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第7話:初陣

 王宮での生活が始まった。


 アリアはすぐに、食堂以外の場所が地獄であることを知った。


 廊下を歩けば騎士とすれ違い、庭を散歩すれば魔術師に話しかけられ、角を曲がれば文官がお辞儀をしてくる。そしてその全員が、アリアを崇拝していた。


「大賢者様が庭を散策されている……瞑想の一種だろうか」


「あの方は常にマフラーで口元を隠しておられる。高度な魔力練成のためだという噂だ」


「フクロウを従えていらっしゃる。あれは使い魔の中でも最上位の……」


 違う。全部違う。


 散歩はただの散歩だ。瞑想なんてこんな人ごみでできるか。マフラーは口元を見られたくないだけ。ゾディは使い魔というより、ただのうるさい同居人だ。


 だが訂正する気力も起きなかった。百年以上生きた経験が教えてくれる。人が受けた第一印象を、変えるのは難しい。訂正しても、誰も信じてくれない。


 幼い子供ながらとてつもない魔力を持った魔女と喋る白フクロウを恐れた近隣の村人たちを、アリアはふと思い出した。あの時は恐れられ、忌み嫌われた。呪いだ、魔女だ、殺さなければこちらが殺される、と住まいに火をかけられたこともあった。だが、今では崇拝されている。


 どちらにしても、本当のアリアを見ている人間は誰もいない。


 ——いや。一人だけいる。


 窓際に立ち止まっていたら、若い騎士が二人、遠くからアリアに向かって敬礼した。どう返していいかわからず小さく頷いたら、二人の騎士は抱き合って喜んでいた。


 昼食の時間、食堂に入るとレオンがいつもの席に座っていた。アリアの分のA定食が既にテーブルに並んでいる。今日は金曜日だ。豚のロースト、マッシュポテト、チーズパンに、豆のスープ。


「勝手に取ってきたの?」


「すみません。混む前にと思いまして」


 頼んでいない。頼んでいないのに。だがテーブルの上の料理は温かく、湯気を立てていた。人混みが苦手なアリアにとって、混雑した配膳口に並ばなくて済んだのは、正直ありがたい。


「ありがとう」


 小さく言った。この前は言えなかった五文字が、今日は言えた。レオンは特別な反応をせず、「いえ」と一言だけ返して、スープを飲み始めた。その自然さが、アリアには少しだけ楽だった。


 豚のローストは、備え付けのマスタードにつけて食べるとより肉の深みが増した。噛むたびに肉汁が口内に広がる。マッシュポテトは胡椒が効いていて、ジャガイモをふかして食べるだけだった百年間を少し後悔した。チーズパンを豆のスープに浸して食べると、パンが柔らかくなり、チーズと豆の香りが混ざり合って芳醇な味になった。レオンが「お行儀悪いのですが」とやっているのを見て、アリアも真似をした。


「……おいしい」


 思わず声に出た。


 気づいて、口を押さえた。マフラーの下で唇を噛む。声に出すつもりはなかった。レオンが何か言う前に、アリアはスープに顔を突っ込むようにして黙った。


 レオンは何も言わなかった。ただ穏やかに微笑んで、自分のスープを飲んでいた。食堂の喧騒が、今日は少しだけうるさくなかった。


「あのさ、聖典についてなんだけど」


「聖典」


「あ、ええと……『旧約ゼポルディア、原理福音、大聖典』?」


「ああ、『聖典』だけで大丈夫です。正式名称で言うのはジーク副院長ら魔術学院の方々のみですので」


「じゃあ言わせないでよ」


「すみません」


 レオンが深々と頭を下げる。そこまで謝られても逆に困る。


「これからの予定ですが、先ほど南東の街道沿いに魔獣の群れが現れたようです。災害級ではありませんが、商隊が足止めされていまして」


「それ、私がいく必要あるの?」


 災害級の魔獣討伐が契約の範疇だ。


「ありません。ただ、我が第七騎士団たちに、アリア殿のご尊顔をお見せしたいと思いまして」


「ご尊顔ってほどの面かよ」


 ゾディが鼻で笑った。

 第七騎士団。レオンが所属する騎士団だ。


「レオンは行くの?」


「ええ。三ヶ月ほど留守にしていましたので」


「そんな長い間不在にしてたら、もう不要だと思われてたりしない?」


「そうですね。留守の間、副団長のゲオルクさんに指揮を任せていたので、ひょっとするともうお払い箱かもです」


 レオンが明るく笑う。そこに悲壮感は微塵もない。


「魔獣の討伐はしなくていいのね」


「はい。我が騎士団の実力を見てもらえれば」


 古代の禁呪を使わないに越したことはない。それだけで体が軽くなる。


「久しぶりの冒険だな」


 心なしか、ゾディが嬉しそうだった。


「じゃあ、行くわ。けど、討伐が終わったらすぐに帰るから」


「もちろんです」


 アリアの言葉に、レオンが優しく返した。


     ◇ ◇ ◇


 南東の街道は、王都の門から馬で半刻ほどの場所にあった。


 問題が一つあった。アリアは馬に乗れなかった。これまでの人生で、馬に触れたことがない。移動はもっぱら浮遊術レーヴ・プリュームだったからだ。だが、街道をずっと魔法で飛ぶには目立ちすぎる。


「大賢者様が空を飛んでおられる!」などと街の人に崇められたら面倒だ。


 結局、レオンの馬に二人乗りすることになった。間近に見る馬はことのほか大きい。レオンの手引きで鎧に足をかけ、背中を押してもらって馬にまたがる。視界がぐんと高くなる。すぐにレオンがアリアの背後に跨った。


「窮屈ではないですか?」


「大丈夫」


 レオンの腕がアリアの体を包むように伸びる。レオンの太ももがアリアの下半身を優しく押さえ込む。


「手綱をしっかり握っておいてください。あとは、私に体を預けてくれれば」


 アリアはどう返事をすれば良いかわからず、黙って頷いた。


 甲冑越しとはいえ、人の体に触れている。馬の揺れに合わせて、レオンの胸、腕、太ももが微かに動く。優しい何かに包み込まれるような感覚だった。甲冑で覆われていなければ。いや、何を考えている


 ゾディは自力で飛んでいた。時折、馬の横に並び、飛びながらアリアの顔を覗き込む。


「楽しそうだな」


「楽しくない」


「そうかね。耳が赤いが」


「風のせいよ」


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