8:植物の領域
トーリヤがその軍勢の存在に気づくことができたのは、広がる植物の領域を囲むように人型の分身を配置し、それぞれが鳥などの分身を使って情報収集のための布陣を敷いていたが故だった。
ばらまいていた鳥型分身の内、一番北側に飛ばしていた一羽が、その視点の高さゆえに上空からその軍勢の接近に気が付いたのである。
とはいえ、実のところ人間社会のこの反応は何らおかしなことではない。
そもそも自分たちの統治する地域で事件が起きたとなれば、その地域の領主なり国なりが軍隊を送ってくるなど普通のことだし、加えてこの世界は魔物の存在ゆえに、この手の事件が歴史上で何度も発生してきた。
そうした経緯故に、この地方を管轄する将兵たちも起きた事態を厄介だと思いつつもその解決に動くことに躊躇はなかったし、加えて過去の魔物の事例もあってどのようなアプローチをするか、その点についても一応の考えはあった。
「見えてきたな……。またずいぶんとわかりやすく蔓延っておるわ」
口元のひげをいじりながら、白髪交じりのリクハルド中将が目の前に広がる光景に眉を顰める。
今回起きた事件の実態を推測するにあたって将軍を始めた上層部が想定していたのは過去に少ないながらも例があった植物由来の魔物だ。
一般に【人喰い森】の逸話で知られるその魔物は、元々は一本の樹木でありながら、付近の樹木に根を伸ばすと毒によってそれを枯らし、朽ちた樹木を養分に根から元の樹そっくりの樹木を生やして徐々に森そのものに成り代わる形で勢力を広げていく不気味な性質を持った魔物だった。
当初こそその静かな侵食は人間社会に察知されずに放置されていたのだが、魔物の性質ゆえに樹木に近づいた生き物を喰らう性質があり、なおかつ樹木の勢力が森一つ分と呼べるまでに広がってしまったことでついに自体が露見。
当初はその森そのものともいうべき魔物の性質がわからなかったために軍が三度派遣されては討伐するという行動を繰り返し、三度目でようやくその性質が判明して根絶に至ったという経緯がある。
他にも植物由来の魔物の事例はいくつかあるが、広範囲に繁殖する植物ということからリクハルドは特にその事例に着目していた。
「手前に見えるのは草むらか? あれも問題の魔物なのか?」
「正体は不明ですが少なくとも尋常な植物ではないですね。例の村を中心に大量の植物が繁殖していて、その外円部を構成しているのがあの草むらのようです。
不思議なことにあの範囲まで広がった後はぴたりと繁殖が止まっているようで」
「複数種類の植物が入り混じっているというのも妙な話だな? それであの草も?」
「ええ、有毒です。避難民の中に逃げる際に伸びてきたあの草で切り傷を負ったものがいたようで、そのほとんどがほどなく毒にやられて死亡しているとの報告が」
中将の問いかけに、その手の情報を積極的に収集していた副官が感情の感じられない声でそう報告してくる。
事件の詳細や敵の魔物の情報はここに来るまでにも何度か受け取り報告されているが、そもそもの最初の段階で受けた報告が、国境にほど近いとある村を中心におかしな植物群が爆発的な大繁殖を行い、その際にその近辺にいた人間たちを軒並み殺しまわったという情報だった。
その殺し方たるや驚くほどに徹底していて、恐ろしい速さで伸びる樹木の枝や根に貫かれた者、あるいはひき潰されて死亡した者、そして何らかの毒物によって死亡した者と、とにかく人間や家畜などの他の生き物への殺意が高く、確認された死傷者数は住人の数の八割以上にも上っていた。
おかげでこの近辺の町や村からは一時的にでも人々が避難を余儀なくされており、リクハルドたち軍まで出張らなければならない大事件となっている。
そんな犠牲者の多い事件の情報を思い出していら立ちをかみ殺しながら、リクハルドは副官及び近くにいた隊長格の部下たちに指示を飛ばす。
「とにかく、浅い切り傷でも死に至るというなら、その情報込みで一兵卒に至るまであの植物に迂闊に近づくなと伝えろ。わかっている死因にむざむざ踏み込ませるな。兵の無駄死には許さん」
「――はっ」
「そのうえで、だ。作戦は事前に協議していた手順で進める、がッ、いいか、敵は未知の生態を持つ魔物だ。予想外の反撃は当然と覚悟し、判断しろ。お前たちが、だ。なんの情報も掴まず死ぬようでは魔物討伐はなせぬと思え」
