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ライク・ア・ローリング・ガール  作者: EDA
-Side:V-

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336/363

09 新たな渇望


     --SIDE:N--


「いやー、初っ端からいい出来だったね! ちょっと録音しておきたかったぐらいだよー!」


 最初の合奏が終了すると、まずは中野晴佳が元気な声を張り上げた。

 定位置に戻った浅川亜季は、マイクを使って『あはは』と応じる。


『この後も、今のテイクに負けない出来栄えを目指せばいいのさぁ。まだまだ時間はたっぷりあるんだからねぇ』


「ふん。時間が尽きる頃には、初期衝動も尽きてるかもしれないけどね」


 布由井照美は、ポーカーフェイスで肩をすくめる。

 そんなやりとりを聞きながら、土田奈津実は持参したミネラルウォーターを口にした。周りの連中がとんでもない音圧で演奏するものだから、土田奈津実もいきなりフルパワーで歌うことになったのだ。


(でも、負けてたまるもんか)


 土田奈津実とて、荒っぽい曲が苦手なわけではない。ただ『ペッパーフロート』にはそういう曲を作る人間もいないし、わざわざ無理をして作る必要もなかったというだけのことだ。『ペッパーフロート』が目指しているのは、誰でもすんなり受け入れられるようなポップでキャッチーな楽曲であった。


『じゃ、次の曲にいってみようかぁ。こっちでは、あたしも歌わせていただくよぉ』


 と、浅川亜季がのほほんとした顔で土田奈津実に笑いかけてくる。

 もう片方の課題曲は、『ベイビー・アピール』の『fly around』だ。こちらの曲は『トライ・アングル』でセルフカバーされており、そちらでは男女のデュエットにアレンジされているため、浅川亜季が男パートを担当する手はずになっていた。


 土田奈津実にとっては、この曲こそが正念場である。

 言うまでもなく、浅川亜季というのは大したヴォーカルであるのだ。そして、同性である彼女は土田奈津実にとって強力なライバルに他ならなかった。


 しかも彼女はあんなにもギターが上手いのだから、歌でまで負けるわけにはいかない。

 どこにも披露するあてのないお遊びのスタジオ練習であっても、土田奈津実にとってはプライドをかけた勝負の場であった。


『あ、そうだぁ。イントロのリフなんだけど、フユっちも手伝ってもらえるかなぁ?』


 浅川亜季がそのように言い出すと、布由井照美は「あん?」と眉をひそめた。


「手伝うって、なんの話さ? 小難しいパートは、あんたが受け持ったんでしょ?」


『うん。でも、あれって二本のギターで絡みつくようなリフじゃん? ひとりだと限界があるから、フユっちにサイドのパートをお願いしたいんだよねぇ』


 それは、土田奈津実がネットで拾ったタブ譜を確認して、自分には無理だと放り出したフレーズのことである。

 布由井照美は傲然と腕を組みながら、「ふん」と鼻を鳴らした。


「どうせあんたも、アレンジしまくりなんでしょ? どんな風に弾くつもりなのさ?」


『あたしは、こんな感じだねぇ』


 浅川亜季はファズとワウのエフェクターを駆使して、凶悪な音色を紡いだ。

 確かに原曲とは異なっているようだが、別種の魅力にあふれかえった音とフレーズだ。べつだんこれ以上の音を重ねずとも、十分に通用する出来栄えであろう。こんなフレーズを作りあげるのも弾きこなすのも、土田奈津実には逆立ちをしても真似できない所業であった。


「……もういっぺん弾いてみなよ。中野、カウントをお願い」


「オッケー!」と応じながら、中野晴佳はハイハットでカウントを刻む。

 そして――浅川亜季の紡ぐ音色に、布由井照美の紡ぐ音色が絡みついた。


 ベースとも思えないほど、歪みに歪んだ音色だ。さっきの曲では音圧がブーストされる重々しい歪みであったが、今回は金属的な硬い音色であった。

 まるで稲妻が交錯するように、二人の音色が絡み合う。

 その迫力に、土田奈津実は息を呑むことになった。


『いいねいいねぇ。曲中でも、好きに暴れちゃってよぉ。遠慮はいらないからさぁ』


「ふん。あんたたちに遠慮する理由はないよ」


「それじゃー、試しに合わせてみよっかー!」


 中野晴佳がスティックを振り上げると、布由井照美は「ちょっと待った」とストップをかけた。

 そして、首の横で結っていたシュシュを外すと、細かくスパイラルしたロングの黒髪を頭の天辺でひっつめなおす。そうすると、シャープに引き締まった顔が剥き出しになって、いっそうの凛々しさであった。


