番外編TIPS:西方諸国関連知識編:マティーニ参詣
西方諸国において、統覚教会は実質的な盟主と言っても過言ではない力を持っている。大■■■の神器も悪用し、打倒教会に動いた勢力は即刻潰せるよう、諸国をコントロールしている。
戦争の虚しさを説きつつも、教会に益があれば争いを見逃し、時に恥ずかしげもなく一方に加担する事さえある。教会に反攻するだけの力を蓄えさせないためにも、戦乱を常態化させて教会以外を疲弊させてもいる。
あまりにも強い影響力を持つ事から、各国は「統覚教会を味方に出来るか否か」について腐心せざるを得ず、教会の総本山たるマティーニには諸国の使者や王自身が赴き、常日頃から教会に取り入る政争の場と化している。
この手の活動の事は「マティーニ参詣」の一種であると揶揄されている。
教会の総本山だけあって、マティーニには純粋な信仰から訪れる巡礼者も多く、こちらが本来のマティーニ参詣なのだが、信仰のためではなく政争のために訪れようが「マティーニに来る事には変わりない」という事でそう言われている。腐敗していようが、それが教会の定めた暗黙の協定であった。
マティーニにはこうした政治的、信仰的理由以外の参詣も存在している。
信仰の次に平民に関わりがあるのは「商業目的」であろう。西方諸国の中心的存在であるマティーニには諸国の様々な産物が届く大市場となっている。
また、衰え知らずの大穀倉地帯がある事から西方諸国の食――生命線を担っている。飢餓が発生すると、マティーニの穀物無しでは数多の平民が大量に飢え死ぬほどの重要な地域となっている。
教会が神器を使って意図的に飢餓状況を作り出しているわけだが、それに対抗する事も出来ない以上、好き放題にされている。
また、「聖娼」を目的としたマティーニ参詣者も多く訪れている。
聖娼とは統覚教会公認の娼婦である。教会は自らが管理し、商材としている娼婦達を抱く事を強く推奨し、聖娼に対して欲望を吐き出す事で良き来世を送る事が出来ると確約している。科学的根拠は無いが宗教的根拠はある。
それを純粋に信じている者もいる事にはいるが、マティーニの聖娼は質が良く、信仰を言い訳に常連となりたがる者も多く存在している。
聖娼は各地の特別恩赦区にある娼館に集められており、容姿の整っている亜人の多くが「教え」を刷り込まれ、娼婦に仕立て上げられている。
西方諸国に囚われていない亜人達からは古くより下衆の所業として批判され、バッカス連合首長国が諸国に攻め入った際、軍勢に飲み込まれた恩赦区に関係したヒューマン種は逆奴隷化すら許されず、「精算」をさせられる事となった。
マティーニの特別恩赦区は特に聖娼事業発展に力を入れており、オークを廃して見目麗しい亜人に恵まれるような環境整備を行い、他の恩赦区の優良亜人も呼び寄せ、マティーニブランドを作りあげる事に成功している。
そのブランド崩壊が、密かに迫っていた頃。
マティーニ特別恩赦区の聖娼館には神聖な性行為ではなく、別の事を目的とした客を諸国から呼び集める事に成功していた。
そして、娼館に瀕死のゴブリンの少年も運び込まれていた。
「ぅ……?」
「……起きた?」
少年は小さな寝台の上で目覚めた。傍らには少女の姿があった。
少女はエルフであった。まだ幼い身体を清潔で薄手の衣で包み、両眼を黒く厚い布で覆い、平坦な声で少年に問いかけていた。
「だれ……?」
「貴方と同じく、都合よく使われている奴隷よ」
「どれい……? ぼく、奴隷じゃ、ないぞ……?」
「…………。とりあえず、見た目は整えたんだけど、身体、動く?」
少女は溜息をついた後、少年の身体の具合を確かめていった。
少年は身体が痒く、少し痺れているところもあると伝えたが、自分が死んでいてもおかしくない重傷を負っていたというのに、生き延びた事に驚いていた。
「すごい、傷が治ってる! ……ひょっとして、キミが治してくれたの?」
「ええ……まあ……一応は」
「すごい! 治癒の御業使いなんだ!? はじめて見た……!」
少女は特別恩赦区で育てられたエルフであったが、治癒の御業と使う事が可能だった。難病を治す事も可能で、それゆえに本来の用途以外としても重宝される教会の秘蔵っ子であった。
「ただ、私……形を整えるのは得意でも、機能を完全に戻すのは……下手なの」
「そーなのか?」
「うん。……片目と、脚の方は……大丈夫そう?」
「え? あっ……えっと……」
少年は懸命に両足を動かそうとしたが、ピクリとも動かなかった。ゴブリン種特有の黒く塗られた小さな雪ダルマのような身体の中で、両手はしっかりと動いても両足はもう、ただついているだけの部位となっていた。
片目に関しては拾う事が叶わず、小さな穴があるだけとなっていた。少年の口から事実を聞いた少女は、申し訳なさそうに俯いていたが……。
「だ、大丈夫だ! まだ片方はちゃんと見えるし! 脚も……ほらっ! ぼく、ゴブリンだから……こんな風に空を飛ぶ事が出来るんだぞ! 飛べれば大丈夫♪」
「私、盲目だから見えないわ」
「そ、そっか……。えっと、自分の御業で治す事は、出来ないのか?」
「うん。さすがに、横一文字にスッとされちゃったら……ね」
少女が我流で得たそれは西方諸国の水準では非常に有用な治癒技術であったが、現代のバッカス王国の治癒魔術と比べると劣った技術であった。
だが、それでも少年は死なずに済んだ事に感謝し、屈託のない笑みで「ありがとな!」と少女に感謝を述べていた。
