番外編TIPS:技術・計画編:人造集合的無意識
巨人の少年は闇の中にいた。
魔物として大地を駆けた最後の一時に総長と再会し、想いを伝えきれないうちに暗闇に――魔物の本能に飲み込まれる事になった。
「ゥゥゥ……!」
人としての理性が魔物の本能の中に溶けていき、もはや消えていくしか無くなった時、彼の中にあったのは恐怖ではなく深い悲しみだった。
「そうちょっ……そうちょぉ……」
やっと再会出来たのに、やっと再び分かりあえたと思えたのに、彼は待望していた瞬間が取り上げられた事実を悲しみ、涙していた。
もはや人間としての肉体は欠片も残っておらず、唯一残った理性は大海にこぼれ落ちた涙の如く溶け消えていくさだめにあった。彼もその事は自覚していた。
だが、それでも、彼には諦めたくない理由がった。
「そうちょと、くれぇぷ……」
彼は闇の中を歩き始めた。
「みんなと、おにく……!」
彼は泣きべそをかきながらも走り始めた。
だが、出口などどこにも無かった。そんなものは設計されていなかった。
あるのは小さな覗き穴一つ。そこから満面の笑みを浮かべた観覧者が少年がのたうち回り、最期を迎える瞬間をただ見守っているだけだった。
少年はそれでも駆けた。諦めないことを決めていた。
その決意をあざ笑うように、少年の身体は溶けて消えていった。
「ゥゥゥー……ゥゥゥゥゥゥゥ……!」
少年はそれでも進んだ。
黒一色の地面を掴み、当てもなく這って進んだ。指がなくなれば腕で地を掻き、腕が無くなれば芋虫のように進んだ。彼は泣いてはいたが、諦めてはいなかった。
そんな彼に声をかける存在がいた。
確かに、いた。
「…………だいじょう、ぶ?」
それは少年の身と心を案じる、女性の声だった。
その声の主は疲れ果てた顔をしており、少年に声をかけるべきか否かも迷っている様子があったが――それでも少年が抵抗する姿に思わず声をかけていた。
彼女は返事も出来ないほどに弱っている少年の姿に辛そうな表情も浮かべつつも近寄り、小さくなった少年の身体を抱き上げていた。赤児にするように。
「ゥ……ゥゥー……」
「…………」
女性は慈しむように少年の消えかけの身体を撫でた。
少年は四肢の感覚が失われていくような苦しみから解放されていた。その身に加護が――あらゆる害意をすり抜けさせる一時の加護が与えられたがゆえに。
その加護により、蝕まれていた理性が息を吹き返していた。
「ゥ……」
「……だいじょうぶ?」
「ゥ……ン……」
消えかけていた少年の身体は、まだ無事であった頃から比べると随分と小さなものになっていた。まだ巨人とは言い難い幼子ほどの大きさになっていた。
そうなってしまった少年を抱っこした彼女は安堵しながら笑みを浮かべた。それは相変わらず疲労の色が濃かったが――少年はそれに懐かしさを覚えていた。
「…………まぁま?」
「…………」
彼女は躊躇いながらも、精一杯明るい笑みを浮かべて頷いた。
泣き虫の少年は彼女の首肯にポロポロと涙をこぼし、くしゃくしゃに崩れた発音で「まぁま」と言いながらその胸にすがりついた。
彼はおぼろげに残る母の姿とは別の姿をしている華奢な体つきの女性に戸惑いつつも、自分を抱き上げてあやしてくれているその感触は確かに自分の母親のものに違いないと確信していた。
死肉の中で嗅いだ懐かしい匂いも感じ取っていた。
「大きくなったけど……小さくなっちゃったね」
「まぁま……」
「……ごめんね、こんな世界に産み落としちゃって……」
彼女は「恨んでるよね」と言いかけたが、その言葉を飲み込んだ。
「酷い世界だけど……それでも、あなたは生きたいのね?」
「そうちょ、みんないる。ひどくない」
「そっか……。私に出来ることは、殆どないけど……ここから出してあげる事は出来そうなの。だから、せめてもの償いにそうさせて貰ってもいい?」
「まぁまは……?」
「私はいっしょに行けないの」
「…………やだっ」
少年は母の首元に顔を埋め、小さくなった足をばたばたと揺らした。
彼の子供らしい仕草に母親の声は震えかけた。だが、耐えた。
「もう、一緒にいってあげることは出来ないの……」
「やだぁ……!」
「……私の言うことなんて聞きたくないよね」
彼女は目を伏せつつ、「殴ってごめんね」と少年の頬を、頭を撫でた。
「私、あなたを遠ざけるために殴って……結局、何もしてあげれなかった。あなたに無理をさせて……せめて、あの子達は私が終わらせてあげるべきだったのに」
そう言われた少年は痛みを感じていた。神が意図して虫食いの状態で封じた記憶――実験体時代の記憶を思い出しかけたがゆえに。
母親の方は今でもよく覚えていた。他の実験体を楽にするために、少年に手を汚させた時の事を悔やんでいた。
「私のことなんて、大嫌いだろうけど……」
「きらい、ちがうっ。まぁま、すき。……ぼくのこと、すき?」
「……うん」