「おー、かっちょいー! ライブでも、そんな風にはしてなかったよねー?」


「うるさいね。こっちは、いつでもオッケーだよ」


「りょうかーい! ナツさんも、オッケーかなー?」


 土田奈津実は無言のままうなずき、マイクスタンドの前に立った。

 これまで以上の重圧が、双肩にのしかかってくる。この三人が大した力量であることは先週のライブで思い知っていたはずだが――同じ場で音を鳴らすと、その迫力は段違いであった。


(ていうか、布由井なんてもともと一番上手いのに、別人みたいな迫力じゃん。こんなの、詐欺だよ)


 土田奈津実は呼吸を整えながら、ギターを構えなおす。

 今は、このギターが重荷であった。こんな強烈な三人に対抗するには、簡単なバッキングですら足枷になってしまいそうだった。


(自分のバンドじゃ、こんな気持ちになることはなかったのに……)


 そうして、演奏が開始された。

 中野晴佳がタムをロールして、それを合図にギターとベースのリフが奏でられる。そこにドラムのバスドラとハイハットワークが加えられると、先刻以上の迫力であった。


 それで八小節を終えると、ドラムはミドルテンポの16ビートになり、ベースは歪んだサウンドのまま本来のフレーズに戻る。そして、土田奈津実もギターのバッキングを重ねた。

 浅川亜季はリフを進行させた、妖しくメロディアスなフレーズだ。

『ベイビー・アピール』はヘヴィロックであるため、『ワンド・ペイジ』の楽曲よりも重々しい迫力に満ちていた。


 Aメロに入ったならば、土田奈津実は最初から全力で歌いあげる。

 浅川亜季と交代するのは、Bメロだ。それまでに、土田奈津実は自分の居場所を確保しなければならなかった。


(どうせあんたは、こういう曲も得意なんでしょ? でも、主役の座は譲らないよ!)


『トライ・アングル』のセルフカバーでも、主役を張っているのは女ヴォーカルであるのだ。そのパートを受け持った土田奈津実は、浅川亜季を上回る存在感を示さなければならなかった。


 そうしてBメロに移行したならば、浅川亜季の歌声が響きわたる。

 さすがに先週のライブで見せていた野獣のごとき迫力はなりをひそめていたが――そんな無理をする必要がないぐらい、力強くて魅力的な歌声だ。案の定、彼女の歌声はこの楽曲にもマッチしていた。


 そして彼女はその歌声だけで申し分ない存在感を見せつけながら、難解なるギターのフレーズを弾きこなしている。

 本家の『ベイビー・アピール』ではヴォーカルがサイドギターであり、リードギターが別にいるのだ。今の彼女は、ひとりでヴォーカルとリードギターのパートを受け持っているわけであった。


(……絶対に、負けるもんか!)


 土田奈津実は懸命にギターをかき鳴らしながら、サビのメロディを歌いあげた。

 そこに、ハモりのパートを受け持った浅川亜季の歌声が絡みついてくる。

 その瞬間――電撃のような感覚が、土田奈津実の全身を駆け巡った。


 ツインヴォーカルは『ペッパーフロート』で嫌というほど体験しているのに、それとはまったく異なる感覚が襲いかかってきたのだ。


 ぐいぐいと背中を押されるような――そして、もしも自分が立ち止まったら、そのままその場に取り残されてしまいそうな――背中がぞわぞわするような感覚である。


 それは、自分がこれまで積み上げてきたものを打ち砕かれてしまいそうな恐怖を内包していた。

 しかし、その恐怖から逃れようとばかりにいっそうの歌声を振り絞ると――何か見知らぬ感情が、土田奈津実の胸を満たした。


(……なんだよ、これ?)


 まったくわけもわからないまま、土田奈津実は必死に歌声をほとばしらせる。

 そうすると、浅川亜季の歌声はいっそうの圧力でもって背中にのしかかってきたのだった。



     --SIDE:A--


 二時間の練習時間が過ぎ去ると、壁に設置された照明器具がちかちかと明滅し、スタジオのスタッフが入室してきた。


「お疲れ様です。次の予約が入ってるんで、搬出をお願いします」


 返事をする人間は、いなかった。

 誰も彼もが、この二時間で完全燃焼することになったのだろう。少なくとも、浅川亜季にとってはそれがまぎれもない事実であった。


(まいったなぁ。これはさすがに、予想以上だったよぉ)


