10 七色の輝き
『V8チェンソー』のアンコールの一曲目は、今年も『夏が欠けた世界』であった。
かつてのメンバーであった土田奈津実との別れをモチーフにしている、切ないバラード曲だ。その演奏が最初のサビを終えたところで、この後のセッションに参加する四名はバックヤードに移動した。
ステージとの距離が縮まって、『V8チェンソー』の演奏がいっそうの確かさでめぐるの心にしみわたってくる。
楽屋にはモニターが設置されているので耳からの情報は薄まったぐらいであるが、そのぶんステージ上の音色が振動として伝わってくるのだ。扉一枚を隔てた数メートル先で『V8チェンソー』の三人が演奏しているのだから、それが当然の話であった。
「……コッフィさんは、ここでサックスを吹いていたわけですね」
めぐるがこっそり囁きかけると、コッフィは満面の笑みで「じゃ」とうなずいた。『KAMERIA』と『バナナ・トリップ』が初めて対バンしたあの夜、ゲスト出演を断られたコッフィはこの場でひそかにサックスを吹き鳴らして無聊を慰めていたのである。
「じゃけん、うちがなんぼキバってもリアクションがないけぇ、やっぱ寂しかったわ。今日は存分に楽しめるのー」
「はい。わたしも楽しみです」
めぐるが素直にそんな言葉を返せるのも、この一年間の成長であった。
そうしてめぐるとコッフィがひそかに笑顔を見交わしている間に、演奏はエンディングになだれこんでいく。
『ありがとうございましたー! ではではお次は、お待ちかねのセッションタイムでーす!』
演奏の終了後にハルが元気な声をあげると、客席からは大歓声が吹き荒れる。
まずは上手に配置されている坂田美月が、ギターを抱えてドアをくぐった。
さらにノバとめぐるが続き、最後にコッフィがサックスを吹き鳴らしながら躍り出る。サックスはまだ生音のみであったが、客席からはいっそうの歓声がわきたった。
めぐるのエフェクターボードはベースアンプの前に置かれていたので、まずはシールドでベースに接続する。その間にセッティングのスタッフがアンプヘッドを切り替えて、めぐるにオーケーのサインを送ってくれた。
今回も、フユは自前のアンプヘッドからラインに音を通して、めぐるにベースアンプを譲ってくれたのだ。さらにフユは高い音域で上物の役割を果たすはずなので、めぐるは重低音でボトムを支えるという重要な役割を担うわけであった。
いまだに恐れ多いという気持ちは消えないが、夏の合宿や野外イベントでも同じ編成で挑んでいるため、もはや怯むことはない。他の頼もしいメンバーたちに支えられながら、めぐるは自分なりに死力を尽くすしかなかった。
その間に、ハルはひとりずつゲストメンバーの紹介をしている。
入場と同じ順番で、坂田美月とノバの次がめぐるであった。
『「KAMERIA」からはぴちぴちの極悪ベーシスト、Mちゃん! 今年もよろしくねー!』
めぐるが慌てて頭を下げると、驚くべきことが起きた。
客席から、「エムちゃーん!」という声がいくつも飛ばされてきたのである。
最初は町田アンナあたりの悪戯かとも思ったが、どうやらそうではないらしい。おそらくは、顔見知りである常連客の人々が声援を送ってくれているのだ。それでめぐるがまごまごしていると、ハルが楽しげな声をかぶせた。
『さすがMちゃんは大人気だねー! そして最後は「バナナ・トリップ」から、サックス&ヴォーカルのコッフィさん!』
スピーカーの出音がオンにされたサックスの音色が高らかに吹き鳴らされると、客席には怒涛の歓声がわきたった。そしてそこにも、「コッフィー!」という声が重ねられている。
思わぬ驚きに見舞われためぐるは騒ぐ心臓をなだめながら、セッティングを完了させた。
坂田美月はステージの左端、マイクスタンドの前にたたずむ浅川亜季をはさんで台座に座したノバ、ドラムの正面はちょうど空白で、モニタースピーカーに片足をかけたコッフィ、定位置のフユ、そして右端がめぐるだ。
これからこの七名で、初めてのセッションに挑むのである。
それでめぐるが胸を高鳴らせていると、隣のフユが囁きかけてきた。
「イントロは、私とアキが下がるからさ。ピンク頭に激突されないように気をつけながら、前に出てくれる?」
「あ、はい。わかりました」
いまひとつ事情はわからないまま、めぐるはフユの指示に従った。
そのタイミングで、ハルが最後の号令をかける。
『それじゃあ、いっくよー! こういう日のために「KAMERIA」のみんなと一緒に作ったセッション曲、「虹の戯れ」!』
ハルはスネアをロールさせてから、弾むような十六ビートのリズムを叩き出した。
