見せてくれるんだけど、それがまた綺麗でね――」
「知遥」
喋れば喋るほど、楽しそうで、辛そうで。真意から少しずつ離れていくようで。剛史から聞いた知遥の気持ち。知遥が俺と二人でのドライブへ誘ったこと。そのドライブに、お気に入りの場所を選んだこと。その答えは、もう俺にもわかった。しかし、言われるまでもないことでも、言って欲しい。言う覚悟を決めて欲しい。俺も、応える覚悟を決めているのだから。これから進む道を、定めているのだから。
「ごめんね」
「何が」
「タケに告白されたの」
「みたいだな」
「断ったの」
「うん」
「私、和久君が好き」
「そうか」
「和久君がどれほど芽依ちゃんのことが好きで大切に思ってるかはよく知ってるけど、でも、私だって好き! 好きなんだもん!」
「ごめんな」
一瞬だったような、とても長い時間だったような。時の流れさえ忘れさせるほど、今この瞬間俺たちは感覚を共にした。だが、道が交わることはない。俺の道は、真っ直ぐに一本しか無いのだ。芽依へと続く道。芽依への地図を彩ることを、俺は絶対に諦められないから。
「何となく、こうなる気がしてたよ。何だかんだで和久君は芽依ちゃんを諦められないって。……本気、なんだよね?」
「ああ、覚悟は出来てる」
「そっか」
それだけ言うと、知遥はそっぽを向いて左手にそびえる岩場を見上げた。俺は何も言わず、眼下の高速道路を走る車を眺めた。たとえ時速百キロで走っていたとしても、遠くから見ればとてもゆっくりと、なぞるように進む。瞼を擦っている知遥が落ち着くまでは、走る車の数を数えていよう。何台になるかはわからないけど、きっとこれは俺たちにとって必要な時間だから。
「じゃあ、帰ろっか」
振り返った知遥は、清々しいほどの眩しい笑顔だった。




