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後編

 ああ、そうなんだと納得した。


 何度やり直そうとも私の寿命は決まっているのだ。他の人々は、私さえいなければ自分の寿命をまっとう出来るのだ。


 私は自分の亡骸を見下ろしながら考えていた。トーマスも義父も義母も、畑で倒れた私に駆け寄って、頬を叩いたり、呼び掛けたりしていたが、息を吹き返さないことを知り、その場で泣きわめいていた。


 ああ……。こんなところなど見たくはない。でももうすぐ女神アデンが来て、私を過去に連れていくのだろう。

 そしてもう一度、人生のやり直しをさせるのだ。


 今度はトーマスのことを忘れてしまうかしら? ハリーのことも。クリスティンのことも……。


 またハーヴェイと豪奢な暮らしをして人々を苦しめるのかしら。そればかりは嫌だわ。

 それならば一粒の麦になりたい。そして大地に広がって人々の腹を満たすほうが、何千倍も有意義だわ。


 ああトーマス。そんなに悲しまないでちょうだい。ベラもジャックも。

 私はまたあなたたちを殺すかもしれないのに。そんな私の亡骸なんて、山にでも打ち捨ててしまって。


 三人は、陛下から賜った馬を引いてきて、丁寧にその背に乗せ、ゆっくりと家まで運んだ。

 私の死を領主の伯爵に伝えると、彼も大層嘆き、葬式の費用をたくさん出してきた。


 私の亡骸は、上等な棺に入れられ、小高い丘に埋められることとなった。


 いけない、いけない、いけない。


 どうか村の皆さん、そんな私のために仕事をほったらかしにして穴なんて掘らなくていいわ。すぐに帰って仕事の続きをしてください。

 どうしてみんなそんなに泣いているの?


 結構なことじゃない。悪い女王が死んで、みんな喜んで祭りをするべきことよ……。

 ああ、今回は私は悪い女王ではなかったのか。ただトーマスのためにと生きた人生だったわ。


 楽しかった。友達もたくさん。クリスティンという最高の親友も出来た。これがよい人生だと威張って言えるわ。


 でも私はまた時代を彷徨い、人々に償いをしなくてはならないのだわ。


 たくさんの人々が私の墓の前で、悲しみながら敬意を払い、花を捧げて行く。

 トーマスも何日も悲しんで仕事を忘れてしまったようになっている。

 ハリーは私が死んだことに気付いていないのか、たくさんの人々がいることが楽しいのだろう。ベラに手を繋がれてニコニコしていた。

 それでいいのだわ。子供なのだもの。早くお庭を走り回るといいわね。


 二週間経つと、輝く六頭だての馬車が丘に現れ、中からクリスティンとオズワルドが飛び出してきた。

 あなたたち、何やってるの? 王太子とその貴妃であるあなたが、土に膝をついて私を弔うなんて。

 それに貴人のあなたたちがこんなところに来て、命を狙われたらどうするの? 早く早く帰ってちょうだい。


 あああ! そんな大きな石碑なんて立ててどうするの。無駄だわ。それで何人の人々の腹を満たせるのかしら?


「ねぇアリアーナ……。あなた本当に幸せだったのかしら? 私には分からないわ……。貴族の地位も、司祭の位階も捨ててしまい、土と暮らす生活を選んだあなたは、苦労だけの人生だったのではなくて? でもあなたはきっと違うと言うのだわ。ねえ教えてちょうだいよ。私は何をすればいいの? アリアーナ。あなたという先生がいなかったら、私たちは地図を失ったも同然なのに……」


 どうして……? どうしてクリスティン、そんなことを言うの? 幸せに決まっているじゃない。これ以上の幸せがあるなら、私はもう一度やり直したいわよ。

 でもね、おそらくこれ以上の幸せなんてないわよ? トーマスがオズワルドと肩を組んで共に悲しみ、おそれ多くもハリーがあなたに抱き上げられている。


 夢のようだわ。そこに私がいないのが残念なくらい。でも結構だわ。私にはこれがお似合いよ。

 とても満たされた人生だったわ。


 さあ女神アデン。私を連れて行って。もうみんなが悲しむところを見てはいられない。


 願わくば、もう一度こんな人生を送りたいものだわ──。





 しかし、アデンは現れなかった。私の喪があけて、トーマスは両親と共に畑に出ていたのに。

 都では私の国葬が一週間行われたと聞いた。馬鹿なことをしないでクリスティン。私が国のために何をしたと言うの?

