第20話:共犯者
夕陽が沈み、部屋が薄暗くなる。アリアが蛍光石の灯りをつけた。
シルヴィアがテーブルにノートを広げた。新しいページだ。今度は調査記録ではなく、作戦計画だ。
「状況を整理します」
シルヴィアの声が変わっていた。さっきまで泣いたり笑ったりしていた少女が、一瞬で分析者の顔になる。切り替えが早い。
「原本は聖典の間の台座にある。封印は七重構造。ジーク副院長以外には解除できない」
「ええ」
「アリアさんの魔術で、七重の封印解除には何日かかりますか?」
「七重だと、正攻法では十日以上。能力強化の禁呪を使えば短縮できるかもしれないけど、それでも二日は無理」
「禁呪で封印ごと吹き飛ばすのは?」
「王宮が消える」
「却下、ですね」
シルヴィアがペンでノートに線を引いた。選択肢を消していく。
「ジーク副院長に頼んで封印を解いてもらうのは?」
「目的がバレる。あの人は聖典を崇めてる。私が消したいなんて言ったら……」
「却下、ですね。では、原本に触れる機会は一つだけです」
シルヴィアがペンを止め、アリアを見上げた。
「再度確認ですが、アリアさんは原本を消したいんですよね」
「当然でしょ。あんなもの、この世から跡形もなく」
「却下です」
シルヴィアが即座に言った。アリアの眉が上がる。
「消すのは最悪の手です。理由は三つ。一つ、消えたらすぐにバレる。ジーク殿が封印をかけ直す時に原本がなければ、王宮中が大騒ぎになります」
「それは」
「二つ。大聖典を消滅させた犯人探しが始まります。大賢者が古代語に執着していたことは周知の事実です。疑いの目はアリアさんに向きます」
「でも証拠を……」
残さないようにすればいいじゃない、とアリアが言おうとすると、シルヴィアが遮る。
「三つ。レオンさんに迷惑がかかります。大賢者を連れてきたのは彼です。証拠があろうがなかろうが、大聖典消失の責任を問われるのは間違いなくレオンさんです」
アリアは口を閉じた。この三つ目が、一番重い。
「じゃあどうするのよ」
「すり替えます」
シルヴィアが食い気味に言った。ペンでノートに一文字書く。「替」。
「写本を一冊手に入れて、原本に見せかける。そして奉納式の最中に、原本と写本を入れ替えます。祭壇に残るのは写本。本物は、アリアさんの手元に戻る」
「すり替えって……写本と原本は見た目が違うわよ。原本にはかなりの使用感がある。角が折れてるし、背表紙も擦り切れてるし、ページも波打ってるわ」
「それはアリアさんの魔術で再現できますよね。物質変性の術式で、写本を百年使い込んだように加工する」
「……できるわ。それくらいなら」
「ジーク副院長は古代語を読めません。封印越しに文字の形を確認するだけです。写本と原本の文字は同じですから、すり替えても気づかれません」
「どうやって写本を手に入れるの?」
「……私に考えがあります。写本の検品をしている研究員がいるはずです。検品用の写本を一冊借りる名目なら、不自然ではありません。これから手配します。それよりも」
シルヴィアがノートに図を描き始めた。
「問題は、原本に触れる機会です。封印はジーク副院長にしか解けない。原本が封印の外に出るのは——」
「奉納式の時だけ」
「そうです。祭壇に原本が置かれた瞬間。そこが唯一のチャンスです」
「でも式典の最中じゃない。人が大勢いるわ」
「だからこそ、です」
シルヴィアの目が光った。言うなればその目は、共犯者の目だ。
「すり替えの手順はこうです。アリアさんがローブの中に偽装した写本を忍ばせておく。来賓として祭壇に近づき、原本に触れた瞬間に、魔術で写本と入れ替える。外からは、アリアさんが聖典に触れて敬意を表しただけに見えます。可能でしょうか?」
シルヴィアが尋ねると、アリアは右手にコップを、左手に花瓶を手に取る。瞬時に左手に花瓶、右手にコップが移動した。
