04 荒ぶる新年④
鞠山花子の勝利で町田家の面々がわきかえる中、次なる試合が開始された。
日本人選手が出場するのは残り三試合で、次に登場したのは小笠原という選手である。彼女は百七十八センチという長身の持ち主で、めぐるも『サマー・スピン・フェスティバル』の会場で見かけたように記憶していた。
その対戦相手はアジア系の外国人選手で、小笠原よりも十三センチほど背が低い代わりに、岩のような逞しさである。また、体重の規定は六十一キロ以下であるため、小笠原はずいぶん細く見えてならなかった。
しかしいざ試合が始まってみると、小笠原のほうもとてつもない力感である。
長い手足で振るわれる攻撃は、まるで槍のようだ。相手選手も大層な突進力であったものの、小笠原の懐に飛び込むことはかなわず、最後まで遠距離から攻撃をくらい続けていた。
そうして結果は、三対〇で小笠原の判定勝利である。
会場は大きくわきかえり、小笠原の右腕がレフェリーによって高々と掲げられる。そうしてセコンド陣が試合場に上がり込み、小笠原と喜びを分かち合っていると、町田アンナが「おっ」と声をあげた。
「セコンドには、あかりんさんがついてたのかー。たしかあかりんさんも、サマスピに来てたよねー」
めぐるが目を凝らすと、うっすらと見覚えのある女性を発見した。小笠原よりも頭ひとつ分ぐらい小さくて、北中莉子に負けないぐらい大胆なショートウルフの頭をした、ちょっと中性的で可愛らしい女性である。小笠原の長身に半ば抱きつくようにして、その女性は嬉し涙をこぼしているようであった。
「あかりんさんは花ちゃんさんの一番弟子で、第二の魔法少女なんだよー。でも、ヴァルプルのイベントには来てなかったよねー」
「そのイベントって、十一月のやつだよね? たぶん小柴さんは、療養中だったんじゃないかな。犬飼さんとの試合で、膝靭帯を痛めてたからさ」
「へー、そーなんだ? 犬飼さんは寝技にもスキがないから、おっかないよねー」
ともあれ、小笠原なる選手も勝利を飾ることができた。
これまで出場した五名の日本人選手の中で、敗北に終わったのは最初のアイネひとりである。
「いやー、やっぱり大したもんだね! アイネさんだって、半分がた勝ってたようなもんだしさ!」
「でも、また判定だったねー。エレンはかっこいいKOシーンが見たいなー」
「それだけ相手も、手ごわいということよ。でも、次の試合は期待できるのじゃないかしら」
次に登場するのは、猪狩瓜子である。
その入場曲が流されるなり、めぐるは奇妙な違和感を覚えた。聞き覚えのあるフレーズが、聞き覚えのない音色で演奏されていたのだ。
「あれ……これって、『トライ・アングル』の曲ですよね?」
「いやいや! これは原曲の、『ワンド・ペイジ』のバージョンだねー! こっちはこっちで、めっちゃかっちょいーんだよー!」
そういえば、『トライ・アングル』というのはユーリと二つのバンドの合同ユニットであったのだ。そのバンドの片方である『ワンド・ペイジ』は、めぐるも『サマー・スピン・フェスティバル』でステージを拝見していた。
『ワンド・ペイジ』はスリーピースで、どこか独特の切迫感と疾走感を有している。それでヴォーカルは『SanZenon』の鈴島美阿を男性にしたような迫力であり、ベースはアップライトベースであったものだから、めぐるも指折りで興味を引かれていたのだった。
(あらためて聴くと、やっぱりこっちもすごい迫力だなぁ。こっちのバンドも、CDを買ってみようかなぁ)
めぐるがそんな感慨にひたる中、花道を歩く猪狩瓜子の姿が大映しにされる。
その瞬間、めぐるはドキリと心臓を騒がせてしまった。猪狩瓜子の印象が、一変していたのだ。
めぐるが秋葉原のライブハウスで対面した猪狩瓜子は、とても可愛らしくてとても優しそうだった。それでいて、芯はとてもしっかりしていそうで、ふにゃふにゃしたユーリを保護者のようにエスコートしていたのだ。くるくるとよく変わる表情も印象的かつ魅力的で、めぐるにとってはユーリと同じぐらい忘れられない存在であったのだった。
然して――いま画面に映し出されている猪狩瓜子は、別人のように鋭い目つきをしていた。
表情はゆったりしているのに、黒い瞳は炎のように燃えている。そして、めぐると大差ないぐらい小柄な肉体からも、力感がオーラのようにたちのぼっているように感じられた。
フェンスのすぐ外で上下のスポーツウェアを脱いだ猪狩瓜子はあれこれチェックを受けたのち、八角形の試合場に上がっていく。