 それで国民が疲弊したのなら、私は女王でなくとも人々を苦しめたことになるわ。


 一ヶ月、三ヶ月、半年、一年。

 私はただ、トーマスとハリーの成長を眺めていた。トーマスもようやく立ち直って、前のように仕事に精を出し始めた。トーマスは私を忘れてしまったのかしら? それはとても悲しいけど仕方がないわ。働き者の後妻さんが来ても私は悔やみはしない。と言えばウソになるけど……。

 ハリーにも母親が必要かもしれないし、そのときになったら仕方がないことなのだわ。




 二年、三年、五年、十年──。

 トーマスは後妻をとらないで過ごした。ハリーもすくすく育ち、元気のいい若者になっていたが、やんちゃが過ぎるようで、トーマスに怒鳴られる毎日だ。

 やはり母親のいない寂しさから、彼はそんな行動に出るようになってしまったのかもしれない。


 14歳になったハリーは、トーマスと口論になってその一ヶ月後に、都に行くから家を出ると言ったのだ。


「馬鹿な、ハリー。母さんのいたこの家を捨てて都に出て何をすると言うのだ!」

「僕はこんな田舎暮らしなんて真っ平ごめんです。勉強して、裕福な暮らしをするんです」


「お前はなんと言うことを。母さんが聞いたらどんなに悲しむことだろう……」

「その母さん、母さんってのも嫌なのです。顔も知らない母さんが倹約生活したからなんだって言うのです。馬鹿馬鹿しい。そんなに死んだ母さんが偉いなら、なんでこの家は貧しいのです。無理が祟って死なれるより、だらけても僕は生きていて貰った方が良かった」


 トーマスは、ハリーを掴んで頬を思い切り叩いていた。ハリーは怒気を放って、僅かな荷物を取ると家を飛び出してしまった。


 ああトーマスとハリーが仲違いするなわてウソよね? 私が早くに死んだために、ハリーが家を飛び出してしまうなんて。

 やはり私はダメなのだわ。私がやったことが後々まで人を悲しませる結果になるなんて……。




 考えたが、ハリーについていくことにした。トーマスは大人だし両親も健在なのでなんとかなると判断したからだ。


 でもハリーは子供だし、どうやって都に行くのかしら?

 ハリーの小さなバックを覗くと、それなりのお金と手紙が入っている。どうやら実家のデジテット子爵家の兄がハリーを援助して都の学校に通わせる手続きをしてくれたようだった。

 ハリーは伯父を頼ってそんなことをしていたなんて。この子は都で何をしたいのかしら?


 乗り合いの大きな駅馬車に乗って、都を目指す彼の目は輝いているが、心配だわ。この子は私に似て野心が強いのではないかしら? そうなったら怖いわ。どうしましょう。


 一週間の旅程を経て、都に近付くと目の前には大きな河が広がり、駅馬車は大きな橋を渡り始める。この先には大都市があるのだ。

 その時だった。乗り合わせた客たちは帽子を振って大声で叫んだ。


「ありがとう、シスターメリッサ!!」


 ハリーも目を丸くしたが、私も驚いてしまった。なぜ私の名前を? それともこの土地はシスターメリッサとでも言うのかしら?

 ハリーは、隣に座る中年の男に叫んだ訳を聞いた。


「なんだボウズ。相当田舎から出てきたんだな。この橋は『メリッサ橋』。先の国王陛下が、田舎に布教に行くというシスターメリッサに金貨を贈ると、『これは民のためにお使いください』と押し返されたので、この橋を立てたのよォ。おかげでリントー州とラフト州の連中も遠回りせずに都に来れる。だからみんな橋を渡るときはシスターメリッサに感謝をするのが慣例なのよ」


