邂逅せるは闇に紛れぬ者たち
駅から暫く歩けば、金曜日特有の喧騒はすっかり遠くなった。
住宅の窓から漏れる橙色の光が増え、見慣れた帰り道がいつもの静けさを取り戻していく。
その途中だった。
路地裏の入口に立つ男女三人組の姿に、女はふと足を止めた。
最初に目を奪われたのは、一人の女だった。
──綺麗。
反射的にそう思った。
ただ美しいというだけではない。
近づいてはいけない。
本能がそう告げる種類の美しさだった。
だが、近づいてはいけないと分かっているのに、目は勝手に彼女を追ってしまう。
腰まで伸びた銀髪のポニーテール。
前髪はかきあげられ、深紅を宿した瞳が夜の中でも鮮明に浮かび上がっている。
青と白を基調とした服は、どこをどう見ても普段着ではない。
デニムジャケットとドレスを無理やり半分ずつ繋ぎ合わせたような、何と呼べばいいのか分からない形だった。
片脚を少し前に出し、腰に軽く手を添える姿には妙な貫禄がある。
妖艶な雰囲気を纏っているのに、誰かの視線を求めているようには見えなかった。
むしろ、人からどう見られようが知ったことではない。そんな風に見えた。
その隣には男が一人。
銀髪の女と同様に派手は派手だが、その方向性がまるで違い、チャラいという言葉で済ませてしまうには、あまりにも奇抜だった。
服装は、黒を基調とした和服──だろうか。
襟合わせも帯らしきものもある。たぶん和服だ。
その上からは、大きな黒いパーカーを羽織っており、前は開けっぱなし、肩からずり落ちかけており、袖も左右で違う位置まで捲られていた。
柄も色合いも装飾も、普通なら喧嘩しそうなものばかりなのに、不思議と本人には馴染んでいた。
……それにしても。
片脚に体重を預けていたかと思えば、今度は反対側へ傾く。
ポケットに手を突っ込み、首を傾け、猫背になり、また少し姿勢を変える。
そのうち、あくびでもしそうな顔のまま、何の断りもなく隣の男の肩へ肘を乗せた。
女は思わず心の中で呟く。
──この人、じっとしてないな。
そして、もう一人。
肩を勝手に肘置きにされている三人目の男は、二人とは別の意味で目立っていた。
何もかもが、妙に正しい。
黒髪の短髪は乱れなく整えられ、細長い黒縁眼鏡の奥には、やや鋭い黒い瞳。
細身の黒いロングジャケットに、シャツは首元まで閉じられ、ネクタイは結び目まで寸分の狂いもない。
全体として派手な要素は見当たらない。
むしろ、三人の中では一番落ち着いている。
それでも普通には見えなかった。
縫い目一本まで正しい──そんな言葉が浮かぶ。
背筋は真っ直ぐ。
両足の位置まで、測ったように揃っている。
腕は背中で組まれ、必要がなければ動かすつもりもなさそうだった。
官僚。
執事。
軍人。
色々なものが頭に浮かんだが、どれもしっくりこない。
何より気になったのは、その男が肩に肘を乗せられているのに、露骨に振り払おうとはしないことだった。
嫌ではないのだろうか。
……いや、よく見れば、眉間にほんの少しだけ皺が寄っている。
嫌ではあるらしい。
互いに顔見知りなのだろうが、どういう関係なのだろう。
完成されすぎた女。
落ち着きのない派手な男。
生真面目そうな眼鏡の男。
どう考えても、組み合わせがおかしい。
改めて三人へ目を戻す。
映画か何かの撮影だろうか。
しかし、周囲にカメラも照明もなければ、スタッフらしき人間も見当たらない。
周囲もざわついておらず、野次馬の一人もいない。
だったらコスプレだろうか。
どこかでイベントでもあって、その帰りなのかもしれない。
一応、それが一番現実的な気がした。
彼らの正体は気になるが、知らない人間が何をしていようと、自分には関係がない。
何者であろうと、この道を通り過ぎればいいだけだ。
女はそう結論づけ、止めていた足を再び動かした。
三人の前を通らなければ、自宅へは帰れない。
少しだけ歩道の端へ寄り、そのまま通り過ぎようとする。
距離が縮まるにつれ、三人の話し声が聞こえてきた。
眼鏡の男が、あとの二人を前にして深々と溜め息をついた。
「……ですから」
見た目から想像した通り、低く、随分と堅い話し方だった。
ただし、その声音には僅かな苛立ちが混じっている。