 内心でそんなつぶやきをこぼしながら、浅川亜季は機材を片付けた。

 他の面々も、黙々と片付けに取り組んでいる。そうして全員でスタジオを出て、大量の機材を抱えた布由井照美が二往復するのを待ち、ロビーのテーブル席に着席したところで、中野晴佳が声を張り上げた。


「いやー、楽しかったね! こんなに楽しいスタジオは、初めてだったかもしれないよ!」


 中野晴佳のくりくりとした目は、おひさまのように輝いていた。

 それに「ふん」と応じたのは、ポーカーフェイスの布由井照美である。


「それはさすがに、言いすぎなんじゃないの? コピバンの練習でそんなに浮かれてたら、メインのメンバーたちの立つ瀬がないでしょうよ」


「だって、それが本音なんだもん! やっぱり、みんなはすごいんだね!」


「いやいや。それはハルっちのドラムがあってのことだよぉ。ドラムは、バンドの要なんだからさぁ」


 浅川亜季が口をはさむと、中野晴佳は子供のように「うん!」とうなずいた。


「一番へたくそなのは、やっぱりあたしだろうからさ! スタジオ前は、ちょっと不安な部分もあったんだけど……今は、そんな気持ちも吹っ飛んじゃったよ! とにかく、楽しかったんだもん!」


「……あたしは、楽しいどころの話じゃありませんでしたけどね」


 仏頂面でそんな風に言ってから、土田奈津実は浅川亜季をにらみつけてきた。


「……あんたはなんで、あたしをこのバンドに誘ったの?」


「うん? それは最初に言ったよねぇ。この顔ぶれが、あたしにとってはドリームチームだったからだよぉ」


「だけど、あんただってヴォーカルじゃん。ひとりでギターもヴォーカルもこなせるなら、あたしなんて必要ないでしょ」


 土田奈津実は、どこか感情を持て余している様子である。

 しかしそれは、浅川亜季の側も同じことであった。彼女は、浅川亜季が期待していた以上の歌声を披露してくれたのだ。


「それはあまりに、謙遜が過ぎるってもんだよぉ。あたしひとりじゃ、あんな迫力は出せないからねぇ」


「うん! あれは絶対に、二人の歌があってのことだよ! あんなにタイプが違うのにあんなにがっしり噛み合うなんて、すごいよねー!」


「ふん。声質の違いが、奇跡的にいい結果を出したみたいだね。まあ、シャウト系は浅川に一日の長があるってだけで、歌唱力そのものは互角でしょ」


 残る二人がそのように言いつのると、土田奈津実は同じ表情のまま押し黙った。

 そして浅川亜季がさらなる声をあげようとすると、中野晴佳がそれに先んじて口を開いた。


「そこで、お願いがあるんだけど! このメンバーで、またスタジオに入らない?」


 とっさには、誰も返事をしようとはしなかった。

 その反応をどう取ってか、中野晴佳は慌てた顔で言葉を重ねる。


「このバンドを一回きりで終わらせちゃうのは、もったいないよ! メインのバンドのお邪魔にならないように、余裕のあるペースでいいから――」


「うーん。それはちょっと、賛成しかねるなぁ」


 浅川亜季が口をはさむと、中野晴佳は「そっか……」と肩を落としてしまう。

 そんな彼女のために、今度は浅川亜季が内心を吐露することにした。


「あたしはこのバンドで、オリジナルの曲にチャレンジしたいんだよねぇ。余裕のあるペースなんて、たぶん我慢できないなぁ」


「オリジナル? あんた、もとのバンドを投げ出す気かい?」


 布由井照美が鋭く問い質してきたので、浅川亜季は「うん」とうなずいた。


「正直に言って、もうあっちのバンドには未練がないんだよねぇ。こんなに楽しい演奏を味わっちゃったら、なおさらさぁ」


「……もしかして、この一週間で何かあったの?」


 と、中野晴佳が心配げな眼差しを向けてくる。

 浅川亜季は持参したタオルで頭をかき回しながら、「まあねぇ」と応じた。


「ま、今さら隠す必要はないかぁ。実はまた、メンバーの二人に告られちゃったんだよねぇ」


「はあ? この一週間で、二人から? なんでまた、そんなことになったのさ?」


「この前のライブで、あたしに惚れなおしたんだってよぉ。こっちはそんなつもりで、死力を振り絞ったんじゃないってのにねぇ」


 そのように語りながら、浅川亜季は溜息をつかずにすんだ。

 いま目の前にいる三人が、浅川亜季の喪失感をどこかに吹き飛ばしてくれたのだ。


「もうあの二人とわかりあえないってことは、痛いぐらいに理解できたからさぁ。この一週間は、無念の思いを今日のための練習にぶつけてたんだよぉ」


「そっか……それは、大変だったね」


 そう言って、中野晴佳は毅然と頭をもたげた。


「それじゃああたしも、『バグライフ』を脱退するよ!」


「あんたまで、いきなり何を言ってるのさ。そっちはきっちりステージをこなせてるんだから、もうちょっとしっかり考えな」


「ううん。あたしはやっぱり、人間性も重視したいんだよ。あたしがあれこれ愚痴ったとき、みんなは親身になってくれたでしょ? この四人だって、考え方や性格はバラバラだけど……一番大切な部分はずれてないって、実感できたの」


