02 荒ぶる新年②
フェンスの外でTシャツを脱いだアイネなる選手が試合場に上がると、反対側の花道から対戦相手の選手が入場を始めた。
どうやらこちらは中南米の選手であるらしく、彫りの深い顔立ちに浅黒い肌、それにごつごつとした逞しい体格をしている。アイネのほうが華奢な体格であるため、これでは不公平なのではないかと思ったが――両者が舞台で向かい合うと、めぐるにも理解できた。アイネという選手は細い分、背丈が十センチばかりもまさっていたのだ。それで体重は五十二キロ以下と取り決められているため、身体の厚みに差が出てしまうわけであった。
両者はともにハーフトップにショートスパッツといういでたちで、拳には指先の出るグローブをはめている。身につけているのはそれだけで、足もとは素足であった。
アイネという選手は格闘技の選手には不似合いなほど可愛らしい顔立ちをしているが、やっぱり鍛えぬいているのだろう。手足は細いがしっかりと筋肉がついており、研ぎ澄まされた刃物のような迫力であった。
試合の舞台は八角形で、周囲は黒いフェンスに囲まれている。
アリーナ会場の客席には大勢のお客が詰めかけて、怒号のような歓声をあげていた。
めぐるたちが『ジェイズランド』で楽しいひとときを過ごしていた頃、別の場所ではこのようなイベントが行われていたのである。
それに鞠山花子たちが出場していたというのは、やはり奇妙な心地であった。
そうして、試合が始められると――まずは和緒が、「へえ」と声をあげた。
試合開始のブザーが鳴らされるなり、アイネがものすごい勢いで連続攻撃を仕掛けたのだ。それはまるでアクション映画のような迫力と格好よさであった。
いっぽう相手選手は自分の頭を抱え込むような防御の姿勢で、ひたすら逃げ惑っている。
その腕に、アイネの拳や蹴りが何発もヒットした。
「なんか、軽量級とは思えない迫力だね。あんな蹴りを一発でももらったら、腕の骨をへし折られそうだよ」
「アイネさんはグローブ空手出身で、昔っから攻撃が鋭かったんだよねー。けっこうパワーもついてきたのかなー?」
「うん。お姉が見てた頃から、階級もひとつ上げてるからね。やっぱり突出してるのはスピードとテクニックだけど、もうパワー不足とは言われてないはずだよ」
そんな言葉が交わされている間も、画面上では熾烈な攻防が繰り広げられている。
ただ、攻撃しているのはアイネばかりで、相手選手は防戦一方だ。ただし、いずれの攻撃も腕で防御しており、ダメージを負っている様子はなかった。
そして――試合時間が三分を超えたあたりで、相手選手がいきなりアイネの腰に組みついた。
そうして足を引っかけられたアイネは、あえなく押し倒されてしまう。
さらに相手選手がアイネの上にのしかかりながら拳を振るい始めたため、めぐるはぎょっとしてしまった。
「あ、あの、これは反則じゃないんですか?」
「うん。寝技の状態でも禁止されてるのは、相手の頭を蹴っ飛ばすことだけだよー」
それはまた、ずいぶん荒っぽいルールである。
繊細な気性をした栗原理乃は大丈夫だろうかと、めぐるがこっそり横目でうがかってみると――栗原理乃は思いも寄らないほど真剣な眼差しで画面を見つめていた。
「やっぱり相手は、さすがの技術だな! 胴タックルのタイミングもポジションキープのボディバランスも申し分ない!」
「相手も若いけど《アクセル・ファイト》のランカーですからね。パウンドで有効打をもらっていないアイネさんをほめるべきよ」
と、町田家のご両親も熱心に語らっていたが、めぐるには理解の及ばない専門用語だらけであった。
マットに押し倒されてしまったことで、今度はアイネが防戦一方だ。ただしこちらも、すべての攻撃を腕で防御できているようであった。
「うーん。ディフェンスの技術はお見事だけど、このままだとキツいよねー。ポイントも、相手に取られちゃうんじゃない?」
「そうだね。スタンドではずっと攻勢だったけど、このまま二分近くも下になっちゃうと……やっぱりポイントは、向こうについちゃうかな」
町田アンナと町田ローサのやりとりに、和緒が「ふうん?」と割り込む。
「一ラウンドは、五分間なんでしょ? それで三分間攻勢だったアイネさんが、ポイントを取られちゃうの?」
「うん。ポイントのつけかたって色々だけど、テイクダウンとポジションキープの分まで考えると、やっぱキビしいねー」
「ふむ。テイクダウンってのはマットに倒すこと、ポジションキープはその姿勢を維持することっていう解釈で合ってるのかな?」
