08 思わぬ申し出
『リトル・ミス・プリッシー』のステージが終了すると、ハルの代わりに町田アンナと亀本菜々子がMCの役目を務めた。
昨年は亀本菜々子と坂田美月が受け持っていたが、後者にはアンコールのゲスト参加という大役が控えているため、町田アンナが肩代わりしたのだ。もちろん町田アンナは持ち前の魅力と話術を発揮して、その役目を立派に果たしていた。
「それじゃあわたしも、準備してくるね」
めぐるがそのように呼びかけると、和緒がぐっと顔を近づけてきた。
「うん。あんたもだんだん、リトプリのステージに免疫ができてきたみたいだね」
「うん。やっぱりあのステージには、圧倒されちゃうけどね」
めぐるは心を偽ることなく、笑顔でそのように答えることができた。
和緒は優しく目を細めつつ、めぐるの頭を小突いてくる。それに押し出されるようにして、めぐるはひとり楽屋を目指した。
バーフロアに上がってみると、そちらも大層な賑わいだ。大トリである『V8チェンソー』の前に、少しでも身を休めているのだろう。『バナナ・トリップ』と『リトル・ミス・プリッシー』が目当てで来場した人間でも、その両バンドを招集した『V8チェンソー』に無関心であるとは思えなかった。
(まあ、もしそんな人がいたとしても、モニターで『V8チェンソー』のかっこよさに気づいたら客席に下りてくれるよね)
内心でこっそり考えながら、めぐるは人をかきわけて楽屋を目指す。
そちらでは、『V8チェンソー』と『リトル・ミス・プリッシー』のメンバーが入り乱れており、さらにコッフィと坂田美月も参じていた。
「おー! やっと小動物ちゃんに会えたんじゃ! こんなぎょうさん人がおると、なかなか会えんもんじゃのー!」
と、コッフィがさっそくまとわりついてくる。それに気づいた浅川亜季が、のんびりとした笑顔を向けてきた。
「めぐるっちも、お疲れさぁん。じゃ、機材を下ろして、チューニングをよろしくねぇ」
「はい。よろしくお願いします。……みなさん、お疲れ様でした」
ソファの席で思うさまくつろいでいる『リトル・ミス・プリッシー』の面々に頭を下げつつ、めぐるは機材を抱えてバックヤードに下りた。
『V8チェンソー』の三名がセッティングを進める中、ゲスト参加する三名も下準備だ。めぐると坂田美月はそれぞれのエフェクターボードを開いてチューニング、コッフィはマイクを取り付けたサックスをケースの上にちょこんと置いた。
「やー、今日はどんな演奏になるんかのー。わくわくが止まらんのー」
無邪気に笑うコッフィに、めぐるも「そうですね」と笑顔を返すことができた。めぐるは昨年もこのゲスト参加で、またとない体験をさせてもらったのだ。多少の顔ぶれは入れ替わっているものの、今回も昨年に負けない期待をかけられるはずであった。
「あたしにとっては、けっこうなプレッシャーだなー。だけどまあ、去年のレンレンはこれ以上のプレッシャーだったんだろうしねー」
そんな風に語りながら、坂田美月もいつも通りののんびりとした笑顔である。昨年の柴川蓮はバンドの顔であるヴォーカルとして参加したのだから、確かに途方もないプレッシャーであったことだろう。そして実際、彼女は強力な演奏陣に対抗しようと気負うあまりに咽喉を潰しかけて、鞠山花子の機転に救われたのだった。
「コッフィさんは、もちろん歌でも参加するんでしょ? これは去年に負けない盛り上がりだろうなー」
「歌うかどうかはその場の気分じゃけど、楽しみなんは変わらんのー。出番が待ち遠しいのー」
坂田美月も社交的であるため、すっかりコッフィとも懇意であるようだ。そうして準備を終えためぐるは、温かな心地で楽屋に戻ることになった。
するとそちらでは、まだ『リトル・ミス・プリッシー』の四名がくつろいでいる。
もう大トリの『V8チェンソー』がステージに下りたので、遠慮をする理由もないのだろう。ただ、めぐるは今の内に栄養補給するつもりであったため、いささか落ち着かないところであった。
「じゃ、あたしは先に戻るねー」
坂田美月はひとり楽屋を出ていき、コッフィは当然のように留まっている。にこにこと笑うコッフィの存在は、めぐるにとっても心強い限りであった。
「それじゃああの、わたしはちょっと食事をいただきますので……」
「おー、そうなん? じゃ、うちはドリンクでもいただこうかのー」
コッフィは弾むような足取りで、楽屋の片隅に設置された自動販売機へと向かっていく。ちなみに彼女は、ビキニの上からミリタリーシャツを羽織ったままの姿だ。めぐるは原っぱで駆け回る子犬を眺めているような心地で、町田アンナが事前に準備してくれたコンビニの袋をまさぐった。
「あー、そういやあ、『KAMERIA』のみんなはまた十時で帰ってまうんかなぁ?」
と、ソファで電子タバコの蒸気をくゆらせていたノバが語りかけてくる。
カロリーバーの包装を解きながら、めぐるは「はい」とうなずいた。
「まだ十八歳未満なので、その予定です。ステージの後でも、多少は居残れると思いますけど……」
「でも、きっとバタバタよな。よかったら、今の内にややこしい話を聞いてもらえん?」
「はあ……わたしひとりでは、本当に聞くだけになってしまいますけれど……」
「そらそうよ。あとで電話なりメッセなりできっちり事情を伝えるとしても、面と向かって喋らんと気持ちが伝わらんからね」
そう言って、ノバはにっこりと微笑んだ。
その間も、他の面々はぐったりと身をのばしている。チハラなどはまだしも元気そうであったが、キュウベエとアンジョーは精魂尽き果てている様子であった。
