プロローグ
小学生の頃、よく友達と遊んでいた公園には、一際大きい枝垂れ桜がある。
今は夏。桜の季節などとうに過ぎて、その木は周囲の倍近い背丈で、ただひっそりと地面へ向かって枝を垂らしている。葉の色は、晴れた日の空の下でも決して明るくならない。濁りきってもいないし、深みがあるとも言えない。
——梅雨明けの水たまりみたいな、落ち着きどころのない緑だった。
それでも、この公園の何かを束ねているような存在感だけは、子供の頃から変わらない。
この木には、ある”魂”が眠っている。
……眠っているはずなのに、なぜかいつも落ち着かない。風が吹くたびに葉がざわめいて、その音が、耳元で誰かが名前を呼ぶような気がしてならないのだ。
今日も僕はその木の下のベンチに腰を下ろし、遠くで鬼ごっこをしている小学生たちをぼんやり眺めていた。
「おはよう。今日で一ヶ月だね。元気にしてた?」
もちろん、返事は来ない。返ってくるのは、風に揺れる葉のざわめきだけ。それでも僕には、その音がどこか寂しげなため息に聞こえた。
「まだここで見守ってくれてるのかな。……ほんと律儀だよね、君は」
やはり、返事はない。
「少しくらい、返してくれてもいいのに」
そう呟いて、ひとりで苦笑する。傍から見れば、相当おかしなやつだろう。それでもよかった。
「そろそろ行くよ。今日から夏期講習なんだ」
時間がないのはわかっていたけれど、それでも今日だけは来ておきたかった。特別な記念日じゃない。ただ、君と過ごした“一ヶ月後”は、僕には記念日みたいなものだったから。
「講習が終わったらまた来るよ。夜の十時ぐらいになると思うけど」
立ち上がり、サドルが焼け石みたいに熱い自転車にまたがった。
「安心して。約束は、絶対に果たすから」
ペダルを漕ぎ出すと同時にイヤホンをつけた。彼女に教えてもらったバンドの曲が流れ出す。
その旋律は暖かく、優しげで、そして少し、胸を締め付けた。