 中野晴佳は真剣な眼差しのまま、にこりと笑った。


「それで音まで最高だったら、もう逃げようがないもん。他のみんなは掛け持ちでもいいけど、あたしはこのバンドに全力を注ぎたい。だから、『バグライフ』を脱退する」


「やれやれ。その場の感情で大事な決断をして、あとで泣きを見ないようにね」


 そんな風に語りながら、布由井照美はテーブルに頬杖をついた。

 浅川亜季は身を低くして、その端整な顔を下から覗き込む。


「それじゃあ、フユっちはどうかなぁ? 今でも三つのバンドを掛け持ちしてるそうだけど、そこにこのバンドを加えてもらえる?」


「……それは、活動内容によるね」


 切れ長の目で浅川亜季の顔を見下ろしながら、布由井照美はそのように言い放った。


「オリジナルの曲を作って、その後はどうするの? ライブのペースは? 音源の録音は?」


「そんなのは、バンドの音がまとまってからのことさぁ。あたしはただ、このバンドでめいっぱい暴れたいだけだよぉ」


「計画性は、皆無なわけか。まあ、私がやってるバンドのひとつは、あくまでサポートだからね。それを上回るやりがいがあったら、こっちを優先してやらなくもないよ」


「やったぁ。それじゃあ、ナツっちはどうだろう?」


 浅川亜季が振り返ると、土田奈津実は唇を噛んだまま押し黙っていた。


「そっちのバンドとは路線も違うから、掛け持ちでも楽しめるんじゃないかなぁ? さっきは楽しむどころじゃなかったって言ってたけど、少なくともやりがいはあるでしょ?」


 浅川亜季が言いつのると、土田奈津実はしぶしぶ口を開いた。


「……あたしは上を目指すために、バンドをやってるんだよ。楽しさだのやりがいだのは、二の次さ。それに……やるんだったら、全力だ。掛け持ちなんて、冗談じゃないね」


「そっかぁ。じゃあ、どうかこっちのバンドを選んでもらえないかなぁ?」


「……このバンドに、あたしは必要なの?」


「うん。さっきも言ったけど、今日の楽しさは二人がそろってこそだよぉ。あたしの作る歌を、ナツっちにも歌ってほしいんだぁ」


 土田奈津実はもういっぺん唇を噛んでから、おもむろに立ち上がった。


「……こんな話に、即答はできないよ。一週間後に返事する」


「じゃ、来週も同じ時間にスタジオを取っちゃおっかぁ。そうしたら、嫌でも顔をあわせることになるしねぇ」


「勝手にしな!」と言い捨てて、土田奈津実はギグバッグとエフェクターボードをつかみとる。そして、小走りでスタジオを出ていった。


「……あいつは確かに、一番難しい立場かもね。歌の実力が同等の上に、ギターではかなわない相手から誘いをかけられてるんだからさ」


「うん。でも、ナツっちがいないとこのバンドは成立しないからさぁ」


 浅川亜季は、本心からそのように答えた。

 浅川亜季と土田奈津実は、それぞれが異なるスタイルで『ベイビー・アピール』の楽曲を歌いあげることができた。そんな真似ができる女ヴォーカルが二人も居揃うことなど、そうそうありえないのだ。すでに浅川亜季の脳内では、自分の曲を独自の魅力で歌い上げる土田奈津実の歌声が鳴り響いてやまなかった。


 そして、その演奏には布由井照美と中野晴佳が必要であるのだ。

 力強く流麗なるベースと、荒々しく野太いドラム――そこに自分のギターが重なることで、思いも寄らないほどの化学変化が生じたのである。浅川亜季が抱え込んでいた渇望はこの二時間できっちり埋め尽くされると同時に、新たな渇望を呼び起こしたのだった。


 この四人であれば、今度こそ理想のバンドを作りあげることができるかもしれない。

 そんな風に考えると、浅川亜季は顔がほころぶのを止めることができなかったのだった。

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