 そ、そう言えば国王陛下にそんなことをしたわね。ああそれでこんな立派な橋が……。でもそれって国王陛下がやったことで、私が感謝されることでもないのに。

 それに先の国王陛下ということは、今はオズワルドが国王陛下なのね。クリスティンは王妃になったんだわ。そんな二人の姿を見てみたいわ。


 ハリーは顔を上げて、その橋を見ていた。橋を抜けると、大きな石碑が立っており前には花がたくさん添えられていた。

 そして『メリッサ橋』の字とともに、橋が建てられた由来が確かに刻まれていた。


 なんだか、ハリーの様子がおかしいわ。深く思いに更けるような……。


 都に着くと、ハリーは住所が書かれた自身のアパートへと進んでいった。アパートの管理人は、大歓迎でハリーを迎え、部屋へと案内したのだ。ハリーは喜んで管理人にお礼を言った。


「都に住む人は冷たい人が多いと聞きましたが、あなたはとても良い人ですね」

「いえいえ、なにをおっしゃいます。あなたはシスターメリッサのご子息でしょう?」


「え? ええ……」

「私もね、シスターメリッサに恩を感じる一人なんです」


「恩を?」

「ええ。国王陛下の兄君が王太子時代はひどいものでね。女性を物のように扱ったのだ。私の妻も昔、美人だったがために、強制的に連れていかれてしまってね。だけどシスターメリッサが、王妃さまに訴えてくれたおかげで妻は解放されたのです。シスターメリッサは本当に天から遣わされた天使です!」


 ああハーヴェイ。あなたはなんて人なの? 市井のお嬢さんまで自分の欲望のために拐って別荘にでも監禁したんだわ。私がハーヴェイの妻だった時は、私に隠れてそういう人と楽しんでいたのね。とんでもないことだわ。

 だけど今回はクリスティンがそういうのも捜査して解決したのね……。やはりクリスティンは国の母となるべき有能な人物だわ。


 でもハリーはその話を聞いて苦笑しており、静かに部屋に入ると、ベッドに顔を埋めてしまい、そのまま朝を迎えていた。




 次の日、ハリーは初めて学校に登校した。受付では教室に行く前に教科書を倉庫から受け取るように言われて固まってしまった。そして財布を覗き込んだ。

 ハリーの伯父である私の兄は、家賃と食費と僅かなお小遣いしか渡していなかったようだ。まあ兄にしてはかなり奮発した援助金には違いないけど……。

 ハリーは持ち合わせが少ないことに顔を青くして教科書がいくらかを受付けで確認した。


「はあ? あなた『聖アリアーナ基金』をご存知ないのですか? 無料ですよ。理由はすべての教科書の最後のページに印刷されてますから、ご自分で確認してください」


 受付けの事務の女性はぶっきらぼうに答える。それにしてもまた私の名前……。ハリーも気付いたらしく、教科書を受け取ると、急いで最後のページを開いた。

 私も覗き込むと、そこにはこう記されていた。


『聖アリアーナが結婚する際に、王妃さまはお祝いとして金貨の箱を五つ贈りました。しかし聖アリアーナは受け取らず、子供たちの福祉に使って欲しいとお答えになったのです。王妃さまはそれに従い、全国の子供のために毎年貴族から基金を募り、こうして私たちの教科書や学校の設備を富貴の差などなく揃えられるようになったのです。みなさんも聖アリアーナのような人になれるべく勉強に勤しんでください』


 ………………。私は確かにそのように言ったけど、それはクリスティンの采配だわ。やはりクリスティンはすごい人なのね。


 ハリーはそれを読み終えると、学校の庭にあるベンチに腰を下ろして考えこんでしまっていた。

 そこを教師に咎められる。


「キミ。さっさと教室に入りたまえ。聖アリアーナに申し訳がたたんぞ?」


 そう言われてハリーは全身を硬直させて飛び上がった。そして教室に入り、初めての授業を受けたのだが、どうも上の空だったようで、また担当の教師に怒られ、周りの連中に笑われていた。


 ハリーはその日の授業を受け終え、疲れたように教室を出ようとすると、たちまち侍従姿の役人に囲まれてしまった。


「あ、あなたたちは?」

「ハリー・オニールス?」


「は、はい。私はハリー・オニールスですが……」

「国王陛下がお呼びです。我々と共に王宮にご同行願いたい」


「え!? 私めが陛下にですか!? 私は何も心当たりがないのですが?」

「陛下には用があるのです。外に馬車が用意されております」


「し、しかし私はこの格好で、陛下に謁見する正装も持ち合わせがないのです」

「うん……。では私のフロックコートを着て、このスカーフを巻きなさい。うんうん。まあなんとかなるでしょう」


 と、なんとか食い下がるハリーをさっさと着替えさせて使者たちは馬車に乗せてしまった。

 それにしても、急にオズワルドったらハリーになんのようなのかしら?