この世界において、魔物と呼ばれる存在は時にその討伐が国家事業になることもある脅威の存在だ。
発生から間もない個体であれば、個人や民間の傭兵や猟兵などが討伐できる場合もそれなりにあるが、発生後長い期間を生きて成長、あるいは進化を遂げてしまった魔物はひどい場合には国を滅ぼしかねない巨大な厄災となることもある。
その点、今回の魔物は突如として人里に、それも厄災級の規模で現れた点が異彩を放っているわけだが――。
(どのみち一当てしてみなければ詳しい生態すらわからんだろうな)
脳裏をよぎるいくつもの疑問、それらすべてに一時的にとはいえ蓋をして、将軍は各部隊の隊長に作戦の開始を命令する。
広い範囲に部隊の人員を二列に並べる形で展開し、作戦開始と共に動くのは手前側に並ぶ兵士たち。
「――風向き、良し」
「攻撃、開始――!!」
「【炸火球】――!!」
『【炸火球】――!!』
兵士たちが同じ言葉の発生と共に構えた手の中に次々と火球を生成し、離れた位置にある草むらめがけて一斉にそれらを発射する。
空中で弧を描き、着弾した火球が次々と草むらの中で炸裂し、爆風と共にその炎をまき散らして蔓延る毒草に火をつける。
「燃焼状況は?」
「極端に燃えにくいという訳ではないようです。そこらの野草と大差ない燃えやすさかと」
「攻撃を続けろ。それとくれぐれも風向きには注意だ」
以前にも観測された植物型の魔物、その事例を参考に今回将軍たちが用意した基本戦術は単純明快、草むらに火を放ち、それを燃え広がらせて植物そのものを焼き払うこと。
とはいえ、相手はかすり傷ですら致命傷になる猛毒を帯びた毒草だ。
焼くといってもそれによって発生する煙に毒素が含まれている可能性は予想できていたし、故にこそ将軍たちは軍を風上に置き、常に風向きの変化にも注意を払っていた。
それに加えて――。
「【風流放】――!!」
『【風流放】――!!』
火が付き燃える草むらに向けて、二列に分かれた部隊のうち前に出ている兵士たちが一斉に草むらへとむけて風を送り出す。
毒煙が発生していたとしても自分たちにそれを近づけさせず、どころか火を草むらの奥の方へと燃え広がらせるための送風魔法。
同じ世界で発生した、同じ魔法という能力であっても、人間が扱う技術体系であるがゆえに土地や人々の思想などによってその性質には若干の地域差がある。
連合国の魔法、その性質に特筆すべきものがあるとすればそれは複数人で一つの魔法を発動させる集団戦術だ。
部隊全体で特定のイメージを共有し、同じ一点で同じ魔法を重ねて発動することで規模や威力を拡大する【重積魔法】に、一つの魔法の発動工程を細分化して部隊の各員に割り振り、一つの大規模魔法を成立させる【複合魔法】。
当然、そうした魔法を一朝一夕で発動できるようになるはずもなく、通常言語とは違う法則で作られた独自言語の魔法名の暗記や、イメージを共有し、息を合わせる訓練など事前の積み重ねが重要な意味を持つ魔法体系だが、偶発的にしか生まれない超越者に負けない規模の魔法を人数にものを言わせて発動できる集団戦術こそが連合国の強みとなっている。
無論相手は魔物である以上一朝一夕で討伐にこぎつけられるわけもなく。
行動自体は単純なれど、未知の能力を有する相手であるがゆえに最初はその手の内と反応を探るのが目的であり、それゆえ部下たちには生存と情報収集を優先させていたわけだが――。
「思ったよりも順調だな」
「――ええ、不気味なほどに……。――いえ」
覚悟していたような抵抗や反撃もなく、想定していたよりも順調に進んでいく状況に安堵するより不可解なものを感じていたリクハルドたちだったが、しかしそんな中で副官が空を見上げて眉を顰める。
「いやな雲が出てきましたね……。さっきまであんなに晴れていたのに」
いつの間にか頭上に広がっていた暗雲、そのあまりに唐突な登場に不審なものを感じながらも、将軍と副官はそんな天気の急変に対応するべく動きだす。
「――ええいッ、風も出てきおった……!! 伝令だ、部隊をいったん下がらせろ、風系魔法の使用を送風ではなく気流をそらす方向に――、とにかくこちらに草むらを焼いた煙を近づけるな」
これはいったん作戦を中止した方がいいかもしれない。
