02 冬と夏
--SIDE:F--
「はあ? リハに来られないって、どういうことさ? ライブの当日に、なんの急用が入るっての?」
布由井照美が険悪に言いたてると、電話口の向こうの相手はのらりくらりと適当にかわした。
「あのさ、それじゃあ言い訳になってないよ。いくらヴォーカルだって、音響の調子は確認しておかないと――」
すると、後部座席でくつろいでいたドラムの拓郎が「もういいよ」と言い捨てた。
「あいつが来ないって言ったら、もう来ないだろ。血圧を上げるだけ、損だって」
「……あのねぇ。あんたたちが甘やかすから、こいつがつけあがるんじゃないの?」
布由井照美は自前のワゴン車を運転しながら、スピーカー機能で通話していたのだ。相手は同じバンドでヴォーカルを担当する美玲という女性である。そして、こちらが拓郎の相手をしている間に通話が切れていたため、布由井照美は盛大に舌打ちすることになった。
「やっぱりこいつ、新曲の件でふてくされてるんじゃないの? いっぺんビシっとシメておかないと、のちのち厄介だよ?」
「美玲に文句をつけられるのは、お前ぐらいだよ。そこはやっぱり、同性の強みだよな。俺なんか、もうあの肺活量でわめかれるだけで萎えちまってよ」
「だらしないね。それでも、バンマスなの?」
「しめつけるばっかりが能じゃねえだろ。ただでさえ、うちらは我の強い人間の集まりなんだからよ」
布由井照美はもういっぺん舌打ちをしてから、路肩に車を寄せた。文句を言っている間に、ライブハウスに到着してしまったのだ。
そうして二人がワゴン車を降りると、店内から見慣れた顔が現れる。ギター担当の、颯真である。
「お疲れさん。美玲はリハをバックレだって? 相変わらずの、女王様だな」
「ああ。照美はわざわざ電話で文句をつけてたよ。俺たちの分まで血圧をあげてくれたんだから、感謝しとこうぜ」
拓郎は坊主頭にニット帽をかぶり、エスニックな柄のキルティングジャケットとバルーンパンツというゆったりとした格好をしている。いっぽう颯真は肩まで届くドレッドヘアーで、サイケデリックなタイダイ柄のアウターとベルボトムだ。
布由井照美もエスニックなファッションを好んでいるため、一見は統一感があったが――それでも少しずつ、センスがずれている。それはまた、バンド内の音楽性にも反映されていた。
拓郎はファンクとラテンミュージック、颯真はブルースロックとジャズロック、この場にいない美玲はR&Bとゴスペル――そして布由井照美は、それらをすべてひっくるめたさまざまなジャンルを愛好している。僭越ながら、メンバー内に存在する小さからぬ間隙を埋めているのは自分であろうと自負していた。
(まあ、それはベースの役割でもあるんだろうしな)
ベースとは、バンド内のアンサンブルを司る役割である。メンバーたちがどのようなサウンドを求めているかは察せられるので、自分がほどよくバランスを取っているつもりであった。
ただ――布由井照美は最年少の十九歳であり、その次に若い美玲でも二十二歳であるのだ。音楽面ではどのような責任を担おうとも厭わないが、だらしない美玲の世話まで焼く羽目になるのは釈然としなかった。
(どうせあいつは新曲が気に入らなくてへそを曲げてるんだから、尻をふくのはあんたの役割でしょうよ)
布由井照美がそんな思いを込めてにらみつけると、颯真は「なんだよ?」とへらへら笑った。
「手伝うから、さっさと搬入しちまおうぜ。ぐずぐずしてると、リハの時間になっちまうぞ」
「ああ。美玲の分まで、気合を入れないとな」
そんな風に応じながら、拓郎は飄々と笑っている。その軽妙な人柄は本来彼の美点であるはずであったが、美玲の我儘を放置する場面では欠点に転じていた。
(きっとこいつは余所のバンドが充実してるから、細かいことが気にならないんだろうな)
拓郎はかなりの実力者であるため、さまざまなバンドからヘルプを頼まれているのだ。
ただし、布由井照美もそれは同様である。布由井照美は現時点でも三つのバンドを掛け持ちしており、その片方は都内でもそれなりの評判を呼んでいた。
ただしそちらはバンドというよりもラッパーとコンポーザーのユニットであり、それぞれが本業の合間に楽しむ息抜きの活動であるのだ。そこに生ベースの音も欲しいという声があがり、布由井照美が引っ張り込まれただけの話であった。
そちらの活動も有意義かつ刺激的であるものの、布由井照美としては庭場の外で武者修行をしているような感覚だ。
もう片方のバンドはサポートメンバーという形式を取っているため、やはり本命はこの拓郎たちと活動している『ソル・ド・スー』なのである。
どのメンバーも実力的には申し分ないし、人間関係もそこまでこじれていない。ただ、布由井照美がいささか短気であるために、美玲とぶつかる機会が多いだけのことだ。それを理由に、このバンドをあきらめるつもりはなかった。
しかしその反面、完全に充足しているとは言い難い。