 バキバキに緊張して、手足の動きが一緒になってしまっているハリーは、国王の間に通されると、そこには玉座に座ったオズワルドと、クリスティンが待っていた。

 ああ懐かしい。二人とも十年経つのにあまり変わりないわ。オズワルドは少しだけ太ったかしら? でもクリスティンはあのときのまま、美しく気品があるわ。

 オズワルドはハリーを近くに呼んで話しかけた。


「おお、余の甥のハリーか。懐かしいなぁ。最後に会ったのはこんなに小さかったのにな。ずいぶん大きくなったよ。お前の父さんから手紙を預かっている。『親愛なる国王陛下。我々の息子のハリーは都に憧れているようです。私としては家族仲良く暮らしたかったのですが、本人は華々しい都に行きたいのでしょう。どうか妻の生前の(よしみ)をもって、陰ながら面倒を見てくださいませんか? それからどうかこの手紙の事は息子にはご内密に』……あ!」


 私は魂ながらも頭を抱えた。クリスティンも同じだった。オズワルド……。それにしても、トーマスったらオズワルドに手紙を書いていたのね。二人の仲が続いているのはとても嬉しいわ。


 でもハリーは緊張が最頂点のようで、それに気付いていない。そこにクリスティンが話しかける。


「ハリー、大きくなったわね? 私たちを覚えているかしら? あなたのお母様が亡くなったとき、私に抱かれて腕の中で眠ったことをつい最近のように思うわ」

「あ、あの……。恐れながら……」


「どうしたの? あなたは私たちの甥なのだから、何でも言ってちょうだい」

「無礼を承知で申し上げます。人違いではありませんでしょうか? 私の父母は農民で、母方の実家は子爵ではあるものの、王妃さまを輩出したとは聞いておりません。私が甥などと、何かの間違いです……」


 オズワルドとクリスティンは顔を見合わせてハリーに確認した。


「キミの母はアリアーナ・デジテット・オニールスだろう? 洗礼名はメリッサだ」

「は、はい」


「では間違いない。キミの母君は、妻のクリスティンの義妹で、キミは我々の甥。内緒だがキミの父のトーマスからは面倒を見るように言われている」

「ぎ、義妹!? あの、ですが、しかし……」


「ねぇハリー。私たちはあなたの伯父と伯母なのよ? 家族なの。都には頼りになる人はあまりいないのでしょう? どうか私たちを頼ってちょうだい」


 ハリーはその場に立ち尽くして、下を向いてしまったので、オズワルドとクリスティンは立ち上がってハリーを支えてやってくれた。


「どうしたの? 私とあなたのお母様は、生前、とても仲良くしていたのよ? 四季の境には、あなたのことを綴った手紙をくれていたから、あなたのことは良ぅく知っているわ」

「あ、あの、王妃さま……」


「なにかしら?」

「私は母のことを何も覚えておりません。しかし、祖父も祖母も父も村の人まで、母は素晴らしい人だと称えます。ですがその素晴らしい母は、ただ家族に倹約を強いるだけの人だと思っていたのです。ですから村は私にとってひどく窮屈なところでした。『お前の母さんは立派な人だ』『母さんのようになれ』と。そして良いことをすると必ず『さすがシスターメリッサの子だ』と言われ続けて来たのです。私は死んでしまった母をとても疎ましく感じました。生きていれば目の前でなじってやろうとも……。しかし、都に来たらそんな気持ちは間違いだと分かったのです。都の人々は、常々母に感謝し、敬っております。陛下や王妃さままで……」