ハーフトップにショートパンツしか纏っていないその身体は、びっくりするぐらい引き締まっており――そして何だか、目を離せないぐらい綺麗なラインを描いていた。ユーリや灰原のように色香にあふれかえっているわけではなく、ひとつの生き物として美しいように感じられるのだ。これは、めぐるが初めて抱く感慨であった。
「うわ、こいつはこれまでで一番の体格差なんじゃないの?」
相手選手も試合場に上がると、和緒がそんな言葉をこぼした。
相手選手は猪狩瓜子よりも背が高い上に、ふた回りばかりも肉厚な体格をしていたのだ。これは確かに、同じ階級とは思えない体格差であった。
「うり坊ちゃんは、骨密度がハンパじゃないんだってさ。それでウェイトがかさむから、どうしても体格差ができちゃんだってよー」
町田アンナが、そんな風に説明してくれた。
ちなみに猪狩瓜子の身長は百五十二センチで、階級は五十二キロ以下である。確かにめぐるから見ても、五、六キロは軽いように思えてならなかった。
しかし、対戦相手と向かい合った猪狩瓜子は、臆する様子もない。
可愛らしい顔立ちに変わりはないのに、とてつもない凛々しさだ。その姿を目にしているだけで、めぐるは胸が高鳴ってしまった。
そうして試合が開始されると、猪狩瓜子は俊敏な足取りで前進していく。
すると相手選手は、右足の蹴りで迎え撃った。
猪狩瓜子はその蹴りを受けようとせず、後方にステップして回避する。
すると今度は相手選手が右の拳を繰り出しながら、距離を詰め始めた。
「ふん、やっぱりこうきたか! 左腕を狙ってるのが、見え見えだな!」
「左肘は、猪狩さんの唯一の泣きどころですからね。相手のウイークポイントを狙うのは勝負の鉄則だから、卑怯と言うことはできないわ」
町田家のご両親が不穏な言葉を交わしていると、隣の和緒が説明してくれた。
「猪狩さんは何年か前に、左肘を故障してるんだってさ。再発の危険があるから、あんまり無茶はできないらしいよ」
そんな危険を犯してまで、猪狩瓜子は選手活動を続けているのだ。
めぐるはこれまでの試合と比較にならないぐらい、胃が縮むような思いであった。
そうして猪狩瓜子は左腕に攻撃をもらわないように距離を取っているため、自分の攻撃を当てることもままならない。
ただでさえ、相手のほうがリーチでまさっているのだ。ただ逃げているだけでは、いつか追い込まれてしまいそうだった。
そこで町田アンナが、「おっ!」と声をあげる。
相手選手が何度目かの蹴りを放つと、横合いに回り込んで回避した猪狩瓜子が軸足に組みついたのだ。
それでも相手は倒れることなく、片足でバランスを取りながら後方に逃げていく。
そうして相手選手の背中がフェンスにぶつかると、やおら身を起こした猪狩瓜子が至近距離から肘打ちを叩き込んだ。
その俊敏なる動作に、めぐるはまた心臓を騒がせてしまう。
しかし相手選手は肉体の頑丈さで耐えぬき、猪狩瓜子の肩口につかみかかろうとした。
上半身を振ってそれをかわした猪狩瓜子は、真下から拳を振り上げる。
相手選手はぎりぎりのタイミングで首をねじり、焦った表情で猪狩瓜子の身を突き放そうとした。
しかし猪狩瓜子はそれよりも早く、後方にステップを踏んでいる。
そしてすぐさま、左足を振り上げた。
猪狩瓜子のしなやかな左足が、相手の右脇腹に突き刺さる。
右脇腹といえば、肝臓がある箇所だ。肝臓が人体の急所であるという話は、めぐるもどこかで聞き及んでいた。
相手選手は苦悶の形相で、左右の拳を振り回す。
とうてい苦しまぎれという言葉には収まらない、勢いのある攻撃だ。めぐるは思わず首をすくめてしまったが――猪狩瓜子は俊敏なる動作で上体を振って、それらをすべて回避した。
こんな至近距離から繰り出される連続攻撃を、その場に留まったまま回避してのけたのだ。その化け物じみた動体視力だか何だかに、めぐるは背筋が寒くなってしまった。
そうして相手の動きが止まると、猪狩瓜子の狙いすました一撃が腹の真ん中に突き刺さる。
相手選手が横合いに逃げようとすると、猪狩瓜子は逃げる先に右拳を振るった。
それを左腕で防御した相手選手は、右の拳をお返しする。
しかしやっぱり、その拳は猪狩瓜子の顔面に命中しなかった。猪狩瓜子の小さな身体が、相手の拳から逃げるように横回転したのだ。
しかしそれは、逃避ではなく攻撃の所作であった。
コマのようにスピンした猪狩瓜子は、その遠心力を乗せた右拳を相手の顔面に叩きつけたのだ。
その一撃で、相手選手はマットに倒れ込む。
試合終了のブザーが鳴り響き、大歓声が爆発した。
「終わってみれば、一ラウンドKOか! こいつは、貫禄勝ちだな!」