女は歩きながら、ほんの少しだけ耳を傾けた。
「あなた方お二人に、そのような軽いフットワークで動かれると、下の者に示しがつかないと申し上げているんです」
そのまま通り過ぎるつもりだった。
家に帰ればいい。
いつもなら、そうしていた。
それなのに、なぜか足が止まり、動かなかった。
歩き慣れたこの道で、何かが気になって立ち止まったのは、一体いつ以来だろう。
さっきからずっと、ほんの少しだけ、妙な引っかかりのようなものが残っている。
服装も、三人の組み合わせも、今の会話も。
帰らなければ。
そう思ってはいる。
家では恐らく、母親が夕食を用意して待っている。
それでも女は、自分でも気づかないうちに彼らの会話へ意識を向けていた。
銀髪の女が、涼しい顔で返す。
「何だ。散歩くらい許されないのか?」
「散歩の問題ではありません」
眼鏡の男が、間髪入れずに返した。
「お二人が、同時に無断で現世へ出ていることが問題だと言っています」
「無断だなんて人聞きが悪いな」
銀髪の女は、心外だと言わんばかりに答える。
「少し出る、とはちゃんと言っただろう?」
「出る直前に、ですが」
「言わないよりいいだろう」
「そういう問題ではありません」
やはり即答だった。
だが、銀髪の女に悪びれる様子は一切ない。
一方、和服の男は、眼鏡の男の肩を肘置き代わりにしたまま、そのやり取りを面白そうに眺めていた。
「まあまあ。ちょっとくらいいいじゃん。冥界に籠もってんのも飽きるし。そんな怒んなよ、シュウちゃん」
シュウ、と呼ばれた眼鏡の男は、二度目の溜め息をつく。
「まず腕を退けてください」
「えー」
「退けてください」
「冷た」
そう言いつつも、男は素直に腕を退ける。
シュウという男は、肩口を軽く払った。
服にほんの少しでも皺が寄ったのが気に入らないようだった。
「ていうかさあ、無断じゃないよ?俺ら二人で許可したし」
和服の男が銀髪の女を指差しながら口を挟む。
「それを一般的には無断と言います」
「固いなあ、シュウちゃん」
「ユウガ殿が緩すぎるんです」
シュウの眉間が、ほんの僅かに寄る。
銀髪の女は二人のやり取りに慣れているのか、止めるでもなく、退屈そうに指先で髪を払った。
ユウガと呼ばれた和服の男は楽しそうに笑い、両手をポケットに突っ込むと、猫背のまま首を傾ける。
「下の奴らに示しがつかないって言うけどさあ、そんなの、お前が睨み効かせときゃいいじゃん。『上の二人が遊び歩いていても規律は守れ』って」
シュウは三度目の溜め息をつく。
「私一人に、あなた方の尻拭いを押し付けないでいただけますか」
「得意でしょ?」
「得意不得意の話ではありません」
「でも実際やってくれるじゃん」
シュウが再び溜め息をついた。さっきから何度目だろう。
「そもそも、それで納得する組織なら、私は苦労していません」
「なんだ」
銀髪の女が口元に薄い笑みを浮かべる。
「シュウ。お前、苦労していたのか?」
「九割方あなた方のせいです、サイリ様」
「そうか。それは済まなかったな」
まるで反省していない声だった。
「絶対思っていらっしゃらないですよね」
「相変わらず細かい男だ」
シュウが即座に返す。
「あなた方が大雑把すぎるだけです」
少し離れた場所から、ぼんやりとその三人の様子を眺めていた女は、何となく三人の名前を頭の中で反芻した。
サイリ。
ユウガ。
シュウ。
随分と力関係が分かりやすい三人だった。
だが、そんなことよりも気になった言葉があった。
──現世。
──冥界。
聞き間違いだろうか。
ゲームか漫画か何かの専門用語か、あるいは本当に設定の話をしているのかもしれない。
コスプレイベントの参加者だとすれば、そういう世界観なのだろう。
そう考えれば、一応辻褄は合う。
だが、冥界やら現世という言葉をあまりにも自然に口にするものだから、単なる設定遊びにも聞こえない。
かといって、本気で自分達を人間ではないと思い込んでいるのなら、それはそれで怖い。
もしくは、何かの犯罪組織の構成員が、隠語でも使って会話している可能性もある。
どちらにせよ、そもそも関わらない方がいい人達なのではないだろうか。
女は真顔のまま、そんな失礼なことを考えた。
