番外編TIPS:種族編:ゴブリンの仕事
ゴブリンは空を飛ぶ事が出来るが、小柄で、ひ弱な種族である。
しかし、彼らは小さいからこそ西方諸国で重用されていた。
どこにでも潜り込める小さな身体は潜入任務に向いており、空を飛ぶ身体は戦場全体を見回し、敵陣に密かに潜り込ませるのにとても便利なものであった。
現代のバッカス王国でさえ、隠形魔術に優れたゴブリンは索敵魔術の網をくぐり抜けやすく、バッカスに比べると劣った手段ばかりの西方諸国において、訓練されたうえに従順なゴブリンは非常に厄介な存在だったが――上手く使えばこれほど有用な小鳥はいなかった。
通常のゴブリンの奴隷は、家族を人質にして伝書鳩代わりに使われるのが一般的であったが、裏切りにくい者は「諜報員」として酷使されていった。
特別恩赦区生まれのゴブリンは幼い頃より教えを叩き込まれているため、その従順さから西方諸国のゴブリン諜報員の中で最も恐れられていた。
彼らは狂信者として教会の指示に盲目的に従い、単に反教会勢力の調査に動いていただけではなく、同族の――亜人の蜂起の監視と摘発も担っていた。
これこそが、特別恩赦区ゴブリンが憎悪された最大の理由である。
同じ亜人扱いされる者相手でも容赦なく吊し上げ、仮に同情から手を抜こう者なら同僚の諜報員に捕まり、数が減れば欠員補充のための交配が行われた。
エルフの少女に命を救われた少年ゴブリンも、諜報活動を仕事にしていた。
諜報以外の仕事も、喜んでやった。
彼は大怪我を負った事で干されかけていたが、本人の強い意志によって職場に復帰し、上司である教会のヒューマン種の命により、懸命に空を駆けた。
『近頃、東方でバッカス連合首長国なる亜人の国が形成されつつある』
『連合首長国……』
『所詮、邪悪な亜人が寄り集まっただけの烏合の衆だが……嘆かわしい事に、我が方にも……人間の中にも首長国に擦り寄ろうとしている者達も出てきている。刹那的に生き、来世の安寧を捨てた愚か者共だ』
その者達を、始末しろと命じられていた。
少年は与えられた仕事をしっかりこなした。
片目を失った事で以前のように働けはしなかったものの、もはや使い物にならなくなった脚部を捨てて飛ぶ事で、新たな速度を手に入れていた。
少年は、その事実にほころんだ。
例え自分が人間らしい姿でなくなっても、しっかりと空を飛ぶ事さえ出来れば問題なく仕事が出来る。まだ戦える。その事が嬉しかった。
「もっともっと、ママと人間様のために働かなきゃ……!」
ゆえに彼は飛んだ。かつてない速度で西方と東方の境界付近まで向かい、指定された通りの人物を殺した。暗殺にはたった一滴の毒薬だけで事足りた。
彼は満足していた。喜んでいた。自分がまだ戦える事を証明した気分になった。
かなり無茶をしたものの、それでも――そのおかげで早く仕事を終えていた。
「早く帰って……ママを安心させてあげなきゃ!」
彼は飛んだ。予定よりも早く自分の牢獄に帰っていった。
誰にも見つからず、密かに帰って――母親を驚かせるつもりだった。
ゆえに少年は、上司とゴブリンの女がしている会話を、物陰で聞く事となった。
「アレはもう、駄目かもしれんな。やる気は十分なのだが……」
「そうですねぇ、片目が駄目なのが痛いです。私が助言した通り、いらないモノを捨てたまでは良かったんですが、単に速くなっただけですからねぇ……」
「ウチで一番優秀だったのだがな。それゆえに惜しい」
「大丈夫ですよぉ。あの子と同じように作れば、同じような子が出来る筈です」
「ふっ……薄情な女だな。さて、今回の仕事は今のあやつでは達成困難であろうが、仮に戻ってきた時は……どうすればいいか」
「あの子はバカですからね。忠誠心だけはしっかりあるので、例の首長国へ探りを入れるなり、大将首を取らせに行くのも手だと思いますよ?」
「それは名案だな。帰ってきたら、よく褒めておけよ」
「ええ、ええ、もちろん! 金のかからない子供で、ホント助かりますよぉ!」
「…………」
少年は、上司とゴブリンの女が笑いながら交わす会話をしっかり聞いていた。
隠れ潜み、聞き耳を立てるのは大の得意だった。
見つからないよう、外に逃げ出すのも造作もない事だった。
でも、それでも、
「……………………」
片目からあふれるものを、止められるほど器用では無かった。
彼はうずくまり、必死に口を押さえ、一人静かに涙を流した。
そして、一人で耐えきれず、エルフの少女のもとに身を寄せていた。
少女は溜息を飲み込み、少年の心を晴らす優しい言葉を探した。探したが、もはや下手な慰めなど告げたところでなんにもならない事を理解してしまっていた。
「……よく聞いて、貴方は特別恩赦区にいちゃ駄目なのよ。逃げなさい」
「キミはどうするの……」
「私はいいの。貴方さえ元気でいてくれれば……もう、それで……」
「どこに、にげるの……」
「それは、ここから逃げて、東方に渡って……私達の本当の生まれ故郷に……」
「そんなもの、ないよ」
「…………」
「向こうに行ったら、殺されるよ」
「大丈夫……。貴方はゴブリンよ? 向こうには仲間が沢山いる」
「でも、ぼくは、特別恩赦区ゴブリンだ」
少年は、自分が亜人達の裏切者である事を、半分以上理解していた。
自分達には、居場所がないと思っていた。
「ぼくは裏切者だから、向こうにいったら殺されるんだ」
「そんなの……奴隷にされてた、ただのゴブリンだって嘘をつけばいいのよ」
「へへっ……ぼく、隠れたり逃げるのは得意だけど、ウソは……苦手なんだぁ」
「今から上手になりなさい。貴方、ここにいたら遠からず殺されるのよ?」
「むりだよ。ぼく、ばかだから……」
「それでも逃げなさい」
「むりだよ……ぼく、言われたこと以外、できないから……」
「ここにいたら死ぬのよ? 使い捨ての道具として」
「もう、いいよ…………いいんだよ」
「良くない! 私は、わたしは……貴方に、生きてほしいの……!」
少年は望まれて生まれてきた。
だがそれは、人間としてのものではなかった。
少年は少女に、逃げる事を望まれていた。
逃げる事は、彼の命を救った少女を置き去りにするという事だった。
ひ弱なゴブリンである彼に、エルフの少女を救い出す力は無かった。
彼は勇者では無かった。
「誰かのためにしか生きれないなら……今は、私のために生きて」
「…………」
「泥にまみれても、嘘をついても、それで生き残れるなら……それでいいのよ」
「…………」
「生きてたらきっと……いつか、生まれてきて良かったと思える日がくるわ」
「…………」
「ここは地獄よ。現在は地獄よ。それでも、未来にはきっと救いが――」
生きる事を望まれた結果、少年は選択した。
涙を拭い、笑って――ぎこちない笑顔を少女に向けた。
確かな理由を胸に、彼は選択した。
「ぼく、ここに残るよ」