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自宅に着く頃には、すっかり日が傾いていた。真知は剛志が駅まで送っていくとのことで、剛志と共にそのまま別れた。ちなみに、知遥は俺たちよりも先に帰っている。
「とりあえず、家に入ろっか」
「……うん」
車でのやり取りを聞かれてたと思うと、なおのこと気まずい。だが、聞かれていたからこそ訊かなくてはならない。心の奥底の、芽依の本心を。
「とりあえず、何か飲むか。いつものでいいか?」
「うん」
白いマグカップを取り出し、牛乳とジュースを注ぐ。少しでも気を紛らわそうといつもの歌手のCDをセットして、努めて明るい調子の曲を流した。しかし、沈黙を笑うかのように虚しく響くだけだった。
「芽依」
「なぁに?」
呼び掛けると、いつも通りの砕けた調子で応える。だが、その表情は固い。吸い込まれそうになるほど深い芽依の瞳は、俺の頭を突き抜けて後ろの壁でも見ているかのようだ。
「さっきは、その、ごめん」
自分一人だけで悩んだこと。芽依の気持ちを訊かなかったこと。芽依を傷つけてしまったこと。謝るべきことを挙げていくと、キリがない。でも、一つ一つ謝って謝って、許してもらうしかないのだ。今後芽依との関係がどんな形になったとしても。
「別にいいよ。謝られるようなことされてないし」
あっけらかんと言い放つが、相変わらず芽依の視線は俺の後ろだ。そんなことない。そう言いたかったが、これ以上踏み込まないで欲しいという冷たさを感じて踏み留まった。
「そうか……でもこれだけは聞かせてほしい。芽依は、俺たちの関係について知った時どう思ったんだ? 今俺のことをどう思っているんだ? ――芽依は、どうしたいんだ?」
訊いてしまった。訊きたかったこと。訊くのが怖かったこと。でも、訊かなければならないこと。芽依の、本心。
芽依は目を伏せて、か細い声で一つ一つの答えを紡いだ。
「央芽のお母さんの話を聞いた時、頭が真っ白になったの。事実を事実と認識するまでに、すごく時間がかかった。ううん、時間が止まったような感覚だった。事実だと認めるまで時を進めないぞって、首もとにナイフを突きつけられているような、そんな感じ」
時間が止まったような感覚。確かにそうだった。苦しい時間は、何故苦しいのかを認識するまで永遠の時の中で続くものなのかもしれない。
「それでね。やっと事実が呑み込めた時に思ったのは『私たち、付き合ってちゃいけないんだな』っていう気持ちだよ。だから、さっき央芽が『別れよう』って言った時も腑に落ちた。私には自分から言い出す勇気は無かったんだけどね。だから、謝るべきなのは私。ツラい役回りを央芽に丸投げしちゃって、ごめんね……ごめんなさい……」
「そんなことは……」
無い、とは言えない。言えないけど、鵜呑みにもできない。だって、別れを突き付けられる方もツラい役回りだから。
「芽依。最後にこれだけは訊かせて。"芽依は"どうしたいんだ? どうしなければいけないか、ではなくて、どうしたいんだ?」
敢えてはぐらかされた以上、訊いてはいけないことだったと思う。そんなことは百も承知だ。でも、どうしても知りたかった。たとえワガママだとしても、芽依を傷つけることになってしまっても、芽依の本心だけは知っておきたかった。きっと今訊かないと、俺は永遠に進めない気がしたから。
芽依は、なかなか口を開かなかった。伏せた瞳が潤んでいるのに気づいて、やはり芽依を傷つけてしまったことを知った。でも、それが答えだった。だったら、俺だって同じだ。どうせお互いに満身創痍になるまでボロボロに傷ついてしまったんだ。ここまで来た以上、一緒に傷つく覚悟は出来ている。
「芽依。やっぱり別れるのは撤回しよ――」
「私、しばらく実家に帰るね」
俺の覚悟の言葉は、出鼻を挫かれて霧散した。実家に帰る。そう言った。話すことも感じることも出来ずに、離れてしまうと。確かにそう言った。
「帰るって、いつまで……」
「うーん、夏休みいっぱい、かな。流石に学校をサボるわけにはいかないしね。それまでの間、お互いに頭を冷やそう」
しかし、俺の頭は芽依の意思と裏腹に熱くなってしまう。
「何でそうなるんだよ!? 芽依だって本心では離れたくないんだろ? 俺だってそうだよ! だったら、別れなくたっていいじゃないか! お互い好きなのに、別れる必要なんてないだろ!?」
「央芽……でも私たちは――」
「そんなの関係無い!」
「あるよ!!」
芽依らしからぬ剣幕に、思わず息が止まった。芽依の潤んだ瞳からは、大粒の涙が零れ落ちていた。
「そうだよ。私は今でも央芽のことが大好きだよ。本当は離れたくない。いつまでも一緒にいたい。でも……」
袖で溢れた涙を拭って、真っ直ぐに俺の目を見つめた。その瞳は、覚悟の色だ。
「でもね、私は央芽といるとつらい。触れたいのに触れられないだなんて、そんな生殺しを味わうくらいだったら、近くにいない方がまだマシだもん」
「そうか、芽依にとって俺は邪魔なんだな。そういうことなんだな」
「違うよ! 私にとって央芽はかけがえのない存在。だからこそこんなに苦しいの。央芽にはわからないよ」
近くにいない方がマシ。本来言いたいことは違うとわかっていながらも、拒絶された苦しみを当人にぶつけてしまった。芽依だって、好きでこんなこと言っているわけではないのに。でも、一度口から離れてしまった言葉は、例え売り言葉に買い言葉だったとしても、やっぱり無しには出来ないんだ。
「わかるさ。そっくりそのままなんだからな」
かけがえのない、世界で一番大切な人。だからこそ、ここまで苦しくなれる。俺も、芽依も。
「だからさ、離れよう。私たち」
「はあ? 今の流れでどうしてそうなるのさ」
苦しいのなら、苦しみを共有したい。誰よりもかけがえのない人の苦しみは知りたいし、知って欲しい。そう、思うのに。
「央芽、いい加減認めようよ。受け入れようよ。私たちが兄妹だっていう事実はもう、変えられないんだよ」
「わかってるよ。わかってるよそんなこと!」
わかってる。けど、わかっていなかったのかもしれない。わかってしまうのが怖くて、兄だの妹だのという単語は口に出来なかった。認めてしまえば永久に元に戻れないと思うと、怖かったのだ。
「……二十九日には戻ってくるから。次会った時はもう、ただの兄妹だよ。央芽。ううん、お兄ちゃん」
「っ……芽依!」
「じゃあまた」
芽依は、最低限の手荷物だけを抱えて部屋を飛び出してしまった。先程まで涙を流していた顔を拭って、笑顔を作って。でも、芽依が更に泣き出しそうな顔をしていたことも、精一杯強がっていることも痛いほどわかった。しかし俺には、芽依を止めることができなかった。口では粘ってみたところで、芽依の決心が正しいことは俺が一番よくわかっている。
今できることは、からっからに干からびるまで涙を流し、この失恋を受け入れるだけだ。




