気がつけば龍神さま・8
鯨波にも勝る雄叫びは屋敷ごとあたり一帯を震わせ、武士たちは木に縋ろうにも地に打ち伏せる。さらに龍が飛び立つと共に巻き上げる強風は木も、人も、屋根も幾ばくも吹き飛ばし、悲鳴も怒号も風の音にかき消される。一瞬の静寂ののち暗い空を見上げると、いつの間に立ち込めたのか月を隠すほどの暗雲が広がり、そしてその中から何筋もの静かな稲光を背にふたつの金色の光がまっすぐに急降下して来た。それが龍だと考える暇もあらばこそ、そこにいた全員が這う這うの体で逃げようと這いつくばったところへ、また龍は急上昇する。暴風に煽られ、人も庭の木も、屋敷の壁も柱もばりばりと音を立てて飛んで行く。龍は空で螺旋を描きながら雲をかき回し、悠々と屋敷の残骸が残る場所へ戻って来た。
腰を抜かし散り散りと去る武士たちの中から清白と穿拓がおぼつかない足取りで龍に近寄って来る。龍はふたりを睨みつけると顎をしゃくった。ふたりは目を見開くと急いで龍の背中に乗る。ふたりが鬣をしっかり握ったことを確認した龍は一気に上昇し、残り香のような竜巻で屋敷の残骸まで吹き飛ばし消え去った。
後にはぽつぽつとそしてざあざあと、雨が降り始めた。
夜が明け始めていた。
黄色と白に輝く波とオレンジ色に煙始めた空と嗅ぎなれない潮の香りに海まで来たことに気づいた。瞬間。
「わっ!」
「あーーーーー!?」
ぼちゃんぼちゃんぼちゃんと、みっつの落下音が続く。次にばしゃんばしゃんばしゃんと水を弾き上げる音が続いた。
「冷たっ!」
ゆらゆらと波に揺れながら顔を両手で拭いて蕗子が叫ぶ。同じくゆらゆらと揺られながら清白と穿拓は蕗子を見つめていた。
「冷たいね。早く陸に上がろう。て、どっちかな、陸」
手で波をかきながら蕗子はあたりを見回す。さすが海水。泳げなくともなんとか浮いてはいられるが、やはりバランスは自力で取らなければ沈んでしまいそうだ。
「おばあさん……」
振り返ると清白と穿拓が呆然と蕗子を見ていた。蕗子は一瞬呆気るとすぐに可笑しくなった。
「やだよー、私ゃただのばあちゃんだよ」
波に揺られあっぷあっぷとしながらも手をパタパタと振り、蕗子はあっはっはと大笑いする。大口開けて笑うものだからちゃぷちゃぷと波が口に入り、蕗子はゲホゲホと咳き込む。咳き込みながらも笑い続ける。呆然としていた清白と穿拓も徐々に可笑しくなってくる。釣られてついには笑い出し、三人ともあっぷあっぷしながらひとしきり笑った。
蕗子は穿拓に掻き寄り、その顔をバチンと両手で挟む。
「ばあちゃんに助けられてるようじゃあ、まだまだ子供だよ。誰かのためになんて考えないで、まず自分のために生きなさい」
穿拓が思いつめた顔で蕗子を見る。だがきっとその足は水の中を掻いているに違いない。
「子供はまだ何にも背負っちゃダメ」
穿拓は濡れた顔のままくしゃくしゃに笑った。
「俺はもう元服している」
「いろいろ間違えてるうちは、まだ子供」
「俺は、自分がやりたいことをやっただけだ……」
「本当にやりたいことだった?本当に自分の本心?」
「俺は、家を救いたい……。兄上に申し訳ない……」
「お兄ちゃんはせっきーにあんなことして欲しくなくてお寺に入れたのに?」
「清白だって、俺の稚拙な笛より、もっと良い楽師の方が……」
「一回だってはっくんがせっきーの笛に文句言ったことある?」
「わたしは穿拓の笛で舞いたい。穿拓の笛がいいんだ」
まっすぐに届く清白の言葉に穿拓は泣いた。泣きながら笑っていた。
「間違いだらけだね。まだまだおばあちゃんのかわいい孫ちゃんだ」
蕗子は抱きしめてやりたかったが、しがみついたらふたりとも溺れそうだったので、穿拓の顔だけ持って見つめ合い、お互い笑った。
「おばあさん……」
