外伝・エピローグ
※
「草苅さん、本棚の整理終わった?」
「はーい、やっときましたよ」
「そう、じゃあコーヒーメーカーの清掃お願いね、私はカウンターで帳簿つけるから」
ここ数日、カスタネットに客がいない。
仕事はいくらでもあるので手が止まることはないが、世の中はまだ、ネットカフェという雰囲気でもないらしい。
「瑛子さん、タツガシラ行かなくていいんですか? 先日の後片付けで大変なんでしょ」
「大変なのは出向してる米軍よ。というかプロジェクト・ニライカナイの件で国連からお叱り受けたって言ったでしょ、REVOLVEは凍結状態なのよ」
結論から言えば、人が鉛に変化するという事象は誰も覚えていなかった。
やはりあれは水穂のような異能者だけに知覚できたのだろうか。鉛に変えられた黒現の同胞たちも覚えていないという。瑛子の記憶も映画祭の途中から途切れているらしい。
だが、黒現たちの惑星が接近したという事象は共有されていた。あの接近は何だったのか、いまだに世界中で議論となっており、黒現たちに説明を求める声が高まっている。
地球に新たな抗異化因子存在を生むというプロジェクト・ニライカナイについては各国政府で情報共有され、アメリカの独断専行であると激しく糾弾されたらしい。
「というか柱に変えられた人たちどうなったんです? イギリスのアーグルトンってところが協力してたんですよね。そのあたり聞きたいんですけど」
「ノーコメント。まあ誰も死んでないわ。それだけは言っとく」
本格的に大変な事態になると瑛子が暇になる。これは覚えておこうと草苅は思う。
「根乃己とagoleって、いまかなり立場ヤバくないです?」
「ヤバいけど、まあ最悪でも組織の再編ってところでしょう。まだまだ異常存在は生まれてくるし、対処する組織自体は必要なのよ。異常存在を集める避雷針のような土地もね」
「どうも、皆さま」
声に振り向けば、縁側に黒衣の僧侶が立っている。黒現である。
「あ、いらっしゃい」
「拙僧はしばらく根乃己に留まることになりました。我らが同胞から任ぜられた役割です」
「へー、何ですか親善大使みたいなことで」
「見張り役に決まってるでしょ」
瑛子がカウンターから出てくる。
「根乃己という土地は彼らにとっても重要。そしてREVOLVEは何をやるか分からない。見張り役を置いとく必要があるのよ」
「誤解です。拙僧は地球の皆さまとの友好のために」
「友好というなら、REVOLVEの凍結を解除してくれないかしら。私はあなたに協力的だったでしょ。何なら私がREVOLVEのトップに就いて、異常存在の収拾と管理をしていくほうがお互いの利益になるわ」
草苅は瑛子を観察する。腰に手を当てて挑戦的な構えである。枯滝瑛子という女性は、REVOLVEでの出世を諦めていないのだろうか。それとも異常存在を見張るという彼女の使命感のためか。
「はは」
そして黒現は。
普段は細めている目をやや大きく見開き、ぎょろりと眼球を動かして瑛子を見る。
「御冗談を」
ばちばち、と火花が散る。虎とライオンが草苅の目に幻視される。
どうやら黒現たちとREVOLVEの関係はあまり良くないらしい。プロジェクト・ニライカナイが一種の裏切り行為という事もあるが、何よりも瑛子という人物が優秀すぎるのだろう。高位の流れの者ですら心を許せないほどに。
ついでに言うなれば、REVOLVEの凍結はやはり黒現たちが関係しているようだ。まあ当然だろうか、と草苅も納得するしかない。
「私、夕飯の買い出し行ってくるから、草苅さんは店番してて」
ばん、とエプロンをソファに投げつけ、玄関から出ていってしまう。数秒後にがろろろ、と獰猛なエンジン音が遠ざかっていった。
「でも一つ分からない事があるのよね」
草苅は首をひねる。
「何でしょうか?」
「あの子はなんで太陽雨って名乗ったのかしら。沖縄方言よね? 天気雨でいいと思うんだけど、語呂の問題かしら」
「おや……」
と、黒現は合掌したまま首を反らす。
「分かっていたわけではないのですか?」
「え? 黒現さんは何か分かってたの?」
「拙僧はてっきり、見事な名推理が行われたものと……」
戸惑うような言い方である。草苅はしばし考える。自分はいったい、何を分かっていたと思われたのか。
