気がつけば龍神さま・7
なーーにが大丈夫だアホ孫息子が。
蕗子は怒っていた。
怒った蕗子の頭はぐらぐらと煮えたぎり、夜になっても目はギンギンに開いている。バレないようにとりあえず目を閉じ、泣きつかれた清白がすっかり眠りに落ちたことを確認すると、そっと宿を抜け出した。
たしかに『小姓』と言ったって、閨まで共にする『小姓』ばかりではないとモノの本には書いてあった。『稚児』だってそう。そもそもの『稚児』はただお寺で修行している子どもだ。
だがな、歳取ったって武士の主従関係の証として男色の契りが結ばれてた事例はいくつもあるんだよ。舐めんなよ、昭和の腐女子。こちとら『BL』が『やおい』とも呼ばれていなかった『耽美』黎明期からそういう本ばっかり読んできてんだ。気がつかねえと思うなよ。
清白と蕗子に渡された金は、腕のいい楽師を数人雇ってもまだしばらく生活できるほどの額だった。そんな大金を昨日今日武士になりたいとやってきた新参者に、貴人が貸してやるわけがない。給料の前借りったって何年かけて返すんだいって話だ。臓器か?オレオレ詐欺の片棒か?違うだろ?しかも穿拓は「実家を救う」とも書いていた。どんだけ借りるの金。援助?ただじゃあないよねえ。もう、ヤツの目的はひとつだよねえ。
蕗子はふつふつと怒っていた。怒っていると夜目も効くんだなとなんとなく感心した。現世ではあれほど老眼に苦労したというのに。あ、そういやこっちに来てから老眼に苦労した覚えがないわ。
雲の間からたまに覗く月明りを頼りに目星をつけていた建築屋へとたどり着き、その軒先から塗り壁に使う粉を少々袖の中へ拝借する。まあまあ、これくらいでいいだろうと立ち上がろうとしたところで、「わっ!」と思わず大声を出しそうになり、慌てて口をセルフで塞いだ。
「なんでここにいるのーー!?」
小声である。
「おばあさんこそ、なにしてるんです!」
清白も小声である。
「子供はもう寝てる時間でしょーー!帰りなさい!」
「おひとりで穿拓を助けにいくつもりでしょう!?わたしも行きます!」
「危ないからダメっ!」
「おばあさん、おひとりの方がよほど危ないです!」
喉から息を絞り出すようなごくごく小声の言い合いであったが、うろついていた野良犬がワン!と吠える。ふたりは急いでその場を離れた。
「いい。ばあちゃんがこれを投げたら顔を避けてなるべく遠くへ離れなさい」
「わかりました。目潰しですね」
「もっとすごい予定」
確証はなかったが、ドラマとかでよく見る技だ。なんとかなるだろうという気持ちだけで蕗子はそれを袖に詰めて来た。
結局清白も着いて来てしまった。暗い夜道で帰れ帰らないと言い争っていても怪しいだけなので、結局連れて来た。正直今からのカチコミも勝算があるわけではない。脅して、貴人が素直に脅されてくれて、穿拓を返してくれればいいな~程度の考えで来たのだ。もし失敗して逃げられなかった場合、どうしたらいいかとかまったく考えていなかった。というか、絶対今夜は連れて帰れるという確信しかなかったのだ。
今朝はあんなに冷えたのに、今は生暖かい風が吹いている。薄暗い夜道の向こうから、ゆらゆらとゆっくりふたつの物影が門に向かって近づいた。
不寝番が咄嗟に槍を構えるなか、篝火が揺れる屋敷の門の前に蕗子と清白は立った。
「穿拓を返していただきたく参りました……」
「今何時だと思っている!かえ……」
不寝番が言い切る前に、蕗子は袖から掴みだした粉を篝火に向かってぶわりと撒く。蕗子と清白は咄嗟に草の上に伏せ、不寝番たちがうわと顔の前の粉を払った瞬間、ボウと激しい音がして篝火がひとつ大きな火柱を上げ倒れた。
「あら、あんまりたいしたことなかったわね」
門が爆発する予定だったのにと呟く蕗子に目を見開いた清白がまくしたてた。
「な、なんなんですか!おばあさん!あれ!?」
「んー、爆弾。ああいうのだから、ばあちゃんが粉撒いたらうまいこと避けるんだよ」
言いながら見ていると、なんだなんだと門が開き中からわらわらと人が出てきた。蕗子は立ち上がり、悠々と前に進み出る。清白は慌ててそのあとに続く。
