番外編TIPS:西方諸国関連知識編:特別恩赦区
統覚教会が整備・管理していた「祈りと労働」の特区。概ね閉鎖的な場所で、統覚教会が定義するところの亜人達が暮らしていた。
バッカス王国が建国される前後に多くの特別恩赦区が襲撃され、廃止に追い込まれた事で現在は存在しないが、昔は西方諸国各地に存在していた。
統覚教会が大きな影響力を持つ西方諸国において、亜人――ヒューマン種以外の者は「悪しき存在」と定義され、生まれながらの悪ゆえに各地で奴隷労働を強いられていた。奴隷がいない地域の方が珍しいほどに。
だが、特別恩赦区には奴隷は存在しなかった。
恩赦区には多くの亜人達が暮らしていたのだが、その全てが「統覚教会の信じる神によって恩赦を受けた亜人」であり、奴隷ではないとされていた。
奴隷ならぬ亜人達は壁に囲われた特別恩赦区の中、亜人の身でありながら統覚教の信徒として祈りと労働の日々を過ごしていた。
その祈りと労働により、悪しき存在である亜人の罪を祓い清め、「来世は人間に生まれ変われるよう」努力する日々を送っていた。
統覚教会と西方諸国の人々に感謝と、自分達を生かし、活かしてくれている事への謝罪の言葉を吐く毎日。自分達が騙されている事も知らず。
要は統覚教会及び西方諸国にとって「都合の良い亜人」を囲い、「奴隷ではない」と言いながら奴隷労働を科している強制収容所である。
暮らしている亜人の大半は二世奴隷――西方諸国で生まれた亜人であり、幼い頃から統覚教会側の教えだけを吹き込まれた結果、本心から純粋に尽くしているものが多く暮らしている。
教義に疑いを持ち、反抗的な態度を取り始めた場合は処罰対象として分別されていくが、そうでなくとも重労働を科されており、早死する者も珍しくなかった。
が、教えを信じる者達にとって、労働が過酷であればあるほど、強く自分達の罪を洗い清められると信じ、多くの者が苦しさを喜びであると誤認させられていた。
与えられる仕事は奴隷よりも過酷なものも少なくなかったが、信心深く従順な者達に教育した甲斐もあり、労働者としての質は単なる奴隷より高く、自由に特別恩赦亜人を用立てられる統覚教会にとっては金のなる木であった。
統覚教会の総本山たるマティーニには西方諸国最大の特別恩赦区があり、そこでは主に農業に従事させられる亜人が暮らしていた。
マティーニ恩赦区はバッカス建国以前としてはかなり多彩な人種が暮らしていたが、その中にオークの姿がある事は非常に稀であった。
そうなっていたのは管理者側が意図的に分別した結果である。単に農業をするだけならオークがいた方が労働力として頼りになるのだが、マティーニ恩赦区は農業以外にも大事な事業が存在しており、それのためにオークは排されていた。
ゴブリンはそれなりの数が存在していた。
ヒューマン種の手のひらほどの大きさしかないゴブリン達は普通の農業には向いていなかったが、ゴブリンはゴブリンで大事な役割を担わされていた。
「ァ……が……ひ……グ……ェ……」
ここにも、その「大事な役割」を務めているゴブリンがいた。
そのゴブリンはまだ若く、幼いと言ってもおかしくない年齢であった。普段は軽快に空を飛び、マティーニの特別恩赦区に暮らすゴブリンの中で一番「優秀な者」として統覚教会に重宝されている者だった。
だが、彼はいま死にかけていた。
仕事で失敗しかけ、何とか完遂はしたものの相打ちで重傷を負っていた。両足が潰れ、片目はこぼれ落ち、もはや飛ぶことも出来ず落下したゴブリン。
地に落ちた彼は鳥の鋭いくちばしに突かれながらも、何とか動く短い腕を振って追い払い、震える小さな身体で懸命に匍匐前進をしていた。特別恩借区まであと少しのところで、一人きりで、死に至ろうとしていた。
痛かろうが、苦しかろうが、それでも「死ねない」「死にたくない」「まだ死ねない」という言葉を呪詛のように脳裏で繰り返しながら生きようとしていた。
偶然、一人の老人が通りすがらなければ、遠からず死んでいたであろう。
「……介錯が必要か?」
しゃがみ込み、死にかけのゴブリンをその手にすくい上げた老人はそう問いかけたが、ゴブリンは首を縦にも横にも振らず、懸命に懇願した。
「ォ、ぉねガィで、ひュ……お家、に……帰゛ラ、な゛、ぎャッ……!」
「…………」
「ぼぐ、まだ、仕事、できまズ……! まだ、だだがえ゛、マズ……! 人間様のだめに、も゛……! マ゛マ゛の、たメ、に、モッ……!」
老人は統覚教会の「教え」に染まった若いゴブリンを憐れみつつも、請われた通りにした。親がいるならば「せめて最期に連れて行ってやろう」とした。
老人自身もこのゴブリンが一命を取り留めるとは思っていなかった。表向きは治癒魔術すらも悪しきものとして弾圧される西方諸国において、若きゴブリンが負った重傷を癒やす術は存在はしていないがゆえに。
しかし、老人は知っていた。
それがあくまで表向きの話であることを。
自分が向かう恩赦区には奇跡を可能にする者がいる事を。ただ、自分が助けたゴブリンがその奇跡を受けるほど重用されている事は知らなかった。
知ったのは恩赦区の門番達に敬礼と共に出迎えられた後の事であった。
「きゅ、キュクレイン様……!? な、なにゆえ、このような場所に……?」
「ゴブリンを拾った。この者の親が、恩赦区内にいる筈だ。見分けがつく者はいるか? いないならゴブリンを呼べ。同族であればまだ見分けもつくだろう」
「しょ、承知いたしました!」
「亜人はどうぞ、こちらの箱に! 貴い御身が汚れてしまいます!」
「いい。やめろ。それよりも急げ」
老人の手のひらの上で、瀕死のゴブリンは心底ホッとしていた。
これから死ぬにしろ、生きるにしろ、彼は「救われた」と思っていた。
生き残る事が出来たら、もっともっと働きたいと願っていた。
だが、この過去の事を、夢として見ている彼にとっては――。