『KAMERIA』とは異なる導入であるが、『V8チェンソー』バージョンのアレンジはもう何度も耳にしている。浅川亜季と坂田美月の二人がかりのハウリングが獰猛にうなりをあげる中、めぐるは所定のタイミングでベースをかき鳴らした。
それと同時に、全員がそれぞれの音色を炸裂させる。
浅川亜季は粘つく音色でバッキング、坂田美月は普段よりも流麗な音色で単音のフレーズ、フユはバイオリンと見まごう艶やかな旋律、ノバは小気味のいいコンガの乱打、コッフィは大きな鳥が羽ばたくようなのびやかなる音色だ。
そうして一小節を待たずして、めぐるの心はとてつもない高みに引っ張りあげられた。
これが初めてのセッションであるのに、七名の織り成す音色がまたとない調和を完成させていたのだ。そこに自分の音も組み込まれていることが、いっそ信じがたいほどであった。
(すごい……去年よりも、ずっとなめらかだ)
それはプレイヤーの技量ばかりでなく、音の性質も大きく関わっているのだろうか。まずは、浅川亜季よりも極悪な樋崎真子のギターサウンドが坂田美月の繊細なギターサウンドに入れ替わっただけで、きわめて耳ざわりがよくなっていた。
しかしまた、坂田美月のギターはただ繊細なだけではない。この場ではジャズコーラスを使っているために普段よりも繊細さと流麗さが増していたが、何より彼女の特性というのは人間らしい温もりに満ちた生々しいサウンドであるのだ。樋崎真子のような圧力がないぶん、彼女のギターにはしなるような強靭さが感じられた。
そして、その音色が乱暴なサウンドと優美なサウンドの橋渡しになっているように感じられる。
乱暴なサウンドを受け持っているのは、浅川亜季とハルとめぐるである。この三人は音からして猛々しい部類であろうし、機械的な正確さよりも勢いやうねりというものを重視していた。
優美なサウンドを受け持つのは、フユとノバだ。めぐるに重低音の支えを一任したフユはオクターブを上げたバイオリンのごとき音色でゆったりと美しい旋律を紡いでおり、ノバも人間らしい生々しさを一番の持ち味にしながらコンガという楽器の性質上、軽妙なリズムを叩き出していた。
坂田美月のギターはちょうどその中間あたりでゆるやかな渦を巻き、それぞれの音色をいっそう強く結びつけているように感じられる。
そして――優美さと乱暴さの両方をあわせ持ち、自由自在に行き交っているのがコッフィのサックスであった。
時にはハルのドラムとシンクロするような乱暴さを垣間見せつつ、フユの流麗な音色とも執拗に絡み合うことができる。ただ最前線で光り輝くばかりでなく、時には他なる音色に寄り添い、ともに手を携えながら、コッフィはさまざまな色彩を演奏に与えていた。
(そういえば……去年は柴川さんと鞠山さんがヴォーカルだったから、楽器は六種類しかなかったんだ)
本年は、それが七種類に増えている。
そしてそれが足し算以上の質量でもって、演奏を分厚くしていた。たとえ樋崎真子の荒々しいギターサウンドがなくとも、この迫力は昨年に負けていないはずであった。
あえて言うならば、『ヴァルプルギスの夜★DS3』よりも『バナナ・トリップ』に近い迫力であろうか。
それぞれの音がひとかたまりになるのではなく、四方八方に弾け散りながら、打ち上げ花火のように華々しい調和を完成させているのである。
そしてそこに、最後の要素が加えられた。
浅川亜季の歌声である。
ダンシブルな16ビートでありながら、『虹の戯れ』には重々しい迫力と切迫感も備わっている。浅川亜季のハスキーな歌声が、彼女ならではの魅力でさらなる調和を体現させた。
歌が入ったことでフユとコッフィと坂田美月はいくぶん音数を減らしたが、その存在感に大きな変わりはない。それでも主役の座に居座るべく、浅川亜季は普段以上の迫力を見せていた。
人数だけで言えば、『KAMERIA』と『V8チェンソー』にコッフィとウェンを加えた夏の野外のほうがまさっている。
しかし本日はノバや坂田美月が加わっているし、ひとりでも顔ぶれが変わればまったく異なる演奏になるのだ。あの日にはあの日の九名にだけ可能な調和が完成されており、今日は今日の七名にだけ可能な調和が完成されていた。
あの日と同じように、めぐるはサビでオートワウのエフェクターをオンにした。
歪みのサウンドがワウならではのうねりをあげて、演奏を軋ませる。
しかし、この場にいる面々がそれで怯むことはない。ハルの力強いドラムもノバの軽妙なるコンガもめぐるの乱暴な音を簡単に受け止めて、ビートの糧としてくれた。
コッフィも遠慮なくサックスを吹き鳴らし、浅川亜季の歌を圧迫する。