「でも、決して楽な相手ではなかったはずよ。さっきの鞠山さんと同様に、勝負どころを見定めたのでしょうね」
「やっぱ、うりぼーちゃんはかっこいいねー! エレンは女の子の選手で一番好きかもー!」
町田家の面々がはやしたてる中、めぐるは深々と息をつく。
すると、和緒に頭を小突かれた。
「あんたもずいぶん、見入ってたじゃん。猪狩さんの魅力に、心をつかまれたのかな?」
「う、うん……猪狩さんがひどい目にあうんじゃないかって、心配になっちゃったから……」
けっきょく猪狩瓜子は一発の攻撃もくらわないまま勝利したが、それは死力を尽くした結果であるのだろう。二分ていどの試合時間で猪狩瓜子は滝のように汗を流し、肩や胸もとを大きく波打たせていた。
ただその黒い瞳は、試合前よりも明るく輝いている。
力感はそのままに闘志の炎だけが消え去って、星のようなきらめきであったのだ。その瞳の輝きにこそ、めぐるは心をつかまれていた。
(こんな人と直接口をきいたなんて、なんだか信じられないなぁ……)
試合場で大歓声を浴びる猪狩瓜子は、まごうことなきスターであった。
彼女はそれに相応しいだけの輝きを備え持っているのだ。格闘技に興味のないめぐるでも、その輝きだけで拍手を送りたいほどであった。
「それじゃあ、いよいよメインイベントだな!」
「うん! 今回は、どんな試合になるのかなー! ユーリの試合って、いっつもハチャメチャだもんねー!」
父親と妹が騒ぐ中、町田ローサがノートパソコンを操作する。
すると、今度こそめぐるにも聞き覚えのある『トライ・アングル』の楽曲が流され始めた。これはファーストアルバムに収録されていた、『Re:Boot』という楽曲である。
ただし、ユーリの歌声は聴こえてこない。これはボーナストラックとして収録されている、インストゥルメンタルバージョンであったのだ。
その魅惑的なサウンドを入場曲として、ユーリが花道に現れる。
すると、めぐるの心臓が休む間もなく躍動を余儀なくされた。ユーリこそ、見る人間をひと目で驚嘆させる容姿の持ち主であるのだ。
ユーリはただ容姿が整っているばかりでなく、アルビノのように真っ白の髪と肌をしている。
いくぶん眠たげな垂れ気味の目に、作り物のようになめらかな頬、細くて筋の通った鼻に、肉感的な桜色の唇――悪魔のように蠱惑的でありながら、天使や精霊のように清廉でもある、ユーリならではの美しさである。
ステージでは無造作に垂らされているロングヘアーが、試合の場では細かい三つ編みの束に仕上げられている。ユーリが軽やかにステップを踏むごとに、その三つ編みの束が装飾品のようにきらめきながらたなびいた。
さらにフェンスの外でスポーツウェアを脱ぎ捨てたならば、いっそうの輝きが客席の人々に歓声をあげさせる。
ユーリこそ、格闘技選手とは思えないようなプロポーションをしているのだ。めぐるも試合の際には様変わりするのかと予想していたのだが、その尋常ならぬ肉感的な曲線で構成されたボディラインには何の変わりも見られなかった。
「ユーリさんは、筋肉が筋肉に見えない特異体質なんだってさ」
めぐるの内心を見透かしたかのように、和緒がそんなつぶやきをもらした。
その間に、ユーリは試合場へと駆けあがる。彼女もハーフトップにショートスパッツという軽装であるため、その色香あふるる肢体が惜しげもなく人目にさらされていた。
腕も足も胴体も、ぬけるように白い。
その白さこそが、天使や精霊のような透明感を織り成しているのだろう。ユーリは瞳も唇も淡い色合いであるため、確かな色彩を有しているのはピンク色に染められた前髪のひとふさのみであった。
そして、その対戦相手は――よりにもよって、野獣のような迫力を持つ外国人選手である。
肌は浅黒く、髪は金色に染めあげており、全身に男のような筋肉が盛り上がっている。身長差はわずか三センチであったが、とうてい同じ生き物とは思えないような迫力であった。
「こいつも、貫禄がついてきたよな! 持って生まれたフィジカルとセンスに確かな技術が掛け合わされて、立派なチャンピオン候補だ!」
「ユーリさんは受けが甘いから、一気にたたみこまれると危ないわよね。うまく寝技に引き込めるかしら」
町田家の面々も、ますます昂揚しているようである。
それもひとえに、ユーリの存在感ゆえであろう。人間としての輝きは猪狩瓜子も負けていなかったが、ユーリはさらに尋常ならざる華やかさを有しているのだった。
こんなにも美しいユーリが、試合ではどのような姿を見せるのか。
画面上で向かい合う二人の姿を見つめながら、めぐるはどうしようもなく胸を騒がせることになった。