「お見事です。誰にも気づかれない」
シルヴィアがペンを置き、アリアを見上げた。
「失敗したら?」
「二度目のチャンスを作ります。私が陽動して、アリアさんが原本に近づく時間を稼ぎます。何か騒ぎを起こして」
「あなたが犠牲になるの?」
「犠牲?」
シルヴィアが薄く笑った。覚悟のある笑みだった。
「調査員が式典で不審な行動をした程度ですよ。最悪でも始末書レベルです。それに、あの報告書で学院中を敵に回した時点で、始末書の一枚や二枚は誤差です」
軽い口調だった。だがその軽さの下にある覚悟を、アリアは感じ取っていた。
「あなたはずっと、一人で戦ってきた。もう一人じゃないんですから」
アリアは何も言えなかった。胸の奥が熱かった。
「俺もいるけどな」
窓枠からゾディが言った。シルヴィアが優しく微笑む。
「ただ」
シルヴィアの声が、少しだけ硬くなった。
「すり替えに成功しても、写本は十二の神殿に配布されます。国中にアリアさんの黒歴史のコピーが広まることは止められません」
「それは……」
「でも、誰も読めません。古代語を読めるのはアリアさんだけです。中身が恥ずかしいポエム帳だと知っているのは、この部屋にいる私たちだけ」
ゾディが肩の上で小さく頷いた。
「コピーが広まっても、原本はアリアさんの手元にある。あなたの百年間は、あなたのところに戻ってくる。それでいいんじゃないですか」
「写本が広まるのは」
「恥ずかしいですか」
「恥ずかしいに決まってるでしょ」
「でも読めないんですよ、誰にも。崇高な聖典として崇拝されるだけです」
シルヴィアが少しだけ笑った。
「むしろ、ちょっと面白くないですか」
「面白くないわよ」
「アリアさん。もう一つ確認させてください」
「何?」
「聖典の中身。本当に全部、恥ずかしいポエムなんですか」
「全部よ。一ページ目から最後のページまで」
「例えば、どんな」
「教えない」
「少しだけでいいですから」
「絶対言わない」
シルヴィアの唇が震えた。笑いを堪えている。
「ぶふっ」
「笑うな」
「笑ってません。ぶふっ。ごめんなさい」
「だから、笑うなって言ってんだろ。おい、笑うな笑うな笑うな」
ゾディが窓枠の上で金色の瞳を細めていた。何も言わなかった。
◇ ◇ ◇
シルヴィアが帰った後、アリアの部屋がノックされた。レオンだった。
「食堂に来られなかったので、夕食をお持ちしました」
お膳の上には、鶏もも肉のグリルとベイクドポテト、オニオンスープが並んでいる。
「後処理は終わったの?」
「ええ。ひとまず目処は立ちました」
よく見ると、さすがのレオンも眠たそうだった。「おやすみなさい」と微笑んで去っていった。
鶏もも肉のグリルを一人で食べた。皮がぱりっとしていて、中は柔らかい。ベイクドポテトにバターを載せる。美味しい。だが今日は、その美味しさを感じる理由の半分が、別のところにあった。
秘密を話した。ずっと、誰にも言えなかった秘密を。笑われた。バカと言われた。でも軽蔑されなかった。「一緒にやりましょう」と言われた。
友達って、こういうものなのだろうか。
アリアは窓辺に立って、王都の夜景を見ていた。無数の灯りが瞬いている。
「ゾディ」
「なんだ」
「友達って、こういうものなの?」
「知らん。俺はフクロウだ」
「フクロウじゃないでしょ。元黒竜でしょ」
「黒竜の時も、俺は一人だった」
「そう」
「だが、悪くないんじゃないか?」
アリアは少しだけ笑った。声を出して。マフラーを少しだけ下ろして。
大祭典は明後日。原本を取り返す最後のチャンスだ。失敗するかもしれない。成功しても、その先にどんな問題が待っているかわからない。
だが、一人ではない。
アリアはベッドに入った。壁際に寄って、背中をつける。だが今夜は、少しだけ壁から離れた位置で目を閉じた。