清白はまっすぐに蕗子を見ていた。蕗子はニヤリと笑って人差し指を唇に当てた。
「三人だけの秘密ね」
穿拓と清白は大きく目を見開いて蕗子を見る。ただその顔はだんだんと笑顔になっていく。そしてとうとう三人とも声を出して笑い始めたとき、遠くから「おーい」と声がかけられた
「なんか龍みたいなのが飛んできて落ちたって聞いたからよ。そんな珍しいもんならって拾いに来てみれば、ばあさんと子供が浮かんでっから驚いたよ」
ちょうど漁に出ていた猟師に助けてもらった蕗子たちは、浜で彼らが囲んでいた焚火に当たらせてもらっていた。
「なーーんであんなとこにいたの、ばあさんたちが」
「実はこれより東の方の浜辺でひとつ休憩をしていたところを海賊に攫われまして……」
立て板に水。金時しぐれライブラリーから瞬時に一冊を取り出した蕗子が切々と語り出した。
「私たちは旅する猿楽の一座でございます。めぼしい商売道具はすべてあやつらに取り上げられ、ひと通り退屈しのぎに舞い踊らされ、飽きたと思うとほれ、ごらんの通り、海に打ち捨てられたのでございます……」
金時しぐれ先生の物語では、浜遊びをしていた王子と従者とばあやの三人が連れ去られ、使い物にならないばあやだけが海に捨てられる。残された従者は奴隷として働かされ、美しい王子は海賊のボスの手慰みものになる。そしてそれをなんとかして助けようとする従者と、穢された自分などと言う王子の葛藤の末に従者が海賊の船長になり王子を嫁にするというスペクタクルロマンだ。漁師たちにはほんのさわり部分しか説明できないのが誠に口惜しい蕗子である。
「そりゃあ大変な思いをしたなあ……」
深く同情してくれる漁師たちのなか、ただ黙ってうつむくしかない穿拓と清白である。だがさらに、蕗子はよよよと袖で口元を覆った。
「助けていただいたところにこのようなお願いをするのは大層お恥ずかしいのでございますが、なにぶん一文無しの身。しばらくこの集落でご厄介になることはできますまいか……」
「おお、構わんよ。村のはずれにある空き家を使うといい」
「ありがとうございます~……!」
このときばかりは穿拓と清白も顔を上げ、蕗子も揃って土下座する。
「大袈裟だよ、ばあさんたち、顔を上げなって。辛いときは助け合うもんだろう?いいっていいって」
「てことは仕事もねえんだろ?だったら一緒に猟に出りゃあいいさ」
「猟がダメなら塩作るんでも貝殻砕くんでも、この村には手伝えることはいっぱいあるから安心しな」
「重ね重ねありがとうございます~……!」
「だから、よさねえかって」
再度大袈裟に頭を下げる三人に、漁師たちは笑って食え食えと焼けた魚を勧めた。
浜辺の村の住人たちは皆親切で、着るものも生活に必要なものも分けてくれた。
この村での生活に慣れてくると、穿拓と清白は漁や塩づくりを手伝うようになった。蕗子もおかみさんたちに混ざって魚を干したり海藻を採りに行った。時間があれば習いたい者に字も教える。集まりの席で乞われれば清白は舞を披露し、穿拓は自ら竹で作った笛で楽を奏でた。子供たちが集まれば、蕗子は御伽噺を語って聞かせた。
夜は蕗子を挟んで右と左に寝る穿拓と清白だけに必ず寝物語を聞かせた。BLではない。たしかに金時しぐれ先生原作だがうまいことBL抜きで改変した二次創作というかドラマ化するときよくあるアレというか、ソレである。だが手前味噌であるが、BL抜きにしても充分金時しぐれマインドが失われず、むしろ新しいファン層も獲得できそうな素晴らしい仕上がりなので、古参のファンとかにいろいろ言われたくないと蕗子は自信を持っていた。そう考えるとこちらに来る前に嫁・美奈子が言っていた、金時しぐれ先生の伝説の名作『別有天地』がTLに改変され出版されたとことは案外悪い話ではないのかもしれないと思う蕗子であった。