母親は半分、嘘をついた。自分が少年を産んだ経緯を思うと心から喜ぶ事は出来なかった。だが、それでも今では愛しいと感じていた。
「ぼく、まぁま、だいすき……。いっしょ、いたい……」
「それは、無理なの」
「なんれぇ……!」
「お母さんね、もう死んでるから」
「――――」
「……もう猶予はないみたい。そろそろ、向こうに送り返すわ」
彼女はそれを母親の最後の務めにする事にした。
彼女自身が持ち合わせている魔術――魔術王すら凌ぐ高度な転移魔術を使い、唯一生き残った子供である少年を消滅の危機から救う事にした。
神に機能を制限されているがゆえに自分を救う役には立たず、その事に悲嘆していたものの、それでも最後にちゃんと活かす事が出来る事を喜びながら。
「あなたは魔物の本能に飲まれかけている。でも、本来は人間なの。今から……転移魔術で人間としての部分だけを外に飛ばすわ。ちょっと痛いと思うけど……ごめんなさい、本格的な治療は外にいる人達にして貰って。がまんして」
「やぁだ……! まぁまと、いっしょ……」
「駄目。こんなとこにいちゃ駄目」
少年は泣きじゃくった。
「ぼく、いいこ、するから……! わがまま、言わないからぁ……!」
「……わがままぐらい言っていいのよ。あなたはまだ、子供なんだから」
「じゃぁ……いっしょ! まぁま、いっしょじゃなきゃ、やだぁ……!」
「……一緒よ。たとえ、もうこうやって抱っこできなくても、ずっと……ずっと、見守っているから。もう、それだけが私の救いなの」
「いっぱぃ、がんばるからぁ……!」
「いいのよ……頑張らなくてもいいの。ただ、健やかに……普通に生きてくれているだけでいいの。特別な英雄になってくれなくてもいいの」
彼女は自分がもといた世界もろくでもないところで、この世界でもろくでもない思い出ばかりだったと思いつつ――少年にとっては違うと思い、信じていた。
「わがままも言っていいの。でも、やさしい子に育ってほしい。誰かを助けて、それでいて自分の事も助けられるような子になってほしい」
「やだぁ……」
「万人にとっての特別な存在にならなくてもいいの。でも、もし……良い子に出会えたら、素敵な恋をしたり……結婚したりして……その子を幸せにしてあげて。沢山じゃなくていいから、親しい家族を幸せに出来るような大人になって」
「むりだよぉ……!」
「無理じゃない。あなたはやれば出来る子よ」
「まぁまといっしょじゃなきゃ、やだぁ……!」
彼女は泣きそうになって、努めて笑った。
笑って見送りたい気分だった。自分にまだそんな心が残っていた事が嬉しくて、最後に、言ってもらえた言葉が嬉しくて……嬉しくて……たまらなかった。
「そう言ってもらえただけでも、良かった」
「まぁま……」
「生きてた甲斐があったと思うわ。あなたさえ幸せに生きてくれれば……」
「ゥゥゥゥ……!」
「いきなさい」
「――――!」
少年は叫んだ。だが、もはやその声は届かなかった。
その代わり、彼は母の転移魔術により送還されていた。
「…………最期に、逢えて良かった」
「テメエ、やりやがったな」
暗闇の中に一人佇んでいる彼女の頭上から声が降り注いできた。
それは神の声だった。苛立ちを隠さない声だった。
「最後の最後に、理性振り絞って……こっちを出し抜いて、あの魔物を送り返しやがったな。チッ……しくった……人造集合的無意識は繋がってるんだったな」
「そこまで、大それた企みは持ってませんよ。ただ、あの子がいきたいって……強く願って、足掻いていたから……手助けしたくなって」
「…………」
「私と違って、死が救いだと思うような存在にならなくて……よかった」
少年が飲まれ脱出し、その母が居続ける暗闇。
そこは一種のサーバールームであった。神が作り、神が管理するそこは世界に跋扈する魔物達の無意識に繋がり、魔物達に「人間を殺戮しろ」と命じている本能を司る空間であった。
「まあ、いい。計画を少し修正するだけでいい。悲劇は、終わらない」
「一体、何を……」
「お前さんがアイツを送還する時、その記憶から母親の顔を封じてやった。お前はもう、アイツに認識してもらう事はない」
「…………」
「ここでの記憶も封じてやった! ハッハーッ! そう、封じただけだ……最高に最悪のタイミングでその封を外してやる。生意気に神に逆らった馬鹿どもには躾ってもんをしてやらないとなぁ~~~~?」
「…………」
「もう一つ、良いことを教えてやるよ。アイツが母親に対して持ってる執着の大半はオレが植え付けたもんだ。時限式で抱くようにしておいた偽物の感情だ。薄っぺらい家族ゴッコが楽しめて良かっただろう? ハハハハハハ!」
「偽物でも、あの子が私の子供って事実は揺るぎません……」
「ハハッ! いいぜ、虚勢を張るぐらいは許可しといてやる。僕は優しいからな」
苛立ち、不機嫌であった神は自身の新たな企みを胸に嘲笑った。
「人類は最後に勝利する。だが今回は、どう足掻いても私の勝ちだ」