天候、特に自分たちに吹き付けるように変化した風向きの変化に、リクハルドがそう判断していら立ちを押し殺しながら伝令を飛ばそうとしていた、そのとき――。
「――なに?」
あまりにも唐突に、並んでいた兵士たちの、その最前線で風を遮っていた兵士の何人かがパタリと倒れていた。
『ぐッ、ご、ぁあああああ――』
同時に、風を遮っていた兵士がその魔法行使をやめたことで、その背後で火球を生成していた後列の兵士たちの中に、悲鳴を上げて倒れる者が出始める。
喉を掻き毟り、泡を吹いて、わずかな時間もがいた果てに苦悶に顔をゆがめて、あっけなく。
「――ッ、退却を急がせろ……!! あと受けた攻撃の特定もだ――」
声を上げて振り向いたその瞬間、走り出そうとした伝令役のその頭を、上空から飛来した何かが射抜いて一瞬のうちに絶命させる。
「――な、ん、だとぉ……?」
「中将ッ、危ない――!!」
いち早く事態を察知したらしい副官が防御の魔法を発動させながら合流してくるが、しかしそれすらもはるかな空から襲い来る攻撃には間に合わない。
こちらへと駆けてくる副官の、その移動のタイミングや経路すらも予想していたかのように、空から飛来した氷の礫がその頭を寸分たがわず撃ち抜き、粉砕する。
(馬鹿な――、これは、自然現象の天候ではない――!? だが魔法の気配は感じん――、雲の高さ? どれだけ上空なんだ……!?)
見れば、先ほどまで配下の軍が火を放っていたその草むらでは、局所的な大雨が降ってその火のほとんどがすでに鎮火しつつあった。
その手前では、毒煙にやられたと思しき泡を吹いた死体と、それ以外にも頭を撃ち抜かれた死体が入り乱れて無数に転がっている。
(なんだこれは――、伝令や指揮系統、防御のかなめとなっている人員を的確に狙い撃っている――)
軍隊が一つの集団として機能するために必要な役割、それらを果たす人員が的確に狙い撃たれているその状況にリクハルドが戦慄し、同時に警戒していたことによって自身を狙ってきた雹の弾丸をどうにか頭上すれすれで受け止める。
否、受け止めようとして、結局受け止められなかった。
自身の念動よりも明らかに出力の高い、強力な力押しによって撃ち込まれた雹の弾丸がリクハルドの守りをあっさりと突破して、かろうじて軌道をそらしたことでこめかみを掠めた弾丸によって、けれどリクハルドはたまらずそのまま地面へと倒れ込む。
そんな窮地にあってなお、すぐさま起き上がったリクハルドの頭を駆け巡るのはこの相手の能力に対する分析と考察。
(――これは、魔物の使う特性としての魔法ではないぞ……!! 意図的な、任意発動の魔術――。しかもこちらの位置や役割を明らかに観測しての精密な狙い撃ち――。こんなことができるはず――、ああ、いや――、これは、まさかァッ……!!)
目まぐるしく思考を巡らし、同時に次なる攻撃から頭を守るべく防御の魔法を発動させた次の瞬間、そんなリクハルドの備えを看破していたように撃ち込まれた雹弾が彼の心臓を貫き、突如として自由に動かせなくなった体が尋常な植物の広がる草原へと倒れ込む。
(――退却を――、早く――、このままでは、全、滅……)
ふり絞ろうとした声を出すこともできず、最後までその職務を全うしようとしたリクハルド中将は、けれど同じように転がる部下たちと共になす術もなく息絶えた。
「――ク、ソッ、しくじった……。やっぱり介入すべきだった、畜生……!!」
分身越しに目の当たりにした光景、攻撃を加えていた軍隊が崩壊し、命からがら逃れようとする兵士たちが次々と死に絶えていくその光景に、トーリヤは思わず近くの樹の幹を殴っていら立ちの声を漏らしていた。
千にも届かんとする軍隊の接近に気が付いた時点で、トーリヤの頭の中には確かに何らかの介入をすべきではないかという考えがあった。
恐竜などの分身を差し向けて追い返す、あるいは情報提供のために分身を向かわせるなどの案が頭をよぎったが、結局はトーリヤ自身のリスクに反して効果が見込めないことから手を出しあぐねているうちにこんな事態にまでなってしまったのだ。
(――まただ。またやったッ……!! また俺は、埋没することに固執して犠牲が出るのを見逃した……)
村で両親を殺された後に覚えたのと同じ悔恨に再び襲われる。
かつて反省したはずのものと同じ失敗をしたとそう感じて、その結果として出た夥しい犠牲を直視しようとしてふと気づく。
