気がつけば龍神さま・6
とは言うものの、やっぱり気になって眠れない。
よっぽどひとりで様子を見に行こうかと思ったが、夜中に行ってもまず不寝番に追い払われるし、塀なぞ龍にもなっていないただのばあさんの蕗子に乗り越えられるわけもない。
仕方がないから明日のためにしっかり寝とこうと思ったのだが、やっぱり清白も同じことを考えていたらしく、夜中に何度もこっそり寝床を抜け出そうとした。
そのたび蕗子は手を伸ばし、後ろ襟ひっつかんで引きずり倒し、薄い掛け布団の中に押し込んだ。しまいには清白の身体に垂直に足を乗せ、十文字になって寝た。
朝が大層待ち遠しかった。
昨日よりぐっと肌寒くなった朝、領主のもとから使いが来た。
呼ばれるまま屋敷へ行くと、果たして穿拓はそこにいた。
「穿拓!」
貴人に呼ばれ、座敷の向こうの外に膝をつく穿拓を振り返って清白は叫んだ。思わず立ち上がって駆け寄ろうとする清白の前に男が立ちはだかる。
「穿拓から折り入って頼まれたのだ。一座の後ろ盾になってくれないかと」
「穿拓から!?」
上座でゆったりと話す貴人を清白は睨む。
「なんでも穿拓はずっと武士になりたかったそうだぞ。いろいろと事情があり今に至るが、雨乞いの生業もそろそろ潮時だと。自分はここで世話になりたいが、一座を抜けるとなると迷惑をかける。だから金を工面してくれと」
「嘘だ!」
貴人の言葉を遮り、穿拓に駆け寄ろうとした清白は立ちはだかっていた男に捕まった。
「穿拓、嘘だろう!?本当は一緒に……」
猿楽を続けたいのだろうとは清白は言えなかった。思えばそんな約束をしたこともないし、目標があったわけでもない。自分はただ寺から連れ出してもらって、猿楽とて止むに止まれず始めた生業だ。穿拓の笛が上手いのを良いことに納得してくれていると思っていたが、武士になりたかったのだと言われれば、今度はこちらが納得せざるを得ない。だがまだそれを本人の口から聞いたわけではない。
「清白殿」
地面に膝をつき、頭を垂れていた穿拓がゆっくりと顔を上げた。清白は言わないでくれと願った。
「自分はずっと、武士になりたかったのです」
清白の目から涙がこぼれた。
「ここで機会を得られました。どうか自分のことはこれで……」
穿拓が頭を下げると、清白が崩れ落ちる。貴人はさも心配げに清白に声をかけた。
「まあ、そう落ち込まずとも、腕の良い楽師はいくらでもおろう。私からも何人か紹介するゆえ」
蕗子はいつもの三倍よぼよぼとしながら嗚咽する清白の肩を抱き、そして出したこともないしゃがれた声で貴人に懇願した。
「恐れながら、穿拓のそばに寄ってもよろしいでしょうか……」
「構わぬ。媼にとっては最後の別れになろう」
失礼な。と蕗子は内心憤慨しつつ、現世より元気なくせに今の見た目に合わせたよぼよぼとした動きでゆっくりと穿拓に近寄る。そして穿拓の手を握り、頭を撫で、「おお……」と目を潤ませた。
「……元気でいるんだよ……」
「ばあさん……」
穿拓はぐっと拳を握り締めた。
「ばあさん。だから、飯はちゃんと出てるから」
「うっ、うっ。でも、穿拓はこのばあが作った握り飯が大好物で……」
「握り飯なんてどれもいっしょだろうが」
「ばあの塩加減は最高だと……」
「着物も。こんなボロ持って来られても穿拓も迷惑だとよ。全部この屋敷で用意されてるから心配すんな。ほら!昨日持ってきたやつも、持って帰ってくれとよ!」
「ううううう……、穿拓ぃ……」
屋敷の裏口の門番とひと通りやり合ったあと、荷物を押し付けられた蕗子は腰を曲げ、よろよろと立ち去る。門番に見えない角に入ったところでいつも以上にピンシャン背筋を伸ばすと、現世より老けているとは思えない猛ダッシュで宿へ戻った。
屋敷で最後に会った日、蕗子は前もって用意していた布切れに書いたメモを穿拓に握らせた。
『経緯をまとめて提出せよ』
次の日、穿拓が残して行った荷物と握り飯を持って屋敷へ行った。会えなくてもいい、せめてこれを渡してくれと門の前でオイオイと泣いてごねまくり、まんまと門番に受け取らせる。次の日穿拓は「受け取れない」とそのまま荷物を返す算段だ。荷物の中に手紙を仕込んで。
「戻ったよ!」
蕗子は宿の部屋に入ると、突き返された穿拓の荷物をほどき始めた。ふて寝している清白はちらりと肩越しに蕗子を見ただけで、起き上がろうとしない。