「ああ、そうだったのね。アリアーナの子どもだったら、そんな悩みがあるのは当然だわ。あなたはなにも恥ずかしくないのよ?」

「はい、王妃さま……。教えてくださいませんか? 母のことを……」


「あなたの母、アリアーナは立派な人よ。王子と言えども正しい道に導き、弱いものを守り、人々に救いの手をさしのべる、まるで愛と美の女神アデンのような人よ……。彼女と義姉妹になりたいと私から申し込んだの。彼女は二度断り、三度目に受けてくれたわ。遠慮深く、奥ゆかしい三つ下の彼女の背中に、私は今でも追い付こうとしている。でもね彼女は亡くなってしまった今でも、私の先を歩いて人々導いていて、とても追い付けないでいるの」


 ああ、クリスティン。そんな風に私を思っていてくれたなんて。私はなにもしていない。どれもこれも、ただ自分の人生をトーマスとハリーの元に行くための行動だったと言うのに。


「ああ、王妃さま。私は母の子でありながらなにも知りません。私はどうすればいいですか?」


 オズワルドは泣き出してしまったハリーの肩を叩いて言った。


「ハリー。キミは母に倣って聖人を目指さなくてもいいんだ。キミはキミのやりたいことをやるべきだ。……とシスターメリッサなら言うだろう。キミは将来、何をしたい?」


 ハリーは少しだけ考えて二人に伝えた。


「私の家は農家です。私は農業学者になって、父を助け、人々の食生活を満たしたいです」


 それを聞いた二人は笑顔になって答えた。


「良く言ったハリー! キミはまさしくシスターメリッサの子だ!」

「本当だわ。アリアーナはいつも人々のことを考えていたの。あなたならやれる。きっとやれるわ!」


 ハリーは都に来てから初めて笑顔になった。クリスティンはそんなハリーへと提案した。


「そうだわ。アリアーナが入っていた修道院には、アリアーナの肖像があるの。たくさんの聖人の肖像で一番新しいからすぐ分かるわ。午前中なら男性も入れるから、明日にでも行ってみるといいわ」


 えええ!? 私が聖人とともに肖像画が並べられてる? それって、私も聖人扱いになってるってこと? まさかね……。


 ハリーは自信を持った顔立ちとなり、フロックコートとスカーフを侍従に返すと王宮を後にした。そして自室に帰ると教科書を開いて自習を始めたのだ。

 どうやらクリスティンとオズワルドがハリーに火をつけてくれたみたいね。嬉しいわ。


 ハリーは次の日の朝、早く起きて私が元いた修道院へと向かった。懐かしいわ。院主さまはお元気かしら。

 礼拝堂の左右の壁には聖人たちの肖像画が並べられている。


「あった……!」


 ハリーが見上げる先には『聖アリアーナ』とキャプションに書かれた肖像画があった。

 ハリーはずっとその肖像画を眺めており、目に焼き付けているようだった。やがて日も高くなり、男性は出されてしまう時間になると、後ろから声をかけられた。


「ずいぶん、聖アリアーナにご執心ですわね、お若い人。彼女は死してなおこうして人々の尊敬を集めます。私もかくありたいものです」


 ハリーが振り返ると、そこには院主のマリアさまが立っていた。大変懐かしい。あれからずいぶん経つもの。今は八十歳に近いんじゃないかしら。お元気でよかったわ。


「あ、あの……シスター。お聞きしたいのですが」

「何なりと」


「聖アリアーナは還俗して、教会と関係なくなったはずです。それなのに、なぜ聖人として祀られているのでしょう?」

「お若い人。聖アリアーナはそういうものを卓越したおかたなのです。彼女は貴族の地位を捨てて修道院に来ましたが、気高さを忘れませんでした。国王の前でも毅然として金品の授受を断りました。平民となっても、多くの人々を導きました。橋をかけ、孤児や子どもたちを救い、誰しもが聖アリアーナのようになりたいと切望したのです。彼女は若くして神のお側に呼ばれた今でも、私たちの心に生き続けるのです。私は少しの間でもシスターメリッサの母代わりとして暮らした日々が誇りなのですよ」