少年が一命を取り留めた報は、少年の母親と少年の上司に伝えられ、ゴブリンの女とヒューマン種の男――教会の人間――が直ぐに少年を引き取りにやってきた。
「あぁ、良かった……! 無事だったのね? 身体は大丈夫? 両眼とも使える? 手は? 脚は? 身体の調子は悪くない?」
「だ、だいじょうぶ! くすぐったいよ、ママ……」
少年は抱きついてきた母親に対し、恥ずかしそうにしていたが正直に片目と脚が駄目になった事を報告し、報を聞いた母親はニッコリと笑って「そう」「生きてくれてただけで十分よ!」と言葉を返していた。
教会の人間の方は顔をしかめていた。少年の有用さは認めていて、それゆえに少し無理を通して少女を使ったのに、「前と同じ性能」を維持出来なかった事に不満を抱いているようだった。
少年は直ぐにエルフの少女から引き離され、自宅へと戻っていった。少女は部屋に一人残され、盲いた目を微かに動かし、溜息をついていた。
彼女の手は自身の脚につけられた重い足かせを触っていた。治癒魔術の心得は多少あっても、この時の少女にはそれ以外の魔術を使う事は出来なかった。
どう足掻いても変わらない現状への溜息と、哀れなゴブリンの片目と両足を元通りにしてあげれなかった事実に溜息をついていた。
少女はいつも溜息と共に生活していたが、微かな変化が訪れる事となった。
「よう!」
「…………貴方、この間の、ゴブリン?」
「そうだぞ? この間はありがとな! もうすっかり良くなった」
少年はろくにお礼も出来ずに去ってしまった非礼を詫つつ、自分で摘んできた木苺を差し入れ、少女を驚かせた。目と脚は相変わらずではあったが。
「この部屋は、それなりに厳重なはずよ。どうやって入ったの……?」
「ふふん♪ 忍び込むのは大得意なんだ。一度場所がわかっちゃえば楽ちんだったぞ。あっ! み、みんなに言いつけるのは止めてくれよ……?」
「……うん、わかってる」
少女は驚きつつも、少年の来訪を歓迎した。一緒に木苺を口にし、久しぶりに――あるいは人生で初めて――会話する事を「楽しい」と感じていた。
「私、ゴブリンを治したのは初めてなの」
「そうなのか!?」
「うん。まあ、初めてじゃなくても完治させてあげる事は……出来なかったと思うけどね。もし、貴方が……元通りの身体が欲しいなら……」
「も、元通りになるのか!? そんな方法が――」
「東方に行くと何とかなるかもしれないわ。私達、亜人……いえ、ゴブリンやエルフの故郷なら、私なんかより優れた治療の技術を持った人が」
「いやー、東方は駄目だろ。亜人だらけのとこなんて行ったら、いつまで経っても罪を洗い流す事が出来ないどころか、もっと汚れるぞ?」
「…………」
「出来れば身体は元通りにしたい。けど、汚れるのは駄目だ! それに殺されちゃうかもしれないぞ? 東方に済む蛮族……亜人達はとても乱暴らしいし」
「貴方、その乱暴な亜人を自分の目で見た事があるの?」
「あるぞ? 鎖に繋いでも、すごい力で暴れてた! 奴隷は主人になった人が大変だろうなぁ……。アイツらも、ぼくらみたいに清く正しく生活して、人間様に奉仕して生きればいいのに」
「…………」
「この身体だと、前みたいにお仕事出来ないけどなー……。うー! 早く、ママと人間様のために、働きたいなぁ……! ぼくは、まだまだ役に立つぞ!」
少女は溜息をつきそうになり、止めた。少年の心が「信仰」に囚われている事を不憫に思いつつも、それをいま指摘しても何も変えれないと考えたからこそ、いまは、溜息と共に否定の言葉を吐くのは、止めた。
少年が帰る間際、一つ、願い事をするに留めた。
「ねえ。…………また、こっそり、会いに来てくれる?」
「えっ、いいのか? お仕事の邪魔にならないか?」
「うん。私、今はまだ治癒の仕事だけだから……こっそり来てくれれば大丈夫」
少年はその言葉を聞くとほころび、「また木苺を持ってくる」と言って去っていった。少女はその言葉に満足げに頷き、笑みを見せた。
少女は一つの計画を……小さな反抗をする事に決めた。
ゴブリンの少年に少しずつ真実を理解させ、東方へと逃げてもらう計画を進める事にした。空を飛べるゴブリンなら、それも可能だと考えていた。
自分はもう、ここから出る事は出来ないだろうけど……それでも、たった一人だけでも、真の意味で助けてあげるぐらいは、してあげたいと思っていた。
そう決めた少女の口から、溜息が吐かれる事が少しずつ減っていく事となった。
少年が来るのをそわそわとした様子で待ちつつ、落ち着かない様子で自分の髪をいじり……久方ぶりに、自分で自分の顔が確認出来ない事を、残念に思った。
「うん、でも、私って聖娼として育てられてるわけだから……そこそこ見れた顔のはずよね……? ゴブリンの好みとは……全然違うかもだけど……」
少女はその事実に自嘲の笑みを浮かべた。
「笑え、私……。泣いたら負けよ」
我が身の不幸を嘆きつつも……それでも、微かな幸福を噛み締めていた。
「身体の自由は無くても……心の自由さえ守りきれば……私の、勝ちよ」
少女は自分自身に言い聞かせながら、自分の頬を引っ張った。
形は違えど、籠に囚われた少年少女。
囚われてもなお、少年は少女との約束を守った。
二人はこっそり、ささやかな逢引を続けていった。
少女は少年を、籠の中から解き放ってあげようと考えていた。
だが、少年にとっては、優しい母親のいる籠の中こそが楽園であった。
少なくとも、この時はまだ。