確かに部隊は壊走しようとしている。
風向きが変わって毒煙が流れ込み、同時に上空からも、かつてトーリヤの分身体も襲われた雹による狙撃が襲ってきたことで、植物の領域の攻略にやってきたこの国の軍は確かに夥しい犠牲を出している。
けれどその一方で、生き延びて負傷した仲間を担ぎながら必死に退却している者たちも思いのほか多くいるのだ。
むしろ状況だけ見れば、この軍隊は戦うことに固執せず、そろって柔軟に撤退の判断を下していると言える。
(――今ならまだ――)
「――トーちゃん。――なあ、トーちゃん、どうなったんだ?」
そう思い直したトーリヤに対し、状況がわからないレイフトが三人を代表してそう声をかけてくる。
「攻撃を仕掛けた軍隊が壊滅した。まだ生き残ってる奴はそれなりにいるが、あの様子じゃ作戦行動なんて不可能だろう」
再度撤退する軍の様子を観察しながら、トーリヤはレイフトだけでなく三人全員にそう返す。
現状人数はそれなりに生き延びているようだが、それでも見ている限り軍隊としての機能は危機的な状況だ。
なにより、あの雹の狙撃が末端の兵士ではなく、指揮系統にあると思しき人物を的確に狙っているのが要因として大きい。
上空から降り注ぐ精密狙撃に、この国の軍組織は指揮を執る立場のものから狙い撃たれ、組織的な機能を軒並み破壊される事態に陥っている。
恐らくは機械的に周囲の生き物を襲う魔物を想定していただけに、予想外の方法で的確に指揮系統を潰しに来る敵に対応できなかったのだろう。
その点でも、同じ手段でやられたトーリヤが情報共有しておけばと思わなくはないが、今考えるべきは残念ながらそこではない。
(どうする……。今からでも仕掛ければ、壊走する軍の撤退を支援できる……。問題は――)
「――なあトーちゃん、俺たちを理由に躊躇してんならやめろよ」
と、そこまで考えた時、まるでその頭の中を見透かしたように背後からレイフトそう声をかけてくる。
振り返り、そこにあるのは恐らく同じような思いを抱いているのだろう三人の子供らの姿。
そんな三人と視線を交わし、わずかな時間の中でトーリヤは――。
「――ぅっ、ッ――、ぁああああ、もう、わかったよ……!! 状況が状況だ。……お前らの、力を借りたい」
そう言って、観念したように頭を下げたトーリヤの姿に、即座に三人は森の方へと向いて行動を起こす。
「――よし。それじゃ急いで斬り込むか」
「相手の攻撃は魔法らしき攻撃のほかに毒ガス――、ひとまず四人とも私の聖域範囲から離れないようにして――」
「――いやいや待て待てそれはダメだッ!!」
決断したとたん、さっそく敵陣に斬り込むつもりになっている年長の二人に、トーリヤは慌てて待ったをかける。
とはいえそれは、先ほどまでの三人を戦いに参加させたくない、そんな意識からくる躊躇と同じ理由、ではない。
「いくらエルセの念動力場が鉄壁の防御だったとしても、どこからどんな攻撃が来るかわからない、罠という形で即死攻撃を仕掛けてくるような奴を相手にむざむざ敵陣に踏み入るべきじゃない」
あらゆる攻撃から身を守れる、いわゆる絶対防御を目指して【隔意聖域】の性能を強化してきたトーリヤ達とエルセ自身ではあるが、それでもその守りはやはりというべきか弱点がないわけではない。
物理攻撃や毒ガスといった、ここまで見てきたような攻撃に対しては対策が済んでいるが、光や音のように常に遮断するわけにいかないものも存在しているし、全く未知の方面、トーリヤ達が想定して対策していない何らかの要素での攻撃があれば当然にそれを防げず貫通してしまう。
そしてこの相手の攻撃は、現状観測される限りその全てが即死攻撃に近い物ばかりなのだ。
ただでさえ想定外がそのまま死に直結しかねないこの相手に、不意を討つような罠が満載の敵陣に踏み込む形で戦うのはどう考えても悪手と言える。
「そう、俺たちは敵陣には踏み込まない。
踏み込まないまま外から削り、圧力をかけて、この敵を自陣から引きずり出す……!!」
言葉と同時に、トーリヤ達のいる森の、その離れた位置で木々が爆ぜて、立ち込める土埃の中から巨大な何かが姿を現す。
「【生体転写】――、ブラキオ」
巨大な生物がはびこるこの異世界においてもまっとうな動物の中では比肩するモノがない、地球史上でも最大クラスの巨大陸上生物が。