「あなたが……母の……」

「……え!? あなたが、まさか、そんな……、ああ、いいえ、メリッサの面影があるわ! あなたは……」


「はい。アリアーナの子でハリーと申します」

「ああやっぱり! なんと言うことでしょう。生きているうちにメリッサの遺児に会えるなんて! 神のお導きだわ!」


 院主さまはそこで崩れ落ちて泣き出してしまった。ハリーは跪いて彼女を慰めると、院主さまは落ち着きを取り戻し、ハリーにこう言われた。


「あなたに見せたいものがあるの」


 院主さまはハリーを修道女しか行けない奥の礼拝堂へ続く道に案内すると、書きかけの壁画がそこにあった。

 それは女神が赤ん坊を抱き締め、その傍らには女神の御手に頬擦りする男性がいる。


「これは……、先ほどの母と同じお顔ですが?」

「そうです。私が都の絵師に書かせている女神アデンの壁画です」


「女神アデンですって?」

「その通り。メリッサほど女神アデンに近いものはおりません。この傍らにいるのは、彼女の夫。そして抱いているのがハリー、あなたなのです」


 そこには、女神アデンの御姿があったが、まさに我々家族の肖像だった。


 でもこれはいけない。いけないことだわ。


 この罪人の私が女神アデンの御姿になるなんて。本物の女神アデンが来たら私を許さないかも。


 でも──。


 どういうことかしら?

 私が実際に見たアデンの姿に似ている。全てに慈悲を与え賜う姿に──。




 ハリーは院主さまにお礼をいって修道院を意気揚々と出ていった。でも私は考えてしまった。


 アリアーナ。

 シスターメリッサ。

 聖アリアーナ。

 女神アデン。


 私は、私の選んだ道を歩んできただけだ。

 修道院では、布教を許されるために位階を上げることに努力した。それには孤児や同僚たちに優しく神のように接する必要があった。それだけよ。


 橋や子どもの教科書など、王家のした政策だわ。私には関係ない。


 私が女王だったときには、一日にあれ以上の金貨を消費しても何も思わなかった。何も感じなかった。


 それが、たった三箱の金貨が、五箱の金貨が、これほどまでに人々に行き渡るなんて。


 使い方だわ。女王のアクセサリーに金貨10箱つかうなら、金貨1枚で一つの村に農具を買い与えたらいい。

 銀貨一枚で鶏を五羽買うといい。

 金貨三枚で牛を一頭買ったほうが、何倍も有益なことに今更ながら気付いたわ。


 それを国王陛下やクリスティンが実践しただけ。私の言葉が少しだけ作用しただけなのよ。


 聖人、女神、どれもこれも過大評価よ。私はなにもしてないもの。なにも──。




 それから四年。ハリーは優秀な成績をおさめて学校を首席で卒業した。彼は学者として、国立の研究所で働くことになった。


 そのうちに一丁前に学者らしく髭を生やして、結婚して、子どもを得て……。


 彼は自分の人生を歩み始めた。人々を指導し、後進を育てるとトーマスのいる実家に帰ることとなった。


 橋を渡ると、みんな声を揃えて私に感謝の声を上げる。ハリーもその家族も笑顔でそうしていた。


 そしてハリーは久々に生家の門をくぐり、驚いているトーマスと顔を合わせた。


 ああトーマスったらすっかり白髪になって。義父のジャックはもういないのね。ベラは元気そうだわ。

 そうか。ハリーが家を出て二十年になるのか……。


 二人に言葉は要らなかった。泣きながら抱き合って、トーマスは嫁や孫とともにハリーの背中を押して家の中に入れた。



 その頃の私は、もはや元の形をとどめていなかった。ただ煙のような存在で、空を漂いながら、ハリーやトーマスを見ていた。



 ああ終わったのだ。

 私は幸せな人生を送った。有り得ないことに聖人と讃えられ、女神アデンに例えられた。


 ふふ。実際の私はそんなことないのにね。


 女神アデンは私に呆れたのか、さっぱり姿を現さないわ。

 おそらく私はこの世界を煙のように彷徨うのだ。

 それが私に与えられた罰。




 でもよかった。この美しい人生を楽しめたのだから。


 トーマス。あなたは私と結婚して幸せだったかしらね? すぐに妻を亡くして子どもを育てて、そして今でも後妻をとらないなんて。

 とっても誠実な人だわ。私は幸せだったわよ。


 クリスティン。あなたは今でも私の背中を追いかけているというけど、そんなことないわ。私のほうこそ、あなたを尊敬するわよ。あなたという親友に会えて、私は楽しかったわよ。