そして、女には、もう一点気になることがあった。
三人のすぐ横を、買い物袋を提げた女性が通りかかる。
肩が触れそうな距離だった。
だが、ぶつかる直前でサイリが半歩身体をずらしただけで、女性は三人を避ける素振りすらなく、何事もなかったように通り過ぎていった。
また一人、三人のすぐ脇を、自転車に乗った男が通り過ぎていく。
女は何となく、その姿を目で追った。
これだけ目立つ格好をしているのだから、一度くらい振り返ってもおかしくない。
普通なら、一度くらい見る。見るなという方が難しい。
だが男は、三人の方へ視線を向けることすらなく、そのまま角を曲がって消えていった。
それらはまるで、誰一人として、三人がそこにいることに気づいていないようだった。
なぜだろう。
女が首を傾げた、その時だった。
不意に、それまでシュウの方を向いていたユウガの顔が、ゆっくりこちらへ向く。
琥珀色と紫色。
左右で色の異なる瞳が、真っ直ぐ女を捉える。
そして、それまで一秒として同じ姿勢で立っていなかったユウガが、ぴたりと動きを止めた。
ユウガは不思議そうに瞬きをすると、ほんの一瞬だけ、本当に意外そうな顔をした。
それから目を細め、面白そうに笑う。
そんなユウガの表情の変化に気づいたサイリが、彼の目線の先を追った。
続いて、シュウも釣られたように振り返る。
三人全員の視線が一斉にこちらに向き、女は反射的に視線を逸らした。
聞き耳を立てていたことがバレたのだろうか。
知らない人達の会話を盗み聞きしていたのだから、怒られても文句は言えないが、如何せん気まずい。
女は何となく居心地が悪くなり、小さく会釈をして、その場を通り過ぎようとした。
だが──
「ねえ」
呼び止められてしまった。
軽い調子の声とは裏腹に、なぜか背筋に引っかかるものがあった。
足が止まる。
恐る恐る振り返ると、ユウガは既に身体ごと女の方を向いていた。
ユウガが笑い、口元から尖った犬歯のような歯が見えた。
さっきまでシュウを揶揄っていた時の笑い方とは違い、明らかに、心底面白いものを見つけたような顔だった。
「君」
女は辺りを見渡し、他に人がいないことを確認すると、自分を指差し「……私?」と聞き返す。
「そうそう」
ユウガは壁から身体を離し、そのままこちらへ近づいてくる。
一歩、二歩と距離が縮まるにつれ、思っていた以上に背が高いことに気づいた。
先程まで、遠目にはただ気だるそうに見えていたのに、正面から向き合うと妙な圧がある。
笑っている。
だが、何となく逃げた方がいい気がした。
そう思ったのも束の間、僅かに前屈みになったユウガが、女の顔を確かめるように覗き込んでいる。
何だろう。
やはり盗み聞きしていたことを怒っているのだろうか。
謝った方がいいのかもしれない。
「あの、すみません。別に盗み聞きするつもりは──」
「いや、それはどうでもいいんだけど」
どうでもいいらしい。
では、何なのだろう。
ユウガは数秒、女を観察するように見つめた。
女も、どうしていいのか分からず見返す。
「君さ」
ユウガは笑みを浮かべたまま、更に口角を上げる。
「俺たちが見えるの?」
女は目を瞬いた。
質問の意図が分からなかった。
見えるか、と尋ねられても、目の前にいるのだから、見えているに決まっている。
見えているから見ていたのだ。
戸惑いながら、改めて三人を見回す。
当然だろうが、誰一人として消えてはいない。
「……はあ」
ユウガの質問に女が曖昧に頷くと、三人の反応が明確に変わった。
最初に動いたのはシュウだった。
有り得ないものを目にしたかのように眉を寄せ、女を見る。
サイリも先程まで浮かべていた微笑を消し、表情を引き締める。
それはまるで、一瞬で女を「観察対象」に切り替えたようだった。
ユウガだけが、相変わらず笑っていた。
ユウガが女の顔を更に覗き込む。
距離が近い。
咄嗟に身を引いた。
「……あの」
女は居心地の悪さを覚える。
何か変なことを言っただろうか。
「いや、ごめんごめん」
そう言いながらも、全く離れない。
「珍しくてさ」
「……何がですか?」
「だって」
ユウガは、何でもないことのように続けた。
「普通の人間に、俺たちの存在は見えないはずなんだもん」