「うーん、だめ降参、何のことか教えてよ」
はあ、と、生暖かい息が流れる。異星人の嘆息を見たのは草苅が初めてである。僧侶は仕方ありませんね、とつぶやいて話を始める。
「今回の事態のカギとなる人物はおそらく、枯滝竜興どのの亡妻である枯滝丹魚さんでしょう」
「へ? 竜興さんの奥さん? なんで?」
黒現が頭痛に顔をしかめる。草苅の前だとこの人物はかなり人間くさくなる。映像に収めた場合の価値はとても高いのだが、草苅はそのあたりはまるで気づいていない。
「少しだけ調べさせていただきました。枯滝丹魚という人物は沖縄からこの根乃己村に嫁いでこられたのです。旧姓は夜名嶺といいます。夜の名前に嶺と書き、ヨナミネという読みでこの漢字を充てる家は失われてしまったようですな」
「あら、沖縄っぽい名前」
「夜名嶺という家は沖縄のユタ、つまり占い師や霊能者のような家系ですが、その能力は異常存在に分類されていたようです。すなわち「本物」ということでしょうな」
「へー」
「REVOLVEの協力者であり研究対象であったようです。竜興氏と出会ったのはそのあたりの縁でしょう。沖縄にはREVOLVEの支局もありますからな」
「え、そうなの? 沖縄にもあんの?」
やれやれ、と、剃り上げた頭を左右に振る。
「当然でしょう。REVOLVEというのはアメリカの組織ですが、そのネットワークは米軍基地の勢力に依存しております。沖縄には支局があって当たり前です」
そうだった、と草苅も思い出す。草苅が根乃己村に来て、初めてシステムとしてのREVOLVEの発動を見たとき、世界中の米軍基地の名前がコールされていたが、その中に沖縄も入っていた。
「そういえば……あの子の容姿」
太陽雨を観た時の印象を思い出す。晴南と美雨のどちらにも似ており、そこへさらに、水穂にも似ていた。三人が微妙に重なり合ったような容姿だったのだ。
「あれは、水穂ちゃんに似てたんじゃなくて、まさか」
「というより、そこが推理の起点でしょう。拙僧は本当に感服していたのですよ、まったく……」
「太陽雨って子は、須走晴南、山極美雨、そして枯滝丹魚という三人が混ざっていた……。でもなんで丹魚さんが?」
「それは……」
黒現は困ったような顔になる。あまり直接的に言いたくない部分らしい。
「おそらくは……我らの御前と同じです。枯滝丹魚という人物は、根乃己という土地、地の底に渦巻く陰の気と合流し、それを制御するシステムの一部となっていたのです」
「え……」
「枯滝丹魚という人物がどのように根乃己で生き、どのように没したのかはデータが抹消されておりまして、我々も調べられていないのです。REVOLVEの職員に聞き取りをしても良いのですが、きわめてセンシティブな問題の可能性があるため、今のところは控えております」
草苅は考える。ほとんど直感だけで生きているような人物であり、その思考は推論とか演繹と言うより、ひたすらな連想ではあるが。
「沖縄のユタ……霊能者よね。かつて千年前、根乃己という土地を制御して、その陰の気と融合した人物は徳の高いお坊さんだった。つまり同じ霊能者と言えなくもない……」
枯滝竜興という人物はこう言っていた。丹魚は異常存在によって寿命を縮めたと、その責任の一端は枯滝路にあると。
「丹魚さんの死は、竜興さんにとって悲劇的で納得のいかないものだった……。彼女はどういう状況で亡くなったのかしら。もしかして……」
「そこから先は推測に頼り過ぎというものでしょう。控えるべきかと」
「ん……そうね」
落ち着いた声音に、草苅は頭を掻いて同意する。
「ちなみに言えば「ニナ」とは沖縄方言で貝類を指す言葉です。琉球神話においては人が天から食べ物を与えられなくなり、海の貝を採って生きたという話があります。貝とは恵みであり、人を守ってくれる存在なのです。なので現在でもお守りなどに加工されます。そして「丹」とは朱色の染料のことですが、おもに神社仏閣などに使われる神聖な色です。さらに沖縄においては赤とは特別な意味を持つ色であり……」
ふと、黒現の目が草苅に向く。元オカルト記者はぽかんとした顔をしていた。
「あなたたち……トークンがどうのとか言ってるけど、もしかしてただのオカルト好き……」