 オズワルド。あなたは立派に国を治める王者となったわ。ハーヴェイが国を継がなくてよかったと心から思える。毅然として隣国の帝国に意見し、交流を深め、今では国の境で互いの国民が旅行を楽しめるようになったのはあなたの力だわ。素晴らしい主君よ。


 ハリー。今では誰もあなたをシスターメリッサの子なんて呼ばなくなったわね。そう、それはあなたが努力したからよ。人はそうやって自分の道を築いていくの。あなたの子どもも孫もそうしていくのよ。頑張ってちょうだい。













「ああ、女神さま、ありがとうございます」





 …………。なにかしら今の声は?

 頭の中に聞こえてくる。





「女神アデン、私たちは今度結婚するのです。どうぞ祝福を」





 そう。良かったわね。二人で力を合わせればきっと幸せになれるわよ。






「アデンさま。私たちの子どもにはメリッサと付けたいと思います」





 いいじゃない。私はその名前で最愛の人と一緒になれた。験のいい名前なのよ。大事にしてあげてね。







「ああ。アデンさま。今年は不作です。なぜ我々は苦しまなければならないのでしょう」







 ああ、私も悲しいわ。でもきっとその経験が、あなたたちをきっと、きっと大きくするのだわ。







「女神さま」




「アデンさま」




「どうか我々をお救いください」




「今年の実りを見てください。こんなにたくさん中身がつまって……」




「ああ、私はもうすぐ天に召されます。あなたのそばへ──」












 私は元は誰だったのか?


 なぜ人々から信仰を集めるようになったのだろう?


 私は荒野にあって、ひと掬いの水を湧かせる力を持った。


 雨を降らせる力を。


 麦を実らせる力を──。




 それはそれほど大げさなものではない。人々は、もっと大きな力を持つ。土を耕し、水を引き、作物を育て、どんどん増えて行く。


 私はそれを楽しく見守った。


 しかしいつしか特権階級が産まれて、人々を苦しめるようになってきたのだ。






「ああ、女神さま、我々をお救いください」


「無慈悲で無情な君主はもうこりごりです」


「私の子どもは食べることが出来なくなって死んでしまいました」


「アデンさま、どうか、どうか……」






 そう……。いつの間にか自分のことしか考えない人も増えたのね。

 でも私はそれにここから罰を与えることは出来ない。自分たちの力で解決しないと……。




 人々は力を合わせて、無慈悲な君主を捕らえ、火にかけたのだ。

 無慈悲な君主は、こちら側にやってきて、悔やむ様子もなく民衆たちを恨んでいた。


「ああ、私をこんなめに会わせた奴らを許さない。悪霊になって呪ってやる!」


 私はその悪霊の元に行き、反省するように促した。


『アリアーナ、あなたは苦しまなくてはならないわ。あなたの我が儘でたくさんの人が運命の人生を送れなかった』

「そんなこと知らない! 私は王者なのよ! 全ての富は私のものなの!」


『馬鹿なアリアーナ。あなたには人生のやり直しを命じるわ』

「何をクソ! やれるものならやってみろ!」


『さあ、もうお行きなさい。栄華の後に、恥辱にまみれた死の世界へ……』

「ああ、そんなの嫌だ! 私は、私は──」





 あの悪霊にも救いはあるのかしら? いいえ、きっとあるわ。誰かを愛し、愛される人生が。


 アリアーナ。あなたはそれを見つけるのよ。それまで、何回でも何十回でも苦しんで、自分の幸せを見つけなさい。













 黒く染まったあなたが、白くなるならきっと誰よりも白くなれる。





 まるで神のように──。













【了】

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― 新着の感想 ―
[一言] はじめましてー素晴らしい作品でした。 読んでいてぼろぼろ泣きました。
[良い点] とにかく筆力に圧倒されました。ぐいぐい読ませますね。一話目の容赦なさに驚きましたが、うわー残酷と思いつつも読むのが止められませんでした。 二話目でヒロインが真っ当になっていく過程も、丁寧に…
[一言] オチにびっくりしました! 面白かったです!
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