番外編TIPS:研究・計画編:エキドナ事変
エキドナ・アーセナルが中枢に乗り込んだアルゴ隊の「破壊工作」により沈黙し、ただ巨大なだけの肉の塊となった事で一応の解決に至った事変の名称。
一般的な認識ではエキドナ事変とは、エキドナ・アーセナルがソーテルヌ島近隣の海底から現れ、ヴァルポリチェッラに向けて南下を始めた時から起こった事変だと思われているが正確には違う。
エキドナはアーセナルとバッカスの戦いより前から魔物を生成――あるいは出産させられてきた。そうして生まれてきた魔物の中でバッカス王国が最初に出会ったのが獅子型の魔物・ネメアーであった。
ネメアー以降、世界各地でエキドナの血族たる魔物が暴れており、これら一連の戦いこそをエキドナ事変としてバッカス政府は定義し、公表している。
ただ、この事変において政府は一つの真実を隠す事にした。
エキドナは異世界人である真実を隠蔽した。
彼女は元々、部品であった。生まれた世界で類まれなる転移魔導の才を見出され、世界各地を結ぶ転移機構の人柱として組み込まれ、世界に繁栄をもたらした。事故で死亡するまで生涯の多くを一抱えほどのガラスケースの中で過ごし、転生する事となった。
転生した先で足裏で大地を踏む感触を味わったのも束の間、神の導きによってティターン士族に引き渡され、重宝された。
魔術王並みの素養を持つ彼女をさらに強化し、反バッカスの旗印にしようとしたティターン士族はエキドナを魔人化させる事にした。
これにより魔物の生成能力も手に入れたエキドナだったが、酷使もされたがゆえに弱っていき、残った僅かな力で巨人達に反旗を翻したが――子を人質に取られ、敗れた事で致命傷を負う事になった。
人間ならまだ治癒魔術を使えば良かった。しかし彼女にはもう、人間に適用出来る治癒の術は殆ど効果が無くなっていた。
ティターン士族は自分達の「やりすぎ」を棚にあげ、嘆き、エキドナを廃棄する事を決めたが――人間の赤児の時から魔物として改造されていたサーベラスが母を助けるために抵抗し、彼らの計画は頓挫する事になった。
エキドナは瀕死の状態にあったが、生かされる事になった。
計画に協力していた騒乱者がエキドナを復活させていた。
彼は誘拐した者達を――エキドナに施した技術の前身となるものの――実験体としており、魔物に近しい存在になったエキドナの治療も何とか完了させていた。
エキドナ以外の実験体となっていた者達はその騒乱者が調係により捕らえられた後、バッカス王国に保護されたが何とか生きているうちに保護された者のうち半数以上が実験の後遺症で寿命が尽きる事となった。
生き残った者も手放しに助かったといえる状況では無かった。騒乱者の実験により廃人化、人らしい意識の消失、言語障害を負った者が殆どであった。
保護された被害者の中でクアルンゲ商会のフェルグス家に入る事になったアリアとイリアという名のエルフの女性が最も早く人語を取り戻し、社会復帰したがそれでもまともに喋れるようになるまで5年の歳月が必要となった。
無理やり生かされたエキドナは対バッカス王国のために働かされ続けた。
ネメアーなどの魔物を作らされつつ、最終的には一種の増幅器の役割も担ったアーセナルを使い、バッカス王国へ仕掛けていったが最終目標達成間近でアルゴ隊がエキドナを「討伐」する事になった。
このエキドナ事変により、アルゴ隊はその威を示した。
そのアルゴ隊に所属する少年も――ヘラクレスも、バッカス側の逆転に大きく関わった事で魔物として暴れていた事による悪評を少しだけ払拭していた。
彼はエキドナ事変以降も活躍していった事で「得体の知れないバケモノ」などではなく、「将来有望な英雄」という評価を得ていく事になる。
エキドナ事変は、ひとまず終結した。
だが、戦闘そのものはバッカス王国の勝利で終わってもエキドナ事変――あるいはエキドナ計画の被害者達の問題はまだ終わってはいなかった。
アルゴ隊のヘラクレスも被害者の一人に寄り添っていた。
「まぁま……」
「…………」
アーセナルの中枢に繋がれていたエキドナは救助された。
表向きは「倒した」とされたが、間一髪で正体に気づいたヘラクレスとイアソンがアルゴ隊の攻撃を止め、アーセナルから引き離される事となった。
政府がこの真実を隠したのは「大事件の根幹に異世界人が関わっていた」という事からさらなる異世界人排斥の動きが起きかねない事を防ぐためだった。
エキドナ自身は利用されていただけとはいえ、「異世界人は危険」という世論が苛烈過ぎるほどに白熱する未来を避ける事を魔王は望んだ。
ただ、神がバラせば水泡と化す隠蔽だった。
それでも政府が真実を隠したのは神が「特別大サービスで隠蔽に強力してやろう」と無条件の協定を結んだ事にあった。
神は嫌らしい笑みを浮かべていたが、協定まで結ぶとなると口封じとしてはほぼ完璧なものであり、バッカス政府側は公にはされないその協定を結ぶ事にした。
『だれか、だれかっ……まぁまを、たす゛け゛て゛……!』
救助されたエキドナは酷使されていたがゆえに、ボロボロの状態だった。
それを抱き上げ連れて帰ってきたヘラクレスは治療を求めた。魔物と混ざっている状態だけに普通の方法ではエキドナを助ける事は出来なかった。
だが、政府は癒せる傷を全て癒やす事に成功した。政府は政府で魔人化研究を行っており、それを活かす事で治せる範囲では治す事が出来た。
それはかろうじての事だった。何とか治療が間に合ったのは魔人化に対する極めて強力な耐性を持っているエキドナだったからこそのものでもあった。
治療により、エキドナは人間らしい姿を取り戻していた。やつれてはいなくとも血の気の悪い顔ではあったが、それでも身体そのものは健康体へと戻っていた。
「…………」
「……まぁま」
身体は、健康体に戻っていた。
ただ、人語を喋れないほどに精神はやつれていた。
「……まぁま、つらかた。すぐたすけれなくて、ごめーなさぃ……」
「…………」
喋れずとも、子供の言葉に微かに首を振る事は出来た。
弱々しい笑みを浮かべ、子供の手を軽く撫でるぐらいは可能あった。
それだけの事でもヘラクレスは笑みを浮かべ、少し元気を取り戻した。
ニコニコと微笑み、母親に話しかけていった。
「まぁま、これから、ぼくいるから」
「…………」
「ぼく、まぁま、まもる」
「…………」
「ずっと、いっしょ」
「…………」
言葉など無くとも親子の時間を過ごせるぐらいには回復していた。
アルゴ隊の総長・イアソンはその様子を見守った。
見守った後、エキドナが寝かされている病室から退室し、別の部屋へ――魔女・メーデイアと政府所属の高位治療師が待つ部屋へと移った。
「少しは元気になったよ、ママさん」
「……そう」
「クレスもさ、心配そうにしつつもママさんが微笑むと、笑ってくれるんだよ」
「…………」
「これからさ、親子としての幸せってやつを……取り戻していけそうなんだよ」
「…………」
「…………なあ」
「…………」
「さっきの検査結果、何かの間違いだよな……?」
イアソンはすがりつくようにそう言った。
治療師は首を、横に振った。
「身体は何とか治せました。ですが……寿命ばかりは」
「…………」
「あの方の魂はもう限界です。……いつ亡くなられても、おかしくない」
イアソンは治療師の言葉に対し、口を開いた。
口を開いて何かを言いかけ、そしてつぐんだ。