「うん、そーそー。柔道の投げ技と抑え込みみたいなもんで、けっこーポイントが高いんだよー。打撃技の場合は明確にダメージを与えるか試合のイニシアチブを握らないと、ポイントになりにくいしねー」
「イニシアチブときたか。あんた、格闘技について語ってるほうが賢そうに見えるね」
町田アンナは「うるさいやーい!」と笑いながら、和緒を蹴っ飛ばすふりをする。
そんな中、ブザーが鳴らされて第一ラウンドが終了した。
アイネも相手選手も汗だくの姿で、おたがい両腕が赤く変色している。
しかしどちらも荒い息をつきながら、闘志を剥き出しにしていた。
そうして第二ラウンドが開始されると、再びアイネの攻勢である。
一ラウンド目で劣勢に立たされた屈辱を晴らすかのような、猛攻だ。時にはその拳が相手の防御をすりぬけて顔面にヒットして、蹴り足が胴体にめりこんだ。
しかし相手選手は頑丈で、どれだけの攻撃をくらってもビクともしない。
そして、相手選手が再び胴体に組みつくと――アイネはその頭を抱え込み、相手選手の顔面に膝蹴りを叩き込んだ。
空中に、ぱっと血が四散する。
めぐるは思わず、「うわ」と声をあげてしまったが――それでも相手選手は、そのままアイネをマットに押し倒した。
そうして相手選手が顔をあげると、鼻血がぼたぼたと滴り落ちる。
それでも相手選手は何事もなかったかのように拳を振るって、一ラウンド目と同じ光景が繰り返された。
下になったアイネも返り血まみれになって、いよいよ凄まじい様相である。
それでめぐるはもういっぺん、栗原理乃のほうを盗み見たが――その真剣な眼差しに変わりはなかった。
それでけっきょく、第二ラウンドも終了である。
そこで再び、和緒が疑念を呈した。
「今回は明らかにアイネさんがダメージを与えたけど、どういう採点になるのかな?」
「うーん、これはちょっと難しいなー! 相手も上を取った後は荒っぽいパウンドだけで、それ以上は動きもなかったもんねー!」
「そうだね。でも、相手も鼻血を出してるだけで、動きは落ちてなかったから……アイネさんの膝蹴りも、それほど大きなポイントにはならないんじゃないかなぁ」
「俺がジャッジなら、アイネにつけたいところだけどな! ただ、俺がアイネのセコンドだったら、2ポイント取られたからKOしてこいってハッパをかけるところだ!」
父親も入り交じり、侃々諤々の騒ぎである。
めぐるはやっぱり格闘技の試合そのものに大きな興味はひかれなかったが、慕わしい人々が熱心になっているさまを見守るのは幸せな心地であった。
(でも、想像してたよりもハードな内容だなぁ。鞠山さんやユーリさんや猪狩さんも、こんな危険な試合をするのかぁ……)
めぐるがそんな思いを噛みしめている間に、最終ラウンドが開始された。
このラウンドで決着がつかなければ、これまでの試合内容で採点がつけられるのだ。ルールも把握しきれていないめぐるには、どちらが優勢であるのかもさっぱり見当がつかなかった。
そして画面では、また同じような攻防が繰り広げられている。
ただし、アイネのほうはラウンドが進むごとに勢いが増していき――いっぽう相手選手は、見るからに動きが鈍っていた。
「おっ! ダメージはなくても、スタミナは落ちてきたみたいだな!」
「鼻血を出すと、呼吸も苦しくなるからね。これは、チャンスじゃないかしら」
「いけいけー! そんなやつ、ぶったおしちゃえー!」
町田家の面々も、いよいよエキサイトしていく。
そんな中、相手選手はまたもやアイネに組みつこうとして――そこに今度は、肘打ちが飛ばされた。
深く曲げられたアイネの肘が、相手選手の顔面に突き刺さる。
相手選手が勢いよく前進したところであったので、それでいっそうの破壊力になったようだ。
だが――それでも相手選手は突進の足を止めず、アイネの身を背後のフェンスまで押し込んだ上で、横合いに引きずり倒した。
そうしてアイネの上にのしかかると、背中を丸めた体勢で動かなくなってしまう。
とたんに客席からはブーイングの声が合唱されたが、それでも相手選手は動こうとしなかった。
「今のは、モロに入ったねー! 脳震盪を起こして、動きたくても動けないんでしょ!」
「それでもテイクダウンまでこぎつけたのは、さすがの根性だな!」
「やっぱり《アクセル・ファイト》のランカーは、技術だけじゃなくメンタルも素晴らしいわね。アイネさんは、正念場よ」
画面上では、レフェリーも相手選手に動くように指示を送っている。どうやら柔道とは異なり、ただ相手を抑え込むだけでは優勢にならないようであった。
それでも相手選手が動かないため、数十秒後には立ち上がるようにと指示が下される。