「おや、心外ですな。我々の求めるトークンとは異常存在であり、それは民間伝承と結びつくことが多い。このような神話や伝承の掘り下げからトークンが見つかることは珍しくないのです」
「ふーん……」
宇宙人の言葉、これまで全人類が聞いた以上の言葉を聞いて、彼らの印象がだいぶ変わってきた気がする。宇宙人とオカルトで通じ合う、というおかしみに苦笑が漏れる。
「……沖縄かあ、これは取材に行かないとね。その夜名嶺って家とか、REVOLVEの支局とかも興味あるし」
そして、太陽雨という少女もまた印象が変わる。
活発であり積極的、全身で子供という時代を生きていた姿に、いろいろなものが重なっていたと感じる。
それは守り神であるとか、献身であるとか、土地であるとか。
あるいはもっと純朴で単純なもの。
それはすなわち、人間。
「人間みたいな土地……」
それが根乃己なのだろうか。
人の欲望も、愚かさも、死した者の思いも、これから生まれてくる命にも、すべてのことに共感する。
共感して、時に世界を歪ませる。それは神の概念にも近いのだろうか。
「うーん、やっぱり面白いわこの村。なんかすっごいやる気出てきた、取材しまくるわよ」
「よいことです。未知なるものへの探求、ジャーナリズムが世界を動かす、そういうこともあるでしょう」
秋の風は冷たくなってきた頃だ。沖縄へ行くなら丁度いい季節かも知れない。
「瑛子さんに休みもらって、沖縄へ取材に行こうかな。黒現さん、帰ってきたらインタビューさせてよね!」
「ええ」
そしてつかつかと歩き出して。
10歩ほどの位置で止まって、後ろ向きに戻ってくる。
「えっ?」
「どうされましたか?」
「え、いやあの、インタビュー」
「ええ、お受けしますよ。草苅どのは本件の功労者ですからね。それに地球の皆様にも、少なからぬ混乱への説明が必要と考えております」
「ぬぇっ!? ちょっ! い、今やらせて!!」
「沖縄から帰ってきたらという話でしたでしょう? 我々も仲間内での混乱がありまして、それを収めるために日数が必要ですからね。そうですね、沖縄で十分な成果を上げてきてからとしましょうか」
「いやそんなん待てない!! インタビューさせてって! ピュリッツァー賞間違いなしだから!」
「さて拙僧は托鉢に参りませんと」
その姿が煙のようにかき消えて。
草苅の絶叫だけが、かなり長く続いたのだった。
※
根乃己に秋風が吹く。
黄金の稲穂と豊かな田畑。その中のあぜ道を歩く三人の少女。
三人はひとまずの日常へと帰還したかに見える。
そして視点は空へと舞い上がる。
秋色に澄み切った高みへ。
秋風に乗って根乃己を囲む山へ。その一つに向かう。
見えてくるのは和倉寺。
幾何学的な石畳、巨大な榎、石造りの鳥居に守られた結界、それらを越えてさらに山のきざはしへ。
岩場にいるのは小柄な老人。根乃己の村を見下ろしている。
ざり、と音がして、背後に立つのは銀髪の青年。その顔には濃い影が降りており、四肢は気だるい重みを宿す。
「今を生きる人々を、想っているのですか」
老人の背に問いかける。答えはない。
「失われた誰かのことを、嘆くのですか」
重ねて問う。だが声は帰らない。
「舞台に上がらない誰かに、怒りの鉾を向けるのですか」
あたりにはただ、風の音だけ。
「それとも、まだ、あきらめていないのですか」
声は帰らない。
世はすべて渺茫であり、何一つ見通せるものはない。
ファーストコンタクトを迎えた地球はどう変わるのか。
異常存在の生まれる星を知った異星の人々は。
加速度の果てに消えてしまった超人は。
根乃己の村は、REVOLVEは、そして枯滝の家は。
そして老人は。
重たげな目蓋の奥に、槍の穂先のごとき眼光があった。
老人はただひと言、言葉を残す。
「水穂……」
(完)
これにて今回の外伝は完結となります、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
世界はどう変わっていくのか。枯滝の家は。
そのすべて渺茫であり、だからこそ愛おしいのかもしれません。
ではまた、別の作品でお会いできれば幸いです。
2026.05.28 MUMU