めぐるは立ったままカロリーバーをかじっており、自販機でスポーツドリンクを購入したコッフィも隣に戻ってくる。そんな中、ノバはのんびりと語り始めた。
「まず、うちらが誘いたいんは『目黒ジャンクハウス』いうハコで、日取りは今週の土曜日なんよ。スケジュール的に、まずはどうやろ?」
「こ、今週の土曜日ですか? それはずいぶん……急な話ですね」
「ほうよ。今日がライブなら週末は空いてるかて期待してたんやけど、どうやろ?」
「はあ……日中は部室で練習する予定でしたけど、夜はみんなに確認しないとわかりません」
「ほうかい。ほんじゃ、それはおいおい確認するとして……実はそのハコ、『SanZenon』の元メンバーが店長をやっとるんよ」
めぐるは「え?」と、一瞬で困惑の坩堝に叩き込まれてしまった。
「い、いま、なんて仰いましたか? 『SanZenon』の元メンバー……?」
「ほうよ。ギターの和木いうお人やね。おいもそんなことはまったく知らんと、前々からお世話になっとったんよ」
そう言って、ノバはソファでのびているキュウベエのほうを振り返った。
「キュウベエやアンジョーは知っとったのに、ひとことも言わんのよ。ほんに、大概にしときや?」
「……聞かれなかったから」と、キュウベエはぼんやりとした声で答える。いっぽうアンジョーは死人のようにまぶたを閉ざしたまま、ぴくりとも動かなかった。
「でな、うちらは先月もそこでお世話になったんよ。ほんで、今日のライブでまた『SanZenon』の曲をやろうち話んなってたから、肩慣らしでそん日もセットリストに入れたんよ。ほしたら、店長の逆鱗に触れてしもうたんやね」
「げ、逆鱗? どうしてですか?」
「わからん。ただ、あの曲を始めたとたん、ミキサー卓の電源を落とされてもうたんよ。ほんで、一生出禁や言うて追い出されてもうたんやね」
ノバの言葉に、コッフィが「ほほー!」と声をあげた。
「そいつは豪気な話じゃのー。ほいで、どうなったの?」
「どうもならんよ。おいが後から事情を聞きに行っても、門前払いよ。うちらの演奏が、よっぽど気に食わんかったんやろね」
「そ、それでどうして、わたしたちに……」
「実は今週の土曜も、うちらがブッキングを入れとったんよ。んでもうちらは出禁やから、ひとつ枠が空いとるんやね。その枠を埋めてほしいち話なんやけど……」
と、ノバは再びキュウベエのほうを見る。
するとキュウベエは、巨大な草食動物のような緩慢さでのろのろと長身を起こした。
「……妹たちの演奏を見せたら、店長の機嫌もなおると思う」
「って、キュウベエが言うんよ。理屈が異次元で、おいにはようわからんけんどね」
そう言って、ノバはニット帽をかぶった自分の頭をぽんぽんと叩いた。
「ただ、おいはあのハコが好きやから、仲直りはしたいんよ。他のスタッフは協力してくれるんで、『KAMERIA』をこっそりねじこむんは難しくない思う。もちろん必要な費用はうちらがもつんで、なんとか出てもらえん?」
「だ、だけど……ただ出るだけでいいんですか? もしかして、わたしたちにも『SanZenon』の曲を……?」
「うん。そうしたら、店長の機嫌もなおると思う」
めぐるが絶句していると、代わりにコッフィが「ほへー」と声をあげた。
「はたから聞いとっても意味がわからんのー。ほいで小動物ちゃんたちまでステージの途中でほっぽり出されたら、気の毒じゃのー」
「その心配はいらんよ。店長も雇われ店長やから、勝手な真似してオーナーにこっぴどく叱られとるんよ。次に同じことしたら、クビやろね」
「ほうほう。ほいでも、クビを覚悟で電源を落としたりはせんのかのー?」
「それは大丈夫て、キュウベエが言うんよ」
「うん。きっと大丈夫。店長、喜ぶと思う」
ぼんやりと語りながら、キュウベエは青いサングラスで隠された目をめぐるのほうに向けてきた。
「今日、あの曲、演奏しなかったけど……『SanZenon』、嫌いになった?」
「そ、そんなことはありません。『SanZenon』は、わたしにとって大切なバンドです」
「うん。それなら、大丈夫。店長、喜ぶと思う」
そう言って、キュウベエは虚空に手の先をさまよわせる。
めぐるはまったく心も定まらないまま進み出て、その手に触れることにした。
「私も『SanZenon』、好きだよ。でも、『SanZenon』みたいには演奏できない」
なめし皮のような質感をした指先でめぐるの手を握りしめながら、キュウベエはそう言った。
「妹たちも『SanZenon』とは違うけど、きっと大丈夫だと思う。演奏、してくれる?」
「で、でも……」
「私、『SanZenon』、好きだったから、店長と仲直りしたい。あのライブハウスでも、演奏したい。だから、妹たちに手伝ってほしい」
そんな言葉を聞かされると、めぐるの胸が詰まってしまった。
キュウベエは植物のようにひっそりとした人間であり、まったく内心がつかめないのだ。ただ彼女が人間らしい心を垣間見せるのは、『SanZenon』について語るときのみであり――それでめぐるは昨年も、大いに心をかき乱されたのだった。
「……わたし個人は、みなさんのお力になりたいと思います。でも、『KAMERIA』はみんなのものなので……みんなの話を聞かないと、お返事はできません」
「うん。ありがとう」
無表情に語りながら、キュウベエはなかなかめぐるの手を離そうとしない。
そしてめぐるも無理に手を離す気にはなれないまま、しばらく惑乱の思いでたたずむことになったのだった。