「貴人様にお取次ぎ願いたい。穿拓を返していただこう」
先ほどまでのよぼよぼばあさんごっこはどこへやら。しゃっきりと腰を伸ばし、並み居る偉丈夫たちに向かって昂然と蕗子は言い放つ。
「なに言ってんだばあさん」
呆れる武士のひとりに、火柱のあおりを受けて顔に火傷を負った不寝番が叫んだ。
「気をつけろ!そいつはあやかしだ!」
「はあ?」
武士たちが妙な顔で不寝番を注目するなか、いきなり『あやかし』呼ばわりされた蕗子はこれ幸いと口の端を上げ、再び両袖から粉を掴みだす。
「危ない!逃げろ!」
言うが早いか逃げ出そうとする不寝番と、わけがわからずただ立ち尽くす武士たちの頭の上にふわりふわりと粉を撒く。一瞬で悟った清白は武士たちの間をすり抜け、篝火を粉の中へ放り込む。
ボーンという先ほどよりも大きい爆発音に武士たちは地面に倒れる。いち早く立ち上がった蕗子はその上を踏みつけながら屋敷の中へ入り、大声で穿拓を呼んだ。
「せっきー!?せっきーどこ!?」
「穿拓!どこにいる穿拓!」
突然の轟音と侵入者に屋敷のあちこちから刀を手にした武士たちが集まってくる。だが彼らも入って来たのが子供と老婆と見て動揺し、斬りつけようにも躊躇した。
「せっきー!」
「穿拓!」
「何をしているおまえら!さっさと……」
白小袖を着た貴人が奥から怒鳴りながら出てくるも、清白と蕗子の姿を見て絶句する。
「ちょっとあんた!せっきーはどこ!?これ以上お屋敷吹っ飛ばされたくなかったら、さっさとせっきーを返しなさいよ!」
「せっきー?」
蕗子はここであったが百年目とばかりに鼻息荒く捲し立てるが、貴人の目が点になるのももっともである。
「お金はお返しします!だから穿拓を返してください!」
「どうやって入って来たんだ……」
必死の形相の清白に貴人が驚いていると、門から負傷した武士たちが足をもつれさせながら入ってきて叫んだ。
「気をつけてください!そいつはあやかしです!」
「あやかし?」
ますます怪訝な顔をする貴人に、蕗子は「ふっふっふ」と不敵な笑みを浮かべた。そして手をエックスに袖に入れる。取り出した手のひらの粉を掲げながら朗々と謳いあげた。
「知らざあ言って聞かせやしょう」
カカン、と蕗子の中で拍子木が鳴った。
「わたくし、日本生まれ、日本育ち、新婚旅行も国内旅行。家族は夫に息子が一人。嫁と可愛い孫娘を現世に残し、なにがしかの役目を持ってこちらの世界へ参った次第。花の24年組で審美眼を磨き、耽美小説で小難しい言葉を覚えた、姓は及川、名は蕗子。人呼んでバターバー・サンダーと申します」
蕗子のペンネームである。漫画を描いて雑誌に投稿しようとしたこともあるし、イラストを送ったこともある。漫画は完成しなかったし、イラストは没だった。ありがちな黒歴史なので誰にも言ったことはない。というか、ちょっと口上が始まりからなんか別の物にすり替わっている。でもそんなことを知らない清白は、窮地だということも忘れてキラキラした目で蕗子を見ていた。
「何を言ってるのかさっぱりわからんわ!おまえら、こんなことをしてただで済むと思うのか!」
「おうさ!せっきーさえ返してくれりゃあ、ただで済ましてやらあ!」
売り言葉に買い言葉。貴人が今にも斬りかかれと言わんとした瞬間、穿拓が走り込んできた。
「……お待ちください!」
髪は解かれ、白小袖も乱れたまま貴人に縋り付くその姿に、蕗子の怒髪天が衝いた。
「てんめえーー!!せっきーに何してくれやがったーーー!!」
蕗子は両手に持った粉を放り投げると、貴人に向かって走り出した。だがそのとき、一本の火矢が蕗子に向かって放たれた。
「危ない!」
清白も穿拓も叫ぶも火矢は一瞬にして蕗子に迫り、そして蕗子の周りに漂う粉塵に突っ込み。
ドン!という地鳴りがあたり一面に響いた。人は倒れ、屋敷も揺れ、もくもくと白煙が舞い上がる。
そしてその煙の中から。
ゆっくりと。
ゆっくりと。
十間はあろうかという大きな龍が。
咆哮と共に頭をもたげた。