「理由がわかればはっくんだってすっきりするでしょ」
どこに入っているのかな~と着物を全部広げては振り広げては振りする蕗子に、清白は返事もしない。蕗子は気にせず着物を振りまくったが何も出てこない。一枚一枚揉んだり擦ったりしていると、妙に身頃がごわごわする一枚を見つけた。
「器用だねえ」
蕗子は宿から鋏を借りて糸を解く。中から文字がびっしり書かれた使い古しの肌小袖が出てきた。
まず穿拓は突然去ったことを謝罪していた。だが、じっくり考えた末での結論だとも書いてあった。
やはり見知った貴人だったという。だが、穿拓がごく小さい頃に少し見かけただけの人物だったので、まさか覚えられているとは思わなかったと。ただ、すぐ上の兄が寺に入るきっかけとなった人物だったので警戒していたと書いてあった。それは清白とほぼ似たような理由だった。
一番上の兄に代替わりしたあと、後ろ盾を強化するためにも小姓を差し出さないかと打診があったという。それがこの貴人だった。
「ブルータス……おまえもか……」
清白の勘があながち間違っていなかったことに蕗子は額を押さえた。でも『お小姓』とはいえ全員が全員閨を共にするわけではない。『稚児』と同じで、純粋に上役の世話係だけ行う方が多い。そっちでありますようにと祈りながら蕗子は先を読んだ。
だが一番上の兄は家が苦労することを承知で、弟を小姓に出すことを拒んだ。守るつもりで寺に入れたのだという。弟が無理となれば次に狙われるのは下の弟、つまり穿拓。だから穿拓も続けざま寺に入れられたのだという。
そんな事情など知らない穿拓の兄と穿拓は、純粋に稚児修行のために寺に入ったのだと思っていた。兄はともかく穿拓は武士になるつもりでいたので少々不本意ではあったが、一番上の兄の言うことならばと従った。本当の事情を知ったのは、兄の自害のずいぶん後だったという。兄の自害の理由、兄と自分が寺に入れられた理由。重なるふたつの理由に震えるほどの怒りを感じたが、それよりも兄の自害のせいで窮地に立たされている実家のことに心が苛まれた。だが子供の自分にできることなど何もない。せめて粛々と寺で過ごすことを己に科していたのに、此度の清白を連れての出奔である。さらに迷惑をかけているであろうことはわかっていたが、どうすることもできなかった。
そんな折、かの貴人に出会ってしまった。
成長した自分のことなどわからぬだろうと思っていた穿拓だったが、よかれと思って兄が付けた顔の傷が仇になってしまった。
穿拓がひとり、猿楽の場所を探すため店を回っていた際、貴人の使いの人間が実家の現状を伝えに来たという。そしてそれを救う手立ても。
自分のことは何も心配いらないと最後に穿拓は書いていた。もう『小姓』と言うような年齢でもない。清白が心配するようなことはないからと。武士になりたかったことも事実だと。
ただ、突然、何も言わずに去ったことは済まなかったと。
清白の研鑽を祈っていると最後にあった。
読み終わった肌小袖を叩きつけると、清白はふたたび布団に潜り込んで背を向けた。
「納得した?」
蕗子が訊くと、清白は声を荒げた。
「穿拓は武士になりたかったと言っている!」
「まあ、それも事実かもしれないね」
「わたしに穿拓を留める権利はない!」
「まあ、そうねえ」
「わたしも穿拓も、好きに生きると決めたのだ!」
「そうだよねえ」
「だから戻って来て欲しいなどとは……!」
「でもなんか、自分のためっぽくなくない?」
「は?『ぽくなくない』?」
変な響きに思わず清白が振り返る。舞楽に通じているせいか、清白は妙なリズムの言葉に惹かれるところがある。
「ほら、ここ。実家を救う手立てがあるって」
一緒に肌小袖を覗きながら清白は言い淀む。
「それは……。子であればお家のためにと……」
「お家のためにそんなことしなくていいよーってお兄ちゃんわざわざお寺にまで入れてくれてたのに、その気持ち無下にしようとして、それでもお家のためになるのかなあ」
「事情が変わったのだから……」
「もしはっくんが、もう猿楽辞めてお寺に戻るって言ったら、せっきーどう思うかなあ」
清白は肌小袖に書かれた文を、じっとみつめた。
 