相手選手は再び鼻血をこぼしており、右目の下がぼっこりと腫れあがっていた。
そこでレフェリーがストップをかけて、ドクターと思しき人物を呼びつける。
これでついに決着かと思われたが、驚くべきことに試合はそのまま続行されることになった。相手選手は右目が半分がたふさがってしまうぐらいであったのに、ドクターストップとはならなかったのだ。
大歓声の中、試合が再開される。
アイネはいよいよ肉食ウサギの形相で猛攻を振るい、相手選手はひたすら逃げ惑った。
しかしおそらく右目の視界が覚束ないのだろう。アイネが左拳で振るう攻撃は、おおよそ顔面に命中していた。
それで右目の下の腫れはいっそうひどくなっていき、鼻血がハーフトップを赤く染め始める。
そしてアイネが最後のとどめとばかりに、左の拳を大きく振りかざすと――相手選手が思わぬ勢いで突進して、アイネの両足に組みついた。
アイネは四たび、マットに組み伏せられてしまう。
そして相手選手がまた動きを止めてしまったものだから、会場は凄まじいまでのブーイングだ。
するとアイネは、下から相手選手のこめかみを殴りつけた。
相手選手にのしかかられた体勢であるために、いかにも不自由そうな動きである。ただ、このまま試合を終わらせてなるものかという気迫をあらわにしていた。
すると、相手選手も身を起こして、拳を振るい始める。
マットで折り重なった両名が、上下から相手の顔面を殴りつけているのだ。これが本当にスポーツであるのかと、めぐるは目をぱちくりさせてしまった。
ブーイングは大歓声に切り替わり、会場はとてつもない熱狂である。
しかし試合はそれ以上の展開を見せることもなく、試合終了のブザーが鳴らされたのだった。
「いやー、惜しかったねー! 最後のテイクダウンを防いでたら、KOだって狙えたんじゃないかなー!」
「でも、あれは相手が上手かったよ。タイミングもばっちりだったもん」
「うんうん! それに最後も、根性で反撃してたからな! どっちも最後まであきらめないで、立派だったと思うぞ!」
町田家の面々が熱く語る中、栗原理乃はひっそりと息をついている。
めぐるは、そちらにこっそり語りかけることにした。
「あの……栗原さんも、ずいぶん熱心に観戦してたみたいですね?」
「え? あ、はい……アンナちゃんがもともと頑張ろうとしていた競技は、どういうものなんだろうって……つい見入っちゃいました」
そんな風に答えながら、栗原理乃はちょっぴり恥ずかしそうにはにかんだ。
そして画面上では、両選手がレフェリーの左右に並ばされている。
どちらも血まみれの汗まみれで、一滴の余力も残されていないようであった。
アイネも最後の攻防で攻撃をもらってしまったため、顔のあちこちが赤らんでいる。ただし、相手選手に至っては完全に右目がふさがれており、よくよく見れば鼻もおかしな方向に歪んでしまっていた。
「こいつはおそらく、鼻骨も眼窩底もやっちまってるな! 壊し屋の面目躍如だ!」
「壊し屋? アイネさんとやらは、そんな物騒な異名で呼ばれてるんですか?」
「うん! 他にも名勝負請負人だとかプリティモンスター・ジュニアだとか、いろいろ呼ばれてるよ! ここ最近は負けが込んでるんだが名勝負ばかりで、ついでに相手が骨折やら靭帯損傷やらの大ダメージでさ! さすがユーリの愛弟子だっていう評判なんだ!」
「プリティモンスターってのは、ユーリさんのことですか? そういえば、ユーリさんも対戦相手をぶっ壊すことで有名らしいですね。ただ、デビュー当時は十連敗とかしてたんでしたっけ」
「ほう! 和緒ちゃんも、ずいぶん詳しいみたいじゃないか!」
「いや、ユーリさんと猪狩さんの経歴をちょろっと調べただけですよ。いざご対面すると、なかなか素通りできない存在感でしたからね」
「あっ! 判定の結果が出たみたいだよー!」
町田エレンの言葉によって、和緒と父親は画面に向きなおる。
そうして発表された、判定の結果は――2対1で、相手選手の勝利であった。
これまでで一番の大ブーイングの中、相手選手の腕が高々と掲げられる。
アイネは無念そうにしていたが、それでも相手選手に握手を求めて、毅然と舞台を下りていった。
(うーん……格闘技の試合はバンドのステージと違って勝ち負けっていうものがあるから、大変そうだなぁ)
こんな大きなイベントに出場できる選手は、きっと普段から熱心に練習しているのだろう。それで試合に負けてしまったら、練習に注いだ苦労や熱情は正しく報われるのか――勝負ごとに身を置いたことのないめぐるには、まったく判然としなかった。