それで浅川亜季が潰れないことは、夏の野外で証明されているのだ。それこそ浅川亜季は鈴島美阿に負けないぐらいの咆哮めいた歌声でもって、コッフィの絢爛なる音色に立ち向かった。
フユもまた、バイオリンの速弾きめいた狂騒である。
坂田美月はひっそりとしていたが、裏ではしっかりと勢いを増した演奏の橋渡しをしてくれていた。
そんな中、コッフィのサックスがどんどん勢いを増していく。
それを察した皆々は、サビが終わると同時に支えに回った。
六名の演奏に土台を支えられながら、コッフィが奔放なるサックスソロを展開させる。
まるで燃えあがる不死鳥が羽ばたいたかのような迫力で、めぐるは総身を粟立たせてしまった。
やはりコッフィは、演奏力のレベルがひとつ違っている。
それも、技巧だけの話ではない。彼女が卓越しているのは、表現力と応用力――その場の流れに乗って、もっとも相応しい音を鳴らす力量であった。
端的に言って、コッフィはセッションに強いのだ。
それはフユも同様であったが、どれだけ上物の役割を果たそうともベースはベースである。フユの本領はアンサンブルを支えることであり、演奏の最前線に立つのは歌やギターやサックスの役割であった。
だからコッフィは、こんなにも鮮烈で華やかであるのだ。
フユのベースプレイは華麗の極みであるが、ソロパートを取ることは滅多にない。こうして最前線で躍動する誰かのために力を尽くすのが、ベースの本懐であり――めぐるもまた、どれだけ凶悪なサウンドを好もうとも、自分が主役を張る気はなかった。
(だからコッフィさんは、わたしなんかを求めてくれるのかもしれない)
自分はそんなコッフィの期待に応えられているのだろうか。
めぐるがふっとそんな想念にとらわれたとき、モニタースピーカーに片足をかけていたコッフィが引き下がり、めぐるのほうに向きなおってきた。
折しも八小節が過ぎて、ソロパートが坂田美月に引き継がれたタイミングである。
コッフィはにこにこと笑いながら、サックスに可能な限りの低音でもってベースのフレーズに絡みついてきた。
今度は一緒に土台を支えよう、ということであろうか。
めぐるは自然に笑みをこぼして、客席に横顔を見せる形でコッフィと向き合った。
また八小節が過ぎたならば、ソロパートは浅川亜季に引き継がれる。
浅川亜季はあえて音数を詰め込まず、ねばねばと尾を引くファズサウンドで獣の遠吠えめいたフレーズを披露した。
するとコッフィも面白がって、今度はそちらに絡みつくようなフレーズに切り替える。
そうしてコッフィが浅川亜季のほうに向きなおったため、めぐるも正面を向いてベースをうならせた。
客席の最前列では、また野中すずみが滂沱たる涙を流している。
北中莉子はその真後ろに陣取って、野中すずみの左右からのばした腕で柵をつかんでいた。まるで満員電車で恋人を守る男性のごとき所作である。めぐるはむしろ、北中莉子の険しい顔のほうに感慨深くなってしまった。
それより少し後ろのほうでは、オレンジ色の頭がぴょこぴょこと躍動している。
その隣では、ネオンイエローが入り交じったツインテールも跳ねていた。
きっと和緒や栗原理乃も、どこかで見守ってくれているだろう。
めぐるの今日の体験も、きっと『KAMERIA』に何らかのフィードバックをもたらすはずだ。そんな風に考えると、めぐるはいっそう満たされた心地であった。
(でも今は、そんなことを考えてる場合じゃないよね)
集中を乱したら、めぐるなどはすぐさま置いていかれてしまうだろう。
今はこの七色の輝きの中で、すべての力を尽くさなければならなかった。
そうして三種のソロパートが終息したならば、最後のBメロに突入する。
そこで初めて、コッフィの歌声が響きわたった。
浅川亜季の主旋律にかぶさる、歌詞のないハーモニーだ。
サックスに負けない華やかさで、コッフィの歌声が浅川亜季の歌声を彩り、同時に圧迫する。コッフィの魅力的な歌声に負けないように、浅川亜季はさらなる力を振り絞ることになった。
それでまた、めぐるは総身を粟立たせる。
Bメロの後は、大サビへとなだれこむのだ。めぐるたちは、今この瞬間を上回る狂熱を体現しなければならないのだった。
だけどこの顔ぶれであれば、きっと実現させるのだろう。
いったい自分は何という場に放り込まれてしまったのだろうと、めぐるは笑いたくなってしまった。
そうしてその後も『ジェイズランド』には暴虐なる轟音が吹き荒れて、『V8チェンソー』の四周年記念イベントは華々しく終焉を迎えたのだった。
2026.5/10
今回の更新はここまでです。更新再開まで少々お待ちください。