何か、最後のピースが埋まっていないような感覚であるのだ。
この欠落感は、いったい何なのか――布由井照美はそれを見定めるために、四六時中気を張っているような心地であったのだった。
--SIDE:N--
「おっ、あのベース、なかなかいい感じだな」
『稲見ジェイズランド』に足を踏み入れるなり、ヴォーカルのナイトはそう言った。
ステージでは、トリのバンドがリハーサルに取り組んでいる。その音量に負けない声量で、土田奈津実は「あのさ」と尖った声をあげた。
「あんた、いい加減にしてよね。あれだけモメて、まだ凝りてないの?」
「何がだよ? いい感じって言っただけだろ」
「それが演奏のことだったら文句はないけど、あんたにベースの良し悪しなんて理解できないでしょ」
「うるせえな。誰が聴いたって、腕もいいだろ」
ナイトはすました顔で、ステージのほうに向きなおった。
同じ方向を見た土田奈津実は、おもいきり口もとをひん曲げる。ステージ上でベースを鳴らしている女性はどこからどう見ても美人であり、ナイトが悪い虫を騒がせていることは明白であった。
一見は大人っぽいルックスであるが、きっと二十歳そこそこなのだろう。細かくカールするスパイラルヘアーを首の横でゆったりとまとめて、しなやかな指先を指板に走らせている。すらりとした長身をエスニックな柄のワンピースとブラックのスキニーパンツというファッションに包んでおり、首から垂らしているのはウッドビーズのネックレスだ。そういったファッションや凛々しい雰囲気まで含めて、文句なく魅力的な女性であった。
(こいつ、ああいう美人系に弱いもんな。……おかげで、こっちは助かってるけどさ)
もしもナイトの魔手がメンバー内にまで及んでいたならば、さすがにバンドを続けることも難しかっただろう。土田奈津実やキーボードの愛奈のビジュアルがナイトの趣味から外れていたことは、僥倖と呼ぶしかなかった。
ナイトというのは本名で、漢字では「夜」と表記する。
まごうことなきキラキラネームであるが、ナイトはルックスも光り輝いているのだ。おかげで自分たちのバンドもそれなり以上の人気を博しているわけだが――それと同時に、ナイトの女癖の悪さに悩まされているのだった。
「おー、やっぱこいつらは、レベルが違うなぁ。これじゃあさすがに、トリを譲るしかねえや」
後から入室したドラムの道雄が、ベースの賢哉に呼びかける。内気な賢哉は、「そうだね」としか答えなかった。
キーボードの愛奈は、きょとんと目を丸くしている。ステージ上の演奏に、圧倒されているのだろう。確かにこれは、ひとつレベルの違っている演奏であった。
「……でも、誰も歌わないな。まさか、インストじゃないだろ?」
「う、うん。『ソル・ド・スー』は、女性ヴォーカルのはずだよ。ゴスペルの経験者らしくて、すごい歌唱力なんだ」
「へえ、さすが賢哉はよく知ってるな。……ま、俺らはトリ前なんだから、気張る必要もねえや」
そんな言葉を聞きとがめた土田奈津実は、勢いよくそちらを振り返ることになった。
「ちょっと、そんな弱気でどうするのさ? こいつら目当ての客をぶんどるぐらいの気合を見せなよ。そのための、ノンジャンルイベントでしょ?」
「こんな渋い音楽を目当てにするような連中は、俺たちなんざに見向きもしねえだろ」
「そんな軟弱な考えで、やっていけると思ってんの? だいたい、あんたたちは――!」
土田奈津実がそんな風に言いかけたところで、店のスタッフが駆けつけてきた。まだ若そうだが、やたらと体格のいいスキンヘッドの男性である。
「あの、リハ中なんで、大声は控えてください。……トリ前の『ペッパーフロート』さんですよね? セット表をお願いします」
厳つい顔立ちをしているが、とても柔和な物腰である。
しかし、顔立ちと体格だけで恐れ入った道雄は「すんません」と頭を下げながら、セッティングシートを受け取った。
その間、ナイトはにやにやと笑いながらステージのほうを見やっている。
つい先日にも対バンの女性メンバーにちょっかいをかけて痛い目を見ているのに、まったく反省していないのだ。土田奈津実のストレスは、上昇するいっぽうであった。
『オッケーです。中音はどうですか?』
やがて演奏が終了すると、PAブースのスタッフが礼儀正しくも無感情な声をマイクで響かせる。ステージ上ではドレッドヘアーのギタリストがベースとドラムに確認をした上で、頭の上に大きな輪を作った。このバンドはコーラスがいないらしく、マイクが立てられていなかったのだ。
『それじゃあ、本番もよろしくお願いします』
PAスタッフのそんな声を聞きながら、土田奈津実たちも出陣の準備を整えた。
その間に、新たなバンドのメンバーたちが客席ホールに下りてくる。その姿を見て、ナイトが「へえ」と声をあげた。
「こっちは、ガールズバンドか。今日はツブがそろってるな」
土田奈津実は、おもいきり溜息をつくことになった。そちらのバンドは女性の三人組で、誰もが整った容姿をしていたのだ。
