6
鳳凰の間を出てからのことはよく覚えていない。気づけば出口の売店にいて、アンモナイトの化石を眺めていた。真知と知遥が歩き疲れたというので、そのまま喫茶コーナーでソフトクリームを食べることになった。
「お姉ちゃん、あの鳳凰の間見た!? 何かもう、時間が止まったよね。自然ってすごいんだねえ」
「そうだね。こういう自然の力! っていうところも、いつか描いてみたいな」
芽依は恐ろしいくらいあっけらかんとしていて、先程の洞窟内でのやり取りがなかったかのようだ。でも、いつもより元気いっぱいで、いつもより無理して明るくしようと努めていて。そんな痛々しい姿を、俺にはどうすることもできない。そんな資格、俺には無い。
「何ボーっとしてんだ央芽。ほれ、お前の分。抹茶味を選ぶとかなかなか渋いな」
「サンキュ。ほら、静岡といったらお茶だろ。折角なら名産の味を楽しみたいし」
そう言うと剛史は、盛大な溜息をついた。分かってないなとばかりに、首を大きく横に振った。
「甘いなあ央芽。ジェラート並みに甘い。ド定番と見せかけたホワイトクリームは地元の引佐牛乳だし、ピオーネは都田のぶどう、みかん味だって三ケ日みかんだ。静岡はお茶だけと甘く見ることなかれ。西部だけでもこれだけ名産品が揃っているんだぞ」
「……流石に詳しいな。じゃあ一番のオススメは何だ」
「そりゃあ勿論――イチゴだ!」
静岡関係無いし! でもそんな底抜けな明るさに、少しだけ救われた気分だ。今度来るときには、わさび味を試してみよう。少し気になっていたんだ。
***
帰りの車も、行きと同じく波乱の予感を感じさせない剛史の安全運転だ。唯一行きと違う点はといえば、はしゃぎ疲れた芽依が寝てしまったことくらいか。
「それで、央芽よ。俺たちのお膳立てはどう作用したよ? ま、あの芽依ちゃんの様子だと悪くはない結果だったのか」
「まあ、雰囲気は悪くなかったよね。それでそれで、実際どうだったのよ?」
剛史と知遥が、身を乗り出さんばかりの勢いで詰めかける。知遥は本当に乗り出してきたけど。
「それなんだけどな……別れることになった。多分」
沈黙の車内に、三人分の息を呑む音だけが響いた。
「そうだったのか……それはスマン。早とちりしちゃって」
「って、多分ってどういうことよ?」
俺は、先程鳳凰の間であったやり取りを詳しく話した。あれ以降芽依とはろくに話していないから、芽依が俺の言葉をどう受け止めたのかは正直よくわからない。芽依はどう思っているのか、どうしたいのか、そういえばちゃんと聞けていない。芽依のことを考えているようで、結局自分よがりの気持ちを押し付けてしまったのかもしれない。芽依にとってどうするのが良かったのか、考えても考えても答えが出ない。
「芽依ちゃんが央芽の言葉をどう受け止めたかは今の話じゃ確定できないけど、少なくとも別れなきゃいけないって考えてはいるだろうな。勿論、本心はわからない。俺にも、央芽にも、ひょっとしたら芽依ちゃん自身も」
「芽依自身も……」
「きっと央芽があれこれ悩んでいるように、芽依ちゃんも悩んでいるんだと思うぞ。どうしなきゃいけないのか、どうすれば相手にとって良いのか、自分がどうしたいのか」
剛史の言うことはもっともかもしれない。芽依の沈黙は、苦しい悩みのサインだったのだ。自分に余裕が無いからって、大事なことを見落としていた。
「でも、和久君が別れを切り出してしまった以上、芽依ちゃんもそっちの方面で気持ちの整理をつけようとするんじゃない? 私も、二人の今後を考えたらその方が良い気がするけど――」
「そんなことない!」
今まで黙っていた真知の叫びに、知遥の言葉が遮られた。
「央君とお姉ちゃんがどれだけ強く想い合っているのかはよく知ってる。元々親戚なんだし、ちょっと血が濃いからって簡単に諦められるわけがないもん!」
真知の剣幕に三人揃ってたじろいだが、それでも知遥は負けじと応酬する。
「でもね、真知ちゃん。そのちょっとが大きな違いなのよ。結婚は出来ないし、世間は決して良い目では見ない。後ろ指指されて苦しむのなら、いっそ今別れちゃった方が――」
「だから別れろって!? そんなことしたら、二人とももっと傷付いてボロボロになって、でもそんな姿見せまいと無理して明るく振る舞って……そうなるのが目に見えてるのに、別れた方がいいなんて言えないよ」
知遥の言葉も、真知の言葉も、どちらも正しい。正しいからこそ、どちらが正解なのかがわからないんだ。別れを切り出したのが正しいことだと、自信を持って言うことは出来ない。俺にとっても、芽依にとっても。
「まあ二人とも落ち着けって。俺たちが何を言ったところで、決めるのは央芽と芽依ちゃんだ。同じ座標に居ながらすれ違ってしまった二人がどのような等高線を描いていくのかは、二人が見つけ出すしかないんだ」
「等高せ……ん……? ちょっとタケ、日本語で話してくれない?」
「だから――」
等高線、ね。確かにそうだ。俺たちに立ちはだかった苦難の山を攻略するためには、傾斜や標高を知る必要がある。そのための等高線は、きっと俺一人では描けない。越えるにしても、引き返すにしても、俺一人で決めていいことではないんだ。なかったんだ。
「ありがとな、剛史」
「いいってことよ。その代わり、帰ったら愛しの狸さんとしっかり向き合うんだぞ」
真知の横でうずくまった小さな肩が、ピクンと跳ねた。




