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第10話:真夜中の潜入ミッション

 夕食の食堂も賑やかだった。今日のメニューはビーフシチュー、バターロールに温野菜だ。


 レオンが隣に座った。いつからそうなったのか——昨日からだ。たった昨日。なのにもう、レオンが隣にいることが当たり前のような気がしていた。


「隣、いいですか」


「もう座ってるじゃない」


「一応、毎回お伺いしようかと」


「好きにすれば」


 ビーフシチューを一口食べた。肉が柔らかくほどけて、赤ワインの深い味がした。バターロールをちぎってシチューに浸す。レオンがやっているのを見て、昨日から真似している。浸したパンを口に運ぶ。おいしい。


 だが、今日は味に集中できなかった。


 頭の中には白い大理石の台座が浮かぶ。あの封印の構造。すぐに解けると高を括っていたのだが、とてつもない魔力の結界が、四重になって組み込まれていた。常人であれば解析に数百日にはかかる代物だ。アリアでも解析に数日を要するかもしれない。四日で間に合うか。


「アリア殿。今日は随分と考え事をされていますね」


「別に。なんでそう思うの?」


「ビーフシチューの浸し方が雑だったので」


 この騎士の観察力は、要らないところで発揮される。


「お力になれることがあれば、何でも仰ってください」


 レオンの碧い瞳が、穏やかにアリアに向いていた。この騎士はいつもそう言う。だがアリアが抱えているのは、聖典が自分が日記帳であり、アリアの黒歴史が詰まったポエム帳であるという秘密だ。それだけは、口が裂けても言えない。


「ありがとう。今は、大丈夫」


「そうですか」


 レオンは微笑んだ。それ以上、彼は何も聞かなかった。


   ◇ ◇ ◇


 足音消去の術式を靴にかけ、廊下を歩く。アリアが手に持つ松明の灯りが、石壁に揺れる影を落とす。王宮の夜は静かだった。見回りの騎士が一人、遠くの廊下を歩いているのが見えたが、術式のおかげで気づかれなかった。


 聖典の間の扉は厳重に施錠されていた。だが、封印がある以上、物理的な鍵は形式的なものだ。アリアは鍵開けの魔法でなんなく扉を開錠すると、音もなく中に入る。月光が天窓から差し込み、台座を銀色に照らしていた。ノートの表紙が、月の光を受けてかすかに光っていた。


 アリアは杖をガラスケースに向けた。封印の解析を始める。


 指先に魔力を集中させた瞬間、封印が反応した。想像以上に複雑だ。一層目の防護を読み解くのに、十分以上かかった。二層目はさらに複雑で、術式の連結が有機的に絡み合っている。三層目は——。


 分析通りの四重構造。それぞれが独立した術式で組まれ、一つを解いても残りが強化される仕組みになっている。現存する魔術の理論的な限界に近い設計だろう。これを組んだ人間は、間違いなく天才だ。


 ジーク・クロニクル。穏やかな微笑みの裏に、これだけの技術力がある。


 やはり一晩では解けなそうにない。大祭典に間に合わない可能性がある。

 

 古代の禁呪なら、この封印ごと一瞬で吹き飛ばせるだろう。だが、そうなると、この王宮も吹き飛ぶ。読み親しんだ蔵書の数々が、粉々に散ってしまうことになる。


 焦るな。まずは解析だ。毎晩来れば、少しずつ解除できるかもしれない。


「何をしているんですか」


 咄嗟に背後から声が聞こえた。


 振り返ると、扉の前に一人の少女が立っていた。亜麻色の髪に知的な瞳。魔術学院のローブを羽織り、手にはノートと羽根ペンを持っていた。月光に照らされた彼女の髪は、ところどころ銀色に輝いていた。アリアは心臓が止まる思いだったが、なんとか平静を装う。


「何か、御用でしょうか?」


「大賢者殿ですよね? なんであなたが、こんな深夜に聖典の間で封印を解析してるんですか?」


「あ、あなたは誰?」


「私の質問が先です」


 亜麻色の髪の学生は強気に言った。眠るゾディを叩き起こし、連れてくれば気づけたのにと後悔しても遅い。人間に尾行されるという発想自体が、アリアの中にはなかった。完全に油断していた。


 彼女の瞳を見る。その瞳に敵意はなかった。だが、明確な意思を感じた。おそらくそれは、使命感だ。


「尾行してたのね」


 亜麻色の髪の学生の眉が動く。だとしたら、いつから? 足音消去の術式は間違いなく効いていた。となれば、彼女はアリアの足音に気づいたわけではなく、アリアが部屋を出てくるのを待っていたのだ。透明隠身アンヴィジブルもかけておけば、このような事態にはならなかった。


「ジーク副院長に報告しますよ」


「……好きにすれば」


 そう捨て台詞を残し、アリアは聖典の間を出た。今夜はもう無理だ。逃げるように部屋に戻り、ベッドの壁際に膝を抱え座り込む。


「早かったな」


 窓際の白フクロウが片目を開け、そう呟いた。


「終わってない」


「あ?」


「尾行されてた。魔術学院の生徒だと思う」


「お前、潜入ミッション向いてないな。どうして俺を連れて行かない」


 ゾディは呆れ顔で言った。


「うるさい」


 初日で尾行者に見つかってしまった。封印は四重構造で、アリアの知見を持ってしても四日で解除は至難の技だ。禁呪を使えば一瞬だろうが、大量の知の遺産である図書館もろとも破壊することになる。それは、アリアの望むものではない。


 白い大理石の台座の上の、忌まわしき日記帳。百年分の恥辱。消さなければならないが、消し方がわからない。


 聖典の写本が配布される大祭典まで、あと四日。

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