土田奈津実が真っ先に目をひかれたのは、スネアとバスドラペダルのケースを抱えた女性である。目がくりくりと大きくて、ちょっと中性的だが実に可愛らしい顔立ちをしている。ただ、ボリュームのある髪を長くのばしておさげにしていたが、もっとすっきりとしたショートヘアーのほうが似合うのではないかと思われた。
しかしその女性は土田奈津実に劣らず小柄で子供っぽい雰囲気であるため、ナイトの目にはとまらないだろう。問題なのは、残る両名であった。
そちらはどちらも中背で、片方は細身の美人系、もう片方は綺麗と可愛いの中間といった具合だ。より容姿が整っているのは美人系のほうだが、もう片方はちょっと野暮ったい雰囲気がありながらも、やたらと肉感的なプロポーションをしており――どちらも、ナイトの色欲をかきたてる恐れがあった。
(まったく、カンベンしてほしいなぁ。三人もターゲットがいたら、こっちはガードしきれないよ)
そんな思いを抱え込みながら、土田奈津実はステージへと足を向けた。
そこで、トリのバンドの女性ベーシストとすれ違う。近くで見ると、こちらはやっぱり一番の美人である。なにやら不機嫌そうな面持ちであるが、切れ長の目が凛々しくて、立ち居振る舞いも颯爽としていた。
(一番アブないのは、やっぱこいつか。まあ、見た目通りの性格だったら、ナイトなんて相手にもしなそうだけど……女は、わからないからなぁ)
同じ女でありながら、土田奈津実はそんな感慨を噛みしめる。ナイトのせいで、土田奈津実は男女の醜い一面をあれこれ目の当たりにすることになったのだ。軽薄きわまりないナイトも、それにほいほい引っかかってしまう女たちも、土田奈津実から見れば同じぐらいの馬鹿らしさであった。
(モテるためにバンドを始めるってのはよく聞く話だけど、それでバンド活動に支障が出たら意味ないじゃん)
土田奈津実はギターを抱えて、アンプの電源をオンにした。
しかしこちらよりも早く、ナイトが軽妙なギターサウンドを鳴らす。『ペッパーフロート』は五人編成で、男女のヴォーカルがどちらもギターを担当するという、あまり見ないスタイルを取っていた。
ただし、ギターの腕はどちらも並であり、ソロパートなどはほとんど存在しない。間奏で見せ場を作るのは、ベースやドラムやキーボードの役割であるのだ。そして何より、楽曲ではツインヴォーカルの強みを前面に押し出していた。
土田奈津実は歌に絶対の自信を持っているし、ナイトもルックスだけの人間ではない。なおかつ、土田奈津実もルックスに自信がないわけではないので、総合的に『ペッパーフロート』は高い水準に達しているものと自負していた。
さきほどの『ソル・ド・スー』というバンドはずいぶんな実力であったが、いかにも玄人うけしそうな曲調だ。ギターとドラムはすでに二十代の半ばを過ぎているようであるし、もうメジャーデビューを目指すには遅いのではないかと察せられた。
まあ、彼らがどのような思いでバンド活動をしているのかは知らないが、土田奈津実の目的はただひとつ、音楽で成功を収めることである。
この『ペッパーフロート』であれば、上を目指すことができる。ただ問題であるのは、ナイトの女癖の悪さだ。こうまでお客や同業者を食い散らかしていたならば、いずれはイベントの主催者やライブハウスの関係者から愛想を尽かされる危険があった。
(特に、同業者はまずいよな。さっきのベースには、きちんと忠告しておかないと)
土田奈津実がひそかにそんな思いを固める中、リハーサルが開始される。
そしてそこに、新たな人物が客席ホールに姿を現した。
ギターケースとエフェクターボードを抱えているので、こちらも本日の出演者であるのだろう。
真っ赤な髪をざんばらにのばして、くたびれたワークジャケットにダメージデニムとエンジニアブーツといういでたちをしている。いかにも骨太系のロックサウンドを好んでいそうな風体であった。
かったるそうにひょこひょこと歩くその姿からは、女らしさが微塵も感じられない。
だが、照明のスタッフがテストでライトを明滅させると、そのざんばら髪に半ば隠されている顔がはっきりと浮かびあがり――土田奈津実に、溜息をつかせた。ちょっと眠たげな目つきをしたその女性も、それなり以上に容姿が整っていたのだ。
それによくよく観察してみると、プロポーションも悪くはない。男のような格好をしていても、女性らしいシルエットが見て取れるのだ。背丈も百六十センチ以上はありそうで、『ソル・ド・スー』の女性ベーシストとはまったく異なるワイルドな魅力が感じられた。
それで土田奈津実がギターを鳴らしながら、横目でナイトのほうを盗み見ると――案の定、ナイトは喜悦の光がちらつく眼差しをその女性のほうに向けていた。
(……マジで、カンベンしてくれないかなぁ)
土田奈津実は憤懣の思いを込めて、必要以上にギターをかき鳴らすことになった。




